第3話
一方、当の花藻と忍は、保成などには興味を持っていない。
牛窪城中には
職場に若くムッチャ格好が良い上に、才の立つアイドルが存在していれば、一城のあるじで近隣随一の権力者ではあっても見た目が普通のオッサンである保成に、若い女性が靡かないのは道理である。
真木又次郎と岩瀬林之介は保成の近習である。もしかしたら彼らは保成の食事に同席したことがあったかもしれない。
花藻と忍が膳を運ぶときに又次郎や林之介と目が合ったなら、彼女たちはポッと顔を赤らめ、動悸を抑えながら、慌てて退室したことであろう。
そのあと台所か控えの間に下がった二人は、現代の若い女性たちとさして変わらぬ会話をしていたに違いない。
「ねえ花藻、あなた熱でもあるの? 顔が真っ赤よ」
忍は平静を装って、からかうように言った。
「え? 嫌だわ──」
花藻は両手で自分の頬を覆い、忍の顔をチラッと見て、
「……でも、あなたの頬っぺも真っ赤」
「え、本当? でも目が合っちゃったんだもん。ドキドキしちゃった」
忍は上気した顔で遠くを見つめ、両手で胸を押さえた。
「分かる~。あの二人、超イケメンだし」
「だよねー」
二人は互いの顔を見遣って頷いた。
「ねえ忍、あなた真木さまと岩瀬さまのどっちがいい?」
「え~、わたし? うーん、岩瀬さまかなぁ。花藻は?」
「あ、わたしは真木さまがいいわ」
「あー、良かった! 花藻も岩瀬さまのことが好きだったらどうしようかと思ったわ」
「ほんと、忍が真木さまのことが好きだったら恋敵になっちゃうところだったわ……」
二人は安堵の表情を浮かべ、手を取り合うように喜んだ。
しかし恋敵予備軍は、実は牛窪城中に溢れるほどいる。こんなことは誰も大っぴらに言わないので、花藻たちが気付いていないだけである。
城中に勤める女性たちは、花藻や忍のようなうら若く独身の乙女だけではなく、すでに子供もいる人妻や、かなり年季の入った年増まで、又次郎と林之介に対して心に秘めたものを持っている。あるいはひょっとすると保成の妻や側室まで、特殊な感情を抱いていたかもしれない。
ただ、又次郎と林之介は「牛久保六騎」と総称される、城主の保成と同格の家の出で、この界隈では最上流階級に属する人間である。ほとんどの女性にとっては、指をくわえて遠くから眺めるだけの存在だったであろう。
さて、城中の女性どもの胸なかをそぞろ騒がせている又次郎と林之介はというと──。
アイドルだって恋はする。戦国時代に生きたアイドルでも、それは同じである。
まして又次郎と林之介は若い。美しい女性に興味がないわけがなく、むしろ大ありだったに違いない。
すなわちこの二人は、近隣に鳴り響いた花藻と忍という美女に、絶大なる関心を寄せている。
しかし城中に働く独身の女中は殿様のものになりうる女性である。ゆえに、ことさらに殿様の紹介がない限り、二人のような若侍ごときが彼女らに対して特別な感情を持ち、特別な態度を取ることは許されない。まして花藻と忍は保成のお気に入りである。たまたま城中ですれ違っても、鼻の下を伸ばし、にやけた顔を向けてはいけない。彼らができることはむっつりした顔で軽く顎を引き、会釈をすることだけである。
だがその日のお勤めを終えて自分の屋敷に戻った時、二人は普通の男に成り下がる。親友でもある又次郎と林之介は縁側で酒でも酌み交わしながら、こんな話をしていただろう。
「かわゆい
「……誰がだ?」
「先ほどお城の廊下で配膳の女中衆とすれ違っただろう」
「うむ……」
「目が合った。一瞬だったが」
「………」
「おぬし、何をにやけておる」
「いや、別に……」
「別に、か? フッ」
林之介は鼻先で笑い、又次郎の肩を抱いた。酒の入ったヒョウタンを掴み、又次郎の椀にトロリとした濁り酒を注いでやりながら、耳元で囁く。
「おぬし、
「何のことだ」
「とぼけるなよ、俺には分かっておるぞ」
「……何がだ」
「おぬしの首元は真っ赤になっておる」
「……いや、それは今しがた蚊に刺されて掻いたからだ」
又次郎は苦笑いをしながら椀をあおった。
──こいつ、磊落なようでいて、意外に細かいところに気が付くわい。
「しらじらしい奴め、白状せい。花藻殿か? 忍殿か?」
「なんだ、おぬし。二人の名前を知っておるのか」
「当たり前だ」
「当たり前か?」
「おうさ、惚れた女子の名前くらい知っていて当たり前だ。又次、俺は正直に言うぞ。俺は忍殿に惚れておる」
「………」
又次郎は、下世話なことをぬけぬけと言い放つ、林之介の爽やかな風貌をまじまじと見つめた。
「男が美しい女子に惚れて当然であろう。して、おぬしはどちらの娘だ」
「………」
「煮え切らぬ奴だ、はっきり申してみい」
「……花藻殿」
又次郎は俯き、ポツリと言った。
「申したか──」
林之介は豪放に笑い、又次郎の肩を叩いた。
「お主も隅に置けぬわ、ちゃんと花藻殿と名前を知っておるではないか」
「………」
「そうか、そうか、おぬしは花藻殿か。しかし俺は忍殿の方がかわゆいと思うがな」
「そんなことはないだろう。花藻殿の方が──」
又次郎が真っ赤に染まった顔を上げて言いかけると、林之介は手を振り、口蓋垂が見えるほどに口を開けて笑った。
「おぬしもムキになることがあるのか」
「……悪いか」
「まあ良い。好みが違えばケンカにはなるまい」
「……そうだな」
「して、どうするつもりだ?」
「何がだ」
「好いたのだろう?」
「……好いた。だが、どうするもこうするも……」
できるわけがない。お女中は殿様のものである。
「だよな……」
二人はため息をつきつつ椀をあおった。
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