どこまでも行ける女は片思い相手の既婚者を助手席に乗せた時、一体どこまでいけるのか。

助六稲荷

第1話 海を見に行く

 私はどこまでも行ける!行けてしまうのだ!


 大学二年生の時、親に拝み倒して写りの悪い免許証と中古でボロボロのワゴンRを手にしたときの私の感想だ。

 ふと風に誘われれば富士山を望む湖へ、話題のハンバーグが食べたければ一路静岡へといった具合にボロボロの軽自動車は健気に力強く走った。

 そして助手席には、いつも同じ女がいた。


 *


「あ”ー、死”ぬ”」


 運転席の中で私は一人、全ての文字に濁点を付けて息を吐いた。


「ったくあそこの社長最後まで渋りやがってよー。視姦してくるしマジで死ね! おかげでこんな時間だよクソ!」


 時計をちらりと見ると午前二時。今は他県の客先に営業に行った帰り。

 元々浪人して入った大学で、更に遊び倒したことが原因で卒業が三年遅れた私は二十六歳で社会にほっぽり出された。急いで実家にとんぼ返りして就職先を探すも経済が死んでいる土地で履歴書が汚れまくっている私が就けるのはブラックな営業職位だった。


「自分の行いとはいえ、堪えるねー」


 今日は朝五時から働きづめだ。ドリンクホルダーからノールックでエナドリを引き抜き喉に流し込んでから煙草を取り出し火を点けた。


「プラシーボだろうとニコチンだろうと事故んなきゃ正義!」


 アタシは疲れ目をギンギンに充血させて高速をぶっ飛ばし家路を急いだ。


 *


 家から最寄りのインターを見てほっと一心地着く。

 後は二十分ほど下道を走れば暖かいベッドだ。しかし煙草が切れている。


 ――『煙草なんか吸ってるから行き遅れるのよ。いい歳なんだから彼氏の一人でも作って親を安心させようとは思わない訳?』


 脳裏に蘇る母の小言。最近では顔を合わせるたびに言ってくる。


「違いますお母さま。私が彼氏ができず、結婚できないのはクソみたいな会社に勤めているからです」


 脳内母上に中指を立て、コンビニに特攻する。だけど本当は違う。

 私が結婚しないのは、彼氏の一人も作らないのはきっと、あの娘を忘れられないでいるからだ。


 金城真奈美(きんじょうまなみ)。大学時代、サークルで出会い、私が車で何処へ行くにも助手席に座っていた後輩。

 私が留年するたびに関係性は同級生、先輩と変わっていき、最後は私より早く卒業してしまった。


「チッ、あんまし思い出さないようにしてたのに」


 私は真奈美が好きだった、もちろんlikeじゃなくてloveの方で。

 在学中は終ぞ友達関係から抜け出すことはできなかったが、真奈美が私の地元で就職したと聞いて終わった恋心が再び燃え上がった。

 そこから遮二無二単位をとり一年で大学を卒業して実家に帰り、仕事を決めた。これでもう私は恥ずかしい人間じゃない、少なくとも一度、真奈美に思いを伝える程度の権利くらいはあるはずだ!

 私がそう思えた時、真奈美はもう地元の男と結婚していた。


「結婚式に呼ばれた時は、きつかったなー」


 思い出すのは社交辞令で聞いた「旦那さんってどんな人?」という質問に「一紗センパイみたいな人です」と返ってきた最悪の記憶。


 車を降り、コンビニに入ると煙草とついでに酒を買う。今日はもう酒に溺れて寝てしまおう。そう思ってコンビニを出たところでうずくまっている影が目に入った。


(うへー、この時間に酔っ払い? 勘弁してよ)


