第8話「彼女の重み」

 結局、その後も色々ジムを見学させてもらい、昼前には帰らされた。

 咲矢さくやさん、思ったより凄く生真面目きまじめ、そして良識派である。

 ゆう刹那せつなと共に、大人しく三日の停学期間を始めることにしたのだった。


「あらあらー、停学なのぉ……まあでも、しょうがないわネ。刹那ちゃん、お昼食べてくでしょー?」

御馳走ごちそうになります、義母さん。お腹がペコペコなんだぞ」

「パスタでもでましょうかねえ」


 優の母は、なにも聞かなかった。

 まさか、息子とその恋人がひったくり犯をブチのめしたなんて、夢にも思わないだろう。同時に、この人は息子がなにか悪事を働いたとは微塵みじんも考えないのだ。

 信頼されてるなあと思うと、勉強も頑張らなきゃと思う優だった。

 だが、今はまだ先程の興奮と感動が熱を持っている。

 すぐに刹那を連れて、二階の自室へと招いた。


「散らかってるけど、入って」

「ん、お邪魔するんだぞ! おお、おお……優の、部屋!」


 なにも驚くような部屋じゃない。

 ちょっと前まで普通の受験生の部屋で、今は高校生男子の部屋だ。

 それでも、優の隣でぐるりと周囲を見渡し、スピスピと刹那は鼻息を荒くする。

 ジムでお互いシャワーを浴びたから、かすかにシャンプーの匂いがした。


「優の部屋、昔とあまり変わってないな!」

「そりゃね。あ、適当に座って」

「て、適当、に……ふむ! では!」


 背筋をピンと伸ばして、クッションの上に刹那は座った。

 正座だ。

 武道をやってるからだろうか、酷く姿勢がいい。

 でも、ちょっと肩肘張った雰囲気で、ちょっと堅苦しい。

 だから、優はベッドに腰掛けると、横をポンポンと叩いた。


「刹那、こっち来て。大事な話がある」

「ふぇっ!? はわわ……そ、それは、その、こんな真っ昼間から」

「なに言ってるの、そういうんじゃないよ。いいから」


 刹那が横に座ると、小さくギシリとベッドが鳴いた。

 肩と肩が触れるか触れないか、そういう微妙な距離感が沈黙を呼んでくる。だが、優は気にした様子もなくオプティフォンを取り出した。

 ファイティング・ギグセブンを立ち上げ、キャラクターを呼び出す。

 あっという間に二人の目の前に、ポンポコ10号が現れた。


「あっ、ポンポコ! 優、ポンポコが突然」

「ゲームの立体映像だよ」

「こ、この間のストリートファイトっぽいゲームだな? 流行はやっているのか」

「流行ってるなんてもんじゃないよ、知らない?」

「ゲームは、あまりやらないからな」

「そっか」


 一通りポンポコ10号を動かし、刹那にオプティフォンを渡す。

 驚いた様子で、彼女は自分を指差し固まった。


「基本は、十字キーの八方向入力だよ。ボタンはパンチとキックがそれぞれ弱中強」

「わ、わたしにできるだろうか……よし、やってみよう。動け、ポンポコッ!」


 ガチャガチャとは音が出ないが、そんな雰囲気で刹那がオプティフォンに指をこすらせる。ポンポコ10号はぎこちなく基本動作を繰り返し、短い手足で打撃を繰り出す。


「実はこれ、僕がモーションキャプチャーを担当したんだ。自分で取ったの」

「ほへ? それは、つまり」

「僕の動きをパソコンに取り込んで、その動きの通りの技をキャラに持たせてる」

「で、でも、優には尻尾がないぞ」

「そこは少し自作のデータが入ってる。まことが作ってくれたんだ」

「まことが! そういえばなんか、パソコン詳しそうだったぞ」

「それでね、刹那……お願いがあるんだけど」


 うん? と真顔で刹那は小首を傾げた。

 結った長髪がさらりと揺れる。

 真っ直ぐ見詰めてくる刹那を、優も真っ直ぐ見詰め返した。


「実は、格闘技をやってる刹那に、技のモーションを取らせてほしいんだ」

「いいぞ!」

「そ、即答?」

「うん! だって……これは、ほら、あれだな! 身体を求められてるんだな!」

「……違うってーの」


 酷い勘違いだ。

 でも、それもまた刹那らしい。

 そう思って見上げていると、流石さすがに刹那は赤面にうつむき目を逸した。


「そ、その代わり、わたしもお願いがあるんだぞ」

「ん、なんだろ。僕にできることならなんなりと」

「そ、そのぉ、んと……デート」

「うん?」

「せっかく彼氏彼女だから、休みの日にデートに行きたいんだぞ!」

「いいよ」

「即答……お、男らしい。じゃ、じゃあ、今度の日曜日に」


 もっと意外なものを要求されるかと思ったから、逆に優は大歓迎だった。ただ、刹那は昔の記憶にある小さな弱い男の子ではない。

 見るも美しく、そしてたくましく成長した女の子なのだ。

 まだ、その実感がない。

 あまりに変わりすぎてて、頭がついてかない。

