第11話「地獄の番犬、今はラーメン屋のおっさん」

 なかなか貴重なデータが取れた。

 そのことで、先程からまことはほくほくである。一方でゆうはといえば、なんとも言えぬ恥ずかしさに顔が熱い。

 例のスーツを着るのも、以前は全く気にならなかった。

 でも、ピチピチにピッチリな刹那せつなを見ると赤面してしまう。

 しかも、そんな刹那と寝技のモーションを取る、これは思春期の男子高校生には地獄の拷問にも等しかった。


「いやー、刹那のおかげでいい技たくさんできそう!」

「そうか、よかったんだぞ。でもまこと、パソコンしながら歩くのは危ないぞ」


 日も落ちて、商店街は大人の時間に突入していた。

 そこかしこの飲食店から、笑い声が聴こえる。

 丁度、刹那の提案でラーメンでも食べていこうという話になっていた。優はすぐに家へとLINEラインを入れたが、まことも刹那も家族へ連絡する素振りがない。

 まことは以前から、どうやら両親とは疎遠なようだった。


「そうそう、優。さっき取ったモーションなんだけど」

「あ、ああ」

「ん? どした、顔が赤いぜー?」

「なんでもないよ。それよりなにか問題でも?」


 あいかわらずまことは、ノートパソコンを開きながら歩いている。

 それでサラリーマンの一団にぶつかりそうになって、そっと刹那に手を引かれていた。なんだか、姉妹……いや、やっぱり親子に見えてしまう。

 それくらい、優やまこととは刹那の体格は違い過ぎる。

 人混みの中でも頭一つ抜けてるし、擦れ違う誰もが美貌に振り返っていた。


「あのさ、優……刹那も。今日取ったモーション、打撃は最高によかったんだけど……組技、寝技が全然駄目」

「全然?」

「駄目なのか?」

「うん、全然駄目」


 まことが言うには、公式の運営がAIで判定してくれた結果……サブミッション全般がモーションこそ綺麗だが、全く威力が出ていないとのことだった。

 当然だ、本気でめられたら今頃優は立っていられないだろう。

 それに、どうやら少し刹那にも心当たりがあるようだった。


「す、少し、いや、かなり手加減をした。それが多分、悪かったんだぞ」

「まあ、優が死んじゃうからねー」

「等身大の人形が相手とか、そういうのはできないのか?」

「ちょっと考えてみる。そういうツールも売ってるけど、結構高いんだ」

「ふむ……あ、ここだぞ。この角を曲がった先なんだぞ、わたしの家は」


 思わず優は、まことと一緒に「は?」「え?」と間抜けな声が出てしまった。

 しかし、刹那に続いて商店街を路地に入ると、小さなラーメン屋がある。外にまでテーブルと椅子が出てて、大盛況の大賑わいだった。

 中華料理独特のいためて香るあぶらの匂い。

 ビール片手の老若男女ろうにゃくなんにょが賑わっている。

 店の名前はなんだかいかつい、その名も素敵『番犬亭ばんけんてい』だった。


「ただいま! パパ、友達を連れてきたんだぞ!」


 刹那はのれんをくぐるなり、大きな声で帰宅の挨拶。

 湯気の煙る灼熱の厨房で、恰幅かっぷくのいい男性が振り返った。


「おう、帰ったか刹那! 友達も一緒かい? よぉし、ラーメン食ってけ、ラーメン!」

「あ、パパ。まことは友達だけど、優はわたしの彼氏なんだぞ」

「そうか、彼氏か! ガッハッハ! そいつぁいい! ……何? ――なん、だと!?」


 ねじり鉢巻はちまき髭面ひげづらのおじさんだった。

 そして、なんとなくその姿に優は見覚えがある。

 ドスドスと大股で出てきたその男に、優はまことと並んで挨拶した。


「はじめまして、こんばんは。えっと、刹那とは幼馴染おさななじみで、なんだか彼氏彼女やってます」

「おじちゃん、久しぶり! こんな格好だけど、まことだよ。こっちは優。覚えてる?」

「優に、まこと……ああ! 刹那が昔、この街に住んでた時の友達か!」


 そう、この人が刹那の父親、塩谷翔吾しおやしょうごだ。

 またの名を、マスク・ド・ケルベロス……の、中の人。元プロレスラーである。かつて一世を風靡ふうびした、世界最強だった男。プロレス界に敵なし、異種格闘技戦も連戦連勝だった生ける伝説……そう、あの日までは最強の男だったのだ。

