こがれ井戸
大村 冗弾
前編 花藻忍事
第1話
三河国には、小高い丘陵を挟んで東西に二つの大きな流れがある。東側の川は吉田川(豊川)、西側の流れは矢作川といい、それぞれ北部の山岳地帯に源を発して、吉田川は渥美半島の付け根で、矢作川は知多半島の東で三河湾に注ぎ込む。
このうち東の吉田川が刻んだ段丘の縁に、その城はある。
それは
令和の世では、この城跡はJR飯田線の牛久保駅や周辺の住宅地となっていて、「城跡」「城下」「大手」といった地名の他に痕跡は残っていない。が、往時は平坦な地形が続く北側には水堀を二重に巡らせ、南は吉田川の氾濫原を外堀として、かなり堅固な城郭であったという。
この物語は、牛窪城のあるじが牧野出羽守
城内で働く女中に、たぐい稀なる美女が二人いた。
……というと、田舎娘のくせに貴族趣味でずいぶんと気品が高く、口悪しく言えば容姿自慢のえせセレブで、ツンツンとお高く留まった女性を想像してしまいそうである。
確かにこの頃は、荘園が崩壊して収入の途絶えた京の公家が、田舎大名が提供する報酬目当てに家業の文芸を引っ提げて地方に下ることが多く、彼らが持ち込む雅な文化に触れ、都かぶれになって、地元の人間を蔑む態度をとるような者もいただろう。だが、「しおらしく愛ありて」などという後世の記述を見ると、この二人は実は慎み深く、しかし愛嬌もあって親しみやすい性格の持ち主だったのであろう。
そんな花藻と忍を、殿様である保成が気にならないはずもない。
城中の雑用係をしていた花藻と忍を何かの折に「発見」した保成は、この二人を自分の給仕にした。むろん男にありがちな、ハレンチな下心があってのことであろう。
英雄色を好むと言う通り、並みかそれ以上の力を持った殿様は、女性に対して手が速い。城内で働く者の中に見目麗しき女性がいたら、恣意的な人事を行って彼女を自分の側に置いた後、何かの折に、
──これへ寄れい。
──何でござりまするか。
──もそっと近う寄れ。ほれ、もっとじゃ。
──な、何用で、ござりまするか……。
──良きことをしてやるのじゃ。
──お殿様いけませぬ……。
──これ、この手はなんじゃ。
──も、申し訳ござりませぬ……。
──そちはめんこいおなごよのう。
──あ、お殿様、だめ……。
──そちは良き香りがする。
──いや……。
──まあまあ、良いではないか。大人しくしていれば、すぐに夢見心地になるぞよ。
などと、次の間にしかつめらしく控えている側近がつい苦笑してしまいそうなことを言いつつ、彼女を手籠めにしてしまうか、あるいは単に、
──そのほう。今宵はわしの伽をせい。
と命令して、有無を言わさず自分の
あるいは控えめな性格の殿様なら、そういう下劣で直線的なことは自分では言わず、
──殿の格別のおぼし召しじゃ、今宵は精一杯仕えるがよい。
などという婉曲表現を、老臣なりに言わせるかもしれない。
令和の時代では当然のことながら、どんな権力者であっても女性を手籠めにしたり、地位や実力にものを言わせて自分の情婦にしたりすることなどは許されない。特に一部の独裁国家ならいざ知らず、西側先進諸国にあってはこんなことを仕出かしたら、
「○○城主はトンデモ下司野郎だった!!」
などという大見出しと共にナントカ砲を食らってバッシングされたり、
「お殿さまに呼び出されて、お部屋に行ったらいきなり抱きつかれて、そのまま……」
とか、
「私もやられたわ……。いつの間にかお側使いの方々がいなくなって、それから色々なところを触られて……」
とかと、SNSで次々と不埒な行いを暴露されたりする。
あるいは少々口の悪い女性に手を出してしまった暁には、
「あのスケベオヤジの毒牙に掛かった!」
「あのジジイ、超サイテー! マジキモだし!」
などと罵られ、暴露系○○チューバ―などに違法行為を盗聴・盗撮されて、動画投稿サイト等で公表されるかもしれず、いずれにしても、ゴシップ好きなオバサン方や、四六時中PCやスマホと睨めっこしている暇なネット民の間で大きな話題となる。
これに対して処理を誤ると、メディアや人権派を標榜する弁護士の後押しを受けた被害者に被害届を提出されて、刑事裁判で裁かれ、下手をすると、何百人もの女優を手籠めにして訴追されたどこかの国の映画プロデューサーのように、何十年、国によっては何百年もブタ箱に放り込まれることになる。
仮に敏腕悪徳弁護士の働きによって無罪判決を勝ち得たとしても、責任認定へのハードルが若干低い民事訴訟を起こされる可能性はあり、ナントカ砲の集中砲火と共に連日連夜ワイドショー等で大々的に報道されて、回復しがたい社会的ダメージを被ることになる。
しかし、この時代に生きていた貴族や城主級の武将は、こんな事態に陥ることもなく、セクハラに類することをやっても許される立場にあった。
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