 ただ、胸の奥の心はしっかりときめいてはいた。

 改めて、目の前のトップモデルばりな美少女とデート……ちょっと想像できない。


「じゃあ、どこ行こうか。待ってね、アプリを閉じてと」

「えと、んと、買い物!」

「渋谷とか原宿に出る? 電車で30分くらいだけど」

「そ、そゆとこ、行ったことないんだぞ……ずっと田舎いなかにいたから」

「じゃあ、物見遊山ものみゆうざんってことで、そこらへんぶらつこうよ」

「う、うんっ」


 珍しく刹那が、満面の笑みを咲かせた。

 その笑顔は確かに、あの幼い日々の面影おもかげがある。

 そして同時に、彼女のお腹がキュウウと鳴った。


「あ! いや、ちょっと、これは……お腹が空いたんだぞ」

「もうすぐお昼だしね。運動するとお腹が減るよ」

「まだ減量に入る前だから、沢山食べるぞ」

「あ、そっか……えと、総合格闘技? 修斗しゅうとってやっぱり減量とかあるんだ」

「階級別に分かれてるからな。わたしはライト級だから、今のままだとギリギリなんだぞ」

「ふむふむ。僕も勉強不足だな、ちょっとググって」

「ま、待て! 待つんだぞ、優っ!」


 修斗の日本公式協会を見つけて、そのホームページを開く。あっという間に流行りのショップや原宿事情が遠ざかった。

 体重別の階級表が出てきたところで、オプティフォンを刹那が奪おうとしてくる。


「あ、ライト級は70.3kg以下か」

「み、見るなあ! わ、わたしも今だと70kgはあるから、その、試合が近くなったら身体を絞るから、そうすれば軽くなるから」

「そなんだ。結構大変? 減量」

「死ぬほど大変だぞ……」


 その日々を思い出したのか、一瞬刹那は苦い顔をした。だが、優のオプティフォンへ伸ばした手は引っ込めない。

 優は優で、ルールや技などが見たくてベッドの上を逃げる。

 グイグイ刹那が巨体で迫る分、身を反らして手を避ける。

 そうしていると、あっという間に刹那に押し倒されてしまった。


「さあ優! そういうのはわたしのいないところで見るんだぞ!」

「ちょっと待って、とりあえずブックマークして、と……あ」

「あ? ん、んんんんっ!? こ、これは、違うんだぞ! はしたないわたしじゃないんだぞ! 肉食ではないのだ!」


 気付けば二人は、ベッドで上下に向き合っていた。

 そして、時が止まる。

 優は、刹那の大きな瞳に映る自分を見上げる。なんか、ちょっとパッとしない少年がそこにはいた。頬が熱くて、刹那の吐息が肌をくすぐる。

 刹那はまばたきすら忘れて硬直していた。


「……優、わたしはライト級なんだぞ」

「う、うん」

「70kgは……女の子としては、おデブな方かもしれないんだぞ」

「いや、刹那の場合背が高いから……胸もお尻も大きいし、脚も太いし」

「そこはちょっと……気にしてるんだぞ」

「あ、ごめん。でも、いいと思うよ? あるがままが一番なんだし、立派な体格に生まれてよかったと思うよ。格闘技、続けていくんだよね? 刹那」

「うん……わたしはパパのかたきを取るんだぞ。あと……修斗が楽しんだ、凄く」


 それが刹那の夢。

 人気絶頂の一番あぶらが乗った時期に、刹那の父は異種格闘技戦で負けた。無名の柔術家に、世界最強と言われた覆面レスラーのマスク・ド・ケルベロスは敗北したのだ。

 そして、世間のメディアに散々叩かれ、刹那を連れてこの街を離れたのだった。

 その試合を、確か優もみんなとリアルタイム中継で見ていた気がする。

 刹那にとっては、尊敬する父の最後の大舞台だったという訳だ。


「ねね、刹那。ちょっとちょっと」

「う、うん? あ、あああっ! そ、その、ごめんなさいなんだぞ! なんか」

「いや、ちょっと、いいから。こう……少しだけ抱き締めてみていい?」


 返事も待たずに、意外と細い腰に両手を回す。そしてそのまま、下からぎゅってしてみた。優の上にしっかりと、70kgのぬくもりが覆いかぶさってくる。実は2。3kgくらいサバを読んでるのでは? と思うくらいには重かった。

 その重み、確かな存在感を確認して、ポンポンと刹那の背中を叩く。


「ん、別に対して気にすることないんじゃないかな。重いけど」

「重いって言った! う、うう……恥ずかしい」

「体重の数字と付き合う訳じゃないからね。どれ、そろそろご飯にしようか」


 小さくうなずき、おずおずと刹那が離れようとする。

 部屋のドアがノックされ、返事も待たずに開かれたのはそんな時だった。


「優、刹那ちゃんも! お昼ごはんできた、わ……よ? あらあ? あらあら! まあまあ!」


 突然現れた母によって、今度は優が真っ赤になって対応するハメになったのだった。

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