第21話「虚構の美、現実の恋」

 結論から言うと、刹那せつなのカレーライスは美味しかった。

 というか、

 因みに刹那は、後片付けで皿を二枚割った。

 そんなこんなで妙に神音かみね家に馴染なじみつつも、刹那の帰宅の時間となる。あまり遅くなると親御さんも心配するからと、母親に言われて優は送っていくことになった。


「ふう、夜はやっぱり風が冷たいね」


 だが、香辛料スパイスたっぷりのカレーで火照ほてった体に少し心地よい。

 ゆう猫背気味ねこぜぎみに後ろをついてくる刹那に、不意に振り返った。

 それで刹那は驚いたようで、次の行動にビクリと身を震わせる。


「ゆっ、ゆゆゆ、優……手、手ぇ……」

「いいから、いいから」


 手を繋いで横に並ぶと、ますます恐縮したように刹那が縮んで見えた。

 ちょっと今日は、刹那の様子がおかしい。

 いや、普段から十分に面白おもしろおかしい少女なのだが、なんだか妙なのだ。

 そう、例えば……あの健啖家はらぺこキャラの刹那が、カレーライスをおかわりしなかった。サラダこそ完食したものの、カレーは肉抜きでほんの少し盛って食べただけだった。


「刹那、どこか具合悪い? ちょっと、女の子に聞いちゃ駄目な感じのやつかな?」

「そ、そんなことないぞ。わたしは元気なんだぞ」

「ふーん……そぉ?」

「そうだぞ。カレーも上手くできたし、お腹いっぱいなんだぞ」


 だが、その時キュクウウウウウ~! と刹那のお腹が小さく鳴った。

 優の背丈だと、丁度目線の高さが刹那の胸あたりなので……すぐ近くからはっきりと聞こえた。

 ピタリと立ち止まった刹那は、真っ赤になったまま固まってしまう。


「刹那……お腹、空いてるよね? やっぱり」

「う、うう、これは……」

「なにかあった?」

「それは、そのぉ……こ、今度、予選大会があって、修斗しゅうとの」

「ああ、総合格闘技の」


 コクンと小さく刹那は頷いた。

 その羞恥しゅうちに燃えるような赤面を見上げて、やれやれと優は肩をすくめる。

 ちょっと、安心した。

 体調不良ではないみたいで、病気や怪我も違うらしい。

 しかも、試合が近いとなれば答えは一つしかなかった。


「大会ってことは……減量、だよね? 大変だな、それは。ね?」

「あうぅ……そ、そうなのだ。少し体重、落とさなきゃなのだ」

「えっと、刹那はライト級だから」

「……階級、一つ落としたいと思ったぞ。バンダム級まで」


 いきなり二階級も落とすのは、それはどうだろうか。

 優は詳しくはないのだが、それとなく気になって時々修斗のことをネットで調べている。ファイティング・ギグセブンの攻略に役立つこともわかるし、何より自分に好意を寄せてくれる女の子が気になる。彼女が青春を燃やす競技が、気になってしかたがないのだ。

 それは無自覚な好意の発現なのだが、優は気付けずにいたのだった。


「えっと、バンダム級って……ライト級の下のフェザー級、のさらに下だよね?」

「そ、そうだぞ。咲矢さくやさんにも凄い反対されたんだぞ」

「そりゃね。えっと、バンダム級は」

「61kg未満だぞ。つまり、8kg落とせばOKなんだぞ!」


 刹那の声が微妙に上ずっている。

 男の子だと思ってた幼少期からずっと、これは彼女の嘘のサインだ。しどろもどろになってるし、目を合わせることができなくなってるし、刹那は昔から嘘がつけない子供だった。


「8kg? ……本当は?」

「……12kg。でも、トレーニングすると筋肉で体重が増えるし、流した汗の分はすぐに戻るし……大変なんだぞ」


 刹那の様子がおかしい訳がわかった。

 再会して過ごしたここ数日で、わかってることは一つ。刹那はよく食べてよく運動する女の子だということだ。背も高くて痩せマッチョ、まるでギリシャ神話の彫刻像みたいな肉体美には、12㎏の減量というのはかなり過酷な試練である。

 そして、なんとなく優はその理由を察した。


「ねえ、刹那。もしかして……自分の身体、気にしてる?」


 刹那は、でっかい。

 身長も185cmあって、小柄な優とは20cm以上違うのだ。

 でも、その恵まれた体格は父親譲りで、決して悪いことじゃない。コンプレックスに思っているのかもしれないが、誰もがうらやむ肉体だって……自分がいいと思えなきゃ本末転倒ほんまつてんとうである。