 その翔吾が優を見下ろす、フムと唸る。


「……ま、まあ、優くんならいいか」

「え、いや、その」

「交際を認めた訳ではないが! とにかく今日はラーメンを食べていきなさい! 是非ぜひ!」


 刹那の父親だけあって、身体もデカけりゃ声もデカい。

 そうして笑いながら翔吾は厨房に戻っていった。

 丁度空いてる席があったので、そこに座ってまずは落ち着く。すぐに刹那が、引っ越していったあとのことをザックリ雑に説明してくれた。


「パパはあの日の敗戦のあと、引退してラーメン修行の旅に出たんだぞ。わたしもついてって、親子二人で色んな場所を旅したんだぞ」

「へえ……苦労したんだね」

「楽しい旅だったけど、パパはすっかり太ってしまったんだぞ……ラーメンばかり食べてたんだぞ」


 そう、ヘラクレスもかくやという究極の筋肉美はもう、見る影もない。

 完全に中年太りのおっさんである。

 今も客と話して笑いながら、せっせと料理を作り続けていた。

 そんな父親を見る刹那の目が、不思議と優しい。普段の愛想がない無表情も、心なしか穏やかに見えた。


「あ、それでさ、優。刹那も。打撃技は結構揃ったけど……刹那、もっと登録したい技があるんじゃない? こう、もっとプロレス的な」

「むむ、あるぞ! やっぱり、ごうよくぜんを制す、なんだぞ!」

「いや、それはどうかと思うけど……もっとケレン味のある技もあっていいよね。それと」


 まことがノートパソコンの画面を向けてくる。

 細かいパラメータが並んだエディット画面の中央に、刹那をモデルにしたキャラが立っていた。まだ衣装が決まってないので、最低限のインナーを着せられている。

 そして、まことの操作で技を繰り出していた。

 小刻みなジャブに、腰の入ったストレート、リーチは短いが威力抜群の肘打ちエルボー。蹴りも綺麗で、本当にアニメみたいなかわいさも綺麗に落とし込まれていた。


「基本技はいい感じ。でも、投げと関節技をもうちょっとしっかり登録したいね」

「となると……」

「やっぱり優、キャラのために死んでくれ! なんてなー、わはは! ……冗談はさておき」


 せっかく刹那が協力してくれてるのに、彼女が一番得意とする投げ技や関節技が上手く落とし込めない。何故なら、こうした組技には必ず『技を受ける相手』が必要だからだ。そして、優では力不足ということだろう。

 三人で文殊の知恵を探して腕組み唸っていると、背後で声がした。


「よう、お前ら。結構頑張ってるじゃねえか。でも、その様子だとうまくねえようだな」


 振り向くと、カウンターに斗馬とうまが座っていた。

 彼はラーメンを啜りつつ、肩越しにニヤリと笑っている。


「ま、あきらめてあのタヌキで出場すんだな。で、派手に負けてくれや」

「いや、それはないよ。まことも刹那も頑張ってくれてるし」

「優……お前のその、謎の自信はなんなんだよ。なんで昔からそう、堂々としてられんだ」

「ん、別に。そうしたいと思ったことは、言葉にすると強くなるんだ」

「だからさあ、そういうとこなんだっての!」


 丁度その時だった。

 翔吾が笑顔でラーメンを持ってきた。

 注文していなかったが、自動的に看板メニューの番犬ラーメン全部入りをごちそうしてくれるらしい。しかも、見れば運ばれた丼の一つだけが異常に大きい。

 特盛ラーメンは恐らく、刹那が食べるのだろう。


「おっ、お客さんもうちの刹那と知り合いかい?」

「あ、はい!」


 突然、身を正して立ち上がった斗馬が、気をつけの姿勢で固まった。

 なんだろうと思っていると、どうも緊張しているらしい。


「それで、あの、親父おやじさん! ラーメン、凄く美味しかったです!」

「そうかい、よかったよかった」

「そ、それで、俺、現役時代の親父さんのファンで」

「お、昔の俺を知ってるの? 嬉しいなあ」


 斗馬はどうやら、マスク・ド・ケルベロスの大ファンだったらしい。

 調子のいいことで、思わずまことが口を挟む。


「おめー、大ファンのしの息子……じゃなくて、娘をいじめてたんかよー? だっせ!」


 まあ、そういうことになる。

 そして、次の瞬間に翔吾が豹変ひょうへんした。

 周囲の客もびびるほどの、あふれんばかりの闘気が店内を覆う。

 料理の熱さも忘れるほどの、それは殺気にも似た怒りだった。


「……どういうことかな? それは」

「あ、パパ。それは違うんだぞ。斗馬も、優やまことと同じ幼馴染だぞ」

「そうなのか? 刹那。いじめられたり、してなかったか?」

「そういうことはなかったぞ。仲良かったんだぞ」


 刹那は嘘をついた。

 それが、気まずそうな斗馬に伝わる。

 一瞬の間をおいて、翔吾はいつものニコニコお父さんに戻っていった。


「ハッハッハ、そうだったのか。まあ、小さな子供はヤンチャをするものだからな! 三人とも、またうちの刹那と仲良くしてくれよな! ……そうか、優くんが彼氏か……ブツブツ」


 ラーメンを置いて、翔吾は行ってしまった。

 その背を見送りつつ、優はちらりと斗馬を見る。生きた心地もしなかっただろうに、視線に気付いた彼は会計のために席を立っていた。

 洗面器せんめんきみたいなうつわでラーメンを頬張ほおばりながら、刹那は満面の笑みである。

 しかし、後に思い知らされるのだった。

 塩谷刹那は……、と。

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