飲み込めない感情

消えた感情はなんだろうか。きっと怒りでも憎しみでも悲しみでもない、なにか幸福な感情だったに違いない。


真顔で「www」や「笑笑」とスマホのキーボードを打っているそこいらの学生がもつ感情ではなく、もっと本質的な感情だ。

が、それがない。正確に言えば、なくなった。


この「なくなった。」には必ずしも原因があり、それを突き詰めれば、いずれ結果につながる。


つまり原因さえ見つかれば、私から家出した感情も戻ってくるかもしれない。

家出した子供を待つ親の気持ちがわかった気がする。

私は子に対する思いを私は体験したつもりになった。

しかし、それとは別に一つの可能性が頭に浮かんだ。

それは、私自身が私の感情を飼い殺してしまったこと。

その感情はなくなったんじゃない。

私が、私自身が殺した。

いや、気づいたら死んでいた。この表現がもっともふさわしい。

他人が当事者ならどのような感想を抱いただろう。

「気づいたらそうなっていた。放っておいた。」

「大丈夫だと思っていた。放っておいても、勝手にやりくりしてくれると思い込んでいた。」

「まさか死ぬとは思わなかった。」

「取り返しのつかないことをしてしまった。」

こんなところか、思ったところでもう遅い。

私は考える。子を亡くした親はこんな気持なのだろうか。悲しみはある。

しかしこれだけで済んでよかったと思う自分がいることも否定できない。

こんな簡単に亡くなってしまうとは、探している感情を産んだ母体である私は悲しみで胸が痛い。

仮に感情は死んだらどこにくのだろう。

どこにいってしまったのか検討もつかない。

かといって私が探しに行くのもめんどくさい。

なら帰ってくるのを待とう。

私は我に返る。一つの可能性からどんどんいろんな方向に思考が歪み、よじり、遠くへ行くクセを直したい。最初の論点からズレすぎている。


私はかすかに微笑んだ。


こんなくだらない思考にリソースを割いている暇があるのか。あると思う。

もっと考えていたいまである。

知らない感情を知るとより賢くなったような、他の人より得をしたような気がする。なぜだろう。少し嬉しくなった。どうやら帰ってきたらしい。

家出から帰ってきた子を迎える親のように、その子を見ただけでこれまで感じていた心配が温かい雨でチョコのように溶かされ、まるで今すぐ抱きつかなければおかしくなるほどの、感情の高ぶりは、きっと、今ある感情では言い表せない感情だと感じる。ゆえに、現代でそこまで高ぶった感情について現代人は忘れてしまったと思う。現代人が亡くした感情、それは「消えた感情」ではない。


その感情に名前をつけるならば、「飲み込めない感情」だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

薬を飲む、そして打つ。 八木沼アイ @ygnm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