第3話 心の一句

「どうしよう……旦那近づいてくる……」

「畜生が、なんでこの車に真奈美が乗ってるってわかったのよ」

「……一紗センパイに拾ってもらったコンビニ、家から見えるんです。私殴られた後いつもあのコンビニに居たから見張ってたんだと思います。それで車に乗ったもんだから……」

「後を尾けて、いよいよ止まらないもんだから業を煮やしてって事? でもふつうここまでする?」

「そういう人なんですよ。普段は温厚なんですけど、キレたら行くとこまで行っちゃうタイプの……」


 イカれ旦那を表現する言葉が私のキャッチコピーと似てて少し嫌になる。そういやあれ考えたのも真奈美だっけ。

 え、てかもしかして似てるとこってそこ⁉

 そんなことを思っている間にもイカれた旦那様は近づいてくる。


「でもまぁ、車内に居れば大丈夫でしょ! それより早く警察に電話……」


 瞬間、衝撃音と共にフロントガラスに入る蜘蛛の巣状のひび。振り下ろされたのは金属バットだった。


「真奈美ぃ! 出てこい! 真奈美ぃ!」

「……アンタあんなの相手にしててよくあざで済んでたわね」


 一周まわって最早冷静になってしまった。当の真奈美はというとどこか思いつめた顔。


「私、行きます。私が出ていけばとりあえずこの場は収まります」

「はぁ!? 何言ってんの! 絶対殺されるって!」

「さっきセンパイも言ってたじゃないですか! あざで済んでるって! 旦那はきっと殺すまではしません! だから……」

「ダメだって! それより警察! ほらもう電話繋がってるから!」

「こんな山奥に来るまでに何分かかるんですか! とりあえず私が出ていきます。一紗センパイは刺激しないように車の中で待機しててください」


 そう言ってシートベルトを外す真奈美。


「ちょっと話はまだ……」

「……ドライブ、楽しかったですよ。一紗センパイ」

「ちょっと!」


 真奈美はドアを開け、雨と、怒号と、サイコな旦那が待ち受けるルール無用の深夜の国道に飛び出していった。


 *


「そう! 県道のカーブの多い山道んとこ! 急いできて! もう何されるかわかんないんだから!」


 私はそう怒鳴ると携帯を助手席に放り投げた。

 真奈美は車を降りた後、愉快な旦那とずっと口論している。ひびが入って見づらいフロントガラス越しだがちゃんと目の届く範囲に居る。

 ふいに旦那は凶器のバットを放り投げた、そして流れるように左手で抵抗する真奈美の襟首を掴むとそのまま右こぶしを一発、二発。


「……ああ、これが真奈美の言ってた殺すまではしないってことか」


 確かにバットを捨てた事でその意思は確認できた。でも何だこれは。

 倒れ込む真奈美を引きずり立たせて更に拳骨を都合五発。倒れ伏した真奈美に容赦のないサッカーボールキック。

 なんなんだこれは。


 私は音がしないように運転席のドアを開け、外に出た。真奈美たちまでは約五メートル。


(真奈美、あのクソ女。あんなのと私が似てるだって? 行くとこまで行っちゃうタイプだって? ただの行くとこまでしか行けないチキンな男じゃねーか!)


 私は真奈美夫妻までの距離を縮めながら路上に転がった落石の中で拳大の一番握りやすそうで、一番固く、角のありそうな岩を選んで、右手で包み込んだ。


(そんな糞男に私の大事な車を滅茶苦茶に……修理するって言っても両サイド板金でいくら取られるんだ? 残価設定のローン残ってんだぞ⁉)


 もう旦那は手を伸ばせば届く距離に居た。幸い雨音と、殴り続けることに夢中で背後に私が立っていることにすら気付いていない。私は岩を持った右手を振り上げる。


(こんな奴に私の車を! 大切な車を!)


 ――違うな。車じゃないわ。


「私の大事な真奈美に手ぇ出してんじゃねぇ!」


 そのまま思いっきり旦那の後頭部目指して右手を振りぬいた。骨が割れてひしゃげる感覚。あースカッとした。


 *


「フーッ、フーッ、フーッ」


 知らなかった。人を殺した後ってホントにドラマみたいに息が上がるんだ。


「か、一紗センパイ⁉ 何してるんですか⁉」

「ん、アンタの旦那殺したとこ」

「ええ⁉」


 真奈美が慌てて震える足で旦那の元へ向かい、脈をとる。


「よ、よかったまだ生きてる……」


 安堵の声を上げる真奈美、よく見れば旦那はまだかすかに蠢いていて、唸り声すら上げていた。


「マジかよぉ、ちょっとどいて、もっぺん殴って今度は確実に殺すから」

「もういいでしょう⁉」

「良くない! この手の男は生かしといたら必ずまた真奈美の人生に現れて酷い目に合わせるに決まってる! だから今殺す。殺して山に登って動物に掘り返されないように最低三メートルの穴を掘って埋める」

「一紗センパイ……」

「真奈美、大丈夫心配ないよ。なんたって私は毎週マイホームヒーローを愛読してるから死体処理はバッチリ……」

「カス紗センパイ!」


 真奈美の叫びに私はふっと冷静さを取り戻した。マイホームヒーローは言わなくても良かったか。


「そんなことしたら、一紗センパイが殺人犯になって捕まっちゃうじゃないですかどうしてそこまで……」

「好きだから」

「へ?」

「真奈美のことが好きだからだよ。大好きな真奈美の為なら私はどこまでだって行ける、どこまでだってやれる。だから……」


 足掛け十年近くの思いが溢れてしまった。


「こんな行くとこまでしか行けないまがい物なんかより、私と結婚してくれよ」


 返事を聞く気は無かった。私は岩を掴んだ右手を大きく振り上げ、今度こそ糞野郎の脳天めがけて振り下ろす……途中で、何者かに腕を掴まれた。


「真奈美……⁉」


「盛り上がってる所悪いんだけどねぇ……警察です」


 気付けば辺りは赤色灯に囲まれていた。


「確保ォ!」


 そういえば警察呼んだの忘れてた。(一紗、逮捕寸前、心の一句)

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