第3話

 ハイジは見た。

 サブカメラが捉えた断続的な映像。

 そこには、白い鳥が飛んでいた。鳥のようなモーターグライダーは、一人の少女を乗せている。翡翠色の髪をなびかせ、肌は日に焼けて健康的な小麦色だった。

 酷く露出の激しい着衣で、ともすれば半裸に等しい。

 その少女の登場で、突然謎の巨神は動きを止めるのだった。


「な、なんだ? 敵の動きが止まった……え、声? なんだこれ……歌?」


 センサーをチェックし、震える大気の調べを拾う。

 そう、これは歌だ。

 文化というものに頓着がない、おおよそ文化的とは呼べない暮らしをしてきたハイジにもわかる。響き渡るこの旋律、人が楽器のように歌っているのだ。

 そういえば姉も、よく子守唄を歌ってくれた。


「けど、えっ? な、なんで敵が」


 まるで魔法だった。

 少女が空を舞い、踊るように翼を揺らす。そのリズムに乗せてたゆたう歌に、巨神は停止していた。

 一種の音波兵器なのかと疑った。

 歌というのは、ハイジにはイマイチわからない。

 姉の歌は好きだったが、用途や意味がわからないのだ。

 けど、チャンスだった。

 そして見れば翼の少女もなにか光を放っている。


「嘘だろ……発光信号! 脱出船団で使われてるコードだ!」


 すぐにハイジは、愛機デモルセーレを動かす。

 頭部を失ったダメージはあるが、まだ四肢の動きに問題はない。

 早速、機能停止してしまったフミヲのデモルベレトに駆け寄った。そのまま肩に担ぐようにして、同時に両足の接地圧を調整する。

 脳がどんどん重くなってくる感覚。

 接続係数を上げすぎて、チリチリと頭の中が灼けるような感覚だ。

 だが、辛うじて僚機を確保し、長大な対物ライフルも保持する。


「あの翼、脱出しろって言ってる……ついてこいって? 本当かよっ!」


 わからない。

 だが、発光信号の符丁は間違いなく、脱出船団のものである。古くは西暦時代から地球で使用されているクラシカルな通信手段だ。

 つまり、この近くに船団か艦隊、もしくはその両方か一部がいるのだ。

 今はそう考えるしかないし、考えるより先に機体を動かす。

 ハイジはイマジナリ・リンケージ・システムとの接続を弱めつつ、機体を走らせる。

 背後を確認すれば、例の巨神は完全に停止し、立ち尽くしていた。


『っ、ん……あ、あれ? アタシ、寝てた? 何秒くらい?』

「フミヲ、気付いたか」

『離脱、してるの? あっ、アンタ、頭が!』

「さっきやられた。すげえビームで一瞬だったぜ」


 意識を取り戻したフミヲのデモルベレトを、歩調を弱めてゆっくりと降ろしてやる。

 まだセッティングの変更が不完全なのか、デモルベレトはよろけながらも走り出した。それでいいと頷き、ハイジも前を向く。

 サブカメラははっきりと、モニターに白い翼を映していた。

 そして、ようやく歌がかすれて消える。

 歌い終えると同時に、翼の少女は僅かに加速し雲を引いた。


『ハイジ、例のデカブツが動く? ……追っては、こない? なんなのよ、もうっ』

「歌で、止めてたのか? いやそんな、姉さんはそんなこと」

『なに? 歌? そういえば、なんか聴こえてたわ。それに、あの子は誰?』

「わからない。けど、助けてもらったんだと思う」


 緑の大地を、走る。

 酷い揺れで、まるで内蔵がシェイクされているような感覚である。

 かといって、基本的にイマジナリ・トレーサーには重力下での飛行能力はない。専用のオプション兵装が必要だったし、そもそも大気圏内での戦闘自体が稀だった。

 もはや人類には、母なる大地は存在しない。

 幾度か新たな母星を見つけはしたが、敵襲で放棄せざるを得なかった。


「ん、あの子が降りるみたいだ。安全な場所なのかもしれない」

『信用できんの?』

「するしかないだろ。実際、助けられた」


 眼の前に突如、水辺の風景が広がった。

 透き通る水面がどこまでも続いている。そこには、上下逆さまに周囲の密林が映し出されていた。さながら水鏡のようで、大小様々な動物が水場で休んでいる。

 小型のグライダーを着陸させるや、少女はこちらを見上げてきた。

 早速ハイジもデモルセーレを屈ませた。

 コクピットのハッチを解放すると、涼やかな風が吹き込んでくる。


「ふう、空気だ。呼吸できるぞ……っと、それより」


 背後でフミヲも、ヨタヨタとデモルベレトに片膝をつかせた。

 すぐにワイヤーを使って、地面に降りる。

 土の上に立つなんて、ハイジの世代ではとても珍しい経験だった。

 だが、今はその感慨も意識に入ってこない。

 何故なら、歩いてくる翼の少女は……見覚えのある人物だったから。


