探偵少女と人が死ぬ夢を見る少女 ④
響は人々が行きかう町の中を一人で歩いていた。町の中を見渡すと、家族連れで歩く笑顔を浮かべた人々や友人同士で談笑する人々が目に映る。
しかし、犯人らしい人物は一人もいなかった。
見つけられないのは当然だ。迷子の子供を見つけられたのは特定の人物が偶然目に入ったからであり、前提条件があると無いでは捜す精度が変化するからだ。
困難で不可能に近いことは理解していたが、行動を辞めなかった。温かい場所をくれた仲間に恩を返したかったからだ。
何としてでも、温かい場所をくれた仲間を傷つけずに事件を解決させるために、両足と顔を動かしながら一分一秒たりとも見逃さない勢いで状況を把握していった。
それでも、時刻は刻々と過ぎていった。トートバックからスマホを取り出し時刻を確認すると、四時半半と表記されていた。リミットまで三十分を切りそうなことに気が付いた響は焦りを感じながら水色のトートバックにスマホを戻した。
「うわっ!」
響は向かってくる歩行者に突き飛ばされた。姿勢を崩しアスファルトに叩きつけられる直前、響は瞳に映った人物の姿を見た。その姿は、刀利から教えられていた犯人像にそっくりだったのだ。
地面に叩きつけられた響は直ぐに復帰して犯人を捕まえに行こうとしたがすぐに起き上がれなかった。叩きつけられた時に、胸を強く押されていたからだ。通常よりも強く叩きつけられた響は数秒間起き上がることが出来なかった。
「大丈夫ですか?」
響に一人の男性が声をかけた。ソフトモヒカンの髪型に茶色の眼鏡、白ワイシャツの下に通気性の良さそうな軽い素材の黒長ズボンとスニーカーを履いていた。長身の男性は自身がトートバッグを持っていない左手を伸ばし響を起こした。
「ありがとうございます。あの、さきほど私を突き飛ばした人物は?」
「あちらに逃げていきましたよ」
「ありがとうございます!!」
響は助けてくれた恩人にお礼を伝えてから必死に駆けて行った。時刻は既に三十分を切っている。犯人を逃せば、どんな結末が訪れるかは想像できなくなかった。
「とにかく、私一人で捕まえるしかない……!」
響はそう呟きながら百十九番を鳴らし、犯人がいる路地裏へと入った。数十歩歩くと視界に映ったのは、凶器である刃物を持った男と壁際に追い詰められている被害者だった。
響はその状況を見るや否や大声で電話をする。
「もしもし!! 川口交番から数十分の距離にあるマンション前で人が刺されそうです!! 直ぐに来てください!!」
「えっ、あの住所は――」
「すみません、おねがいします!!」
響は大声を出しながら続けて現場の写真を撮る。刃物を持った犯人と怯えながら壁に追い詰められている被害者の犯行現場は法廷で裁かれる際に確実に役立つと判断したからだ。
「おい、そこのアマ。何撮ってんだぁ?」
響が冷静に判断し行動している中、ドスの強い低い声が聞こえてくる。響がスマホを鞄にしまい男の方を見る。そこにいたのは、成人男性ではなく一匹の獣だった。
「気持ち良く人を殺して、また逃げ出そうとしたのになぁ、お前さんのお陰でぇ、おじゃんだぁ、どう、落とし前付けてくれよぅかなぁ?? かなぁ!?」
男は壁際にいた男を思いきり蹴った。足、胴、股間、頭と無作為に蹴っていく。蹴られている男は嗚咽を漏らしながら「たす……けて……」と声を漏らした。
「やめなさいよ! そんな人を殺して何が楽しいの!?」
「あぁあぁ? たのしぃにきまてるだおぉ? 楽しくなきゃやてれんだなぁ?」
響はここで初めて男の様子がおかしいことに気が付いた。瞳の焦点が合っていないのだ。右目が空を、左目が地面を向いており唾液を口からもらしている。茶色のズボンには黒色のシミが出来ており、不快な臭いを持った液体が漏れ出していた。
「たのじぃ? たのじぃっでんだ? わがらにゃい……っわがらねいなぁ?」
