第24話 お揺の昔語り
女の名は、お
「信ちゃんは――いえ、信之助様は妾より五つ年上でしたが、何時でも気さくに接してくださって……呼び方も信ちゃんで構わないと仰られました。年子の妹の舞衣様も御綺麗で妾等に良くして下さって――本当に御優しい方々でした。
鳥羽伏見で死んだと思っていたら最近迄、生きていたなんて……其れにも驚きましたが雅か其の後、お江戸で――いえ、東京で世間を騒がす恐ろしい辻斬りなんぞになってたなんて、未だに信じられません……」
警察では渡邉信之助は戊辰戦争後に山籠もりの修行をして、あの超人的な力を得たとの結論としているが、嘗ての当人を知る者達の話では、武術や剣術の腕は今一つであり、寧ろ勉学の方が得意だったと口を揃えている。
お揺の意見も同様であり、あの温厚で頭も良い人が腕力で人を千切り殺した等とは、想像も付かぬと云っている。
「まあ、信之助様も妾等も山育ちの田舎者ですんでぇ、足腰は丈夫な方ですけど――それでも人を千切れる様な馬鹿力は有りません!」
お揺が語気を強めた為か、背中の赤ん坊が愚図り始める。お揺があやすも、もう少しで泣き出しそうだ。俺は背嚢の中から干し葡萄を取り出し、食べさせてあげると御機嫌になった。お揺も食べたそうだったので袋ごとあげると、二人して満面の笑みでモシャモシャと食べている。何だか栗鼠みたいで可愛い。
赤ん坊には食べさせ過ぎない様に注意をしておく。
「有難う御座います、異人様ぁ。之、美味しいですねぇ。ああ――そういえば良く、信ちゃん達と山ん中で木の実を採って食べたっけなぁ……信ちゃんは木登りが上手で、高い所に生ってる実を採ってもらったっけ」
「ほう、渡邉信之助は武術の方は駄目だが、山遊びや木登りは得意だったと?」
「はい、信ちゃんは偶に此処等を通る
山窩とは此の国のジプシーの事らしい。独特の文化を持ち、里には定住せずに山々を移動しながら、偶に里者と交流して日用品と山の希少な薬草類を物々交換しているそうだ。
「あっ! そういえば昔、信ちゃんが山窩から『八百比丘尼』の秘密を聴いたなんて云ってた事もあったっけなぁ」
遂に辿り着いたか⁉ 俺と藤田の思惑は多少異なるが、奴も興味を示している。互いに顔を見合わせ頷き、此の話を掘り下げていく。
お揺の話によると、渡邉信之助が十三の歳に山に入ってから数日間、戻らなかった騒ぎが有ったとの事。本人曰く、来るべき決戦に備えて山籠もりをしていたと云うが家人達からは、こっぴどく叱られていた。不思議な事に服はボロボロになっていたが身体には僅かな、かすり傷しか無かったという。そして後に信之助から、興奮した趣で聞かされた話が『八百比丘尼』の話だった。
【いいかい、お揺。之は内緒の話だよ。俺は山籠もりの修行をしていたんじゃぁない、実はねぇ――八百比丘尼様の『隠れ庵』を見つけに行ってたんだ。そして見つけたんだ!】
若狭の者であれば、『八百比丘尼』や『人魚』の話は誰でも知っている。だが、それは御伽噺としてである。そんな馬鹿なと一笑に付したら、珍しく信之助が怒ったという。
【嘘なものか! 山窩の連中に大枚一両はたいて、案内してもらったんだ‼ まあ、奴等にとっては禁忌の場所だそうだから、途中で引き返したけどね。だから、直に八百比丘尼様に逢ったのは俺だけだよ。『隠れ庵』に行く迄はそりゃあ大変な道程だからさ、幾月も掛けて下準備をしてたんだ。危険な斜面を幾つも超えてねぇ、御蔭で身体中傷だらけさ……】
でも、大した怪我無く戻って来た筈だ。すると信之助は得意げに云った。
