第5話




 薬師の見立てでは、花藻のやまいは「気鬱きうつ」だという。


「気鬱……、か。どんな具合だ?」


 保成は、花藻の症状を報告に来た薬師の笊庵そうあんに訊き返した。


 気鬱は、何となく面倒臭くてやる気が起きない、という、健康な精神状態の人間でも時たま起きる状態から、今すぐにでも命を絶ちたいと思い詰める深刻な鬱状態まで、広範囲な症状を含んでいる。


 ごく軽い症状の時は、見た目では病変が分からないが、中程度の以上でも外見では判別できないことが多いので、この時代では上司(旗頭)から陣触れが出ても、


「だるいな~、いくさなんかしたくないな……」


 などと思った時の「仮病」としてよく使われる。


 しかし花藻の青い顔をしてげっそりとやつれている、という症状は、素人目にも深刻だと分かる。


「あれは良くありませぬな」


「そんなに悪いのか?」


「少なくとも、殿が先日患われた病より悪うござりまする」


 笊庵がチラッと見やると、保成はバツの悪そうな顔をして目を庭に向けた。


「……して、治るのか?」


「気鬱の種を取り去れば、すぐにでも良くなりまするが」


「気鬱の種か。花藻はなぜゆえに不調なのか分からぬ、とわしには言っておったが」


「さようででございますか。それがしにも同じようなことを申しておりました……。種などは分からぬ、と」


「分からぬものか?」


 保成の問いに笊庵は首を振り、


「いや、いや。気鬱の種は心にある悩みでござりましてな、自分で分からぬものではありませぬ」


「ではなぜ分からぬ、と申す?」


「さあ……。それがしもはっきりと言わぬと治せぬぞ、と申したのでござりまするが、……何か言えぬ事情でもあるのか。──もしや殿が何か致したのでは?」


「……いや、まだ何もしてはおらぬ」


 保成は口を歪め、苦笑した。


「さようでござりまするか?」


「そなた、信じておらぬな? あの者はわしにはようよう靡きそうもないぞ。わしは好いてくれぬ女子には手を出さぬ」


「ほう、これはまた異なことを。……まあそうおっしゃられるのなら、そうしておきましょう」


 笊庵はフッと鼻で笑い、すぐ真顔になった。


「いずれにしてもあのままではいけませぬ。若い娘は思い詰めると何を仕出かすか分かりませぬ」


「うむ? もしや死ぬとでも申すか」


「ひょっとしたら、ですが」


「うーむ、それはいけぬ。何か上手い手はないか」


「何が元なのか本人が分からぬうちはどうにもなりませぬな。一応半夏はんげ厚朴こうぼくとうという薬は出しておきましたが」


「半夏厚朴湯とな? おぬしが先日わしに飲ませたあれか?」


「さようでございます。気が塞いで胸がつかえている時に服用する薬でござりまするが、殿にはずいぶん良く効いたようですな」


「まあな」


「もっとも殿には馬のくそを煎じたものでも効いたかと思いまするが」


「……どういうことだ?」


 新鮮な馬糞そのものや、それを煎じて作った薬湯(?)は傷に効能あり、などとされ、実際に鉄炮玉に当たって負傷した兵士にその薬湯を飲ませた例もある。なお、動物の糞を外傷等の薬とした例は世界中にあり、古代中国の医術書にも多数の記述がある。また、人糞を使用したものもあり、これは解熱剤、あるいは食中毒の解毒に使ったという。実際に薬効があるのかは分からないが、水戸光圀が藩医の穂積甫庵に編纂させた「救民妙薬」という医薬書にも、フグ毒を解毒する薬として記載されている。


 だが動物の糞尿には精神障害に対する薬効はない。馬糞もしかりであり、気鬱にはなんの効き目もないということは保成でも知っている。


「それがしの見立てでは、殿はご病気ではあらせられなかった、ということでございます」


 笊庵がいたずらっぽい目付きで見ると、保成は思わず視線を外した。


「……なぜそう思う」


「あの時は、確か吉田の伊東左近殿から陣触れが出ておりましたな」


「あれは陣触れなどではない。駿府に行ってまいるゆえ、留守居をせよと──」


「伊東殿が申されたと?」


「さよう。しかしわしは留守居などしたくはない」


「さようでござりましょうな……。吉田の城は元々御当家のものでござりましたゆえ」




 吉田城は、牛久保城から南に一里、吉田川の向こう側にある。


 築城は永正二年(一五〇五年)、その当時は今橋城といった。築城者は牧野一族の総帥であった牧野古白こはく入道成時しげときという人物だが、築城早々、牧野家の宿敵で、渥美半島を押さえて田原城を根城にしている戸田家と取り合いになり、その過程で古白は戦死し、戸田金七郎きんしちろう宣成のぶなりという男が城主に納まった。


 その後も両者の攻防は続き、この地が東海道のただ中で交通の要衝という地理的条件も相まって、駿河の今川家や西三河で急速に勃興してきた松平清康という男も絡み、一時的に松平家の持ち城と化したり、牧野家の手に戻ったりもしたが、最終的に戸田金七郎が城主の座に返り咲いた。


 ここに出てくる松平清康は、こののちに登場する徳川家康の祖父だが、非常な英雄であり、ひょっとするとあの織田信長の上を行く人物だったかもしれない。


 彼は弱冠十三歳で安祥あんじょう松平家の当主になると、同族を圧迫し、周辺の土豪も切り従えて、あっという間に西三河を平らげ、さらにその後数年間で三河全域をも収めることになる。古白の子の牧野信成のぶしげ(あるいは古白の孫ともされる)は、戸田家がすでに清康に下っていたこともあって、その侵攻に抵抗したが、吉田城外での戦い(下地合戦)で敢えなく討ち死にしている。


 本家たる吉田牧野家の滅亡によって一族の代表者となった保成は、清康に従属することを選んだ。ゆえに城が松平家のものになっても「やむを得ぬ──」と思ったが、さすがに再び戸田家に奪われ、その状況が固定化されつつある現状は面白くないし、安全保障上にも問題がある。


 とは言っても牧野家と戸田家は実力伯仲で、独力で取り返すのは難しい。保成の頼るべきは松平家だが、肝心の清康は尾張守山城攻めのさなか、陣中で近臣の阿部正豊という男に殺されてしまう。跡を継いだ息子の広忠はカリスマ性に乏しく、武将としては今一つの人物で、一族や配下の土豪に離反者が相次いでいて、全く振るわない。そこで保成は、先ごろ小田原の北條氏康と同盟を結んで背後を固め、遠江を収めて三河、更には尾張への進出を目論んでいる駿河の太守・今川義元に頼み込んで、吉田城を攻略してもらった。


 ……と、ここまでは保成の思惑通りだったが、戸田金七郎を討ち、戸田家の勢力を駆逐したのちも、今川義元は吉田城を保成に返却せず、伊東左近元実という男を城代に据えて今川の属城にしてしまった。


 再び上位の勢力に居坐られた保成だが、牧野家の領地というべき範囲から戸田家を追い出してくれた今川家に、保成は文句を言えない。彼は伊東左近の配下として、かつて自家の城であった吉田城に出仕する羽目になった。



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