第2話 小説を書くこと
中西が風俗でのリアルな感覚をいつまで持っていたのだろう?
気が付けばリアルさは欠如していた。覚えているのは覚えているのだが、完全に頭の中では他人事であった。今まで自分が経験したことで、ここまで他人事のように思ってしまったことはなかったような気がする。
「もう一度行ってみようかな?」
今度は先輩には内緒でのことだった。
あれから先輩とは普通の会話はするが、それ以外は何もない。あの日だけ、先輩にとって何かがあったのかも知れない。
それはともかく、あの時の彼女にもう一度会ってみたいという思いと、今の自分の他人事のように感じた思いの正体を知りたいという感覚があったのが本音だった。
どっちが強いというわけではなく、前者が自分の本能が求める欲望であり、後者が冷静な判断で自らを見つめ直したいという思いからだった。
その両者を、またドッペルゲンガーへの思いと重ね合わせてしまっている自分がいることに気付いた。
どちらが本当の自分でどちらがドッペルゲンガーなのか分からない。だが、
「本当はどっちも自分であってほしい」
というのが本音なのだが、それでは何か説明がつかないような気がして、矛盾を抱えてしまった自分を感じた。
あまりドッペルゲンガーを意識するのはいけないことだと思うのだが、意識しないと自分に対して納得できないという矛盾をジレンマとして抱えていた。だから、それを小説として表に出すことを嫌ったのである。
「何かに形として残しておきたい」
という気持ちがあるのも事実である。
それには小説にして残しておくのが一番手っ取り早いのだが、自分の中で安易すぎる気がした。
「そんなことでは、自分の中にあるジレンマを解消することはできない」
という思いからである。
本当は、
「解消するのではなく、克服するんだ」
という意識を持たなければいけないのかも知れない。
解消だけでは先に進めない気がするからだ。克服することでそこから先に見えてくるものがあるという意識を持つこと。それを忘れてはいけないと思うのだ。
その日中西は羞恥の気持ちを捨てて、風俗の店に赴いた。もちろん、予約を入れることは忘れなかったが、電話だということで、最初から直接受け付けするのではないという安心感もあった。
電話と言えどもさすがに緊張した。いや、電話だからこそ、相手の顔が見えないことで、何を思っているのか分からないだけに余計に気になった。
だが考えてみれば、こちらが相手を見えないだけではなく、相手にもこちらが見えないのだ。勝手な想像はされるだろうが、どんな相手が掛けてきたのかということを思うことも想像でしかないことを分かっているはずだ。
これこそ、
「限りなく意識しているに近い無意識」
という感覚なのかも知れない。
意識しているつもりはないが、気が付けば意識している。まるで感覚がマヒしているかのような思いに似ているかも知れない。
それも矛盾した考えで、マヒするということがどういうことなのかを考えれば分かることでもあった。
例えば、極寒の中で手がカサカサになって、感覚がマヒするということがあるが、これは寒すぎて覚えた痛みが究極に達することで最終的に痛みを感じなくなることから、
「感覚がマヒした」
という表現を使うのではないだろうか。
病気になって発熱する時も似たような感覚だと思っている。風邪をひいて熱が出る。これは人間の中にある抗体が、侵入してくるウイルスや菌に対抗しようとして抗っていることで怒るのが発熱という症状である。
だから、熱が上がっている間は、本当は熱を冷やすわけではなく、身体を暖めて、熱が上がり切るまで待つということをする。その間にものすごい汗を掻くだろう。それによって悪い菌やウイルスが身体の外に出てしまう。熱が上がり切らない間は、身体に熱が籠ってしまって、汗を掻くこともない。だから汗を掻いてくれば。そこから先が快方に向かう曲がり角なのだ。
