第5話
「そこの野蛮人!足が早いのよ!止まりなさい!!やっと一人になったというのに!!」
この世界で誰も知り合いが居ないので、まさか私の事だとは思っていなかったけれど。近づいてくる罵声と、やっと一人になったという言葉に思わず立ち止まって、恐る恐る振り向いてみた。
私のこと?なんて自意識過剰な気がするけれど、もし私だったら無視してる事にもなってしまう。見るだけなら様子を見ているとも思われるだろう。
振り返ると、煌びやかなドレスのようなものを着た美しい女性が怒ったかのような表情で確実に私を睨みつけながら近づいてきていた。
「無視するとは良い度胸ですわ!異世界人の生贄の分際で!」
「……生贄……?」
目の前の女性が放った物騒な言葉を思わず呟くと、それに気がついた女性は面白いものを見つけたかのように微笑んだ。
「何?知らないの?ただ血肉を求められた生贄だって」
その言葉に、血の気が引いて全身が冷え、身体が小刻みに震える。
生贄……。
馴染みのない言葉だけれど、その意味はとても怖いという事は知っている。
怯えている私を見て楽しそうに目の前の女性は笑いながら話してくれた。
逃げ出さないようにずっと監視しているから、四六時中ロドさんが私を目の届く所に置いているのだとか、手の届くところに置いているのだとか。
呪術蔓延る世界だからこそ、呪いは呪いとして返すしかなく、その危険性から生贄が必要になるとか。
「生贄として使用する準備として溺愛されているだけなのに。あら?教えてあげた、わたくしって親切ね」
私が絶望に表情を歪め、女が高笑いをあげた瞬間、ハイルさんの声が響いた。
「そこで何をしているんですか!」
「チッ」
女性は舌打ちすると踵を返し、その場を立ち去っていく。残された私は顔をあげる事が出来ない。
「ミオ様、勝手に出ては困ります」
それは監視の為に必要だからですか。
「ごめんなさい……許可が必要な事を知らなかったんです……」
私は俯きながら、そう返すのが精一杯だった。
大人しくハイルさんの後を付いて、部屋に戻った。
道中、何か言われたのかとか、どうしたのかとか聞かれたが、全て何もないと一貫して答えたが、そんな私を訝しげにハイルさんは見ていた。
とりあえず久しぶりに外へ出て歩いた為に疲れたから休ませて欲しいと自室に篭る旨を伝え、ハイルさんが部屋から出て行ったのを確認した後にベッドへ倒れ込んだ。
——愛されることなんてないんだ——
——誰からも必要とされないんだ——
——やっぱり私なんて——
それが今までずっと生きてきた中で形成されている私。利用価値があるのかないのか、他人の為に出来るか出来ないか。そんなの分かりきっていたことじゃないか。誰も私なんて見てくれない。
そう、分かってる。分かっている事なのに、心が虚無感で襲われる。ぽっかり穴があいたように思えるのは悲しみなのだろうか。
悲しいという感情すら湧いていないけれど、涙が一筋だけ頬を濡らした。
「いっそ……殺してくれれば良いのに……」
いや、死ぬのか。
何かそう思ったら、少ししっくりきた気がする。どうせ自分で死ぬ勇気もない。ならば生贄でも良いのではないだろうか。
怖い。
死ぬのは怖い。
だけれど…………。
「最後に誰かの役に立てるのであれば……」
どうせロドさんが居なければ私はこちらの世界で生活する術すら持たないのだ。まぁ召喚したのもロドさんだから原因という意味でもロドさんなのだが、正直もうそこまで考えるのも辛かった。
全ては嘘で。
私は生贄として必要だから呼ばれただけで。
「生贄って……何をするんだろう……」
言葉にして初めて恐怖が心の底から湧いてきた。
準備とは?生贄となるには?
痛いのかな
苦しいのかな
辛いのかな
先の分からない不安に押しつぶされそうになり、そのままベッドの上で丸まると、知らないうちに眠ってしまったようだった。
◇
「ミオ?どうした?」
朝になり顔を合わせたロド様は、悲しそうな表情で私に近寄り、その手を頬に伸ばすが、私はつい避けてしまった。
「っ!」
一瞬言葉につまり、目を見開いて驚いた表情をしたロドさんだが、その後、優しい瞳で私に微笑みかけてきた。
「ミオが嫌がる事はしないよ。さぁ座って、朝食にしよう」
いつものように横抱きにする事もなく、丸テーブルの対面に腰掛ける。
目の前には植物だけでなく動物も食料として並んでいるのを見ると、心が引き裂かれそうになる。
普段はそんな事なんて思わないのに。
「……いただきます」
故郷の言葉を祈るように口にした。命の尊さ。命を繋ぐという事。
私がそう祈っている時、ロドさんとハイルさんは目で会話をし、頷きあっていたのを、私は知らない。
生贄だと教えられた日から七日経った。
食すという事に何故か恐怖を抱き、食事をマトモに取れなくなっていた上に、毎晩怖くて涙が溢れて眠れない。
泣く、というのとは違う、だって嗚咽を上げているわけではないから。
ただ涙が無意識に溢れて、胸が締め付けられるように苦しくなるだけだ。
「ミオ……僕はどうしたら良い?ただ側に居てくれれば良いと言った僕の言葉が信じられない?」
昼食後、今日の執務は終わりだからゆっくり話したい事があると言ったロドさんの膝に横抱きで乗せられ、頬に口づけを落としながら言ったロドさんは、とても悲しそうな顔をしていた。
それを昔から馴染みである貼り付けた笑顔の仮面で返すも、ロドさんはますます悲しげに表情を歪めた。
初日はロドさんのスキンシップに対し、無意識的に避けてしまっていたが、七日ともなると以前のように接する事が出来てきていると思う。
ただし、気を失う程に高鳴る感情というものはなく、虚無感しか抱いていないからか、気を失うという失態を犯すことはなくなってきているだけだ。
あとは……ロドさんの言葉も。
「こんなにやつれて……ミオには……元気で……笑顔でいてほしいんだ」
切実に訴えているのだろう、抱きしめられ、ロドさんの胸に顔をうずめる事となった私は、それが生贄の役目かと思った。
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