第2話
目が潤んできたが、泣いてはいけない。メイクも終わらせたのだ、涙で汚す事はできない。
上を向いて耐える。私に出来る事は、こんな事だけれど、誰も褒めてはくれない。出来て当たり前の事だから。
……だから……出来ないなんて事があってはいけないんだ。
涙を耐え、思考を切り替え、時間になった為に舞台へ上がる。
練習なんかとは違う。人の波が舞台の前に広がるのを目の前に、心臓が跳ね上がるのが分かったが、舞台の隅から母の睨みつけるような厳しい目を見て、何とか足を動かし前を見据え構える。
——やっと、会える——
「え?」
まるで脳内に響くかのような声に、身体の力が緩み、思わず声を出してしまった……かと思ったら、私の周囲が光に包まれた。
こんな仕掛けあったっけ!?なんて混乱した思考でも、最初の構えから体勢を崩す事はしない。だってチャンスは一度きりだから、ここで投げ出してしまう事はできない。
プログラムをもう一度頭の中で反芻するけれど、こんな仕掛けの話はやはりない。
「美緒!?」
思わず目だけを母の方へ向けると、私を呼び驚いた顔をしていたし、周囲も騒然となっている。
やはりプログラムにない事なのかと自分の足元に目を向けると、自分の身体が透き通っているのが分かった。
思わず鈴を取り落とし、母の方へ顔ごと向けると、そこには泣きそうな顔で私の方へ駆け寄ってくる母が居た。
「美緒ー!!」
「お母さ……」
私の声は最後まで発する事なく、白い光に包まれ視界が遮られた。
——お母さん。私を、心配してくれるのですか?——
光の渦に、反射敵に目を閉じた私は、瞼の裏に映る激しい光がなくなったように感じて恐る恐る目を開くと、そこは見知らぬ場所だった。
どこかの屋上なのか、周囲に柱はあるものの天井はなく、山が浮かび、見た事もない生物が飛んでいるのが一望出来る。
「ようこそ、ミオ」
透き通ったような男の人の声で名前を呼ばれ、そちらを振り向くと、白銀の髪に金の瞳をした美しい男性が立っていた。
見える景色だけでなく、その存在自体も、まるで幻想的で現実味がない。
「……っ!」
ココはどこ?なんて聞きたくても、声が出なくて、かろうじて口を軽く開けられただけだった。
もうワケが分からない。あの光は何?私は死んだの?それともこれは夢??
喉が引きつる感じがして、心臓が耳元になるのかと思える程、バクバクと激しく脈打っていると、先ほどの美丈夫が私の前に歩を進め跪いた。
「!?」
もし声が出せていたのなら、意味の分からない悲鳴を出していただろう。
何が何だか分からない、どういう対応が正解かも分からない、周囲の目に私はどう映っているのか。今までの知識も対応も全てが無と化してしまったかのような世界に、どう反応して良いのかも分からず、不安と悲しみに襲われる。
絶望とも思える状況に、本能が現実逃避を決めたのか、体中の力が抜け、意識を飛ばしそうになる。
「ミオ、失礼するよ」
そんな私の状況を察したのか、美丈夫は私をお姫様抱っこで抱き上げた為に更に心拍数が急激に上昇した反面、しっかり抱き寄せてくれているのか安定しているようだけれど、現在の状況で、地に足がついていないという浮遊感が不安を更に加速させていく。
恐怖からか無意識に力が入り、目の前の美丈夫にしがみついてしまったが、すでに目眩までしてきている。
「ミオ、大丈夫だから。ゆっくり休んで」
私の状況を理解しているのか、美丈夫は力を入れてしっかりと私を強く抱きしめ、私の髪に口づけた。
——オーバーヒート——
全てに耐えられなくなった私は、そのまま意識を手放した。
◇
世界の歪みを正す舞。
溢れる光。
落としてしまった鈴。
消えゆく身体に、輝きを増す光。
――叱責される――
そんな恐怖は、母が私の名を叫び、泣きそうな顔で私の元へ来ようとしているのを見て吹き飛んだ。
恐怖ではなく、驚愕。
母が乱入してしまっても、舞の失敗に繋がる。
だけど、それでも。
何よりも大事にされている伝統、儀式としての舞よりも……私の心配をしてくれるのか……。
鳥の囀りと、顔を伝う涙で私は目覚めた。
「やはり、夢なのね」
母の心配そうな顔が夢だったと理解した瞬間、どこまでもネガティブな思考で、どこまでも自分を否定する。
「何か嫌な夢でも見たの?ミオ」
近くから聞こえる男性の声に、寝ぼけていた頭は覚醒し、そちらに目を向ける。
——夢じゃなかった——
ベッド脇に腰掛けてこちらを見ているのは、この世のものとは思えない美丈夫。という事は、舞の途中に光に包まれ、いきなりこの場所に出てきたのも現実だったんだ。
思わず起き上がろうとすると、美丈夫の手で制され、またベッドへ戻された。
「いきなり起き上がっては危ないよ、まだゆっくり休んで」
そう言って、私の目元に口づけた。
「!?」
何?一体何が起きているの?
目の前には美丈夫の顔、すでに今の体勢はベッドに押し倒されていると言っても過言ではない。
あまりの事に頭がクラクラするのは、脳に酸素が行き届いていないのだろうか。少し息苦しさまで感じる。
そんな私に心配そうな瞳で頭を撫でてくる美丈夫は、扉に向かい声をかけると、誰かが入室してきたようだ。
「お呼びでしょうか」
「ミオの支度を頼む」
そのやり取りだけで、女の人が入ってきて、何か世話をしてくれるのが分かる。
「また後で」
そう言って寂しそうな瞳をした美丈夫は私の頬に口づけると部屋から退室して行った。
……何?何が起きているの?
さっぱり分からない。
私はどうするのが正解なの?
入室してきた女の人に促されるまま起き上がり、言われるがまま水分を取り、言われるがままの支度をする。
無表情にやる事を指示してくれる女性の対応に、少し安心感を覚えた。
決められた事を望まれるがままに行うのは、とても楽だ。無表情だから感情が読めないけれど、今は表情を読んで何を望んでいるのか考え、先回りする行動も思いつかない。
そして指し示された衣装を前に、足踏みをしてしまった。
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