第3話 知性と経験

    三



 うさぎは青春の日々をかえりみていた。


 遠く過ぎりし幼少期ようしょうきは、かなり色褪いろあせている。そのために、躍動感やくどうかんは当時のものより曖昧あいまいであった。きざまれるおもい出には、おもい出したくもないいや記憶きおくもあるからだ。


 うわ書きされることもなく遠い記憶きおくとなり残るのは、自分が残したものだからである。あやまちや後悔こうかいは、人として当たり前に経験けいけんする。ただ、責任の取り方を知らない幼少期ようしょうきは、保護者りょうしんたよるるしかなかった。恩義おんぎせるようになると、趣味しゅみや楽しみに夢中むちゅうになり、それをわすれていた。

 

 孝行こうこうするのはその恩返おんがえしである。気付きづくのは、時はおそし、ということが多いはず。それをおしえるのは簡単かんたんだが、実行じっこうするのは、かなりむずかしい。

 子供たちに経験談けいけんだんかたるには、時代錯誤じだいさくごはなはだしいからだ。

 興味きょうみいだくほどの内容を模索もさくするが、もののあま現在げんざいに、ゆめ御伽噺おとぎばなしすらわからない。

 

 話しができるはずの金曜日のこと。

 ハンドルをにぎるうさぎは、楽しみにしていた。それぞれに生活形態せいかつけいたいちがうことを理解りかいしているつもりで、感情かんじょうころしていた。だが、ともかは、バスていなかった。みわも、付近ふきんには見当みあたらない。せいらはいつものように乗り込んできた。

「みわちゃんは、休みかなぁ?」

「さっきまでたんだけど、らぬに居なくなっていたよ」

親御おやごさんが、送ったのかもね」

 うさぎは、せいらがてくれたことに感謝かんしゃして、追求ついきゅうしなかった。それで、『乙女おとめ』の話しをすることに決めた。


乙女おとめって話しを、せいらちゃんは知っているかなぁ?」

「女の人のことを、乙女おとめってうよね」

「ごめん。秘宝ひほう乙女おとめのことなんだけど、知ってるかなぁ」

「知らない」

 せいらは言ったが、興味きょうみったようだった。


「日本というこの国は昔、日の本の國と言われていたそうだよ。まだ大陸とつながっていた時らしいんだ。知ってる?」

「知らないけど、かせて」

 せいらの興味きょうみこたえるために、うさぎがかたはじめた。


はなされる前なのか、はなされてからなのか、史実しじつがないんだけど、くにまとめたのは、神武じんむ天皇てんのうと言われているんだよ。

 神武じんむ天皇てんのうはね、神様だったんだ。神様は死なないんだけど、人間だけがころせる、というのが、ギリシャ神話しんわに書かれているんだ。そうなると、神武じんむ天皇てんのうは、人間にころされたことになるよね」


「神様って、天国にるんだから、帰っただけってことでしょ?」


「人間たちは、また地上に戻って来ないように、のろいを願掛がんかけしたんだ。だけどそれは、しきねがいだから、のろいにはならなかった。でもね、神武じんむ天皇てんのう子孫しそんはそののろいで、女の子しかまれなくなっちゃたんだ。

 子孫しそんの女の子がのろいをきよめるために、ほしいのりをささつづけたらしいんだ。創世そうせいしゅがその健気けなげさに感銘かんめいして、ご褒美ほうびが、あたえられた。それが、乙女おとめといわれる秘宝ひほうなんだよ」

「秘宝が、ご褒美だったってこと?」

「そう。たったひとつだけねがいがかなうから、秘宝ひほうだったらしいよ」

「ひとつだけなの?」

「そう。今も昔も人間は業突張ごうつくばりだから乙女おとめねらって、うばうためにころしあいをつづけちゃったんだろうね。だからひとつだけにしたんじゃないかなぁ。世の中が、ねがごとあふれちゃうからね」

