第8話「彼女の重み」
結局、その後も色々ジムを見学させてもらい、昼前には帰らされた。
「あらあらー、停学なのぉ……まあでも、しょうがないわネ。刹那ちゃん、お昼食べてくでしょー?」
「
「パスタでも
優の母は、なにも聞かなかった。
まさか、息子とその恋人がひったくり犯をブチのめしたなんて、夢にも思わないだろう。同時に、この人は息子がなにか悪事を働いたとは
信頼されてるなあと思うと、勉強も頑張らなきゃと思う優だった。
だが、今はまだ先程の興奮と感動が熱を持っている。
すぐに刹那を連れて、二階の自室へと招いた。
「散らかってるけど、入って」
「ん、お邪魔するんだぞ! おお、おお……優の、部屋!」
なにも驚くような部屋じゃない。
ちょっと前まで普通の受験生の部屋で、今は高校生男子の部屋だ。
それでも、優の隣でぐるりと周囲を見渡し、スピスピと刹那は鼻息を荒くする。
ジムでお互いシャワーを浴びたから、
「優の部屋、昔とあまり変わってないな!」
「そりゃね。あ、適当に座って」
「て、適当、に……ふむ! では!」
背筋をピンと伸ばして、クッションの上に刹那は座った。
正座だ。
武道をやってるからだろうか、酷く姿勢がいい。
でも、ちょっと肩肘張った雰囲気で、ちょっと堅苦しい。
だから、優はベッドに腰掛けると、横をポンポンと叩いた。
「刹那、こっち来て。大事な話がある」
「ふぇっ!? はわわ……そ、それは、その、こんな真っ昼間から」
「なに言ってるの、そういうんじゃないよ。いいから」
刹那が横に座ると、小さくギシリとベッドが鳴いた。
肩と肩が触れるか触れないか、そういう微妙な距離感が沈黙を呼んでくる。だが、優は気にした様子もなくオプティフォンを取り出した。
ファイティング・ギグ
あっという間に二人の目の前に、ポンポコ10号が現れた。
「あっ、ポンポコ! 優、ポンポコが突然」
「ゲームの立体映像だよ」
「こ、この間のストリートファイトっぽいゲームだな?
「流行ってるなんてもんじゃないよ、知らない?」
「ゲームは、あまりやらないからな」
「そっか」
一通りポンポコ10号を動かし、刹那にオプティフォンを渡す。
驚いた様子で、彼女は自分を指差し固まった。
「基本は、十字キーの八方向入力だよ。ボタンはパンチとキックがそれぞれ弱中強」
「わ、わたしにできるだろうか……よし、やってみよう。動け、ポンポコッ!」
ガチャガチャとは音が出ないが、そんな雰囲気で刹那がオプティフォンに指をこすらせる。ポンポコ10号はぎこちなく基本動作を繰り返し、短い手足で打撃を繰り出す。
「実はこれ、僕がモーションキャプチャーを担当したんだ。自分で取ったの」
「ほへ? それは、つまり」
「僕の動きをパソコンに取り込んで、その動きの通りの技をキャラに持たせてる」
「で、でも、優には尻尾がないぞ」
「そこは少し自作のデータが入ってる。まことが作ってくれたんだ」
「まことが! そういえばなんか、パソコン詳しそうだったぞ」
「それでね、刹那……お願いがあるんだけど」
うん? と真顔で刹那は小首を傾げた。
結った長髪がさらりと揺れる。
真っ直ぐ見詰めてくる刹那を、優も真っ直ぐ見詰め返した。
「実は、格闘技をやってる刹那に、技のモーションを取らせてほしいんだ」
「いいぞ!」
「そ、即答?」
「うん! だって……これは、ほら、あれだな! 身体を求められてるんだな!」
「……違うってーの」
酷い勘違いだ。
でも、それもまた刹那らしい。
そう思って見上げていると、
「そ、その代わり、わたしもお願いがあるんだぞ」
「ん、なんだろ。僕にできることならなんなりと」
「そ、そのぉ、んと……デート」
「うん?」
「せっかく彼氏彼女だから、休みの日にデートに行きたいんだぞ!」
「いいよ」
「即答……お、男らしい。じゃ、じゃあ、今度の日曜日に」
もっと意外なものを要求されるかと思ったから、逆に優は大歓迎だった。ただ、刹那は昔の記憶にある小さな弱い男の子ではない。
見るも美しく、そしてたくましく成長した女の子なのだ。
まだ、その実感がない。
あまりに変わりすぎてて、頭がついてかない。
ただ、胸の奥の心はしっかりときめいてはいた。
改めて、目の前のトップモデルばりな美少女とデート……ちょっと想像できない。
「じゃあ、どこ行こうか。待ってね、アプリを閉じてと」
「えと、んと、買い物!」
「渋谷とか原宿に出る? 電車で30分くらいだけど」
「そ、そゆとこ、行ったことないんだぞ……ずっと
「じゃあ、
「う、うんっ」
珍しく刹那が、満面の笑みを咲かせた。
その笑顔は確かに、あの幼い日々の
そして同時に、彼女のお腹がキュウウと鳴った。
「あ! いや、ちょっと、これは……お腹が空いたんだぞ」
「もうすぐお昼だしね。運動するとお腹が減るよ」
「まだ減量に入る前だから、沢山食べるぞ」
「あ、そっか……えと、総合格闘技?