 だから、一度深呼吸して優は繋いだ手を強く握る。


「刹那、無理せず今のライト級で出れば? それなら、ええと……3kgちょっと落とせば70kg以下になる計算だけど」

「わわっ! す、数字を言わないでほしいぞ! ……ここ最近、少しわたしは太ったんだぞ」

「誰か、刹那の身体になにか言った?」

「……咲矢さんは、クソ恵まれたフィジカルなのに無理な減量は駄目だって」

「同感だね」


 周囲はまだまだ宵の口で、商店街は人混みで賑わっていた。

 その中で、誰もが刹那を振り返ってゆく。

 行き交う男性たちは皆、その可憐な美貌の奇妙なアンバランスさに目を細める。トップモデルもかくやの長身に、まだまだあどけなさを残す表情が純真さに輝いている。道行く女性だって、目立つその姿を見ては悲喜こもごもに去っていった。

 優だってわかるし、知っている。

 刹那は、とても綺麗だ。


「あのね、刹那。刹那が一番実力を発揮できる階級は、本当にバンダム級なのかな?」

「そ、それは」

「腹が減っては戦はできぬ、ふらふらになるまで体重を落として、それで悔いのない試合ができるだろうか。僕は……もしゲームの中でそれを強いられたら、ちょっと辛い」


 優には今、仲間たちの絆で迎えられた相棒がいる。

 刹那の技をモーションキャプチャーした、カナタだ。

 そのカナタを実戦で操作したからわかる。オプティフォンを通した優の操作に、吸い付くように反応するレスポンス……間違いなく、一流の格闘家を模したものだった。

 まだまだアマチュアな刹那の中に、それは眠っていた。

 そう遠くない未来に生まれるかもしれない、格闘女王の姿だ。

 それは、ムチムチムッチリな筋肉で引き絞られた肉体に凝縮された可能性なのだ。

 勿論もちろん、優は乳やら尻やら太腿やら、肉質感たっぷりな刹那を悪く思えない。これは普通に、この年頃の少年特有のスケベ心だが、今はそれを口にしない。


「刹那、いつものライト級の方が力を出し切れると思うよ。それに」

「そ、それに?」

「いくら痩せても、僕が気持ちよく好きでいられないの……ごめんね、ちょっとヤなんだ」

「優……」


 漫画やアニメのヒロインは、とても見事な柳腰やなぎごしで痩せている。プロフィールに並ぶ数字なんか、ちょっと信じられない体重だったりする。

 でも、それは虚構の世界で好かれるために生まれた創作物だからだ。

 生身の存在で優と現実に生きててくれる、そんな女の子とは比べられないのだ。


「……じ、実は……わたし、まことより重いんだぞ。たまたま知ったけど、ショックだったぞ」

「ああ、そうなんだ。まことはまことで苦労してるんだよ? 気持ちが女の子でも、肉体は男だからさ。結構簡単に体重が増えるからって、日々努力してる」

「そ、そうなのか?」

「そうなんです。それとね、刹那」


 優は一度手を放すと、改めて刹那の腕に抱き着いた。腕を組むようにしてぶらさがり、真剣に見上げて言葉を選ぶ。


「僕がかわいい、綺麗だって思うのは……いつもの刹那だよ? 無理して絞っても、きっといいことないしさ。今はお互い、育ち盛りの年頃でもあるんだし」

「うう、そう言われると……」

「とりま、そこのコンビニ寄ってく? お腹、空いてるよね?」


 だが、刹那は静かに首を横に振った。

 でも、その瞳には強い光が戻ってきている。


「ううん……家に帰って、ちゃんとカロリー計算して食べるぞ」

「それがいいね。ホットスナックやコンビニ弁当は揚げ物も多いし」

「優、次の試合までわたしは身体を作るけど、カナタを引き続き一緒に鍛えるんだぞ」

「ありがと、でも刹那は刹那のトレーニングに集中してくれれば」

「い、一石二鳥なんだぞ! わたしも、身体を動かせるし……それに、まことから聞いたんだぞ」


 もうすぐ、世界中でファイティング・ギグⅦの熱い春がやってくる。

 初夏を待たずに、全地球規模の熱狂が祭を呼ぶのだ。

 全プレイヤーが参加できるイベント大会、その名は……。文字通り、春のうららかな雰囲気をも殺し尽くす、地獄のバトル大会である。

 ランキング上位を目指し、世界大会を見据えている優も勿論参加する。

 が適用されるイベント大会は、チャンスなのだ。


「わたし、最後まで優の力になりたいぞ。そして、自分の力をしっかり信じたいんだぞ」

「その意気だよ。まあでも……数kg落として70kgに調整するのも、それはそれで大変そう」

「最近、友達も増えて色々遊んでたらウェイトが増えたんだぞ。しっかり絞り込んでみせるから……優も頑張るんだぞ。優がカナタで戦うとこ、わたしも見たいんだぞ」

「僕も刹那の試合、応援に行くよ」


 そうして、優は刹那をラーメン屋の番犬亭まで送っていった。

 相変わらず混雑した店内の前で別れたが、一人で引き返せばちょっと物寂しい。女の子はダイエットに御執心なのは、これは優の世代だとよくわかる話だった。

 でも、刹那には……今後も恋人になっていく女の子には、まず健康でいて欲しいと思うのだった。

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