センセイは残酷な人

センセイは残酷な人だ。


「――紅葉…」


かすれた声で、センセイがわたしの名前を呼ぶ。


柔らかい唇とそれ以上に柔らかい舌が、わたしの躰を刺激する。


花のような甘い香りが、わたしをおかしくさせる。


「――ッ、センセイ…」


名前を呼んだのと同時に、センセイの背中に自分の両手を回した。


センセイの躰から漂う甘い香りが強くなる。


その香りを自分の躰の中に閉じ込めるように、わたしは目を閉じた。


「――紅葉…!」


センセイがわたしの名前を呼んだ。


 *


センセイと躰の関係を持って、今日で2週間目を迎えた。


「――紅葉…」


センセイがわたしの名前を呼んだ。


「――センセイ…」


わたしが名前を呼んだ瞬間、唇が重なった。


「――ッ、んっ…」


1階にいるいちごちゃんに声が聞こえないように、センセイと深く唇を重ねた。


柔らかい唇と甘い香りに誘われるように、センセイに全てをゆだねた。


原稿を口実にセンセイの家を訪れては、こうしてセンセイと躰を重ねることが当たり前になった。


センセイの手から原稿を受け取って、何もなかったような顔で編集長に原稿を渡して、自宅に帰ることも当たり前になった。


ベッドのうえで、裸でセンセイと並んで横になっていた。


情事の終わりで荒い呼吸を繰り返していたら、

「紅葉」


センセイがわたしの名前を呼んだ。


「何ですか…?」


呟いているような声で聞き返したわたしに、

「明後日、なんだけど」


センセイが言った。


「明後日ですか?」


「明後日から2日、いちごが部活の合宿で家を留守にするんだ。


どうだ?


泊まっていかないか?」


そう言ったセンセイに、

「いいんですか?」


わたしは驚いて聞き返した。


「ああ、ぜひともきてくれ」


微笑みながらそう言ったセンセイに、

「ありがとうございます!」


わたしはお礼を言った。


明後日はセンセイの家で2人きり――そう思ったとたん、わたしの心臓が高鳴った。


仕事が終わったら家に帰らなくてもいいんだ。


「紅葉と2日間も2人でいられるんだと思うと、私も明後日が楽しみで仕方がないよ」


センセイはクスッと笑った後、わたしの唇にキスを1つ落とした。


わたしも明後日がくるのが楽しみで仕方がなかった。


もう少しでやってくる明後日を楽しみにしながら、自宅へと帰った。


ガチャッとドアを開けると、

「おう、お帰り」


彼が目の前にいた。


何日かぶりに見た彼の顔に、わたしは驚いた。


てっきり部屋にいるかと思ったのに…。


「た、ただいま…」


呟くように言い返すと、バタンとドアを閉めた。


「これからどこかへ出かけるの?」


そう聞いたわたしに、

「いや、足音がしたから帰ってきたんだなって思って」


彼が答えた。


「そう…」


呟くように返事をしたけど、久しぶりの彼の会話に戸惑っていた。


どんな顔で、どんな会話をしていたんだっけ?


