第5話「塩谷さんは甘くない!」

 結局その日は、あれこれやってる間に夕食の時間となった。

 優の家では、週二か週三くらいの頻度でまことも食卓に並ぶ。母が物凄く気に入ってて、猫可愛ねこかわいがりするのだ。でも、それは優なりに母の気遣いと思えばありがたい。

 まことは家族の話はなにもしないし、一人でマンション住まいである。

 という訳で、そのマンションまで夜道を送っていくことになった。


「はー、美味おいしかった。優のお母さん、料理めっちゃ上手い」

「だよね。……なにをどうやったら家で北京ペキンダックが作れるんだろう」

「北京ダックって本当は、外側のパリパリの皮だけ食べるらしいよ?」

「三人で、一匹まるごと食べちゃったね」

「ちょっと、北京ダックっていうより、フライドチキン? ぽかった」


 そぞろに歩けば、まだ夜の七時を少し過ぎた頃合いだ。

 駅前へと向かう通りは、帰宅中の大人で溢れている。そこかしこの店から眩しい声が響いて、晩酌ばんしゃくで盛り上がる気配が街に満ちていた。

 華の首都東京も、国津市くにつしみたいな端っこに来ると片田舎かたいなかのようなのどかさがある。

 下町感ダウンタウン丸出しな商店街を歩けば、春の風まだまだ少し冷たかった。


「つか、優さ……律儀に送ってくれなくてもいいのに。俺だって男だぜー?」

「いや、その格好で言っても説得力ないから」

「えー、やだもー、れちゃうー! ……キモい?」

「うんうん、キモいキモい」


 気持ち悪くはないし、この場合のキモいは深い意味を持っていない。

 ただ、ちょっと人とは違うことは本人が気にしてても、自然に接するのが一番だと優は思う。まこと自身、きっと自分の本当の姿に戸惑っているはずなのだ。

 あくまで自然体、これが優のスタンスで、それは十年前から変わらなかった。

 幼馴染おさななじみは男だけど、中身は女かもしれない。

 そう思うならそうだよ、いいじゃん、というのが優なのだった。


「あ、コンビニ寄っていい? 明日の牛乳なかった」

「ん、おっけ」

「シシシ、優にもなにか安くてンまいお菓子をおごってやろう」

「じゃあ、ハーゲンダッツ」

「いやだから、安くてって言ったじゃ……ん? なんだろ、あっちの方が騒がしいね」


 不意に、人だかりに悲鳴が響いた。

 その時にはもう、一人の男が猛ダッシュでこちらへ向かってくる。体格が良くて、サングラスにマスク姿だ。そして、女物のバッグを抱えている。

 次の声で瞬時に、優には事件を察することができた。


「捕まえて! ひったくりよ! 私のかばん!」


 咄嗟とっさに優は、まことを抱き寄せ道を譲る。

 悔しいが、高校生男子が二人でかかってもかなわなそうだ。トラブルはゴメンだという気持ちもあったし、なにより身近な人間を守ることが最優先だった。

 ちょっと悪いなと思っていると……犯人の男と目が合った。

 その時にはもう、周囲の大人たちが動いてて、鞄が取り返される。

 勇敢な市民たちによって、事件は収束しつつあった。

 筈、だった。


「クソッ! 捕まってたまるかってんだ! オラァ!」


 しまった、と思った。

 すぐにまことをかばったが、あっさりと優は突き飛ばされた。転んですぐに立ち上がった時には、周囲の空気は一変していた。

 わずか数秒で、状況が激変したのだ。

 犯人の男はナイフを取り出し、まことの首根くびねっこを押さえて拘束していた。


「ふおっ! ま、まじかー! 優、大丈夫?」

「いやそれ、僕の台詞せりふ

「道あけろ! どけってんだよ! このお嬢ちゃんがどうなってもいいのか!」


 さっき鞄を取り返してくれたサラリーマンや、飛び出してきた八百屋やおやの大将が固まる。

 誰も動けない。

 そして、優の脳裏に幼い頃の日々が瞬時に蘇った。

 いつも、いじめられてる友達を助けてた。

 それはもう、大昔の過去なのだろうか?