「階級別に分かれてるからな。わたしはライト級だから、今のままだとギリギリなんだぞ」
「ふむふむ。僕も勉強不足だな、ちょっとググって」
「ま、待て! 待つんだぞ、優っ!」
修斗の日本公式協会を見つけて、そのホームページを開く。あっという間に流行りのショップや原宿事情が遠ざかった。
体重別の階級表が出てきたところで、オプティフォンを刹那が奪おうとしてくる。
「あ、ライト級は70.3kg以下か」
「み、見るなあ! わ、わたしも今だと70kgはあるから、その、試合が近くなったら身体を絞るから、そうすれば軽くなるから」
「そなんだ。結構大変? 減量」
「死ぬほど大変だぞ……」
その日々を思い出したのか、一瞬刹那は苦い顔をした。だが、優のオプティフォンへ伸ばした手は引っ込めない。
優は優で、ルールや技などが見たくてベッドの上を逃げる。
グイグイ刹那が巨体で迫る分、身を反らして手を避ける。
そうしていると、あっという間に刹那に押し倒されてしまった。
「さあ優! そういうのはわたしのいないところで見るんだぞ!」
「ちょっと待って、とりあえずブックマークして、と……あ」
「あ? ん、んんんんっ!? こ、これは、違うんだぞ! はしたないわたしじゃないんだぞ! 肉食ではないのだ!」
気付けば二人は、ベッドで上下に向き合っていた。
そして、時が止まる。
優は、刹那の大きな瞳に映る自分を見上げる。なんか、ちょっとパッとしない少年がそこにはいた。頬が熱くて、刹那の吐息が肌をくすぐる。
刹那は
「……優、わたしはライト級なんだぞ」
「う、うん」
「70kgは……女の子としては、おデブな方かもしれないんだぞ」
「いや、刹那の場合背が高いから……胸もお尻も大きいし、脚も太いし」
「そこはちょっと……気にしてるんだぞ」
「あ、ごめん。でも、いいと思うよ? あるがままが一番なんだし、立派な体格に生まれてよかったと思うよ。格闘技、続けていくんだよね? 刹那」
「うん……わたしはパパの
それが刹那の夢。
人気絶頂の一番
そして、世間のメディアに散々叩かれ、刹那を連れてこの街を離れたのだった。
その試合を、確か優もみんなとリアルタイム中継で見ていた気がする。
刹那にとっては、尊敬する父の最後の大舞台だったという訳だ。
「ねね、刹那。ちょっとちょっと」
「う、うん? あ、あああっ! そ、その、ごめんなさいなんだぞ! なんか」
「いや、ちょっと、いいから。こう……少しだけ抱き締めてみていい?」
返事も待たずに、意外と細い腰に両手を回す。そしてそのまま、下からぎゅってしてみた。優の上にしっかりと、70kgのぬくもりが覆いかぶさってくる。実は2。3kgくらいサバを読んでるのでは? と思うくらいには重かった。
その重み、確かな存在感を確認して、ポンポンと刹那の背中を叩く。
「ん、別に対して気にすることないんじゃないかな。重いけど」
「重いって言った! う、うう……恥ずかしい」
「体重の数字と付き合う訳じゃないからね。どれ、そろそろご飯にしようか」
小さく
部屋のドアがノックされ、返事も待たずに開かれたのはそんな時だった。
「優、刹那ちゃんも! お昼ごはんできた、わ……よ? あらあ? あらあら! まあまあ!」
突然現れた母によって、今度は優が真っ赤になって対応するハメになったのだった。
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