第6話「槇島フィットネス&アーツジム」

 翌朝登校してすぐ、ゆう刹那せつなと共に校長室へと呼び出された。

 そして、朝からこっぴどく小一時間説教されたのだった。

 入学式の日に事件、そして授業初日に三日間の停学を喰らった。

 その話はあっという間にうわさになり、背びれ尾びれがついて学園を駆け回る。荷物を取りに優が教室に戻ると、刹那とのただれた男女関係が密やかにささやかれていた。

 勿論もちろん、刹那がキッパリ「まだそこまでの関係ではない」と否定したが。

 そんな訳で、いきなり停学になって帰宅することになったのだった。


「むむむ、停学……せない。優、わたしはなにか悪いことをしたのか?」

「いや、まあ、そうじゃないけど。危ない橋は渡ったかな」

「凶器攻撃にはわたしも慣れている。パパも栓抜せんぬきやパイプ椅子で散々やられたものだ」

「でもナイフは危ないよ。まあ、怪我がなくてよかったけどね」


 まことも無傷だったし、誰も痛い思いをしなかったのがいい。

 そのまことがノートを取ってくれるとのことで、大人しく停学処分を受け入れることになった。

 朝の商店街はなんだかまだまだ閑散かんさんとしてて、制服姿で並ぶと少し目立つ。

 まして、大きく身長差のある凸凹デコボココンビだから尚更だ。


「ん、あのさ、刹那。このあと、ひま?」

「予定はないぞ」

「あ、じゃあちょっと付き合ってくれない?」


 何気ない言葉だったが、刹那はシュボボン! と真っ赤になった。

 なにを勘違いしているのか、あわあわと口ごもる。


「なっ、なな……わたしたちは付き合ってるのだぞ? わたしはもう、優のものだぞ!」

「そういう意味じゃなくてさ」

「そ、そうか! とりあえず、手を繋ぐか? 腕を組むか!」

「ん、別にいいけど」


 だが、身長差がありすぎて腕を組んでも男女あべこべの状態だ。なんだか、刹那の腕にぶら下がっているとでも、ちょっと不思議な懐かしさが込み上げてくる。


「刹那のジム、行ってみたいんだ。なにか格闘技、やってるんだろ?」

「む? そんなところにか?」

「昨日の技のキレ、身のこなし……素人しろうとじゃないよね」

「中学まではレスリングをやってた。あとは、ムエタイと柔術、そして修斗しゅうとだ!」

「修斗?」


 聞き慣れない単語で、歩きながらオプティフォンでググる。

 修斗、つまりはMMAMixed Martial Arts、総合格闘技のことである。

 投げる、つ、そしてめる。

 投げ技、打撃技、関節技の三要素を自由に組み合わせて戦う競技のことだ。

 それで優は、ぼんやりと思い出した。


「あれ、刹那……それって」

「うん。あの日、十年前にパパが負けた試合……異種格闘技戦の最終戦を見て、わたしは誓ったのだ。強くなる、と。今はだから、優もまことも守れるぞ!」


 グッと拳を握って笑う刹那。

 その真っ白な歯が眩しい。

 確か、それは十年前のビッグマッチだった。

 当時、世界最強の覆面レスラーだった刹那の父、マスク・ド・ケルベロスは無敵だった。華麗な空中殺法にマーシャルアーツ、そして美しいスープレックス……マット界に敵のいなくなったマスク・ド・ケルベロスは外へと敵を求めて闘った。

 空手家、柔道家、コマンドサンボ、カポエラ、そして相撲。

 連戦連勝だった彼は最後、無名の柔術家に秒殺されたのだ。

 そして、刹那はこの街からいなくなったのである。


「あっ、ほら優! あれがわたしの通ってるジムだ。行こう、すぐ行こうっ!」

「因みに刹那、停学中だから外出は駄目なんだけど……大丈夫? 僕はいいんだけど」

「これはただの寄り道だから、外出じゃないぞ。帰ってからが停学だぞ」

「あ、はい」


 雑居ビルの一回に、見通しのいいガラス張りのジムがあった。フロア一面を貸し切ってて、広い室内は中央にリングがある。

 少し視線を感じたので、優は刹那から離れてジムの扉を開いた。

 そこは不思議な空気に満ちていた。

 うっすらと汗の香る中、緊張感に満ちている。

 今は朝の清掃中らしく、みんな真剣な表情で掃除に精を出していた。

 その中で、酷く小柄な女性がこちらに気付いて駆け寄ってくる。


「ありゃ、刹那ちゃん? 学校は? あと、この子は? 見学? ……新規入門!」

「おはようございますだぞ、咲矢さくやさん。わたし、今日から停学なんだぞ。あと、こっちは彼氏の神音優かみねゆう、見学だぞ」

「ちょっと待って、情報量が多い……おばさんにはちょっと情報量が多いよ、リアルJK」


 そう年嵩としかさのようには見えない。

 ほのかにロールした金髪の美人で、美少女とさえ言えた。ひいでたオデコがピッカピカで眩しい。優は珍しく、自分より背の小さな女性に出会った気がした。

 だが、刹那の紹介は容赦がなかった。


「優、こちらは槇島咲矢まきしまさくやさん。オーナーの娘さんで、このジムを仕切ってる。28歳、独身。彼氏いない歴イコール年齢だぞ! でも、凄いテクニックの持ち主なんだぞ」

