第2話 激突
「にーっぽんの未来は!」
「うぉううぉううぉううぉう……」
「せーっかいが羨む!」
「いぇいいぇいいぇいいぇい……」
「ちょっと一紗先輩飲んでなくない⁉ ノリ悪いよー⁉」
「飲めるかボケ! 運転中だぞ!」
深夜のドライブに行くと決めた瞬間真奈美のテンションは百八十度変わった。
カーステから爆音で懐メロを流し、私が買った酒を勝手に開け、インパネの上に堂々と靴のまま足を広げている。
助手席の女王様、懐かしい。
「やっぱ変わりましたね……昔はドリンクホルダーにストロング缶突っ込んで警官とカーチェイスしてたのに……」
「今も昔もそんなイカれた走りはしてない。捏造で失望するな」
「っていうかまだ海につかないんですか⁉ もう飽きましたよー」
「やりたい放題もいい加減にしろよ、あと一時間はかかるの」
「えー、一時間前にはあと二時間って言ってたじゃないですかー!」
「それは……あってんじゃないの」
「はにゃ?」
「ばっっっっっかだねぇ真奈美ちゃん! 馬鹿だねぇー! 大学四年通ったのに引き算ができないなんて馬鹿だねぇー!」
「うるさい! 七年も通ったくせに!」
「でもそんな所が可愛いねぇー! バかわいいねぇー!」
「一紗先輩如きにマウント取られるの死ぬほど腹立つ!」
「その顔のあざもマウント取られて殴られたん?」
車内の空気が一瞬で凍った。そりゃもうビキリと音をたてるのが聞こえるくらいの凍りようだった。
「今それ聞くの、流石に頭ヤバすぎません?」
「そうだよ? 私は何も考えてない頭のヤバイ先輩だからね」
当てこすりのようにぶん投げた私の言葉に、真奈美もお返しとばかりに一言「旦那です」と言葉をぶん投げ返して来た。
「あはは、そりゃあ……そうよねー。若妻の顔を傷ものにするのなんて、旦那って相場が決まってるわな」
「……何が気にくわないんだか、毎日毎日飽きもしないで」
「そーいうのはあれだよ? なる早で行政とかNPOとか頼んないと大変なことになっちゃうよ?」
「顔だけじゃなくて身体中いたるところにですよ。見ます?」
ふいの言葉にドキリとして、よせばいいのに真奈美の白い肌に紫色に変色した拳大の内出血がいくつも花を咲かせているのを想像してしまい、慌てて首を振った。
「ねえ一紗センパイ、何とかしてくださいよ、助けてくださいよ」
極めてセンシティブでシリアスな懇願。だというのに真奈美の口調はどこか軽く、顔には妖艶な笑みまで浮かんでいた。畜生この小悪魔め、自分のDVですら私を惑わす道具にしてくるのか、あー抱きたい。
「なんて、センパイにどうにかできるわけ無いですよね。私が憧れたカス紗センパイならともかく一紗先輩なら猶更」
唐突にアダルティな雰囲気を霧散させて、まるで飽きた玩具を放り出す子供のような口調で真奈美は言った。正直ちょっと助かった。アブノーマルな世界へ引き込まれるところだった。
「どっちも私じゃん」
「別人ですよ。なんかいじらしく〝私は変わってない感〟出してましたけどやっぱり全然違います。この真人間、昔は私のこと好きだったくせに」
出会いは大学二年生の十九歳、そこからの都合十年近くの私の煩悶を……! こいつはいけしゃあしゃあと言い放ちやがった。いけしゃあしゃあと!
怒る気にも、否定する気にも、肯定する気になんてもっとなれずに私は大きくため息をついて言葉を探した。
「煙草、吸っていい?」
ようやく見つかった言葉はこの上なく情けなかった。全く自分の車だというのに。
*
30分ほど愉快なドライブを楽しんだ頃だろうか、私はふと、紫煙の合間に見えるルームミラーから反射する強い光に目がくらんだ。パカパカとハイビームとロービームを切り替える、いわゆるパッシング。
〝煽・ら・れ・て・い・る・?〟
それを理解した瞬間、視界が真っ赤に染まり、血液が沸騰し、私はハンドルを握るただのチンパンジーと化した。
「クソがぁ、雨の深夜の山道で煽ってんじゃねーよチンカスがよぉ」
「道譲るんですか?」
「ハァ⁉ 譲るわけないじゃん。抜きたいんならテメェで頑張れっつの」
今走っている道は片道一車線だが中央線は追い越し禁止の黄色の実線ではなく追い越しの為にはみ出してもいい白の破線、わざわざ路肩に止まってやる理由などどこにもなかった。
まあ楽に追い越させてやる気もさらさら無いが。
私は床を突き破らんばかりにアクセルを踏み込んで加速した。
「ちょ、ちょっと飛ばし過ぎですって!」
「いーのよ! 後ろのバカをルームミラーの点にしてやる! この車は四駆だぞぉ!」
「それ言ったキャラは豚になったじゃないですか!」
補足をするなら豚どころか煽られた瞬間から私はチンパンジーになっているし、この車は四駆ではない(グレードをケチったので2WDだ)。真実は一点、あのクソ煽りーマンをぶっちぎってやるという気持ちのみ。
しかし前のめりでハンドルを握る私のそんな意気込みとは裏腹に、後ろの車との距離は開くどころかあれよあれよという間にバチバチに詰まり始めた。
「ひぃ! ぶつかる! ぶつかる! パッシング止まらないし! クラクションまで!」
「クソがぁ! 急ブレーキ踏んだろか!」
ブレーキパッドに足をかけた刹那、後ろの車が大きく右に逸れ、車の居ない対向車線を使って私のCX-5を追い抜きにかかった。
「畜生……完敗だわ」
真横に並ぶ黒のセダン、このレースの敗北を悟って私の肩の力が抜けた次の瞬間。
ガリガリガリガリガリガリガリ!!!!!!!!
突如セダンは私の車に幅寄せ、というか体当たりしてきた。ベコベコに凹む車体側面の鋼板、折れたサイドミラーが間抜けな音を立ててあっという間に後方へ流れていった。
「な、何考えてんだこのイカれ野郎!」
車は体当たりしてきた後、続けざまにもう一度アタック。避けようとした結果、逆サイドの切り立った山肌にボディをこすりつける事に、またしてもボディの凹む嫌な音と、今度は大量の土砂と落石がボンネットの上や路上に広がった。
「ぎ、ギブアップ!」
息も絶え絶えにそう叫んだ私は渾身の力でブレーキを踏んだ。派手なスキール音とゴムの焼ける匂いの中、私の車はなんとか無事に停車した。
「ハァハァ……! く、狂ってる……スピルバーグの激突じゃないのよ……? ゲェッ! 降りて来た!!!!」
激ヤバ煽りーマンは自分と私の車をベコベコに傷つけただけでは飽き足らなかったようだった。自分の車を私の車の進行方向を塞ぐように停車させると、雨の中だというのに傘も差さずに降りて来る。よく見ると何かを怒鳴っているようでヤバさは倍増だ。
「なんなのよマジで!」
「……あれ、旦那です」
「は?」
「あの車、うちのです。あの運転手、旦那です」
「あーなるほどね」
どうやら私の片思い相手は、とんだエキセントリックな相手をパートナーに選んだようだった。
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