第20話「ガチであれ、面白くあれ」

 まことと斗馬とうまに礼を言って、ゆうは帰宅の途についた。

 子供たちの歓声は、いつまでも背後で手を振っている。夕焼けのヒーローになってしまった優だったが、悪い気はしない。

 ゲームは本来、楽しむもの。

 他者と遊ぶなら、協力プレイでも対戦プレイでもお互いが楽しいに限る。

 もっとも、『』は人によっては異なる。

 そして優は、限界ギリギリの極限バトルをこそ、一番好んだ。


「まあでも、手抜きと手加減は違うからね」


 半分は言い訳だが、真理でもある。

 やはり、にわとりさばくのに牛刀を用いる必要はないのである。

 そういう意味では、いくら新キャラのカナタを調整するためとはいえ、大人げなかったかもしれない。エグい攻めで先輩たちを一蹴してしまったからだ。

 対戦を承諾したならば、どんなプレイにも文句は言えない。

 だが、それを幼子に強いてはこくというものだった。


「ただいまー、ん……あれ、この靴」


 自宅に帰って玄関をくぐると、見慣れたスニーカーが綺麗にそろえて置いてある。

 優は母一人子一人の二人暮らしだが、その母の仕業だなと思うとなにも言えなかった。昔から優の母は、息子の友人たちに対して妙に距離が近いし、ぶっちゃけ馴れ馴れしい。

 若く見えるものだから、それが妙に馴染なじんで違和感が仕事をしてくれないのだ。

 などと思い出していると、キッチンから小走りに少女が駆けてくる。


「優、おかえりだぞ!」

「あ、うん。ただいま、刹那せつな……なにしてんの、僕んちで」


 そう、刹那だ。

 割烹着かっぽうぎ姿でおたまを手に、刹那が目の前に立っていた。

 うん、かわいい。

 そして、デカい。

 一段高い廊下に立ってるから、普段にもまして身長差が酷かった。けど、無邪気な笑顔を見上げていると、心なしか優もほおがほころぶ。

 刹那は腰に両手を当てて胸を逸らすと、得意げにフンスフンスと話し出す。


「これは花嫁修業だぞ。今、お義母かあ様に料理を教えてもらってたんだぞ」

「あ、なるる。……気が早くない?」

「善は急げ、なんだぞ! そ、それで、優……」

「ん? なに?」


 靴を脱いで上がれば、別にいいのに刹那が鞄を持ってくれる。

 そのまま彼女は、グイと身を寄せてきた。

 頬を赤らめ、身を屈めるようにして顔を近付けてくる。


「ゆ、優」

「うん?」

「改めて、おかえりなんだぞ!」

「? う、うん」

「そ、それで……ご飯になさいまするか! それともお風呂でござるか! それとも――」

「あ、先にご飯。刹那も食べてくでしょ?」

「即答しないで欲しいんだぞ……さ、先が……続きがあるんだぞ」


 もじもじと刹那がおたまを曲げて、丸めてしまう。

 握力、凄いね……ちょっと優は引いてしまった。

 いまいち要領を得ない刹那だが、ますます赤くなってゴニョゴニョと声が小さい。

 ちらりと見れば、キッチンの中からニヤニヤしながら母親が顔を出していた。

 母親の入知恵だなとは思ったが、改めて優は刹那に向き直る。


「えと、その、うん! それとも、わたしとなさいまするか!」

「うん、じゃあ刹那と」

「えっ! い、いやいや、待つんだぞ! 心の準備というものが」

「刹那と夕ご飯食べるよ。食べてくでしょ? せっかく自分で作ったんだし」

「…………はい」


 なんだか、突然刹那のテンションが急落してしまった。

 母親は母親で「チィ!」とやたら発音の良い舌打ちを残して引っ込んでしまう。

 なにがなんだかよくわからないまま、優はリビングでようやく落ち着いた。


「と、とにかく、今日の晩御飯はカレーライスだぞ。本格派なんだぞ」

「あ、いいね。刹那が一人で?」

「……正直、かなりお義母様に手伝ってもらったぞ。わたしは……料理はイマイチなんだぞ」

「ま、伸びしろがあるって思えばいいんじゃない?」

「! そ、それだぞ優! わたしには伸びしろしかないんだぞ! うん!」


 時々心配になるくらい、刹那は素直で純真なのだった。

 そんな彼女をキッチンに見送り、さてと優はシャツの胸ポケットから一枚の紙を取り出す。折りたたまれたそれを広げれば、自室で着替えてくることも忘れてしまった。

 その紙には、まことの綺麗な字で文字と数字がずらりとならんでいる。


「どれどれ、カナタの技はっと……ふむ」


 それは、まことがデータを出力して作ったである。

 参考資料として、ちゃっかり斗馬のオルトロスのデータも並んでいた。

 フレーム表とは、ゲームキャラクターの技の速さ、コマンド入力から攻撃判定発生までの時間を記したものである、1フレームは1/6060分の1秒で、


「一番速い左のジャブで5フレームか。悪くないかな」


 この場合は、優がオプティフォンで弱パンチを入力すると、5/60秒後に攻撃が相手に当たるという意味である。そして勿論もちろん、全ての技には『出した後の硬直時間』……いわゆる隙が存在する。その時間もフレーム単位で記載されていた。

