第2話



 第一話では筆が滑ってしまい、いささか脱線した。


 花藻と忍のはなしである。


 彼女らの実家は武家か豪農であろうが、大した家柄ではないはずである。有力者なら娘を女中などという下働きには出さず、城内の大物に手を廻して正室の腰元するか、直接城主の側室に入れるかするだろう。ということは、恐らく二人の家は小村を一つ支配する程度の名主か地侍といった階級だったに違いない。


 戦国時代は下克上の世で、実力さえあればのし上がれると思われがちだが、ごく普通の庶民が大身の武将や貴族に立身出世するはなしは、御伽草子か伝説の世界だけであって、実際にはそんなことは滅多にない。


 たとえ合戦に雑兵か足軽かで出征し、驚異的な武運に恵まれ、敵の大将首を取るなどの大手柄を立てたとしても、その手柄は親分たる物主かその上司である寄親に横取りされるのがオチである。もしかしたら米一俵、銭一貫文といった褒美くらいは貰えるかもしれないが、それが出世に結びつくことはほぼない。


 むろん、大出世を遂げることが皆無であったわけではない。この稿を読んでくださっている方も、あの男の例があるではないか、と思われるだろう。


 あの男の例 ── 尾張国の中中なかなかむらに住む藤吉郎という、しがない端柴刈りか、下男風情のインチキ野郎が、豊臣秀吉という歴史上の大人物に成り上がった、という成功譚である。


 しかしそれは、織田信長という奇妙奇天烈な人間がたまたま近所にいて藤吉郎の主人になり、その信長が天下一統目前で明智光秀という心身症を罹った男に殺され、しかも信長の跡を継ぐべき長男も同日中に攻め殺され、残された弟たちや倅どもが揃いも揃って能無しだったという、偶然に偶然が重なった、奇跡の中の奇跡であり、つまりは例外中の例外である。


 同様に、鍛冶屋や桶屋といった一般市民の子息から身を起こして大大名になった加藤清正や福島正則は、二人とも生母が藤吉郎の母親の親戚だったという、持って生まれた幸運を元にして世に出ている。


 その他、特殊事例として、肥前竜造寺家の家臣に賄い所の下人上がりである広橋一遊軒という武将がいる。この男は家中で殺人事件を起こしたがゆえに、かえって主人の竜造寺隆信に見いだされたという異例の経歴を持っているが、隆信は一族の反乱に遭うなどで二度も本拠地を追われ、辛酸を舐めた人物であり、ゆえに四の五の言わずに自分の鉄砲玉となる、子飼いの乱暴者を欲していたという特別な事情があった。


 なお、戦国大名第一号とされる相模小田原城主の北條早雲という男は、かつてはどこの馬の骨やもしれぬ流れ者の出身で、妹を上手いこと駿河の太守今川義忠の側室に押し込み、それを足掛かりに身を立てたと思われていたが、実は室町幕府の実力者で政所執事という要職を世襲していた「伊勢氏」の一族であり、申次衆もうしつぎしゅうという幕府の役職についていた、伊勢新九郎盛時という高級官僚であったということが、近年の研究によって明らかになっている。


 また稀代の梟雄、下克上の典型として現在まで名を残している、「蝮の道三」こと斎藤道三は、権謀術数を駆使して一介の油売りから美濃国主にまでのし上がったとされていたが、実は父親が畿内全域とその周辺で灯火に使うエゴマ油の生産から販売まで手広く行う豪商、平たく言えば超大金持ちで、賄賂攻勢で美濃守護家だった土岐家に食い込み、道三の足場を作ったというのが真相のようである。




 ……と言うわけで、立身出世はほとんど絵空事にすぎないが、有力者の親戚にでもなってしまえば話は別である。


 下級武士か農民のような「ただの人」であっても、娘に城務めでもさせて、それにひょっこり殿様の手が付いて子供を産み、それが男子で無事に成人すれば、親は濡れ手に粟で、


 ──城主の一門、


 あるいは正室や序列が上位の側室に男子がなかったり、あっても夭折したりすれば、


 ──城主の外祖父、


 という望外の立場に昇格し得る。


 もしかしたら城主は、


 ──我が愛妾をそちに呉れてやる。大事にせい。


 などと言って、懐妊した状態で娘を家臣に下げ渡してしまうかもしれないが、それでもその子供は殿様の御連枝に変わりがなく、家中での地位は非常に高いものになる。


 また生まれた子が女子であっても、後々しかるべき家柄のところへ嫁ぐことになるので、悪い話ではない。


 花藻と忍は、百数十年も経ってから書かれた歴史書にも名を留めるほど美しく育った娘である。それなりの野望や才覚を持った親ならそれを期待し、また城主がこの時代として普通の思考回路を持った男なら、当然のごとくそのように進展しただろう。




 ところが事は親の思惑通りには進まない。


 保成はある意味で特殊な男だったに違いない。むろん保成は、現代のように女性の人格や人権を尊重する考えはなく、衆道だけにうつつを抜かす男色家でもなく、さらには美女を傍らに侍らせるだけで満足する、不能な男でもない。しかし彼は、食事の給仕をさせつつ親しく会話などをして、二人が自分に靡くのを気長に待つ、という、この時代の権力者にあるまじき、また現代の一般大衆のやり方と大して変わらぬ、当時としては異常な戦法を取ってしまった。


 二人の親にしてみたら残念な男である。



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