 否、絶対に否だ。

 今でも友達だから。

 あの日ずっと刹那せつなを守ってあげてたから。

 きっと今も、なにかできることがある筈。


「……おじさん、やめたほうがいいですよ」


 周囲が止めるように手を伸べたが、優は一歩前へと踏み出した。

 こういう時、犯罪者を刺激してはいけない。

 理屈ではわかっていたし、優は十分に承知していた。

 だけど、黙ってはいられなかった。


「おじさん、この人数の中でどうやって逃げるんですか? なにかプランは?」

「う、うるせえ、ガキがっ! 彼氏気取りかよっ! ええぇ!」

「この街、国津市の成り立ちは知ってますよね? デジタル都市構想の試験特区です」

「なんだってんだ、黙れよ! 恋人バラバラにされてぇのか!」


 グイと犯人は、光るナイフをまことに近付ける。

 けど、まことはあまり驚いてはいなかった。

 呆気あっけにとられてるという訳でもなく、妙に冷静なのが伝わってくる。

 パニックになっているのは周囲、そして犯人自身である。


「……800,000はちじゅうまん個ですよ?」

「な、なにがだっ!」

「この国津市全体に備えられた、監視カメラです。AR表示のための特殊なカメラで、この場もすでに撮影されてますけど」

「だっ、だったらなんだってんだ!」

「逃げられない、終わりだってことです」


 そう、この国津市は特殊な街だ。

 都市全体が、駅前の中心部から住宅街、町外れの田畑に至るまで完璧にデジタル管理されている。どこにいても高度なAR環境が瞬時に得られるし、オプティフォンさえ持ち歩いていれば世界中と繋がり続けていられる。

 この場の映像は既に警察に知られているだろう。

 サングラスやマスクをしてても、骨格や体格は隠せない。

 歩幅や足跡、声なんかもデータ採取されている。

 そう思っていると、犯人の向こうに目立つ長身が立っているのが見えた。

 人差し指を唇に立てる、それは気配を殺した刹那だった。


「おいガキィ! そこ動くなよ……周りもぉ! 道開けろぉ!」


 大人たちは自然と左右に割れた。

 懸命な判断だと思うし、状況を悪化させているのは優の方かもしれない。

 子供一人でなにができるものか、とも思う。

 だが、なにもできないなんて受け入れられなかった。

 運動は苦手で身体能力も人並み以下、暴力反対が信条の優だ。だけど、親しい人間の危機にはいつも敏感だったし、どういう訳か正義感の行使に躊躇ちゅうちょがないたちだった。

 そして、刹那の視線がなにかを伝えてくるので、小さく頷く。


「逃げても捕まりますよ、だから……その子、放してください」

「おうこら、さっきからなんだぁ? 子供はすっこんでろってんだ!」

「それと、彼……

「……は?」


 一瞬、犯人が目を丸くして固まった。

 まことはエヘヘと照れたように笑みを引きつらせつつ……そっとスカートをたくしあげる。どうやら下着は普通にトランクスをはいてるようだった。

 そして、犯人が混乱に思考を停止した一瞬。

 まさにその瞬間の刹那だった。

 名は体を表す、電光石火でんこうせっかで少女がぶ。

 そう、空中へと長身がひるがえった。


「まこと、頭を低く。そう、それでいい」


 ――

 プロレス技だった。

 両足を伸ばして突き出し、飛んでゆく……ドロップキックって本来、そういうものだと思っていた。だが、刹那の放ったドロップキックは違った。

 犯人の身長を超える高さへ跳躍し、やや下へるように両足で蹴り抜く。

 思った以上にエグくて凶悪な一撃だった。

 犯人が短く「ッグ!?」とだけ零して吹き飛んだ。

 その時にはもう、蹴った反動で一回転して刹那は胸から着地していた。

 すかさず大人たちが動く。


「おいっ! ナイフ落としたぞ! 抑えろ! 拾わせるな!」

「お嬢ちゃん、こっち! こっち来て!」

「もう大丈夫だ、怖かっただろう」


 優の言葉とまことのチラリズムで、犯人に予想外の隙が生まれた。

 その背後を、おおかみのような少女が襲ったのだ。

 吹き飛ばされて転がっていた犯人は、頭を振りながら立ち上がる。

 そして、即座に走って逃げ出した。

 しかし、進行方向には既に刹那が身構えている。


「どけぇ、デカ女ぁ!」

「どかない。今度はわたしが……二人を守る」

「どけっていってんだ、よぉぉぉぉ!」


 男のパンチが空を切る。

 犯人の拳は、たなびく刹那のポニーテイルをかすめるだけだった。

 同時に、怒りのストレートをダッキングで避けた刹那が、そのまま這う影のように低く加速する。

 次の瞬間には、犯人は地べたに這いつくばって悲鳴を上げていた。

 一瞬、なにが起こったか優にもわからなかった。


「あ……タックルして、関節技? えっと、確か」


 突然再会した優の幼馴染おさななじみは、でっかくなって恋人になって、そして何故なぜかグラップラーになっていた。見事な片足タックルでテイクダウンを取るや、流れるように膝十字固ひざじゅうじがためで犯人を絞り上げている。

 完全にきまってるらしく、放っておいたら脚が折れるような雰囲気だった。


「ん、刹那。もういいよ、逃げられないから。放してあげて」

「そうか、よし。優もまことも、怪我はないな?」

「うん、ありがと」


 優は今になって思い出した。

 確か、刹那の父親はプロレスラーだ。

 なるほどそうかと妙に納得していると、おっとり刀で警察官が走ってくる。このあと優と刹那は、こっぴどく交番で説教されてしまうのだった。

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