第23話 故郷

 渡邉信之助の生まれ育った村は、未だ前時代的な雰囲気である。電線も敷設されておらず、煉瓦積みの建築物等は一軒も無い。

 しかし、若狭の中心街や隣接する町では僅かだが電線も通っており、西洋風建築物も何件か建っている。地方の端々にも近代化は確実に進んでいる様だ。中世から続く、こんな長閑な田舎の風景が見られるのも後、何年有る事だろうか。


 早速、聞き込みを開始すると当然の如く村人は粗、全員が渡邉信之助の事を――彼が起こした事件を知っていた。皆、一様に口が重いものの、彼の事を悪し様に云う者は一人も居なかった。報告書に記されていた通り、彼の人と為りは真面目で温厚、忠義に厚い男の様である。

 しかし、滋賀県警が行った聴き取り調査以上の事は今の処は見つけられない。又、彼が生きていて、其れを匿っているという素振りが有る者なぞも見受けられない。

 彼の生家にも行ってみたが、今は人の住まぬ廃屋となっていた。一応、武家屋敷なので造りは立派だが、流石に十年近く何も人の手が入らぬ為か、所々に朽ちた様子が見られており、物悲しい雰囲気である。

 以前、此の屋敷の下男だった政吉という男に案内を頼んで中に入ると、より一層の年月の経過を感じさせる。庭は高い草に覆われ、屋内の障子や襖は殆どが破れており、かなり荒れた様子である。


「金目の物や家財道具なんかは、手癖の悪い官軍様に粗方、持って行かれちまいましたぁ……。今じゃぁ御覧の通り、蛻の殻でさぁ……」


 政吉は皮肉めいた口調で恨み節を云うが、其れを云っても詮無き事だ。何時の時代も何処の国でも、勝利軍の略奪行為は起きる事なのである。一切の略奪を禁ずる清廉な指揮官も居れば、逆に鬱憤晴らしの如くに略奪を推奨する指揮官も居る。此処に来た指揮官は後者の卑劣漢だったというだけの話――そう、よくある話なのだ。

 屋敷の中心にある広間は、異様な光景だ。畳は全て剥がされ、隅に積まれていた。

床板には大小様々な染が斑に幾つも付いている。如何やら血溜りの跡が乾いた物の様だ。

 良く見ると、壁や柱にも血飛沫が飛び散った跡が有る。此の部屋で誰かが――いや、血の染の量から見て何人かが息絶えた様子が伺える。


「四人もの血が流れたんでさぁ、畳だけじゃぁ吸い取れませんや。ほれ、彼方此方に有るでしょう――大旦那様達の恨みの印がぁ……」


 政吉は脅しを掛けている様だが、生憎と俺には通じない。藤田にも同様である。

 確か報告書に依ると渡邉家当主、渡邉専之助と其の倅、信之助の戦死――幕府軍降伏の知らせを受けた前当主、渡邉権之助は妻と息子の嫁と孫娘を伴い、此の部屋で自決をしたとの事である。所謂、『腹切り』だ。

 以前、笹川巡査に訊いた話では、武家女性の自害方法は心臓を深く付いて即死するか、喉を付き、頸動脈を傷付けての大量失血死なので、比較的早くに死ねるそうだが男性の自害方法は腹を切り裂かねばならず、止めを刺す介錯人が居なければ相当に苦しむとの事である。

 渡邉家の女性達は死に顔から察するに、余り苦しまずに逝けた様子らしいが、権之助は介錯人を頼まなかった為に、大分苦しんだそうである。夜に腹を切った筈だが中々死ねず、朝方に知り合いの者達が訪ねて来て発見する迄、生きていたという。直ぐに介錯がなされて、漸く死ねたとの事である。

 何とも凄惨な自決方法だ……幾ら名誉ある責任の取り方とは云え、切腹とは此の国の悪習の中で、最も酷い行為だろう。


「大旦那様はオラ達、使用人に御隙を下さり、誰にも迷惑掛けずに逝こうとなされたんだぁ……大奥様に若奥様に舞衣様も――皆様、何て健気な御方達なんだぁあ~‼」


 政吉は情に訴えるかの様に、今度は泣き出した。しかし、藤田は素知らぬ顔で他の部屋を探索しており、興味を示さない。暫くすると、此の屋敷に隠れている様子は無いので、そろそろ御暇しようと云う。

 此の男は本当に自分本位で何にも動じない。政吉は露骨に嫌な貌をして、プンプンと怒りながら出て行った。溜息を付く俺の貌を見ると、シレっとした調子で口を開く。


「先程、政吉の家を訪ねた時に屋内を観ましたか? 今は庄屋の小作人をしているという割には、やけに立派な箪笥や家財道具が揃っていたでしょう」


 ああ――成程。


 忠節な元使用人を気取っていたが、一皮剥けば手癖の悪さは官軍様と変わらないじゃねぇか。自分の事は棚に上げて、盗人猛々しいとは此の事だな。藤田は初見で奴の本質を見抜いていたのか。

 しかし、之もよくある事だな。死んだ人間に物は必要無いが、生きている人間には必要なのである。一概には責められぬか……。

 藤田も警官とはいえ、其処等辺は解っているのか別段、奴を捕らえて尋問する気なぞは無い様である。

 暫し、渡邉家の門の前で立ち竦んでいると、通りすがりの赤ん坊を背負った未だ若い女が声を掛けて来た。


「――あのぅ、警官様……」


 少し、おどおどとした感じである。まあ、藤田警部補の貌を見れば、その反応は普通である。赤ん坊の方はスヤスヤと眠っていて良かった、幼児があの兇顔を見たら大泣きは必至だろうからな。仕方が無いので俺が優しく話し掛けると、最初は異国人が日乃本言葉を喋るのに吃驚した様子であったが、其の内に安心した貌で話し始めた。


「警官様が渡邉様の御屋敷から政吉さんと出て来たので、てっきり彼奴を取っ捕まえるのかと思っちゃいまして……彼奴、此の村で評判悪いんですよぅ」


 女の話によると、政吉は渡邉家の者達が絶えた後に、勝手に家財道具を持ち出したとの事である。本人曰く、権之助が死ぬ前に自分にくれると云ったと言い張っていたらしい。


「他の奉公人の人達は、そんな話は聴いてないって云ってんのに……浅ましい盗人野郎ですだぁよ――本当に鼻つまみ者だぁ!」


 女は悔しそうに歯噛みする。

 藤田はヤレヤレといった表情で、証拠が無いから逮捕は出来ぬが、後で軽く御灸を据えてやると伝えると、女は嬉しそうに喜んだ。


「ああ、之で信ちゃんの霊も少しは浮かばれますだぁ……有難う御座ぇます、警官様!」


 何気ない御礼の言葉であるが、妙な違和感を覚える。信ちゃんの霊が浮かばれる……?

 藤田も何かも感じた様であり、俺達は女に軽い尋問を始めた。すると此処で漸く、渡邉信之助の情報を掴む事が出来たのである。そして同時に、俺(達)が探し求めていた件の『人魚の肉』と『オリエントの不死尼僧』の伝説に関する情報へとも繋がっていったのは僥倖であった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る