「え、あ、あれ……嘘、だろ? どうして……ええっ!?」


 すらりと長身で、とてもスレンダーながら引き締まった肉体美の持ち主だった。その少女は、先程光を送ってくれたデバイスを手首に付けている。

 腕時計タイプのもので、やはり船団で広く普及しているモデルだった。

 だが、酷く経年劣化しているし、コンピュータとしての機能は停止していた。

 それよりもハイジが驚いたのは、


「ね、姉さん!? シオン姉さんなのか!?」


 眼の前の少女が、姉と慕った士官のシオンだったからだ。

 いや、よく見れば髪の色やなんかが違う。

 だが、はっきりと懐かしい面影が目の前に迫っていた。

 そして、背後から駆けてきたフミヲの声が、その衝撃を上書きする。


「えっ、シオン? やだ、なんて格好してるの? ……ん、違う。この子」


 謎の少女は、シオンに似ていた。

 シオンとは、計画兵種として精製されたハイジたちを、自分の弟や妹のように可愛がってくれた士官である。純血の地球人類で、艦隊勤務の臨時兵だった。

 そのシオンが、目の前にいる。

 目元など瓜二つで、優しく穏やかな光はしかしそこにはない。

 訝しげに眇めてくる瞳には、警戒心が輝いていた。

 そしてようやく、少女は口を開く。


「小さき神 降りきたる お前 小さき神の、使徒」

「え、えっと……公用語に近いけど、酷い訛りだ」

「ついてこい 安全、保証する この先に、村……小さき神の村 ある」


 まだヘルメットを被っていたフミヲは、バイザーを開きつつ手首のコンソールに触れる。宇宙服を兼ねたパイロットスーツの機能が、彼女の耳元に翻訳機能を起動させていた。

 だが、こちらから放す言葉は通じているのだろうか?

 思わず手を伸べ、ハイジは少女の肩に触れる。


「シオン姉さん! 俺だよ、ハイジだよ。管理ナンバーAs-172058! ハイジだよ!」

「? 意味 わからない シオン……シオンと 違う」

「姉さん、じゃない……?」

「シオン 死んだ わたし その一族 ずっと昔 船、落ちて それが 大昔」


 ハイジは一瞬、訳が分からず瞬きしかできなかった。

 シオンは死んだ、その言葉だけが聞き取れた。

 そして、翻訳機を通して聴いていたフミヲが口を挟む。


「随分変わっちゃってるけど、地球人類の公用語よ。シオンは死んだけど、自分はそのシオンの一族だって言ってる。大昔に落ちた船……船団本隊か護衛艦隊ね」

「ってことは……まさか、あの時の羽耳の攻撃で」

「ワープの座標が狂って、この惑星に船団の一部が落ちちゃった、とか?」

「俺たちも、その光に巻き込まれた……そういう感じか」

「確証はないけどね」


 謎の少女はそれだけいうと、水場で水を飲みだした。

 ハイジもフミヲも、これだけ大量の真水を見たのは生まれて初めてである。船団では全てが循環社会で、無駄な水など一滴もありはしない。全てが資源でリソース、故に一人一人にはほんの僅かしか回ってこないのだ。

 躊躇ったが、ハイジもそっと歩み寄って身を屈める。

 澄み渡る清水には、鼻血の乾いた自分の情けない顔が映った。

 そっと手を伸べ止まり、思い切ってパイロットスーツの上半身を脱いだ。


「ちょ、ちょっと、ハイジ!」

「大丈夫だ。この子も飲んでる。フミヲも少し楽になれよ」

「も、もぉ! 未知の惑星なんだからねっ! 地球型だからって油断しないで!」

「ああ。でも大丈夫なんだ……きっとさ」


 素手になって改めて、水に触れてみる。

 とても冷たい。

 船団で何度も何百年も循環してきた水とは全然違う。船団の配給で回ってくる水は、科学的に完全な洗浄がなされてるとはいえ、なにか妙な薬品の匂いが微かにした。

 そうではなく、今この瞬間に触れているのが、本当の水なのだ。

 両手ですくって、口元に運ぶ。


「う、美味い! フミヲも飲んでみろよ! 多分これが、本物の水なんだ」

「なにそれ、ほんと? ……だ、大丈夫なのよね? だったらアタシだって」


 フミヲも隣に駆けてくる。

 そして、顔をあげたハイジは改めて少女を見やった。


「ええと、君……名前は? 俺は、ハイジ。こっちがフミヲだ」

「わたし クオン シオンの末、クオン 方舟の里 住んでる」

「方舟の里……それが君たちの拠点? そこに俺たちはこれから?」

「違う 方舟の里 遠い すぐそこ エーヴル 村 ある」


 エーヴルという部族だろうか? 原住民なのかもしれない。その者たちが暮らす集落が近く、そこに行けば安全だとクオンは教えてくれた。

 そして小休止を挟んで、三人は改めてエーヴルの村を目指すことになったのだった。

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