 基本的に、弱い技ほど速いが、リーチが短く隙も少ない。

 逆に大技は千差万別だが、総じて出したあとの隙が大きかった。


「うん? ……あれ、これって」

「優、ご飯だぞ! 夕食の時くらい、新聞を読むのをやめるんだぞ」

「いや、新聞じゃないから。てか、なにその小芝居、茶番……」

「ふ、ふんいきだぞ! ……新妻感にいづまかん、出してるんだぞ」

「ああ、雰囲気ね。あのね刹那、母さんの話をいちいち真に受けなくていいからね」


 その母だが、オホホホホとわざとらしい笑いで食卓にサラダを並べてゆく。

 スパイスのいい匂いと共に、カレーライスも運ばれてきた。

 それで優は、一度フレーム表をたたんでポケットにしまう。


「そういえば、刹那」

「うん? 自信作のカレーなんだぞ! 神音家かみねけ直伝のレシピをお義母さんから」

「いや、そうじゃなくて……刹那、いつも打撃ってオープンハンドなの?」


 オープンハンド、すなわち掌底しょうてい掌打しょうだである。拳を握らず、手のしょうで打つのだ。骨法と呼ばれる古武術が有名だが、どういう訳かカナタのパンチ系打撃技は大半がオープンハンドだった。

 そのことを問われて、すぐに刹那が即答する。


「プロレスでは、

「あ、そうなんだ……ん? でも、ちょっと待って」


 確かに、カナタのパンチはオープンハンドが多い。ジャブ、ストレート、ワンツーパンチにアッパー掌底、反面、ボディブローやオーバーハンドのハンマーパンチ等、拳を握った技もある。

 その影響からか、カナタの技の出はかなりばらつきがあった。

 極端に速い発生フレーム数の、エルボー攻撃。

 やや普通のパンチに劣る掌底や掌打。

 大技は可もなく不可もなくといった感じだ。


「拳で殴る技もあるよね?」

「状況にもよるけど、修斗しゅうとの試合……総合格闘技では基本はグーパンチだぞ。グローブをつけるからなんだぞ」

「ああ、なるほど……ん? つまり」

「プロレスではグーパンチは反則だけど、5OK

「……なにそれ」


 だが、すぐに優は思い出した。

 刹那の父、マスク・ド・ケルベロスはベビーフェイス……いわゆる善玉、正義のプロレスラーである。対して、悪役レスラーをヒールという。

 ヒールのレスラーによく、刹那の父は凶器攻撃や首絞めチョーク攻撃を喰らっていた。毒霧を吹かれたり、顔面パンチをもらったこともある。

 勿論、これらは全て反則である。

 しかし、レフェリーが反則カウントを取り出すと、5カウント前にやめるのだ。

 5秒以内ならどんな反則もOK、それがプロレスという文化らしかった。


「まあ、カナタの技は大半がプロレス技だもんね……あ、問題がある訳じゃないよ? 今日、動かしてみたらとってもよかったから」

「あと、こう、優。オープンハンドのパンチには利点もあるんだぞ」


 刹那はサラダにマヨネーズをどばばばとかけつつ、びんを置くと手を伸ばした。拳を握って、シュッ! と前に突き出す。


「グーパンチはどうしても、手首の関節を挟んで、その先にインパクトする拳があるんだ」

「ん、まあ、そうだね。変にパンチすると手首を痛めるってこと、あるし」

「オープンハンドだと、拳一つ分リーチが短くなるけど……手首から力が逃げ難いんだぞ」

「なるほど……刹那、色々考えてるんだね」

「修斗もプロレスも奥が深いんだぞ。火を吹いても5秒以内ならOKなんだぞ」


 多分、ビームを出しても5秒以内ならば許されるだろう。

 つまり、プロレスとはエンターティメントなのだ。

 そして、だからといって真剣勝負ではないとは言えない。

 同時に、純粋な技術を競う総合格闘技も緻密で繊細である。

 カナタは、そういう両面を持ったハイブリットなキャラに育ちつつあった。


「ほらほら、二人とも? 冷めないうちに食べましょうねえ」


 母の言葉で、優と刹那は食事に戻る。

 そして、元気のいい「いただきますだぞ!」の声に、ふと優は気付いた。

 刹那のカレーライスが、物凄く少ない。しかも、ビーフカレーなのに牛肉が入ってなかった。その違和感の正体を、あとから優は知ることになるのだった。

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