探偵少女はお茶会に行く ⑤(箸休め回終わり)

 響が足をどかすと、体液を漏らした男は動かなくなっていた。時々「かひゅ」と声をだすものの、抵抗する素振りは無い。響は軽蔑の視線を向けながら踵を返した。


 歩くたびに、アンモニアの匂いが鼻を刺激する。

 帰宅する際に色々な人から白い目で見られるのは明白だ。

 響は溜息を長く吐いてから、顔を元の位置に戻す。


「響!」

「海瀬さん!!」


 直後、響の身体に軽い衝撃が走った。

 数歩後ろに下がりながら二人の身体に目線を映す。

 二人の身体に傷がないことを確認した響は安堵し、ほっと一息つく。


「良かった……海瀬さん、無事で……本当に……よがっだ……」

「あんなことやるなら先に言いなさいよ。けど、助かったわ。ありがとう、響」


 響を抱きしめながら、二人が思いを伝えた。その言葉は、前回の事件の時よりさらに強い気持ちがのっている。響は二人の気持ちを身体全体で感じながら、少しばかり目を閉じる。


「あぁ……よかったなぁ…………」


 響は優し気な顔で、安堵の言葉を口にしたのだった。


「すまねぇな、鈴佐ちゃん。こんなことになっちまって」


 響達が抱き合いながら一息ついていると、マスターが立ち上がった。

 打たれた箇所からは生々しい鮮血が流れている。


「マスター、怪我は大丈夫なの!?」

「少し痛むが、今は大丈夫だ。それよりお前達。直ぐにこの場所から逃げろ」

「……えっ?」


 その言葉を聞いた鈴佐の表情が険しくなった。

 マスターは後ろ髪をガシガシと掻きながら言葉を選んで口にする。


「特に事件が無い場合はバーにいてもいいんだが、事件があったとなると話は別だ。君たちが事件に関与したとばれれば最悪の場合、学校や親御さんに迷惑をかける恐れがある。感謝はしている。だが、当分は俺に関わらないでくれ。それが君達のためになる」


 マスターは言葉を言い終えると頭を下げた。

 数秒間沈黙が流れた後、鈴佐が「あ――分かった。分かったわよ」と溜息交じりの声を出す。それは、バーから去ることを表していた。


 鈴佐がバーの前に向かい、マスターの顔を真剣に見つめる。


「マスター、無事に帰ってきてね。刑務所に、入らないでね」

「……あぁ。それが一番だな。とりあえず、に願っとくよ」


 マスターはお冷を口に流し込みながら長い長い息を吐いた。


「それじゃあね、マスター。今日はありがと」

「ありがとうございました、マスターさん」

「ありがとうございました」


 帰り支度を終えた響達はお礼を伝えてから、バーを後にした。


 時計の長針が二回転し、午後四時になった。

 響は自身の膝に顔をうずめながら電車に揺られていた。

 刺激臭がするためか、響の周りから一般客は去っているようだ。


「海瀬さん、大丈夫……?」


 最初に口火を切ったのは、桜江だった。落ち着きを取り戻した少女は匂いに慣れたのか、普段通りおっとりした口調で心配していた。


「響、辛いのは分かるから無理だけはしないでね。私が靴を買ってあげることも出来るからさ。気軽に声をかけてね」


 続けて鈴佐が腕組みしながら声をかけた。金銭面的に余裕がある彼女はこめかみを人差し指で擦りながら相槌を打った。


「あ……あぁ……」


 本来ならば、正しい言葉だ。

 困っている仲間を助ける言葉としたら百点と言えるだろう。

 しかし、今の響には逆効果だった。


「うわああああああああああああん」


 ポーカーフェイスを保とうとしていた響が、壊れた。


「最悪だよ! 匂いも臭いし、黄ばんでいるし!」


 響は顔を赤く染めながら、涙を地面に零した。直後、大通りを歩いている人たちの視線が一層濃くなった。年長さん位の子供は「ママ――あれ何しているの? あれ何しているのぉ――?」と無邪気な声を出している。


 普段気が付く情報にも意識を割けないほど、響の精神はズタボロになっていた。


「失うものが多すぎるよ……折角の初池袋だったのにぃ……!!」


 響はさらに深くふとももに顔を埋めた。

 前後に体を揺らし怒りを無くそうとするが、刺激臭が現実に引き戻す。

 その匂いが、響の感情をより下げていった。


「何で……こんなことに……」

「私が、響達をバーに誘ったからよ」

「違う! それは違うよ、鈴佐ちゃん!」


 響は顔を急に上げてから声を荒げた。

 直後、眉の溝を深くしながら一人の老人が号車を変える。


「それは、違うよ……」


 我に返った響は声を小さくした。響はこれが本当の自分だと認めたくなかった。響の理想とする探偵は、常に落ち着きを持った頭がキレる人物だからだ。


 赤子の様に自己中に騒ぎ、他人に迷惑をかける。

 それは、響が欲している探偵とは全く違っていた。


「……ごめんね、二人とも。迷惑かけたよね」

「そんなこと無いよ、海瀬さん!」

「そうよ、響。私達は全く貴方に迷惑をかけられてないわ」


 二人は真剣な眼差しで響に声をかけた。

 ご機嫌取りでも社交辞令でもない、心が籠った言葉だ。

 直後、田端と液晶パネルに表示される。乗り換えの合図だ。


 響は荷物を確認してから席を立ちあがる。目の下は少し黒くなっていた。


「ありがとう、二人とも。もし女子会するなら、また誘ってね」

「……うん! また同好会で合おうね!」

「えぇ、そうね。また会いましょう」


 響は鈴佐たちと軽くやり取りしてから電車を乗り換える。幸い人混みが少なかった。響は椅子の横にある体をもたれながら深い眠りについた。



 響が自宅に到着したのは午後四時半だった。

 家の鍵を刺し、扉を開けると筋トレしている稲本が目に映る。

 

「只今、稲本さん」

「お帰り、響。どうしたその靴。黄ばんでるぞ?」

「えっとね、犬のおしっこがかかっちゃった」

「そうかぁ……そりゃ災難だな」


 体制を整えた稲本は背筋を伸ばしながら「風呂入って来い。靴とかは俺が何とかしちゃる」と優しく微笑んだ。そんな顔を見た響は安心した表情で相槌を打つ。


「それと、今日は勉強会やるか?」


 稲本が腰に手を当てながら左右に体を揺らしている。

 何気ない、普段通りの姿。

 そんな姿が、響に安心感を与えていた。


「ふふっ……はははっ……!」

「あれぇ? 俺なんか変なことしたかぁ?」

「いや、特に変なことはしてないよ。けど、ありがとね」


 響は笑い声を出してから、優しい微笑みを浮かべた。

 その姿を見た稲本も同じように笑みを返した。


「それじゃ風呂に行ってくるね」

「行ってらっしゃい」


 響は稲本にそう伝えてから靴下を脱いで風呂場に向かっていく。

 そんな響を見つめながら、稲本は安心した表情で靴を洗う準備をしていた。

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