第10話「武の真髄を抽出せよ!」

 停学なのをいいことに、ゆうは毎日刹那せつなと会っていた。

 イチャイチャとした恋人っぽいことなどは、なにもない。

 とにかく、中学校を卒業したレベルの学力へと刹那を引き上げる勉強会だった。そのへんは刹那の集中力もあって、さして難しくはなかったが。

 放課後になると、まことが来てキャラ作成が始まる。

 それも数日続けば、明日から登校できるという日を迎えていた。


「おっ、来たねー停学少年! 久しぶり、元気だった?」


 槇島まきしまフィットネス&アーツジムに出向いた優たち三人を、咲矢さくやが笑顔で出迎えてくれた。

 もうすぐ帰宅ラッシュを逢える商店街は、お惣菜や料理の匂いが雑多に入り混じって食欲を刺激してくる。そして、ジムにも熱心に汗を流す人たちが十人ほどいた。

 咲矢の話では、このあと仕事上がりの門下生が続々と集まってくるという。

 そんなジムの片隅を、モーションキャプチャーのために貸してもらえることになったのだ。


「そこのサンドバッグ、使っていいからね。ミットとかもあるし、なにかあったら声かけてねぇん。んじゃ!」


 咲矢さんは忙しいらしく、ヨガをやってる女性たちのとこに戻っていった。

 さて、と刹那もパーカーを脱ぐ。

 もうすでに、例のモーションキャプチャー用のスーツを着込んでいた。

 その姿がさらされて、一気にジムの男性陣が視線を殺到させてくる。

 なんか、ちょっとおもしろくない優だった。


「まずは打撃技から頼もうかな。因みに刹那って」

「打撃はムエタイを中心に、ボクシングや空手なんかも少しかじったぞ」

「おっけー、んじゃツールをリンクさせて……と」


 まことがノートパソコンで、細かなパラメータの設定を始めた。

 それで刹那が、サンドバッグに向かって身構える。

 なんというか、堂に入ってて様になってる。

 軽くアップライトに構えた刹那からは、殺気にも似た闘気が溢れ出ていた。目に見えないそれは、同じく例のスーツを着ている優の肌を粟立てる。


「とりあえず適当に色々技を出すぞ」

「ん、よろしく刹那」

「優とまことの頼みなら、なんでもわたしは頑張るんだぞ!」


 まずはワンツー、左右のパンチがシュッシュと繰り出される。

 サンドバッグはリズミカルに鳴って、僅かに揺れては戻ってくる。

 次は、ワンツーからのローキック。基本的なコンビネーションだ。だが、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが洗練されて見える。優が見様見真似みようみまねでやってたのとは、雲泥の差だ。

 そして、技の多彩さが膨れてあふれる。


「次は、逆回さかまわりから、の、ローリングソバットだぞ! そしてこれが……」


 だんだんギシギシとサンドバッグの揺れが強くなる。

 空中での回し蹴り、ローリングソバットは打撃音が高く大きく響く。

 そして、空中に揺られたサンドバッグが戻ってくるところに、


「これがっ、天国の三沢さんに捧ぐ、ムエタイ仕込のエルボー! ティーソークだぞ!」


 ドン! と、刹那の肘が突き出される。

 まるで見えない衝撃波が広がったかのように、サンドバッグは再び天井へと逆立った。

 凄まじい打撃で、でも「三沢さんて誰だろう……?」と思いつつ、優は感心してしまった。それに、キーボードを叩くまことの目が爛々らんらんと輝いている。

 ゾーンに入ったなと優は察した。

 まことは集中力が極限に至ると、完全に自分の世界に入ってしまう。

 彼にとって、今取れたデータはずっと欲しかったものばかりだろう。

 そして、気付けば背後に人だかりができていた。

 門下生もヨガのお姉さんたちも皆、珍しい光景に集まってきていた。


「あ、因みに優クン。修斗しゅうとの試合だと肘は禁止ね、反則」


 ふと気付くと、腕組みニコニコと咲矢が笑っていた。

 やはり、刹那の身体能力は高く、新たな門下生として彼女には誇らしいことなのかもしれない。だが、次の瞬間……咲矢は「げっ!」と、美人がしてはいけない顔になった。

 まだまだ技を繰り出す刹那は、いよいよ本調子という勢いだった。


「あと、こういうのもあるぞ……ソークッ、タット!」

「おバカ! 刹那ちょ、おま! やめれーっ!」


 今度の肘打ちは、まるで居合の剣術にも似た切れ味だった。

 そう、切れ味……全てを切り裂くカミソリのような一撃がサンドバッグを襲う。

 そして信じられないことに、使い古されたサンドバッグが擦り切れた。ズバッと裂けて、まるで出血したかのように砂がこぼれる。

 次の瞬間には、ドヤ顔の刹那を咲矢のライダーキックが襲った。


「肘は反則だって言ってんだろ、馬鹿ぁ! あーあ、サンドバッグ……うちの備品……」

「げふっ! あ、あうう……ごめんなさいだぞ、咲矢さん」

「まー、随分使い込んでたしね。でも本当に、肘は気をつけて。ムエタイで一番危ない技だし、ゲームでならいいけど……頼る癖、つけちゃ駄目よん?」

「うん、わかったぞ」


 とりあえず応急処置で、優も手伝ってガムテープで傷口を塞ぐ。サンドバッグは、まるで鋭利な刃物で切り裂かれたかのような断面を見せていた。

 人間の肉体、肘で打ってこうなるというのが信じられない。

 そして、まことは薄笑いを浮かべながらキーボードを叩き続けていた。


「やっば、やばいよ! こっちを弱パンチの基本に回して、そこから……うは、うはははは! あ、優! 刹那も! 次は投げ技、組技、寝技をよろしく! ……ハァハァ、やっべ! 超やっべ!」