「それで、強盗ごうとうした、ってことなの?」

「今ならそうなるね。でも昔は略奪りゃくだつって言ったらしいよ。ぬすみは悪いことだけど、法律ほうりつがなかったからね」

「どうしてなかったの?」

「今の市町村しちょうそん制度せいどがなくて、領主りょうしゅ仕切しきっていたんだよ。だから、国って言ってたみたい」

時代劇じだいげきのお代官だいかんさまってやつでしょ?」

領主りょうしゅ殿様とのさま時代劇じだいげき代官だいかんって、悪党あくとうが多かったのかもね」

 せいらは、たまたま見たことを言っただけで、くわしくなかった。声には出さないが、『ふぅ~ん』と聴きながしていた。


乙女おとめって、どうなったの?」

白金プラチナふちかこわれた銅鏡どうきょうらしいんだけど、られてめられたようだよ」

「知らないの? それって、作り話しってことなんじゃないの」

「運転手さんが産まれる前のことだからね。多分だけど、せいらちゃんの心に宿やどった女神めがみさまなら、知ってるとおもうよ」

「女神様? あたしは人間だよ」

「神様は実体じったいを持てないんだ。それでも、刻の粛清しゅくせいはばために、人間の心に宿やどるのさ」

「それって、かれること?」

悪魔あくまかれることは憑依ひょういっていうけど、神様が宿よどることは降臨こうりんになるんだ。映画えいがなんかで、地上に降臨こうりんするシーンをたことはないかなぁ」

「在るけど、意味があるの?」

「見えないものを視ることに、意味はいらないさ。でもね、見えないものの存在そんじいることが大事だいじなんだ」

「どうして大事なの・・・」

「せいらちゃんが知らぬ間にしている呼吸は、なんのためにするのかなぁ」

「生きるために酸素さんそっているんでしょう」

酸素さんそって、見えないけど大事なものだよね」

「生きるために必要ひつようだっておそわったよ」

「ごはんやおかずもそうなんだよ。人間に必要ひつようなのは、なか成分せいぶんなんだ。きたない話しだけど、排出物うんちは、必要なものをった後のゴミなんだ。それでも、そのゴミを分解ぶんかいする生物せいぶつるんだよ」

「ゴミを収集しゅうしゅうする人のこと?」

「人じゃない。むかしは、ゴミを肥料ひりょうにしていたのさ。汚染おせん問題でなくなっちゃったんだけどね」

「問題って?」

有害ゆうがい物質ぶっしつって、まだおそわってないかぁ」

「なんのこと?」

「理科でならうのかなぁ? 運転手さんはなんちゃって科学者かがくしゃだから知ってるけど、せいらちゃんたちは学校でおそわるから心配しないでいいよ」

「学校でおそわるのかぁ」

必要ひつようなことを順番じゅんばんでね」

 うさぎは言って、せいらからそむけた。そろそろ、信号機がわる頃合ころあいだったからだ。


順番じゅんばんって、だれめるの?」

らないけど、多分たぶんえらい人なんじゃないかなぁ」

えらい人なのかぁ」

 うさぎは、せいらの納得なっとくをよそに、『いい加減かげんなことはいうもんじゃない』と実感じっかんしていた。

 たと順番じゅんばんちがっても、内容ないようは変わらないはず。それが多感期たかんきの子供なら、間違っておぼえることはいなめない。

 うさぎの知識ちしきは、うさぎだけのもの。経験けいけんするのを待つよりも、準備じゅんびうながすために、オブラートにつつむことも大事だいじである。時代背景じだいはいけい様変さまがわりするはずだからだ。

 それが、年長者にんちょうしゃ役割やくわりでもある。一気いっきまず、少しずつ。調べておぼえてくれるようにうながすことにめた。

 教材きょうざいとして購入こうにゅうするはずの辞書じしょもそれで役に立つはずだった。間違まちがっておぼえてしまったことはそれで、矯正きょうせいされることをねがっていた。



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