そう考えていたわたしに、

「あれ?」


彼が何かに気づいた。


「お前、香水つけてたっけ?」


不思議そうに聞いてきた彼に、

「えっ、何で?」


わたしは聞き返した。


「何か、お前から甘い匂いがするから…。


香水でもつけてたかなって思って」


「えっ、臭う?」


自分の服に鼻を近づけて、クンクンと鼻を動かした。


自分からは特に何も感じなかったけど、センセイの香りが服についたんだと言うことだけはわかった。


「嫌な匂いじゃないからいいよ」


そう言った後、彼は部屋のドアを開けた。


よかった、追及されなかった。


バタンと音を立てて閉じられたドアに、わたしはホッと胸をなで下ろした。


迎えた当日。


「お疲れ様でしたー」


出版社を後にすると、駅のコインロッカーに預けていたお泊りセットを取り出すとセンセイの家へと向かった。


「いらっしゃい」


センセイはそう言ってわたしを迎えると、わたしを抱きしめた。


「センセイ…」


センセイの背中に自分の両手を回した時、チャイムが鳴った。


「おや?」


わたしとセンセイは顔を見あわせた。


「おかしいな、来客の予定は特になかったはずだけどな」


センセイは首を傾げると、

「どちら様ですか?」

と、ドアを開けた。


「うわあっ!?」


その瞬間を待っていたと言わんばかりに、グイッと強い力でドアが開かれた。


開いたドアから現れたのは、

「紅葉!」


…ウソ、でしょ?


「やっぱり、浮気だったんじゃねーか!


お前が香水なんてつける訳ないもんな!」


現れた彼は吐き捨てるように言った。


いきなりの彼の登場に、センセイは訳がわからないと言うように戸惑っていた。


「――何でここに…?」


震えた声で呟くように聞いたわたしに、

「前々からお前の様子がおかしいと思ってた。


いっつも甘い匂いを漂わせて帰ってくるから、浮気と疑ってたんだ!」


彼が答えた。


「しかも相手は…」


彼がセンセイに視線を向けた。


「女じゃねーかよ…!」


そう言った彼の目は、軽蔑に満ちていた。


「センセイを悪く言わないで…」


そう呟いたわたしの声が聞こえたと言うように、

「悪く言うな?


俺に隠れて仕事と称してコソコソと会っていたヤツが何を言ってるんだよ!」


彼が怒鳴った。


「待て、彼女は悪くない」


センセイがわたしと彼の間に割って入った。


「センセイ…」


呟くようにセンセイの名前を呼んだわたしに、センセイは大丈夫だと視線を送ってきた。


「悪いのは私の方だ。


彼女のことを好きになってしまった私が悪い」


「センセイ…!」


わたしはセンセイを見つめた。


「私のことはいくらでも恨んでくれても構わない。


だけど、彼女のことを恨むのだけは間違ってもやめてくれ。


君から彼女を奪ってしまったのは、私なんだから」


そう言ったセンセイに、彼は目をそらした。


「何だよ…!


俺は女にかなわなかった、そう言うことかよ…!」


彼は毒づくように呟いた後、その場から立ち去った。


「待って…」


彼を追おうとしたわたしを、

「行かないでくれ…」


センセイが腕をつかんで止めた。


その腕に引き寄せられるように、わたしはセンセイの胸の中に顔を埋めた。


センセイがわたしの背中に両手を回すと、抱きしめた。


花のような甘い香りに、さっきまで揺れていたわたしの気持ちが落ち着いて行くのがわかった。


同時に、自分は何てひどい女なんだろうと思った。


つきあっていた彼よりも、センセイを優先するなんてひどいにも程があると思った。


「――センセイ、ごめんなさい…」


呟くように謝ったわたしに、

「紅葉は悪くないよ」


センセイが答えた。


「わたしは、ひどい女ですね…」


そう言ったわたしに、

「私の方が君よりもひどいよ。


君をこの世界に巻き込んだんだから…」


センセイが答えた。


「けど…わたしはセンセイのことが好きでした。


センセイが男だったとしても、わたしはセンセイのことを好きになっていたと思います」


続けて言ったわたしに、

「そうか…」


センセイが呟くように返事をした。


 *


翌日、仕事から帰ると彼は家にいなかった。


荷物も運び出されていたところを見ると、家を出て行ったみたいだ。


「本当に別れたんだな…」


荷物がなくなった部屋で呟いたわたしの声は大きく響いた。


 *


それから数週間後、わたしはセンセイの担当から新人小説家の担当へ変わった。


「――残酷な人…」


そう呟いたのと同時に、わたしとセンセイの恋が終わったんだと言うことを理解した。


☆★END☆★

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バーフライズ・ストンプ 名古屋ゆりあ @yuriarhythm0214

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