第12話「格闘少女が生まれた日」
その夜、
追憶の再演だとすぐに分かったし、いわゆるそれは明晰夢だった。
ご丁寧にレトロなセピア色の風景は、思い出補正たっぷりの幼少期だ。
商店街の電気屋に飾られた、ウィンドウの中の大きな大きなテレビ。
集まる人だかりの最前列に、幼い頃の優たちがいた。
『さあ、いよいよ試合開始直前です! 異種格闘技戦、最終勝負……マスク・ド・ケルベロスの最後の闘いが始まりますっっっっっっっっっ!』
そう、十年前のあの日だ。
大勢の大人に混じって、優たちも試合を観戦していたのだ。
みんなでガラスにへばりつくようにして、瞬きも呼吸も忘れたかのよう。あの時の緊張と興奮は、確かに優もはっきりと覚えている。
そして、運命のゴングは高々と打ち鳴らされた。
『いよいよ始まりました! 異種格闘技戦十番勝負、そのファイナルッ! マスク・ド・ケルベロスは果たして、無冠の古武術に勝てるのか!
――無神流甲冑組手。
たしか、そういう名前の流派だったと思う。
それなのに、選手の名前はよく覚えていない。酷く細くて
顔も覚えていない。
ただ、漆黒の道着だけが記憶に影を落としている。
全くの無名で、戦歴もない。
世界中を旅して闘っている、そういう触れ込みの武道家だった。
『先に仕掛けたのは、ケルベロスッ! 油断なく組みに行くぅぅぅぅぅぅ――!?』
勝負は一瞬だった。
一発のパンチもなく、盛り上がりも見せ場もない。
緊迫の雰囲気を圧縮された画面の中で、マスク・ド・ケルベロスがゆっくりと距離を詰めた。相手はほぼ棒立ちで動かない。
動けないんだと思った。
あのマスク・ド・ケルベロスの圧力に、
だが、違った。
『ああっと! ここで試合終了ッッッッッッッ! まさかの展開がおきましたっ、なにがおこったんだああああああ!』
そう、なにがおこったかわからなかった。
ただ、なにかがおこったのだ。
謎の武術家に組み付いた瞬間、マスク・ド・ケルベロスは見えぬ力でころりとマットに転がっていた。合気道の
そのままマウントポジションを取られた。
そう思った時には、もう試合が決まっていた。
足関節を瞬時に
不気味な静寂が商店街に広がってゆく。
『……おいおい、負けちまったよ』
『やっぱ、プロレスはショーだからな。ガチじゃこんなもんじゃね?』
『まあ、最強のレスラーとか言われて調子乗ってたのかもなあ』
『しらけちまうなあ、ったく』
大人たちの落胆は、そのまま露骨に軽蔑へと変わっていった。
だが、そんな中で叫ぶ男がいた。
その男の子は、号泣しながら叫んだのだ。
『違うって、ぜってー違う! マスク・ド・ケルベロスは最強なんだ! なにかの間違い……調子が悪かったんだよ!』
それが斗馬だった。
そうだ、完全に思い出した。
昔から斗馬は、マスク・ド・ケルベロスに憧れていた。乱暴者でよく刹那をいじめていたが、その記憶は徐々に解像度が上がってゆく。
あれは、いじめていたんじゃなかったのかもしれない。
でも、当時の刹那には辛かっただろうし、優もまことも助けに入ったんだ。
『あっ、刹那! お前、泣くなよ! 泣くなっ! それでもお前、マスク・ド・ケルベロスの息子かよっ!』
『う、うええ……で、でもぉ。斗馬も、泣いてる、よ?』
『泣いてねぇ! 俺は、これは汗だ! くそぉ、なんだよあいつ……ぜってーいつか俺が倒す! 俺の空手で、マスク・ド・ケルベロスの
『む、無理だよぉ……だって、パパでも勝てないんだもん』
徐々に優の視界が狭くなってゆく。
もうすぐ夢は終わって、目覚めの時間が近付いてくるのだろう。
でも、優にはずっと聴こえていた。
夢が閉じてなにも見えなくても、聴こえてきた。
あの日ずっと、刹那は泣きじゃくっていた。
そしてその後……
「……思い出した」
目が覚めて身を起こす。
ちょっとまだ、学校に行く支度は早いだろう。今日から停学が明けて、今日登校すれば明日から土日という微妙な日常が始まる。
