意味

「くそ……!」


 人気のない路地裏に入り込んだ深八咫は、頭を抱えて蹲る。

 彰人が生きていると知った時、深八咫は恩人の愛息子が生きていた事への喜びと、自分と同じ苦しみの中に生きる子供が居る事への悲しみを同時に覚えていた。

 だからこそ……その小さな少年を憎しみの中から救い出しす事が、あの日自分が犯した罪の償い、やがて掟に従い処刑される自身への慰みもになると、そう感じていたのだ。


 しかし……現実はどうだ?あの幼子は憎悪に身を焦がしてなど居なかった。深八咫が命を賭けて遂げようとした事は、彼への救済たり得る物ではなかった。

 明確に深八咫の行為を、『余計な事だ』と、そう感じていたはずだ。


「だって、あいつは……罪もない、何の関係も無いはずの女性(ひと)さえ……」


 深八咫の頭を掻きむしる指に力が入る。

 爪が額を傷つけ、破れた皮膚から血が滲んだ。


 己が計画してきた事は、全て無駄だったのか?

 ただ有限な時を貪るだけの、無意な行為だったのか?

 この身を焼き尽くす程の復讐心は、ただの愚劣な思想でしかないのか?

 ……そして例えば、この復讐を失った時。

 敬愛すべき親方様に背を向けて掟破りを画策していた自分には、一体何が残る?


 深八咫は、すうっと肝が冷えるような感覚を覚える。

 それはまるで、底の見えぬ虚な穴を覗き込むような感覚であった。


 否……否、否。

 空虚などではない。

 何故なら今、自分はこんなにも焦燥している。

 これ程にも切に報復を望んでいる。確かに存在している。

 あの子供はまだ幼いから、事情が飲み込めていないだけだ。

 きっといつか許し難き所業を恨み、手の届かないところにいる男への殺意を滾らせるはずだ。

 間違っていない。自分のこの感情は、誰にも否定出来るものではないはずだ。


「やり遂げなければならないんだ、俺は……でなければ……」


 深八咫は、汚れた指先で石塀に手を突いてふらりと立ち上がる。

 石塀にはうっすらと、三本の赤い線が獣の爪痕のように残っていた。


 ひゅう、と風が吹き、路地の中を吹き抜ける。

 その時に深八咫の耳に届いたか細い音は、まるであの悪夢で聞いた『ぬえ』の声のようであった。

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