第3話 以心伝心
彼女の名前は里村瑞穂といい、大学から少し離れたところにあるスナックに勤める女性だった。
「君は、深溝という男とはどうして知り合ったんだい?」
「私は、短大を卒業してから就職ができなかったので、マンション、と言ってもコーポのような部屋ですけど、そこの隣にスナック勤めている人がいるのを知っていたので、自分でも務まるかどうか聞いてみたんです。彼女とは時々表で遭遇した時、ご挨拶はしていましたので、お話するのは苦にならなかったですね。ええ、話をするのは初めてでしたけど、気さくな感じの方だったので、違和感なくお話できました」
「それでその店で働くことになったんだね?」
「ええ」
「その中に深溝という人もお客さんにいらしたんです。でも、彼は一人で来ることはなく、いつもお友達と一緒でした」
「お友達というのは?」
「大学の同級生で、安川という方です。私はどちらかというと、深溝さんよりも安川さんの方が話しやすくて、しかも気が合ったと思っています。だから、私はいつも安川さんばかり意識していたんですね」
「じゃあ、深溝の方とすれば面白くなかったわけだ」
「そうでもなかったと思います。深溝さんには別の女の子が贔屓だったようで、結構お互いにそれぞれの男女ペアになっていたことが多かったですね」
「それじゃあ、店の女の子は多かったということかな?」
「というよりも、お客さんが少なかったと言えばいいんですかね。うちのお店は結構遅い時間、十時を過ぎないとサラリーマンのお客さんはこないんですよ。この街は都会から離れていますから、都会で食事や残業して、帰りに寄る場合は、どうしても午後十時を過ぎることになるんです。そういう意味で、それまではほとんどお客さんは来ませんので、いつもお二人が来られる時は、貸し切り状態になることが多いようですよ」
と言っていた。
「だから、一対一でも成立するんですね?」
「ええ、お二人はそれぞれ女性の好みも違うようでしたから、うまく行ったんです。私は安川さん担当という感じでしたが、結構話は合ったんですよ」
という。
最初に出頭してきた時は、泣き崩れるばかりでどうなるかと思ったが、一度落ち着いてしまうと饒舌だった。元々話をするのが好きなのか、結構自分から話してくれる。人と話すことで落ち着きを取り戻す人もいるので、彼女もその類なのかも知れない。
「お二人はどんな感じでしたか?」
「女の子と一対一にはなっていましたが、お話の中でお二人の話題になると、もう一組の話を遮ってでも、自分の意見に同意させるというところがありました。それは安川さんというよりも、深溝さんの方があったかも知れません」
「というと、深溝くんは、どちらかというと空気が読めない方だったのかな?」
「そう言ってもいいと思います。スナックというお店でのお客様なので、私たちは何も言いませんが、あれを他の場所でやれば、結構顰蹙ものではないかと思います」
と言って、初めて彼女は訝しそうな顔をした。
――ひょっとするとこの女は深溝のことを本当に鬱陶しく思っているのかも知れないな――
と感じ、殺そうという意識はそのあたりから蓄積したのではないかと思った。
しかし、それくらいのことで殺意を果たして持つかということだが、もう少し話を聞いてみないとそのあたりの真意は見えてこない気がした。
「男性お二人は結構仲がよさそうだったんですか?」
「ええそうですね。仲は良いと思います。ただ、私には分からない部分が多く、お二人にしか見えていないものがあったのではないかと思うんです。それが少しこわかったんですが……」
「ところで、あなたは安川さんと仲が良かったんですか?」
「ええ、実は以前にお店以外のところでバッタリお会いして、食事をご一緒したことがありました。いつも深溝さんとご一緒のところしか見たことがなかったので、新鮮でしたよ」
と言って、顔を赤らめた気がした。
彼女は続ける。
「うちはお店を離れてからお客さんとプライベートで仲良くなることを禁止しているわけではありませんでしたので、気軽にお食事も付き合えたんです。その時の彼はドギマギとしていて、少し可愛い感じがしました。聞いてみると、どうやら、今まで女性とお付き合いしたことはないと言っていました」
と言って、今度はイラっとした表情になった。
――激情的なところがあるわけだ。結構顔に出やすいタイプなんだな――