まだ六時前だったが、ベッドから抜け出た。
外は晴れてて、小鳥のさえずる声が聴こえた。
「一応、まことから最新版のデータはもらってたっけな」
オプティフォンを手にして、いつもの操作でファイティング・ギグ
すぐにインナー姿の少女が姿を現した。
刹那をモデルに造られた、優の新しい相棒である。等身大サイズなので、やっぱり優より背が高かった。
操作してみる。
弱パンチ、機敏で速い。
中パンチ、いい感じのリーチだ。
強パンチ、腰の入ったストレート。
「距離によって技は変わるけど……まあ、キック系もなかなかいいね」
プラクティスモードで今の状態を軽く確認する。
前へダッシュ、後へバックステップ。
ジャンプは低く速くて、なかなかに鋭い。
精密に造られた刹那のレプリカを動かしてるような感じだ。それがまた、ちょっとやってて恥ずかしくなる。胸はゆさゆさ揺れるし、尻も太腿もむちむちなのである。
「……ま、まあ、この辺はちゃんとした服を着せれば……ただ、当たり判定大きそうだな、上半身とか」
だが、ポンポコ・シリーズとは比べるべくもない。
いよいよ本当に、優は戦うための真の相棒を得たのだ。
刹那に感謝しないと、と思っていると、週末はデートの約束があったことを思い出す。何故かまこともついてくるらしいが、お礼も兼ねてなにかご馳走しようと思った。
そう思っていると、背後でドアがノックされた。
「あ、母さん? ちょっと待って」
待ってと言ったのに、返事も聞かずにドアが開かれた。
エプロン姿の母が、いつものニコニコ笑顔で立っている。
「なんだか物音がしたから……早起きねえ、優。……ん?」
「ああ、これ。ゲームのキャラクター」
「刹那ちゃんじゃないの?」
「ベースは刹那だけど、本人じゃないよ」
だが、母は一瞬でニチャアと笑った。
朝から面倒臭いなと思う優だが、母は昔からそういう人なのでしょうがない。やれやれと説明しようと思ったが、母に肘で小突かれた。
「優ってば、やっぱり男の子だもんねえ。いいのよいいのよ、それくらいで健全だもの」
「……言ってる意味がわからないんですけど」
「突然刹那ちゃんが帰ってきて、いきなり彼女だもんねえ……ウンウン」
「いやだから、これは」
「よく出来てるわねー、最近のファミコンは凄いのね」
「ゲームをなんでもファミコンて呼ぶの、やめてくれる?」
母はペタペタとキャラに触ろうとする。
だけど、なんだか母はやらしい手付きで胸のあたりをむにむにしていた。
「そうよねえ、やっぱり男の子だもんねえ」
「いやだから」
「でも、もうちょっとかわいいお洋服着せてあげたらどぉ?」
「どぉ、って……これ、格闘ゲームのキャラなんだ。戦うんだよ」
「刹那ちゃんで?」
「刹那ではないんだけど、まあ、そう」
「……そういう趣味あるの、あなたたち。えっ、そっち系?」
訳がわからないが、母はますますニチャニチャと笑い出す。
ちょっと、朝から疲れる。
けど、母は意外なことを言い出した。
「そういえば優、週末はデートなんだってねえ?」
「……どこでそれを」
「まことちゃんとメル友なのよ、ふふふ」
「あっ、まこと……あいつめ」
「ちょっとだけお小遣いあげるから、刹那ちゃんとイチャラブしてきなさい? ファミコンの刹那ちゃんじゃなくて、本物の刹那ちゃんを大切にするのよん?」
まあ、そりゃそうだと思う優だった。
でも、こっちの刹那もとても大切に思う。
今までは、どうしても操作にキャラがついてこない印象があった。ポンポコ・シリーズに素人の優がモーションキャプチャーした技では、ここから先は戦っていけない。
それはそれとして、
「やっぱ、服を着せなきゃな」
ちょっと恥ずかしくて照れてくる優なのだった。
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