「ちょ、ちょっと刹那……あ、ども、神音です。なんか、刹那がすみません」


 咲矢は半分涙目になっていた。

 しかし、やれやれと溜息を零す。


「身体もデカけりゃ態度もデカい……ついでに胸もデカい。羨ましい。ま、見学ならどうぞー? 午前中はほとんど誰もいないけど」

「うむ! つまり、どのトレーニング器具も使いたい放題だな!」

「そこ、学生の本分は勉強でしょ。しかも停学? なにをやらかしたの」

「悪漢を成敗して優たちを救ったんだ。うん、正義!」

「……え、昨日の騒ぎってもしかして……こらっ、刹那ちゃん! 言ったわよね、暴力は絶対駄目って! ここで教えた技術を、試合以外で使っちゃ駄目だって!」


 ちょっと咲矢が怒り出したが、あまり怖くない。

 そして、刹那は少ししゅんとしたが、胸を張って応えた。


「大丈夫だ、以前から知っている技だけで倒した。デラヒーバもオモプラッタも使ってない」

「教えてないっての、まだそれ! そういう意味じゃねー! バカー!」


 両手をブンブン振り回す咲矢だが、リーチが全く違うので刹那には届かない。刹那はピッカピカのオデコを手で抑えて、半べその師を遠ざけた。

 そう、多分この人がジムを仕切っているということは、トレーナーさんだ。

 そして、刹那はつい最近入ったばかりの新人ということになる。

 優はやれやれと二人の間に割り込んだ。


「あの、お取り込み中すみません……ちょっと、練習を見せてほしいんです」

「あ、やっぱり見学……ふむ、大歓迎なんだけど。キミも停学?」

「まあ。刹那と共犯だったので」

「ハァ……ま、しょうがない。アタシと刹那でアップして、打撃練習とか、あとマススパーとか? 見てくといーよ。でも、見終わったら帰って勉強しなよー?」


 咲矢の言うことももっともで、見た目は子供なのに良識ある大人の発言だ。優が頷きながら肯定を返すと、ニッコリと咲矢は笑う。

 どうやら、とてもいい人のようである。

 なあなあで子供に接しないところに優は好感を覚えた。

 だが、次の瞬間には背後でイキイキと声が響く。


「優、こっちだ! これはジムで一番デカいサンドバッグだ。普段は混んでてなかなか使えないんだぞ。ムフー! 貸切状態!」


 刹那はまるで、ドックランに連れてきた大型犬みたいに張り切っていた。さながらシベリアンハスキーだ。

 そのまま彼女は、瞬時に身構える。

 瞬間、雰囲気が一変した。

 どこかほんやりとしたマイペースな女子高生が消える。代わってそこに現れたのは、冴え冴えとした闘気を発する格闘家……殺気すら感じさせる戦士だった。

 変貌した刹那が、呼吸を整え、吸って吐いて、また吸って。

 そうして息を止めて肺腑に息を留めた、次の瞬間だった。


「――ッ、ハィ!」


 スカートがひるがえって、白い下着が丸見えになった。

 刹那は全力で、眼前のサンドバッグにハイキックを叩き込んだ。しなるむちのような脚が、しなやかに対象へとめり込んでゆく。

 そして、鎖でぶら下げられたサンドバッグは大きく天井へとスイングした。

 もうちょっとでひっくり返りそうになる程だ。

 刹那も蹴り抜いて一回転、そしてニカッと笑って振り返る。


「どうだ、優! わたし、強いぞ!」

「う、うん。やっぱり……ああ、それでね、刹那」

「これならいつか、パパのかたきも討てるのだ! フフフ、待ってろよ――」

「危ない、よ?」


 その時、空中で戻ってきたサンドバッグが刹那を襲った。

 ぼよん! と弾かれて刹那は倒れ込む。

 さらに、駆け寄った咲矢がすかさずその腕を取って逆関節を極めた。いわゆる、腕ひしぎ十字固めというやつである。


「こんの、馬鹿娘ばかむすめがーっ! アタシいつも言ってるよね? 準備運動、ストレッチ! アップしてからなんでもやりなさいって!」

「い、痛い、痛いぞ槇島さん。腕がもげる」

「怪我したらどうするの! 15歳なんてまだまだ子供なんだから!」

「い、今、この、瞬間、肘を、怪我しそう……たしけて」


 刹那を解放した咲矢は、さっさと着替えるように更衣室を指差す。

 まくれたスカートを直して、肘をさすりながら刹那はその先へ向かった。

 他にもまばらに門下生がいて、今の時間帯は中高年が多い。

 咲矢の話では、会社の重役さんやご隠居さんが、フィットネスに来ているのだという。修斗を始め、柔術からボクシング等の打撃、ダイエットにヨガまで教えてるのがここ『槇島フィットネス&アーツジム』らしい。


「んじゃ、優クンだっけか……あ、そだ。ちょっと、一緒にやってみる?」

「え、いいんですか?」

「体験入学的なものだよん。あ、学校のジャージでいいよ、今日はラッシュガード……っていうのがあって、競技の時に着るやつね? 持ってないでしょ?」


 こうして優は、停学中にも関わらず新しい世界へと踏み出した。

 その先にきっと、明るい発見と気付きがあると今は確信しているのだった。

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