 そう、今日は打撃もだが、密着の距離で投げ技や関節技もサンプリングする予定だ。それで優も、相手役として例のスーツを着込んでいるのである。

 咲矢が付き添って、危険がないように見てくれることになっていた。

 優も一応、最低限の受け身や身のこなしはできる。

 中学の体育で柔道はやったし、モーションキャプチャーのためにYouTubeや専門書を読んだりもした。付け焼き刃の半端な技術だが、刹那を信じて身を任せるしかない。


「よし優! 痛くしないから大丈夫だぞ。ささ、くんずほぐれつするんだぞ!」

「……なんでそんなに嬉しそうなんだい、刹那」


 とりあえず、マットが敷かれた安全な場所で引き続き技のモーションを取る。

 向かい合って立てば、刹那と優では20cm以上の身長差があった。

 それで優には、目線の高さにどうしても豊かな胸の実りを突きつけられる。

 見上げれば、フンスフンスと刹那はやる気十分である。


「えっとじゃあ、刹那。僕のことはサンドバッグだと思って。適当に色々技かけていいよ」

「う、うむ……改めてそう言われると、少し困るな」

「大丈夫だってば」

「優、死なないで欲しいぞ」

「ていうか、死にそうなのはやめてね。痛いから」


 とりあえず、総合格闘技の基本的な動きから頼んだ。基本はジャブやローキックで距離や間合いをはかり、試合を組み立てていく。

 刹那は基本、インファイトの更に内側、零距離ゼロきょりに肉薄してゆくグラップラーである。

 打撃も凄いが、投げ技と関節技はもっと凄いと本人が言っていた。

 咲矢が慎重に見守ってくれてるので、優は不安だがそこまで怖くはない。


「まず、片足タックルだぞ」

「っと、ととと」

「寝かせてスイープしたら、サイドからキープだぞ。これでポイントが入るんだぞ」

「うんうん、それで」

「それで……ムフ、ムフフフ」


 あっさりテイクダウンを取られた優は、そのまま刹那にのしかかられた。

 だが、そこから動きが全くない。

 そして、優はまるで岩と岩に挟まれたように動けなくなっていた。

 身を捩っても、手足をばたつかせても、刹那の抑え込みはびくともしない。


「あ、あのさ、刹那。ここから技をかけたりしないの? 絞めたり、関節技とか。あと、よく見るやつだとマウントポジションに」

「……ずっと、こうしてたいんだぞ」

「いや、ちょっと困る。技が収集できないし、そ、それに、さ」


 刹那の体温がじんわりと圧してくる。そのぬくもりがスーツを通して浸透してくる。

 なんとか首を巡らせ視界を確保すれば、刹那はなんだかうっとりしてしまっていた。なんだか、鼻の下が伸びててニヤニヤしている。

 そして、優は全力で抜け出そうとするが、身動き一つできなかった。

 そうこうしていると、咲矢が刹那をチョップする。


「こら、刹那ちゃん? 塩漬けはいいから、なんか技やんなきゃ」

「はっ! わ、忘れてたぞ……優が柔らかくて、つい」

「はいはいそういうことは二人きりの時にやってねクソがリア充JKかよアタシだって優クンみたいなのとねんごろになりたいわよあーくそ合コン行くしかねえな合コン!」


 ノンブレスで喚き散らしながら、咲矢が刹那を引っ剥がしてくれた。

 そこで改めて、片足タックルから関節技や絞め技、グランドの攻防をやってもらう。心を無にして、優は自分の中の血流を止める気持ちを強く持った。でも、どうしても肌と肌とが気持ちを生み出してしまう。

 雰囲気は全然なのに、いけない妄想が脳裏を駆け巡った。


「これが腕ひしぎ十字固めなんだぞ。あ、優、痛くないか? めてないけど、本気なら腕が折れるんだぞ」

「え、えと、その……胸の谷間に、腕が……なんていうか」

「他には、足関節もかなり使えるんだぞ。ここから、こうして、くるっと回って、裏膝十字固めだぞ」

「む、むぅ……刹那の、太腿、ムチムチで……う、うん、わかった。わかったから」

「グランドの攻防で使う技は無数にあって、最近は柔術のテクニックも勉強してるぞ!」


 その後もアレコレぐるぐる転がされて、色々な関節技を極められた。厳密には関節を極められた訳ではないが、優は顔が真っ赤になってギブアップである。三角絞めの段階で頭を太腿で挟まれて、そこで思考が真っ白になってしまったのだった。

 だが、まことはデータ作成で乗りに乗ってて無茶を言う。


「投げ技も取ってねー? 優、キャラのためだ……自分の持ちキャラのために死んでくれ」

「あのさあ、まこと。僕が死んだらそのキャラ、誰が動かすのって。そ、それより」


 一度離れて立ち上がったら、なんだか刹那は妙な笑顔でツヤテカしていた。逆に、優は妙な熱にあぶられ火照ほてってしまう。これはいやらしいことじゃない、技のモーションキャプチャリングなんだと何度も自分に言い聞かせた。

 だが、刹那はおずおずとしおらしいことを言い出した。塩漬けマスター塩谷さんだけに、面倒臭いことを言い出した。


「優を投げたら、それこそ本当に死んじゃうんだぞ。しかも、受け身を取ったあとも連続でそのまま寝技に持ち込むから、大変なんだぞ。打つ、投げる、極める、この三要素が途切れなく回転して連なる格闘技、それが修斗なんだぞ」


 身の危険を察して、流石にドン引きしてしまう優だった。

 咲矢も指導者としての観点から、半端な受け身の技術はかえって危険だと助言してくれるのだった。

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