第6話




「又次……。おぬし、気付かぬか?」


「何をだ?」


「お女中衆のことだ」


 保成の屋敷にある、側近たちの控えの間で雑談をする中で、林之介は首を傾げつつ言った。部屋には他に誰もいないが、林之介は敢えて小声で囁くように言う。


「お女中衆?」


「花藻殿のことだ。ここのところ彼女を見かけぬと思わぬか」


「ああ……」


 又次郎は暗い顔になり、殺風景な庭の端で草むしりをしている下人に目を向けた。


「……そうだな。いかがしたものか」


「花藻殿だけではない。忍殿もほとんど見かけぬだろう?」


 二人は、花藻が宿下がりしたまま病に臥せっていることを知らない。知らぬがゆえに、屋敷内に彼女らの姿が見えないことに気を揉んでいる。


「……言われてみれば、忍殿も見ないな」


 林之介は又次郎の物言いに鼻を鳴らし、


 ──おぬしは花藻殿のことしか見ておらぬ……。


 と言いかけて身を乗り出し、又次郎の顔を覗き込んだ。


「又次。もしや──」


「うむ?」


「……もしやしたら、二人に殿の手が付いて、側女にさせられたのでは」


「──まさか」


 又次郎は呟いたが、林之介の邪推を否定することはできない。


 彼らは保成の性格を知っている。よもや手籠めにはしていないだろうが、何らかの策謀を弄して花藻たちの気を引くことに成功して……。


「いや、いや……」


 又次郎は首を大きく振った。


 花藻と忍は元々保成の使用人であり、いわば側室候補者である。もし保成の手が付いたからと言って、誰も苦情を入れる筋合いはないだろう。周囲の男どもにとって彼女らは、テレビの向こうで歌い、踊っている歌姫のようなものであり、いなくなっても「○○ロス」などと称して酒をかっ食らうしか、できることはない。


 林之介は又次郎の反応を見て、フッ、と笑ったがすぐに真顔になり、


「気になる。なにか上手い手立てはないだろうか」


「上手い手立て?」


「さよう。花藻殿と忍殿が──」


「……殿のものになってしまったか否かを知る手立てか?」


「そういうことだ。おぬしも気になるだろう?」


 又次郎は苦笑した。


「まあ、気にならぬこともないが……。どうだ、奥にでも行って二人がいるかどうか見てくるか?」


「奥に、か。しかし、何を理由にして行く?」


「そうだな……」


 保成の妻や側室は通常、屋敷の奥にある保成家族の私的空間で暮らしている。ただこの屋敷の表と奥は、江戸時代の大奥のように厳密に区切られているわけではなく、厳重に人の出入りを管理されているわけでもない。つまり奥向きを取り仕切る老臣やその配下の男以外でも、何か用事があれば彼女たちの区画に入ることはできる。


 しかし適当な用事がないのにフラリと立ち入るのは憚られるし、だいたい近隣随一のアイドルとされている二人が揃いも揃って女性ばかりの住居に現れたら、ちょっとした騒ぎにもなろう。


「ふーむ……、用事など思いつかぬ」


 林之介は渋い顔をして腕を組んだ。


 その時、控えの間の前を通る廊下から物音がするのに気付いて、二人は廊下に目を遣った。


 廊下の端では、まだ十四、五歳の若い女中が四つん這いになって雑巾がけをしている。


「そうだ、名案があるぞ」


 林之介はその娘を見やると右手でポン、と自分の膝を叩き、又次郎に言った。


「名案? あの娘をだしに使って奥に入り込もうというのか?」


「そんなことはせぬ。ただ女中衆の様子を訊くだけだ」


「うむ? 花藻殿と忍殿に殿の手が付いたか、とでも訊くのか?」


「いくら俺でも、そんなに真っ直ぐなものの訊き方はせぬ。もっと婉曲にな……」


 林之介は、にっ、と笑った。


 娘は徐々に移動し、今は控えの間の前を拭いている。林之介はその娘に声を掛けた。


「これ、そこの──」


 娘は手を止め、


「え?」


 と言いながら小首を傾げるしぐさをして、林之介を見た。その瞬間、全世界の女がとろけてしまいそうに爽やかな笑顔を浮かべている林之介と目が合い、首から上を真っ赤にして俯いてしまった。


「これこれ、怖がらぬでもよいぞ。少々訊きたいことがあるだけだ」


「……いかなることでござりましょうか」


「いやな、近ごろ殿のお食事を整える者が男衆ばかりゆえ、賄いどころで何かあったのか、と思ってな」


「はあ……」


 娘は心持ち顔を上げ、安堵と失望の入り混じった色を浮かべた。林之介はその顔を見て首を捻り、


「どうした?」


「……あ、いえ、何でもござりませぬ」


「そうか? ……それで、何か知っていることはないか?」


「知っていること?」


「さよう。誰それが辞めたとか、誰それが殿の手……、いや、奥仕えになったとか……」


「さようなことは、わたくしは何も知らされておりませぬ」


 娘はそう言ってから、何かを思い出したらしく、少し首を傾けて言葉を繋いだ。


「──そういえば」


「ん、どうした?」


「今朝、お女中頭さまがおっしゃられていたのでござりまするが、花藻さまと忍さまがいらっしゃらぬので手が足りぬと」


「ふむ、なるほど──」


 話が核心に近づいていることに満足して林之介は頷き、


「……で、その花藻と忍とやらはどうしたのか聞いておるか?」


「はい、なんでも花藻さまは病にお臥りになられているとか。忍さまは看病なさるために致仕なさったということでござりまする」


「なに! まことか、それは!?」


 それまで黙ってやり取りを聞いていた又次郎が突如大声を発すると、娘はびくっとして雑巾を握ったまま平伏した。


「……あ、いや、そなたを叱ったのではない、その二人は殿のお気に入りと聞いていたゆえ、殿のことを思うて声が大きくなっただけだ。して、それはまことのことか?」


「真実か否か、お女中頭さまがおっしゃられていたのを聞いただけでござりまするゆえ、わたくしには分かりませぬ」


「さようか、分かった。訊きたいことはそれだけだ。掃除を続けていいぞ」


 林之介が穏やかな声で言うと、娘はホッとしたように軽く会釈をして、再び床を拭き始めた。



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