ピークを越えてしまうと、汗が出てくるので、それを拭きながら熱が上がり切るまで待って、下がってくれば、そこで初めて熱を冷ます治療を施す。これが本当の治療だという話を聞いたことがあった。
つまり感覚がマヒするというのは、風邪などの時に熱が上がり切ってしまったピークの状態のことを示しているのではないだろうか。
ということは、
「限りなく意識しているに近い無意識」
という思いから、感覚がマヒするというのは、ちょうど熱が上がり切ったピークの状態のことをいうのではないだろうか。
電話を掛けた時に何をどう話したのか覚えていない。対応は別におかしくはなかっただろう。相手の返答があまりにも事務的だったということを感じたからだ。
こっちが微妙な受け答えをしていれば、少なくとも不審に感じることで、トーンが変わってくるはずだからである。何を話したのか、さらに相手がどんなことを言ったのか覚えていないくせに、相手が事務的だったことは覚えている。それだけ自分が相手の反応に対して敏感であり、それだけしか意識していなかったということを示しているのだろう。
予約は形式的な中で行われた。通話時間も三分ほどだったことでも、あっという間だったことは分かるというものだ。
――それにしても、あんなに事務的な対応しかできないのであれば、電話を掛ける客も苛立つのではないだろうか――
とも思ったが、客の側からしても、何かしらの後ろめたい罪悪感のようなものがあるのだろう。
電話の受け答え一つで、こっちがどのように見られているか分かったが、それでも店に赴くと、電話での態度がまったく別人であるかのように感情が入っていた。
――いや、感情が入っているように見えるだけかも知れない――
とも思ったが、やはり相手を目の前にすれば、何かしらの感情が湧いてくるのも人間というものだ。いくら相手を見下しているかのように見えても、そこは客商売、相手にいかに悟られないようにするかを心得ているのかも知れない。
ただ、中にはあからさまに事務的な人もいる。そんな人は表情からして、嫌々やっているという姿が見られた。
これは風俗のお店に限らず、飲食店でも言えることだった。明らかに嫌々やっているのが露骨に伝わってくる。
「ありがとう」
などという言葉を金輪際言わないと心に決めた相手もいたくらいだ。
――まさか、女の子は違うだろうな――
という嫌な予感が頭を掠めた。
前のように待合室で待たされることになったが。今回は予約していることもあって、前ほど待たされることもないはずだ。しかも、前は初めてだったという思いが、自分の心臓をできる限り興奮させていたような気がしたのに対し、二度目というのはそこまで感情が激しくなかった。
「二度目」
という感覚が自分を冷静にするのだが、初めてとは違った意味で、一歩先に進んだという意味で、初めての時よりも重要であることを自分なりに意識しているつもりだった。
その日の待合室は初めてきた時と明らかに違った気がした。まず最初に感じたこととしては、
――こんなに狭かっただろうか?
という思いだった。
その日はこの間よりも早かったということもあったが、待合室には二、三人しかいない。皆単独の客で、思い思いの行動をしていた。もっともここではマンガを読むかスマホを見るか、テレビを見るかのどれかにしかならないのだろうが、三人とも別々の行動をしているのを見ると、滑稽な感じがしてきた。
狭いと感じ、その理由を考えようとした時、自分の番号が呼ばれたので、その理由を考える時間もなく、以前のように注意事項の説明を受けての、女の子への「ご案内」となった。
「こんにちは」
同じ女の子だったにも関わらず、最初に見た時と印象がかなり違っていた。
――何が違うんだろう?