「貴方、変な薬物をやっているの?」
「やく……? そうだぁな、いいなぁ、きもちいいなぁ、きもちいいよなぁ、それ、ぶっとべるしぃ、きもちいいんだよなぁ、さいこうだよなぁ、へへっ」
男は目を充血させながら唾液まみれの歯や口を両手で触る。舐めても気持ち悪い気分になるのが常人の思考だが、男は全く違っていた。
「きもちぃぃ……きもちぃぃよ、これは……さいこうだなぁ、そうにきまってる。だからなぁ、うん、おれはなぁ、うん、このきぶんで、このきぶんで、殺したいなぁ」
男は地面に落ちたナイフを手に取り、下卑た笑みを浮かべながら響に襲いかかる。響は予想以上の速さに困惑しながらも必死に一撃目を避けた。
しかし、二つ目の攻撃は完全に虚を突かれた。響が避けると同時に犯人がスタートを切ったからだ。刃物を両手で持ち突っ込んできた相手から完全に避けるのが難しいと判断した響は、自らのトートバックで護った。
「あはぁ……つまらなぁい……つまらにゃぁいなぁ……」
しかし、響が運が悪かった。逃げた場所が、偶然にも角だったのだ。
響は自らの判断で逃げ場を無くしてしまったのだ。
「あっけにゃいなぁなぁ……ぼくをぉ……もっどたぎらぜてぐれよぉ……!」
犯人からの凶刃が飛んでくる。最早ここまでか。そう思っていた時だった。
「あぁ、滾らせてやるぜ」
響と犯人の男が声が聞こえる方を見た。そこに立っていたのは、先程響が出会った男だった。男が茶色の眼鏡を外すと同時に、その容姿が明らかになる。
「またせたな、響」
「い、稲本さん……!?」
「話はあとだ」
稲本は持ってきたトートバックを投げた後、犯人を睨みつけながらファイティングポーズを取った。
「かかってこいや、犯罪者。てめぇを現行犯で捕まえてやるよ」
「やろうぶちころしてやらああああああああああぁぁぁぁ!!」
二人の勝負は、一瞬で終わった。稲本が刃物を持った男の右手を躱した後、相手の膝を蹴り体勢を崩したのだ。そして、男が刃物を離した直後、稲本は男の上半身に乗りトートバックからガムテープを取り出して両手を拘束したのだ。
「ふ――っ、いっちょ上がりっと」
「す……凄い……」
響は犯人を圧倒して見せた稲本に感嘆の声を漏らしたのだった。
警察が来たのは、それから数分後の事だった。被害者の男性が犯人から受けた仕打ちを丁寧に話している中、響と稲本は話をしていた。
「ごめんなさい、稲本さん……私、あのままだったら犯人に殺されてた……私、一人だと何も出来ない……本当の愚か者だよ……」
響は稲本の胸元で涙を流しながら泣き言を呟いた。自分の弱さが結果的に自分を追い込み、死なせそうになったからだ。そんな様子の響を見た稲本は溜息をついた。
「馬鹿、お前は本当に馬鹿だな」
「お前はまだ子供なんだよ、高校生なんだよ。俺みたいな失敗したら自己責任になるような立場になるのはまだ早いんだよ。だからな、響。人を頼れ。頼れる仲間がいるなら、そいつらを頼れ。それがお前なりの、生き方だ」
響は稲本が見ている方向を見た。そこにいたのは、部屋にいたはずの将棋ミステリー同好会メンバーだった。何故ここにいるのか分からなかった響は目を丸くしたが、稲本から「はよいけ」と背中を押された。
「……分かった」
響は澄んだ顔つきで頷いた後、仲間達の下へと向かう。仲間達が心配の声をかける中、そのうちの一人が響に突っ込み抱きしめた。その人物は宮前だ。
「馬鹿! この馬鹿!! 心配、したんだからっ……!」
宮前は響を強く抱きしめながら小さい身体をぶるぶると震わせた。いつもの気丈な態度ではなく年相応の弱い女の子らしさを見せる宮前に驚きながら響は冷静な口調で
「宮前ちゃん、お嬢様口調じゃないね」とおどけてみせた。
「どうでもいいでしょ……それに、これが素よ……
もう二度と……二度と、無茶しないでよ。
