第6話 仮面の野良アリドル

 夕食を食べ終わった悠太郎がリビングでテレビを見ていると、テーブルの上に置いておいたスマートフォンのアラームが鳴る。

 あ、そろそろ時間だ。

 悠太郎はお気に入りのマグカップにコーヒーを淹れ、二階の自室に戻ろうとする。洗い物をしていた母がそれを目敏く見つけ、呼び止めてきた。

「あれ、もう寝るの? まだ午後九時前よ。お母さん、一人で過ごすの寂しい」

 姉の恵美は友人達との飲み会。システムエンジ二アの父は最近残業三昧であり、今日も帰りが遅い。今家に居るのは、悠太郎と母の二人のみ。

「いや、テスト勉強だよ。友達との約束」

「そうなの?」

 母は両手で腕を組み、しみじみとした表情。

「いやー、それにしてもあんたがここまで勉強熱心になるなんて。少し前は考えられなかったのに。あ、もしかして凛奈ちゃんって子? 恵美が最近芸能事務所に入ったって言ってた」

 特に隠すこともないので、悠太郎は「うん、そうだよ」と正直に認めた。

「ほうほう。そうか。女の子と。ほうほう」

 母はニヤニヤと大変愉快そうに笑っている。なんだかよくわからいないが、とても楽しそうだ。

「まあ、勉強頑張りなさい。言っておくけど、成績悪かったらどうなるか、わかっているわよね? ARのおっかけ禁止するから」

 母の口調は冗談めかしたものだが、目は本気だ。

「もちろん、わかってるよ。次の期末試験、期待してて」

 そう言い残し、悠太郎は自室へと向かう。

 自室に入った悠太郎は学校で使っている教科書、そしてARゴーグルを取り出した。ARゴーグルを顔に装着し、待ち人が来るまでコーヒーを飲みながら時間を潰す。待ち合わせの時刻になると、ポーンという電子音が鳴り、視界の端に小さなウインドウが現れる。そのウインドウの中に映っているのは凛奈。風呂上がりか髪が濡れていて、頬がわずかに上気していた。

「悠君、お待たせ」

「早速始めようか」

「うん」

 今日事務所で打ち合わせをした際、凛奈からテスト勉強を一緒にしたいと言われた。悠太郎の学校での成績はかなり上の方。五月中旬に行った中間試験では上位10%圏内であり、自分で言うのもなんだが、勉強相手としてうってつけだ。

 悠太郎としても凛奈の成績が悪いせいで、アリドルの活動に支障が出ては困る。勉強を見るのも仕事だと、凛奈の頼みを快諾した。

「凛奈さんはどこが不安?」

「数学かな。二次方程式が上手く解けなくて」

「数学なら俺得意だよ。二次方程式の解き方はね……」

 ARで数学の公式を空中に表示しながら、凛奈に勉強を教えていく。

 確かに凛奈は数学が苦手だったが、要領がよく悠太郎の説明もすぐに理解した。少し教えればスルスルと解けるようになったので、これなら期末試験も大丈夫だろう。

 一時間ほど経過したところで、一旦勉強を止める。

「凛奈さん、ちょっと休憩しようか。十分ぐらい」

「うん」

 悠太郎は休憩終了のアラームをARゴーグル上で設定。

 すっかり冷たくなったコーヒーを飲んでいると、凛奈が声をかけてきた。

「そういえば、なんで悠君はアリドルの事務所で働くことにしたの?」

「姉さんに無理やりアルバイトにされたんだよ。俺がアリドルオタクで知識が豊富だから、色々と役に立つだろうって。あと人手不足だから」

「あはは。そうなんだ。悠君はアリドルオタクって自分でも言っていたけど、なんでアリドルが好きなの?」

「俺が本格的にアリドルにのめり込むようになったのは、とあるアリドルに出会ったからだな」

「とあるアリドル? 名前はなんて言うの?」

「名前はわからない。その子は個人で活動していた野良のアリドルだったんだよ。俺があの子と会ったのは中学生二年の夏」

 当時の悠太郎もアリドルがそれなりに好きであり、特にゲーム実況を好んで見ていた。アリドルがゲームを実況すれば、そのゲームをすぐに買って遊びまくった。遊んでばかりのため、当然学校の成績はかなり悪い。中学生二年生の時に県開催の模試を受けたのだが、結果は散々。あまりの悪さに両親と大喧嘩をし、悠太郎は家を飛び出した。

 とある公園に行き着いた悠太郎は気分を紛らわせようと、ARゴーグルをかけ、いつも見ているアリドルの配信を見ようとした。

「その時に、あのアリドルを見つけたんだよね」

 ARゴーグルの端に、ある通知が表示された。通知の内容はアリドルが公園でロケーション型の配信をしているというもの。

 当時は今ほど規制が厳しくなく、インターネットを介して誰でもどこでも配信ができた。個人で自由に活動していたアリドルを、世間では野良アリドルと呼んでいた。

「興味本位でそのアリドルの配信を見てみた。ライブの視聴は無料だったからね。最初そのアリドルを見た時は驚いたよ。衣装は無償公開されていたARデータをてきとうに組み合わせたもので、更に変な猫の仮面を被っていてさ。本当にちぐはぐな格好。明らかに素人だなってわかったよ」

 悠太郎は当時のことを思い出し、つい笑ってしまう。一方の凛奈は目を泳がせ、バツの悪そうな微妙な表情。

「そ、そのアリドルはまだ衣装の設定とか慣れていなかったんじゃない。本人なりにやっていたと思うし、笑うことないと思うよ! 」

 何故そこまで擁護するのかわからないが、凛奈の言っていること自体は間違っていない。

「まあ、そうだね。バカにするのはよくなかったね。それでね、そのアリドルは衣装はともかく、歌がすごく上手くて。本人も楽しそうに、それでいて一生懸命に歌っていた」

 アリドルの姿が眩しく、悠太郎はすっかり魅了されてしまった。気がついたら最後まで彼女の歌に聞き入っていた。

「彼女の歌を聴いていたらさ、自分何やっているんだろって。もっと自分も遊んでばかりじゃなくて、頑張らないとって思ったんだよ」

 アリドルに賞賛を送った悠太郎は家に戻り、机に向かった。その日から悠太郎はきちんと勉強するようになり、気がつけば中学校の成績は上位になっていた。

 悠太郎は勉強の合間に、あのアリドルと出会った公園に行くようになる。もう一度、彼女の歌を聴きたかったから。

「だけど、あれから彼女には会えていない。どっかの事務所からデビューしていないかと探したけど、今も見つかっていない。んで、あのアリドルを探す内に他のアリドル達も好きになっていってさ、アリドルオタクになってた」

 話を聞いていた凛奈は神妙な面持ち。

「……悠君、そのアリドルにもう一度会いたい?」

「まあ、可能ならね」

「もし会えたらどうする?」

「君の歌に励まされたって、お礼を言いたいね。あと、君の応援もしたい」

「そっか…そっか……あの……」

 休憩終了のアラームが鳴る。

「休憩終わりだね。凛奈さん、今何か言いかけた?」

「ううん、なんでもない!」

「じゃあ、そろそろ勉強再開しよっか」

「はーい」

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