と、門倉刑事は思った。
言葉の裏を読むと、彼女の表情から、安川が女性と付き合ったことはないと言った言葉はウソだったということになるだろう。もちろん、確証があるわけではないが、刑事の勘がそう教えるのだ。
「安川さんというのは、どうやら純情だったようですね」
とカマを掛けると、
「そうでしょうかね」
と言って、今度は露骨に表情が変わった。
――やはり、安川は言葉と実際では違う男のようだ――
と感じた。
ただ、思い込みは禁物だった。彼がウソをつくのは相手がスナックの女だという思いがあってのことなのかも知れない。もしそうであれば、人間というものを舐めているというのか、相手の立場と自分の立場を絶えず比較して話をしているという軽薄で無知な人間に思えてくるからだ。
まだ安川という男に遭っていないので何とも言えないが、安川がどういう男なのかという予備知識程度に思っておけばいいだろう。参考程度にはなったかも知れない。すでに落ち着いてきている里村瑞穂であるだけに、信憑性はあるような気がしてきた。
「君は安川という男と話が合ったということだけど、被害者である深溝とよく話をしていた女の子は何というのかね?」
「お店での名前になりますが、つばさちゃんと言います。彼女も深溝さんとは結構話が合っていたようで、彼女は今までにこんなに話が合う人も珍しいなんて言ってましたよ」
「じゃあ、それぞれのペアで結構話が合ったりしていたんだね?」
「そういうことになります。以心伝心というんですか? いわゆる阿吽の呼吸だったような気がします」
これであれば、別にトラブルが発生するわけはないのだが、実際に瑞穂は深溝を殺したと言って自首してきた。
それも相手が自分のペアであれば理屈も分かる気がするのだが、ペアではない相手ということで、どこまでの仲だったのか気になるところである。門倉刑事は、
――これは単純な男女間のもつれというわけではなさそうだな――
と感じた。
三角関係、いや、四角関係のようなものが四人の間にあれば、まだこれは序曲に過ぎないのではないかと余計な詮索をしてしまうのは、刑事としての悪い癖であろうか。
「ところで君はなぜ、殺人なんかしようと思ったんだい?」
と、門倉刑事は急に話を変えた。
しかも、誰を殺そうかと思ったのかということではなく、殺人ということに考えが至ったことが知りたいようだった。きっとこちらの方が相手が話しやすいと思ったのか、まずは漠然とした聞き方をしたのだ。
「人を殺すって、一度思い込めば結構考えるのは早かったんですよ。私だって本当はこんなことはしたくない。でもしないわけにはいかないと思ったら、なるべくなら早く終わらせたいと思うんです。もちろん、最初から自首しようなんて思ってはいません。逃げられるものなら逃げたいと思うのは人間の心理ですからね。。でも私は最初に殺したいという思いが強ければ強いほど、やってしまった後に、『自首しないといけない』と思ったんです。これは後悔とかいう問題ではなく、自分なりにけりをつけたいという感情でしょうか? 自分でもよく分かりません。どうして自首しようと思ったのか……」
と言って、うな垂れた瑞穂だったが、言葉には説得力があり、威圧感さえ感じられた。
「潔い考えだと思いますが、我々としては、行動を起こす前に、そう思ってほしかった。あなたが今言ったように、後悔がなかったということでしたら、それは難しいことだったのかも知れませんが」
という門倉刑事の言葉を聞いて、まっすぐその視線を話している門倉刑事に向けた。
――これが彼女の本当の姿なのかも知れない――
最初は泣き崩れるようにして自首してきたが、落ち着くと淡々と話し始める。
まるで他人事のようにさえ聞こえてきて、ムッとしたくらいだった。
だが、彼女が冷静に話してくれる方が、その本心が聞けると思った。彼女の話は理路整然としていて、別に怪しいところも矛盾したところもない。ただ、知っていることをすべて話してくれているという保証はない。むしろ、肝心な部分は押し黙っていそうな気がする。
彼女が肝心な部分を口にしてくれるとすれば、その時はすでに事件が解決している時ではないかと思うほどで、下手をすれば、彼女は真実を墓場まで持っていく気なのかも知れない。
「では、その日のあなたの行動を伺いましょうか?」
