第2話

 ハイジは戦慄した。

 背後に巨大な熱源反応がある。

 それも、戦艦クラスの強い反応だ。

 すぐに愛機デモルセーレを立ち上がらせ、同時に舌打ちを噛み殺した。


「くっ、重力化仕様への調整がまだだから……ぐあっ!」


 上体を起こしていたデモルセーレは、そのままヨタヨタと立ち上がって、そして今度はうつ伏せに転倒した。

 地球脱出船団及び、その護衛艦隊は主に宇宙空間での戦闘ばかりだった。

 昔は何度か、地球型惑星を見つけて根付くことを考えた。

 その都度、謎の敵は襲い来る。

 既に人類が安息の地を失い放浪して、数百年が経っていた。


「とにかくっ、重力化仕様へとアップデートを……ああクソッ! 艦隊が遠い、っていうかいない!? 通信不能、データのダウンロードができないっ!」


 そのまま機体を横へと転がす。

 次の瞬間、一秒前のハイジが死んだ。

 巨大な脚が振り下ろされ、地面を踏み抜くように沈み込む。

 今までデモルセーレが寝ていた場所に、巨躯がそそり立っていた。

 全高はゆうに200mはある。

 人型、まるで鎧を着込んだ騎士だ。その装甲は曲線と直線が入り混じって融合し、全身に威厳と威容を飾っていた。張り出た胸や肩の装甲など、恐ろしい程に優美である。

 必死で逃げ惑う中、ハイジの耳を戦友の声が貫いた。


『ちょっとハイジ! 避けて! グズグズしてんじゃないわよっ!』


 フミヲの声が銃声を連れてくる。

 援護の弾丸は無情にも、謎の巨神の表面を奏でて消えた。

 鋭い金属音と共に、悔しげな言葉が響く。


『あーもぉ! 突然どうして重力下なのよ! 照準だって狂うわ!』

「フミヲ、艦隊が近くにいなくて、司令部のメインシステムにアクセスできない! マニュアルでOSを補正、書き換えるしかない!」

『そんなの、どうやって!』

「やるしかないだろ! でなきゃ、この巨神に殺されちまう!」


 そう、巨大な神だ。

 ――巨神。

 そうとしか形容できぬ、あまりにも大きく強い謎の敵性兵器だ。その全身がマシーンでできていることだけが、かろうじて分かる。

 よく見れば、そこかしこに巨神は草木や苔を纏っていた。

 いったい、いつから稼働している機動兵器なのだろう?