あんたが居なくなったら、私は…………」
「……分かりました、もう無茶しませんよ」
「……約束よ……絶対に守りなさいね。それと、もう一つ誓いなさい」
宮前は響から手を離した後、顔を見つめながら真剣な口調で言った。
「これから私の事は、名前で呼びなさい」
響と鈴佐が交わした、二人だけの甘い約束――
それは、響にとって二つ目の事件が終了した合図でもあった。
*
翌日――
「ふぁぁ……私はねみぃよ稲村さん」
「稲本だ、間違えんな馬鹿」
「そうだった、失敬失敬」
寝間着を着ている響はにへら顔を作りながら舌を出す。仕事着の稲本は溜息をついた後、「手を洗ってから飯食えよ」と優しげな声で指示を出した。
「は――い!」
響は心躍りながら手を洗いに行った。彼女が元気なのには理由があった。その理由は単純で、今日のニュースで報道されるかもしれないと考えていたからだ。
「楽しみだなぁ」
響は言葉を弾ませながら食卓に着く。テーブルにはスクランブルエッグ、ウィンナー、のりと卵がかかったお米がのせられている。どれも美味しそうだなと思いながら響は椅子に腰かけた。
「いただきます」
「いただきます!!」
二人は同時に宣言した後、ご飯を食べ始めた。のりたまとケチャップがかかったスクランブルエッグが見事に噛み合わさり美味しい感覚を響に伝えた。
「んぅ~~美味しい!!」
「そりゃ良かった」
稲本は鼻で笑いながらコーヒーを飲んだ後、響に質問した。
「お前、良い仲間持ってんなぁ。あの抱擁していた子が誘ってくれた奴だろ、多分。あんなに仲が良かったってことは、中学の同期か?」
「いや、同期じゃないよ。ただ、鈴佐ちゃんは私の事を特別すいているみたい。私も鈴佐ちゃんのこと好きだけどね」
「もしかして、そういう関係か?」
「そんな訳ないでしょ~~もぅ――冗談辞めといてやぁ……ふへへへへへ」
「おぅ……なんか、怖いなお前……」
稲本はいつもと違う様子の響に困惑しているとニュースが流れた。そこに映っていたのは、昨日響達が犯人を捕まえた犯行現場だ。響はニュースが流れるや否や光の様な速さで画面を見た。
「昨日、川口市のマンション付近で三十代前半の男性会社員が四十代後半の男性に切りつけられる事件が発生しました。男性会社員は軽傷で済んだようです。現場にいた自称会社員、
JFLで躍進を遂げているエスガバレー埼玉の女性CEO、初音友恵さんが――」
響が困惑していると、稲本は溜息をつきながら画面を切って言った。
「響、探偵なんてよいもんじゃないぞ。活躍してもニュースに取り上げられない。頑張っても褒めてもらえる事なんて滅多に無い。給料だって不安定で、昨日の様に死ぬ可能性もある。それでも、お前は探偵を目指すのか?」
響は俯いた。ニュースに放映されるどころか、姿すら出なかったからだ。自らが思い浮かべていた探偵像とは全く異なる光景に、響はナーバスになっていた。しかし、彼女の心は変わらなかった。
響は食卓のテーブルに両手を置きながら真剣な目つきで稲本の顔を見る。
「稲本さん。それでも私は探偵になりたい。お父さんとお母さんを殺した犯人を捕まえたいのもあるけれど、それ以上に困っている人がいたら助けたいんだ。だから――これからもご指導の程、お願いいたします」
響は真剣な顔つきで頭を下げた。その姿を見た稲本は弱った顔をしながら数秒間唇を尖らせた後、「あぁ、あぁもう分かったよ! なら好きにやるがいい!!」と言ってみせた。
その時に見せた表情は、笑っているように見えた。
「その代わり、これからはびしばしいくからな!」
「はい! これからも、よろしくお願いします!!」
響はまた、探偵になる夢を強く持った。
彼女が探偵になれるかどうかはまだ、先の話である。
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