と、門倉はだんだん具体的なところに話を持って行った。
「あの日、私は深溝さんから呼び出されたんです。安川さんのことで相談したいことがあるからってですね」
と瑞穂がいうと、
「えっ? あなたが呼び出したんじゃないんですか?」
この殺人未遂は最初から計画されたものだと思っていた門倉刑事は、てっきり呼び出したのは瑞穂に間違いないと思っていたのだ。
「いいえ、私が呼び出されたんです。ただ、早朝のことで、しかも場所が彼の大学の構内だということだったので、少し不安はありました」
「どんなお話をされると思いましたか?」
「さあ、私には分かりません。ただ安川さんのことでということだったので、出向いていきました」
「あなたは安川さんのこととなると、少々危険に感じても、出かけて行かれるということでしょうか?」
「いつもではないと思いますが、深溝さんのご様子が少し変だったように思えて、何か呂律も回っていないし、お酒に酔って連絡をしてきたんだって思いました。待ち合わせをするにしても、どうしてそんなところなのか、不安に感じるのも当然ではないでしょうか?」
そう言って、また顔を赤らめた。
――里村瑞穂と安川は恋人同士なのかも知れない? では深溝とつばさという女性はどうなんだろう? この会話の中にまだつばさという女性が入ってきていないので、たぶん、事件の核心を掴んでいないはずだ――
と思った。
しかしそれはあくまでも、瑞穂が深溝を殺そうと思ったのは、今登場しているこの四人がそれぞれの演じている役をこなしてのことだろう。そうなると、さっき考えた、三角関係、四角関係などが明るみに出てくることも近いはずだった。
それに関しては、深溝の線から捜査が行われているので、そちらの方からも情報がもたらされるであろう。何といっても、今は一人の女性を目の前に事情を聴いているわけで、その人の主観が入ってしまうと、間違った方向に考えが向いてしまうことを懸念していた。
本当はこうやって犯人と思しき人が、
「自分でやりました」
と自首してきているわけだから、その通りにしてあげれば、事件も解決する。
しかし、裏を取るのも警察の仕事、何をやって何をやってないかを白日の下に明らかにし、罪状を検察に報告し、そこから起訴することで、やっと裁判となる。それまでの警察での取り調べが重要であることは、皆周知のとおりであろう。
「それで落ち合って、どうしたんです?」
「彼は言ったんです。私に安川さんと別れてくれって」
と言って、瑞穂は唇を噛んだ。
それは、屈辱感からの行動で、彼女にしてみれば、余計なお世話に思えたに違いない。
「それはひどいですね。わけもなくですか?」
「それで私は聞いたんです。その理由をですね」
「何と答えました?」
「彼は黙ってしまって、何も言いませんでした。顔が真っ赤になっていて、唇を噛みしめているかのようでした。その様子はまるで、好きな女の子を他の男に取られて、返してくれと言わんばかりの勢いでした。確かにあの二人は親友だったかも知れませんが、私としては、深溝さんにそんなことを言われる謂れはないと思いました」
「あなたにしてみれば、そうでしょうね」
と口では言ったが、門倉刑事は別のことを感じていた。
安川は、気の弱い男で、彼女に対して持て余している部分があっても、決して彼女を前にしては言えなかった。しかし、親友である深溝には言えたのだとすれば、深溝が友達のためにひと肌脱ごうと思ったとしても、それは無理もないことだ。言われた方は、『どうしてあなたなんかに言われなければいけないの?』と思うだろうが、そうなってしまうと、ぎくでゃくしてしまった人間関係を元に戻すのは難しいだろう。
そうなると、何か起爆剤になるようなことをするしかない。もっとも安易な方法を選んでしまったとすれば、理解できないわけでもない。ただ、これは唐突な事件ではなく、計画された事件に見える。そうなると、計画していたわりには、あまりにもずさんな犯行ではないだろうか。
「睡眠薬を飲ませておいて、首を絞める」
確実を狙ったのかも知れないが。それにしてはリスクが大きい気がする。
睡眠薬を使ったということは、
「力のない女性でも、犯行は可能だ」
ということを、示しているようなものだ。
それに睡眠薬が実際に効いていなかったらどうするつもりだったのだろう?