衣装が違っているのかと思ったが、それほど違っているわけではない。
「こんにちは、今日もよろしくね」
と言って、暗に初めてではないことを匂わせるような言い方をしたが、彼女はそのことを気にもせずに、
「はい、よろしくね」
と言って微笑んでくれた。
そして、部屋に連れて行ってくれたのだが、その部屋は前と同じ部屋だった。毎日同じメンバーばかりが出勤しているわけではないだろうから、部屋はランダムになってしかるべきだと思っていたので、同じ部屋だったのは、ある意味安心感を与えてくれた。
中に入ると、今度はこの部屋にもさっきの待合室に感じたのと同じ感覚を覚えた。
「部屋が違うような気がする」
と思わず呟いた。
本当は、
「狭く感じる」
と言いたかったのだが、それをよしたのは、話の展開から持っていく方がいいと思ったからであろうか。
「どういうことですか?」
と聞かれて、
「前も同じ部屋だったんだけど、なんか狭い気がしてるんだ」
と正直に言うと、
「私もその感覚分かるような気がするわ。以前に私も同じ部屋が続いた時、前の時と比べて狭く感じたことがあったのを覚えているもん」
「それは、このお店で?」
「ええ、他で似たようなことを感じたことはなかったわ。でも私なりにその答えを用意している気はしているんですけどね」
と言って笑った。
その笑いを見た時、
「僕にも実はその答えがここにあるのはあるんだよ」
と言って頭を指差して微笑んだ。
「私は時間の感覚が影響しているんじゃないかって思ったの。それに気づいたのはもちろんその日一日が終わってからのことなんだけどね。狭く感じたその時って、一人一人と相手している時間は結構長く感じられたんだけど、一日全体を思うと、あっという間に過ぎたような気がしたのよね」
と女の子がいうと、中西も興奮して、
「そうそう、その通りなんだ。僕も同じようなことを考えていたんだけど、どうやら君の方がもっと具体的に説明できるようだね。きっと感性が優れているからなのかな?」
中西は本心からそう思った。
小説を書くようになってから、何が一番変わったのかと聞かれたら、
「感性というものが分かるようになったことかも知れない」
と答えたに違いないが、それ以上に、
「感性というのは、意識と記憶の間にあるものだ」
という思いが根底にあったような気がする。
これも意識と記憶との関係は、一種の時系列に支配されているように思うのだが。その二つの関係から時系列という観念を除いたその時に見えてくるものが、感性なのではないかと思うようになっていた。
感性というのは、本能に近いものであるが、意識も記憶もどちらも本能によって司られていると思っていた。だが、意識と記憶とでは記憶になってしまうと、本能から離れてしまい、ギリギリ見える範囲にいるくらいではないだろうか。ただ、逆に記憶が本能からギリギリで見えているのは、
「感性というものが途中にあるからではないか?」
と思うようになっていた。
記憶や意識が感性とどのような関連性を持っているか、一口には説明できないが、そこに本能というものが介在してくると、口で説明できないまでも、自分を納得させることができるくらいにはなるのではないかと思うようになった。
このお部屋の広さと時間の関係はまったく関連性がないように思えるが、感性という意識を持つことで、今度は感性が本能を呼び起こし、関連付けてくれるのではないかと、中西は感じていた。
この娘がそこまで感じているかどうか分からなかったが、少なくとも中西と似たような感性を持っているのではないかと思うと、感無量な気がしてきた。
彼女は、源氏名をちひろと言った。この名前は小学生の頃の同級生においたのが、その子とは雰囲気は違っていた。しかし、最初に指名する時、その子のことが頭をよぎったのは間違いない。もちろん名前だけで選んだわけではなかったが、写真から連想される雰囲気に、清楚さを感じたからだった。
少しポッチャリ系のその女の子は、中西にとっては包容力を感じさせ、そのあどけなさから母親のような包容力を感じるのだ。
最初の時から比べれば、少し印象が変わったかも知れない。それは彼女の雰囲気が変わったというよりも、中西の方で彼女に対しての印象が変わったというべきであろう。部屋を狭く感じるようになったのは、そんなちひろに対しての印象の変化から来たのではないかと思った。
最初にこの部屋に来た時のことを思い出していた。正直、それほど詳細に覚えているわけではない、初めての風俗、彼女でもない女の子と時間をお金で買うという行為に、別に罪悪感のようなものを感じるほど、自分が偽善者ではないと思っていた。
――お金で女の子を買うのが罪だなんて思っているくせに、店には来るなんて、そんなのは偽善でしかない――