【それはね、八百比丘尼様秘伝の薬の御蔭さ。流石に希少な物らしく、余分に頂く事なぞ出来なかったがね。兎に角凄い秘薬だよ――傷でも怪我でも、あっという間に治ってしまうのだから……】
「貴女は其の話を信じているのですか?」
「雅かぁ、信じちゃいませんよぉ。でも、あの山奥を登って大した怪我もしないなんて一寸、不思議には思うなぁ……幾ら信ちゃんが高い所ぉ、登るのが上手とはいえ……」
「貴女以外二、其ノ話ヲ知ッテイル者ハ居ルノデスカ?」
妹や仲の良い者、数名には話したそうだが其の仲間達も鳥羽伏見で皆、亡くなったそうである。後一人、隣村に嫁いだ美代という女が話を聴いているそうだが、お揺曰く「お美代ちゃん、お馬鹿だから忘れちゃってるかも」との事だ。
因みに『隠れ庵』の有る場所は何の事は無い、渡邉家の直ぐ裏の山中だという。お揺の説明でも目印になる所が多く、山狩りに入っても迷う事は無さそうだ。地元民も登らぬ急斜面や急勾配も、俺と藤田の身体能力の前には問題無いだろう。今日は直に日も暮れるので、山狩りに入るのは明日の早朝からになるな。
貴重な情報が入手出来て良かったが、もう一つ気になる事がある。お揺は政吉を叱れば「霊が浮かばれる」と云ったのだ。其の事についての話を聴くと、お揺は再度語気を強めて云ったが、赤ん坊は干し葡萄に夢中で愚図らなかった。
「そうですよぉ! 妾、見ちゃったんです‼ 信ちゃんの幽霊をっ‼」
二十日程前の深夜に子供の夜泣きが中々止まないので、おんぶしてあやしながら此の辺りを散歩していると、無人である筈の渡邉家の中から、すすり泣く声が聴こえてきたという。丁度、其の頃は怪力無双の辻斬り事件の報が飛び交い、渡邉信之助の聴き取り調査の為に大勢の警官が来て、此の村が大騒ぎをしていた時だったそうだ。
「『爺様ぁ……婆様ぁ……母上ぇ……舞衣ぃ……』って、恨めしそうな声で――あれは間違い無く、信ちゃんの声でした!」
「中に入って、確認したのですか?」
「えっ! いや、妾、その――おっかなくて……。門の前で必死に手を合わせて、拝んでましたぁ。幾ら信ちゃんとは云え、幽霊に逢う度胸は無くて……で、でも、声は絶対に聞き間違わ無えですだぁ!」
成程、姿は見てはいないのか。しかし、幼馴染の言う事となれば信憑性は有る。
「信ちゃんの霊が帰ってきて、御家族の可哀想な最後を知って嘆き、家財道具が無くなっている事にも嘆いていたんですよぅ。政吉の手癖の悪さは信ちゃんも知ってますから――彼奴ぁ、奉公人の分際で御屋敷の物ぉ、盗み食ってたのを何度も見ている筈です。だから、家の物を勝手に持ってったのが政吉だと気付いてます‼」
随分と勝手な思い込みだが、半分は合っていると云っても良いだろう。藤田は「長々と話をさせてしまい申し訳ありません、御蔭で有益な情報が頂けました。御礼に政吉には、しっかりとヤキを入れておきましょう」と、凡そ警官らしからぬ台詞を吐くが、お揺は大喜びで「之で信ちゃんの霊も成仏出来ますだぁ」と云って、ほっと息を付き安堵している。
俺も長話の御礼に今度はクッキーをあげた。お揺は見慣れぬ御菓子に最初は戸惑っていたが、一口食べると子供の様にはしゃいで喜んでいた。御口に合って何よりだ。 赤ん坊にあげる時には、少し湯でふやかしてから食べさせる様にと伝えておく。
「シンノスケ・ワタナベガ若狭二帰ッテ来テ、件ノ『隠レ庵』二居ルト思イマスカ?」
「断言は出来ませんが、勘で云えば十中八九……」
明日は早朝から山狩りに決定だな。
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