しかも完全に犯行が成功していればまだしも、肝心の被害者は死んでいないのだ。そう思えばずさんだったと言われても仕方がないだろう。
「待てよ」
と門倉刑事は考えた。
彼が生き残ったことが分かっているから、いずれ捜査の手が自分に伸びてその時に妻〇よりも、自首という形で名乗り出れば、罪が軽くなると思ったのだろうか。
相手を殺すことができなかったのは不本意だが、苦しめることはできた。死んでいないのだから、自首さえしてしまえば、いい弁護士に掛かれば、殺意さえハッキリとさせなければ、執行猶予に持ち込めると考えたか、あるいは、うまく行けば不起訴になるかも知れないという計算もあったのかも知れない。
「ところで、睡眠薬など、どうして使ったんだね?」
と門倉刑事が聞くと、
「睡眠薬?」
と、今度は瑞穂がキョトンとした。
「私、使ってなんかいません」
とキッパリと言った。
正直に自首してきているのだから、いまさらこの段階でウソを言うわけもなく、それを聞いた門倉刑事は不思議に思った。
「睡眠薬を使ってないって? じゃあ、誰が?」
「深溝さんが自分で服用したんじゃないんですか?」
と、思わず言ってしまった瑞穂だったが、瑞穂にもそれがおかしいということが分かったみたいだ。瑞穂は門倉刑事が何も言わなかったので話を続けた。門倉刑事とすれば、自分で何かを考えていたようだ。
「そうですよね、あの人は私を呼び出したんだから、呼び出した本人が最初から睡眠薬を服用しているなどということはありえませんよね」
まさしく門倉刑事と同じ発想だった。
では、あの場に誰か他の人がいたということであろうか?
いや、それはなかったと瑞穂は感じていた。それは門倉刑事も感じていることで、もし瑞穂の他に誰かいたのであれば、瑞穂が深溝を殺そうとしている場面に遭遇すれば、深溝を助けようとするか、自分はさっさとその場から立ち去ろうとするかのどちらかではないかと思った。その場でグズグズしていては、誰かに見られたりして、自分がやってもいない殺人の罪を被らされでもしたら大変だと思うからだった。
少なくとも、そんな修羅場に遭遇すれば、まったく関係のない人間であれば、ずぐに立ち去りたいと思うだろう。ただ、どうして睡眠薬などを呑ませようと思ったのか甚だ疑問は残るであるが。
「そういえば、首を絞めた時、最初はすごい抵抗があったんですが、途中から抵抗が弱かった気がしたんです。それだけ彼の首が締まってきたのかと思いましたけど、睡眠薬が効いていたんですね」
「そういうことでしょうね。今のあなたの話を聞いて分かりました。彼がどうして死ななかったのかということです。あなたは睡眠薬で意識が朦朧としてきたのを見て、自分が絞殺したと思ったんですよね。でも実際にはそこまで強く首を絞めなかった。きっと死んだと思い込んだんでしょう」
と門倉刑事は分析した。
なるほど、そう考えれば、彼が死ななかった理由も分かる。
人を絞め殺すなんて、そんなに何度もすることではない。普通なら絶対にしてはいけないことだ。だからどの程度の力で絞めれば人は死ぬなどということは分からない、きっと被害者の反応でしか判断できないであろう。そう思うと、身体が痙攣して動かなくなった時点で死んだと思っても不思議はない。確かに最初は抵抗していたのだから、誰だってそう思うだろう。首を絞めたことで睡眠薬が早くまわり、身体が痙攣し始めたのかも知れないし、とにかく彼女の中で相手は絶命したように思えたのだろう。何しろ女のか弱い力なので、それも考えられる。さすがに昔言われていたように、土壇場で力を出す「火事場のクソ力」などというものも考えにくいからだ。
そう考えると、睡眠薬を誰が彼に飲ませたのかという問題も新たに浮上してくる。自首してきた彼女が、
「女性の自分でも楽に殺せるように」
ということで使ったのだとすれば、実に簡単なことだった。
しかし、そうではないというのであれば、捜査の基準は根本から変わってくるような気がした。彼女が自首してくる前は睡眠薬と絞殺は別々だと思っていたが、彼女の自首が、自然とこの二つを結び付けた。そのつもりで話をしていたのだが、それが違っていたのだ。根本から変わってきたことで、この事件がここだけでは解決できないということを示しているようで、
――これは少し厄介かもな?
と門倉刑事は感じた。
少なくとも被害者の回復を待って、事情聴取ができればいいのだが、果たして彼が犯人を見ているかどうか、それも問題だった。検案報告によると、
「被害者は、後ろから紐状のもので絞められていて……」
と書かれていた。
後ろを振り向くだけの余裕があったかどうかも分からない。何しろ睡眠薬を飲んでいたのだからである。
もう一つの疑問は、
「被害者は睡眠薬が効いている間に首を絞められたのだろうか?」
ということであるが、彼が生きている以上、解剖ができるわけでもないので、そのあたりは分からないという。
つまり、彼の意識が戻り、事情聴取を受けれるまで回復しないと、分からないということだった。
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