 それもそうだが、まるで操縦している人間の気配が感じられない。


「あの羽耳みたいだ……あ、そうか。羽耳、あれって無人機だったのか!?」


 合点がいったのも束の間、どうにかハイジは機体を立ち上がらせた。

 レーダーを確認しつつ、メインカメラの搭載された頭部で左右を見渡す。

 右後方に、フミヲのデモルベレトがどうにか立っていた。対物ライフルを支えにするその機体もまた、フミヲ用に狙撃と索敵の能力を強化したサブリミテッド・ナンバーである。

 デモルセーレと同じ、ダークブラウンのデモルベレトが銃を構える。


『ハイジ、援護するからアンタだけでも逃げて』

「馬鹿を言うなっ! 馬鹿!」

『馬鹿って言った? 二度も! ハイジの癖にっ!』

「馬鹿野郎だよ、フミヲ! ここは二人で切り抜けるんだ」

『野郎って、失礼ね! アタシ、乙女なんだから!』


 飛び交う叫びの行き来が、自然とハイジに生き残る活力をもたらしてくれる。

 フミヲとは精製カプセルを出た頃からの腐れ縁だ。同じロッドの兵士だし、寝食を共に生きてきた仲間、相棒みたいなものだ。

 本人が言うように、黙ってればかわいいとも思う。

 また、狭苦しいコクピットを生きて出て、彼女に会いたいとも思った。

 その瞬間、脳裏に懐かしい声が走る。


 ――ハイジ、しっかりやりなよ? キミ、やればできるんだから。


 姉の声だった。

 姉と慕った、自分を弟にしてくれた人の言葉が突き抜けた。

 瞬間、ハイジは絶望の全てを振り払う。


「姉さん! そうだ、俺はっ! やれば、できる子! 元気な子ぉぉぉぉぉっ!」


 デモルセーレの頭部、バイザーに覆われたツインアイが光る。

 同時に、ハイジは即座にOSの仕様を変更した。


「イマジナリ・リンケージ・システム、接続係数をアップ! 俺の思う通りに、動けえええええっ!」


 機体と自分とを繋ぐ、操縦用のインターフェイスを変更する。自分の思考と想像力を繋いだ力を、より強力に太く広く設定し直した。

 瞬間、ガクン! と脳が揺れて鼻血が溢れ出す。

 パイロットスーツのヘルメットが内側から真っ赤に染まった。

 だが、その邪魔なヘルメットを脱ぎ捨てつつハイジは念じた。


「パラメータ、セッティングをリコール! 再設定! 地球のデータをデフォルトに、誤差範囲+-0.08!」


 ハイジは無理矢理、デモルセーレを一瞬で重力下仕様へと書き換えた。

 大昔、まだ地球で運用されていた頃……イマジナリ・トレーサーの補助システムはAIが担当していた。当時、急激に発達したAIによって世界は刷新されたのだ。

 AIの進化は、現実不可能と思われた完全な汎用戦術兵器、通称イマジンを生み出した。

 そう、あの一瞬までは……シンギュラリティと呼ばれた『致命的な一秒』の時までは。

 結果、地球を捨てざるを得なくなった人類は、AIと決別したのだった。

 変わって、イマジンに直接脳を接続、AIの代替として人間が操縦することになったのだ。


「脚部接地圧、サンプリング! 耐塵、耐湿処理を設定! ――動っ、けえええ!」


 脳が焼き切れるような痛みと熱が襲う。

 そんな中で、ようやくデモルセーレにいつもの操縦の手応えが戻ってきた。

 今、しっかりと大地を踏み締め腰を落とし、デモルセーレがファイティングポーズを身構える。少々のダメージがあるが、まだ戦える状態だった。

 しかし、そびえる壁のような巨躯を前に、戦いになるとは思えない。

 圧倒的に質量が違った。


「フミヲ、俺が時間を稼ぐ! まずは機体を調整、この環境に適応させるんだ! マニュアルでやれ、間違っても接続係数を上げて端折るなよ!」

『接続係数……それよ、それっ! その手があったわ!』

「おい馬鹿、話を聞いてたのかよ! そんな危ないこと――」

『強制介入、フェイズ7へアップ――っ、あああああああっ!』


 昔からフミヲは、手が早くて逸りやすい性格だった。とにかく先走るし、短慮で短気……でも、そんなフミヲに何度も助けられてきた。

 視界の隅で、デモルベレトが震えながら倒れ込んだ。

 イマジナリ・リンケージ・システムは本来、機体制御のためのサブシステムだ。例えば射撃を行う時、パイロットはトリガーを引く。同時にイメージされた『どう撃つか、どこを撃つか』を機体に伝えるためのシステムでもあった。

 その接続を強めることは、脳への負担が増えることを意味していた。

 恐らく、負荷に絶えられずにフミヲは失神したかもしれない。


「クソッ、フミヲ! ……やるしかないっ!」


 瞬時にハイジは悟った。

 ここにきてフミヲは戦闘不能で、その救出と二人での脱出が勝利条件だ。

 間違っても、目の前の巨大な暴君を倒そうなんて思ってはいけない。

 動きこそ散漫で鈍いが、例えば拳がかすっただけでもただでは済まされない。相手はただ動くだけ、手足を繰り出すだけで攻撃になるのだ。

 まるで、人為的に作られた重金属の災害である。

 だが、逃げるという選択肢は既にハイジにはなかった。


「まずは一撃ブチ込んで、隙を作る! その間に、撤退する! フミヲを連れて!」


 だが、生還の可能性は絶望的だった。

 どこかもわからぬ惑星の上で、謎の巨大機動兵器に襲われている。

 見れば、外を飛び交う鳥や動物たちも初めて見る種だ。

 船団で見たライブラリの記録、地球の生態系は全く違う。


「図体が図体だけに、動きは鈍い……一撃で関節部をどこか、ブッ潰す!」


 ぐっとデモルセーレが右腕を腰元に引き絞る。

 ガトリングステークの残弾は、あと数十発ならある筈だ。構造的に弱い関節部、できれば脚部の膝関節へとステークを突き立て、全力で押し込む。穿ち貫く、それしかない。

 だが、決死の作戦を覚悟したハイジを、光が襲った。


「クソッ、ここまで来て弾幕かよっ!」


 巨大な人型は両腕を突き出し、手を広げた。

 その指先から、苛烈な光が迸る。

 あっという間に周囲に火線が走り、一拍の間をおいて炎と燃え上がった。

 周囲の原生林が、すぐに炎に包まれていく。

 回避が遅れたのは、疲労がピークに達していたから。

 既に集中力の限界に達していたハイジは、辛うじて致命打を避けた。

 だが、ビームの雨は容赦なくデモルセーレの頭部を撃ち抜いたのだった。


「サブカメラ、あと全センサー! データを統合して敵の姿を三次元的に脳へ送ってくれ! ここでこのままやられる訳にはいかないっ!」


 接続係数を上げたことで、過去にはAIが受け持っていた負荷を脳味噌に打ち込まれている。その痛みと苦しみは同時に、視覚野に頼らず直接機体の拾ったデータを画像として受け取ることが可能だった。

 それもまた、急激にハイジの生命を削ってゆく。

 そして、彼が見たものは――


「……え? あれ、は……鳥?」


 白い鳥が飛んでいた。

 小さな鳥だ。

 それがすぐに、酷く原始的なモーターグライダーだと知る。ただの翼にそのまま小さなエンジンを付けた、そういう飛行機だった。

 その翼には、一体化するように剥き出しの少女の姿があった。

 一人の少女が突如現れ、翼を駆使して巨神へと飛んでゆくのだった。

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