第18話 コドクナゴウコク

『人間の愚かさはある意味美しさだ。私はその人間の愚かさを憎み、愛したい。』—16進数で書かれた作者不明文章『4d616368696e652073616964』より


 寝袋の温かみを噛み締めつつ、覚めそうな夢を覚まさまいとしていた時、僕はオルゴールというには不器用な音で目覚めた。

 その音楽は曲調自体は明るいのだが、どこか身震いするような不気味さを持っており、2度3度と起こさないと起きてこないグーニですら目を覚まして寝袋に顔を埋めて震えていた。


「何…なんだこれ…?」

「ピーノ…怖い…!」

 グーニは僕に縋りつき、腰はすっかり抜かしている様子だった。

 そのグーニの恐怖心は正しかったらしい。音楽は街道の曲がり角にある錆びた機械から流れていた。そして不気味な音楽に続けてグランティの声より無機質な声が、ゆったりとした声で話し始めた。

『全国民に告ぐ、核攻撃、核攻撃、核攻撃、頑丈な建物や、頑丈な建物や、地下に、地下に、避難せよ、避難せよ、避難せよ。繰り返す、繰り返す、核攻撃、核攻撃』

 そのセリフの後、最初の音楽がまた流れ始めた。

 そして音楽のバックに一定リズムを刻みながら音の高さを上げていく甲高い…サイレンというべきだろう。それが急かすように流れ始めた。

 ……おそらくこれは、言語を知らずとも勝手に恐怖心を覚えるような物なのだろう。


 大きな不安が影のように地面を這って、僕の背後に立ったかのような感覚に襲われ、全身の毛が逆だったように感じ、僕は気づいた時には荷物をまとめ、グーニの手を引きながら崩れていない建物に駆け込んだ。

 同じ音と声が4度ほど繰り返された後、いつも以上の静けさが街道を襲った。

 怖がるグーニを奥に押しやり、僕は慎重に外の様子を伺った。


「カクヘイキはもう無くなったはず…」

 おそらくこの放送は図書館と書店の絵本で見た『緊急即時警報 E I A システム』の放送だ。大きな被害が予測される事態に備え、避難などを行えるようにするための。

 だけど多分、避難するような人もヘイキを使うような人もここには…いや、どこにもいない。

「安全だと思うけど…行く?」

 グーニは首を大きく振った。すぐに寝袋に潜り、耳を塞いでる様子だった。


 放送から数秒後、また短い放送を発した。

『着弾予想、30秒前。着弾予想、30秒前。着弾予想、30秒前。』

『3…2…1…』

 少しのノイズが入った後、いつもの弱い風切り音が鳴ったのみで、変わらない街道がそこにはあった。


「僕も寝覚めが悪かったし、もう少し寝袋にいるよ。今日は好きなだけ寝ていいよ」

「う…」

 グーニの返事は声にならなかった。

 グーニがこうして怖がる時は大抵碌でもないことが起きるか、グーニの怖がることが起きる。まるでなまずだ。

 グーニが寝ついた後、僕はできるだけ起きないようにコートのフードに手袋を挟んで、バッグから本を取り出した。

 書店で見つけた面白そうな本。『軌条の死体』タイトルからも、書き初めからも物語の終着点がまるで見えないのが本の魅力だ。


 本の表紙の裏に発行年数が書いてあった。1982年…ざっと600年前の本だろうか。

 計り知れない過去の書物でも、食べ物と違っていつまでも読めるのはさすが人類技術象徴累積だ。


 物語の中で4人の子供たちが橋の上を汽車に追われながら死に物狂いで走り始めた頃に、またザザ、という短いノイズが聞こえた。

 僕はコートを脱いでグーニの頭に重ねがけし、一応記録を取ろうとノートを取り出した。

 そしてさっきとは違う音楽が流れ始める。曲が変わってもその不気味さは変わらず、コートを脱いだのも相まってノートに弱々しい曲線が描き出された。


『ロノグラード市より、地震警報。ロノグラード市より、地震警報。大型地震が、発生しました。大型地震が、発生しました。地域指定の、避難セクターへ、避難してください。地域指定の、避難セクターへ、避難してください。繰り返し…』


 その後音楽が流れることはなく、その代わり『ビー』という音が断続的に流され、おそらく2分ほど続いた。

『24世紀ユーラシア大地震』に書いてあった『地震後の静けさの中に、ネルエトロのEIA放送のみがけたたましく鳴り続き、イギリス沿岸部の街ニューカッスルではサイレンを聴いたと言う人が複数いた』の部分はこれだったのだろう。

 しかし核攻撃より差し迫ってくる感じがなく、怖さで言えばまだ比較的優しかった。


 グーニを見てみると腑抜けた顔でよだれを垂らしながら寝ていた。

 グーニの笑顔の次に好きなのがこの寝顔だ。図書館にいた頃を思い出す。

 グーニの入っている寝袋に僕も潜り込むとまた、ノイズが聞こえた。

 ノートとペンを握る。もはや興味すらあった。


 どうにも受け付けないと思っていた音楽は今回だけ少し違って、普通の柔らかく通り過ぎるような音楽だった。

 そして声もだいぶ違い、女性の声と言える声だった。

『皆様、フリフォード・エルスにご来館いただき誠にありがとうございます。開業から46年にわたり、皆様のご愛顧に支えられてまいりましたフリフォード・エルスは、残念ながら本日をもちまして閉館いたします。この46年間、多くの思い出と感謝を胸に、たくさんのお客様にお越しいただき、心より感謝申し上げます。

 フリフォード・エルス内の全店舗では、閉店セールを……』

 その放送はしばらく繰り返された。

 僕はその放送に強い違和感を覚えた。頭にノイズが走るような感じがして、少しの不快感を覚える。

 これは知らないはずのことを思い出した時に起きる感覚で、僕はこれを思考の不具合だと考えている。


 子供の声、値札の見えない婦人服、なかなか来ないエレベータ、客の少ないスーツコーナー、日陰の席で輝くメロンソーダ…

 暗く、シャッターが締め切られた、だだっ広い館内。

 全て知らない。だけどノスタルジックな気分になる。

 雨のように降ってくる未知掘り出し物に僕は思わず耳を塞いだ。


 雨が止んだ…ように感じた頃には次の放送が始まっていた。

 擦り切れたように途切れ途切れな音声でレコードで聴いた『麗しき神の恩寵』がながされており、少し不気味だった。

 僕を締め付けるように抱いてきたグーニの腕を少し緩めていると、音楽が止まり、本来の声とフリフォード・エルスの放送の声が雑に混ぜられた音声が流れ始めた。

『本日をもちましてEIAシステム、はサービスを、閉館いたします。多くの思い出と残念、を胸に、皆様の安全に支えて、感謝申し上げます。核攻撃!なく、閉館までの間、安全にお楽しみいただ——』


 言い切らないうちに声は長い、長いサイレンに変わった。

 僕はなぜだかそれが叫び……号哭ごうこくに聞こえた。

 そのサイレンが鳴り止むのを最後に放送がならなくなった。


 冷たい雨が降り始めた頃にグーニは起きた。

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