 関わり合いにならないように少し避けて通る。しかしその動きが目を引いてしまったのか影がやにわ頭を上げた。


「一紗……センパイ……?」


 アタシをそう呼ぶのはこの地元ではただ一人。金城真奈美だけだった。


 *


 ポツポツとフロントガラスを雨が叩く。私は車内の空気が汚れるのも構わずに煙草をふかす。

 助手席には金城真奈美。大学を卒業してからずっと渇望していた状況だというのに、エンジンは冷えたままで車内には重苦しい空気が立ち込めていた。


「……ありがとうございます。車に入れてくれて」


 消え入りそうな声で真奈美が言う。着の身着のままで飛び出したと言った服装のせいか、それとも別の理由か数年前に結婚式で見た時より幾分やつれているように見える。


「まぁ雨降りそうだしね、てか降ってきた。流石に可愛い後輩ちゃんを雨に打たせるようなことはしないよー」


 精一杯おどけて返すも真奈美は目を伏せたままだった。


「まーまー! 気にしないでよ。どうせ帰っても夜更かしな妹に睨まれながら晩酌するくらいしかやることない寂しい独身女だからさ」

「妹さん、いるんですか?」

「言ってなかったっけ? クソ生意気で年が離れた根暗でオタクなのが一人」

「……あんなに一緒に居たのに私一紗先輩の事何も知らなかったんですね」


 その言葉に真奈美の結婚式での眩しい笑顔がフラッシュバックする。


「……私だって似たようなモンだよ」


 私は辛うじてそれだけ絞り出す。まったく、久しぶりの再会だってのに最悪だ。

 正直コンビニの入口で真奈美に声を掛けられた時、偶然の再会に私は内心昂った。でも、コンビニの明かりに照らされる真奈美の顔に殴られたようなあざと泣きはらした痕を見つけてそれは急速にしぼんでいった。


「それじゃどうする? 家近くなら送っていくけど?」

「……はい」


 今、薄暗い車内では真奈美の顔のキズは見えない。だから私も見ない。助けてあげられるかもなんて思わない。そもそも真奈美はブラック企業ですりつぶされてる私なんかの助けなんか必要としていないだろう。成長した私は気づかないふりをして家まで送っていくのだ。


「じゃ、住所言って?」


 真奈美が言う住所をナビに打ち込む。近い、ここから五分もかからない場所。久方ぶりの真奈美とのドライブは歴代最短距離になりそうだ。それにどこかほっとしている自分にちょっと腹が立つ。


「よし出発!」


 何も気づいていない道化にお似合いなバカみたいな元気さで車を発進させる。真奈美の顔は曇ったまま。私はそれにも気づかないふり。


「一紗先輩、車、変えたんですね」

「ん? ああ、流石にもうガタが来てねー。ワゴンRとはお別れして今はこのCX-5。広いし馬力あるし良い車だよ。やっぱ社会人だから車もそれなりのに乗らないとねー」

「仕事してるんですね」

「そりゃそうでしょ。まあギンギンのドブラックだから寿命を換金してる感強いけどね」

「まるでちゃんとした人みたいじゃないですか。大学時代の一紗センパイ、いや、カス紗センパイなら、いまだに将来のことも考えず、大学も中退してコンビニバイトとかで食いつないでそうだったのに」

「それは……」


“それは全部お前に告白するためだよ”って言葉が喉まで出かかったがさすがに情けなさすぎるのでやめた。


「真奈美は車持ってないの?」

「私は……今も助手席が指定席ですから」

「変わんないねー!」

「……」


〝500m先、右折です〟とナビが告げる。その先は真奈美の家まで一本道だ。


「一紗先輩は……変わっちゃいましたね」

「そーお? 何にも変わってないつもりだけどなー!」


〝右折です〟


「いいえ、変わっちゃいました」


〝通り過ぎました、別ルートを検索します〟


「あれ? 一紗先輩、道間違えて……」

「真奈美さぁ……海行こうよ、海」

「ええ……⁉」

「なーんか行きたくなっちゃったんだよねー。それにさ、私のキャッチコピーだったじゃん『私はどこにでも行ける。行けてしまうのだ』ってのがさ」


〝新しいルートを発見しました〟


 正直言ってカチンと来ていた。元来気が長い方ではないのだ。それに、私は失恋とブラック企業なんてありふれたもので変わっちゃうような繊細な神経は生まれてこの方持ち合わせちゃいない。すまんな愛しい後輩よ。

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