と思う。
そんな偽善者にはなりたくなかった。
あれは中学時代だっただろうか。友達に持病を持っているやつがいて。数人で仲間を形成していたが、そのことを自分だけが知らなかった。どうやらわざと知らせなかったようなのだが、それを知らない中西は、皆での下校の途中で発作を起こしたその友達にビックリした。
「どうしたんだい?」
まわりは落ち着いて、どこかに電話したり、彼のカバンから薬を取り出していた。
その態度があまりにもテキパキしていて会話もないことから、
――まるで感情のない機械がやっていることのようだ――
と感じたくらいだ。
あたふたと慌てる中西を後目にテキパキしている二人から置いて行かれた気がした中西は、落ち着いてくると次第に二人に苛立ちを覚えてくるようになった。
それはそうだ。二人は自分の知らないことを知っていて、そのことを誰も教えてくれようとしない。そのことに苛立っていた。
薬を飲むと発作は落ち着いたようで、念のために救急車が呼ばれたが、担架で載せられた本人と一緒に、二人も乗り込んだ。さすがに三人は乗れないということで、自分だけが取り残されたことも苛立ちを爆発させる原因となった。
こんなに面白くないことはなかった。その場にいながら、何もできずに自分だけが蚊帳の外、しかも、あとの二人は介抱に必死だったとはいえ、自分に対して何も言おうとしない。
翌日、二人が自分にちゃんと説明して謝罪くらいしてくれるだろうと思っていたが、それすらなかった。伝え聞いた話で、やっと友達の持病が、
「過去の小児麻痺から来る癲癇」
であることが分かったのだ。
何も言わなかった二人に対してだけ苛立ちを持っただけではなく、癲癇を起こした本人にさえ恨むようになっていた。そんな風に思うと、今度はクラスのみんなや先生でさえ自分の敵に思えてくる。
教室が急に広くなったような気がした。皆が遠くに離れて行く官学があるのに、少しでも近づいてくると、その人から攻撃を受けるような感覚にさえなった。一種の被害妄想のようなものだろう。
苛めに発展することはなかったが、気が付いてみるt、自分のまわりに誰もいないということを思い知らされた気がした。友達だと思っていたあの三人には、もう友達としての意識はない。そんな心変わりをした中西に対して、その三人が話しかけてくれることもなく、結局友達関係はそのまま破局へと向かった。
その頃から、まわりに対しての見方がまったく変わってしまった。被害妄想が理由なのだろうが、何をやっても面白くない。何かをすること自体、億劫で面倒くさく感じられる。そんな毎日を過ごしていると、身体に何か変調を覚えるようになった。
一番の変調は、目であった。
教室の広さは前述の通りだが、どんなに日が差そうとも、明るさを感じない。人が話していても、唇の動きと聞こえてくる声が一致しない。そのうちに理由は分からないが、
「何かが違う」
と思うようになり、その理由が分かったのが、一週間ほど経ってからのことだった。
気が付けばこの違いがどこから来るものなのかを考えていたが、その理由が分かったのは偶然だったのかも知れない。
ずっと考えているつもりでも、ふっと気を抜くことがある。その間隙をついて感じたことなのだが、
「影がない」
人の足元を見ると、差し込んでくる日差しを受けて、影が伸びているものだが、よく見ると、その影を見ることができなかった。
――他の人も?
と思い、他の人の足元も見てみたが、影を感じることができなかった。
そう思った時、
――あれ? 影って感じるものなんだっけ?
とおかしなところにピンときたのだが、確かに影を感じるというのはおかしな気がした。
だが、冷静になって考えてみると、影というのは普段から意識しているものではない。
「あって当たり前」
のものであって、光があるのに影がないなど考えられないことから、
「別に意識することではない」
と思うものなのだ。
それだからこそ、影がないことに気付かなかったのだ。
――これって「石ころ」の意識だよな――
と思った。
「石ころ」というのは、単に路傍に落ちている石という意味なのだが、そこには、
「皆が目の前にしているのに、いちいち意識する人などいない」
という、あってあたり前のものは、目の前にあってもいちいち意識しないということの代名詞になっていた。
もっとも、この時点で意識しているのであるが、それは理論として意識しているだけで、実際にある路傍の石をいちいち意識することはない。そういう意味で、これほど相手にとって都合のいいことはないだろう。そばにいても相手から意識されることのない存在というのは、ある意味これほど怖いものはないともいえるのだ。
中西は、その頃から躁鬱症になっていくのを感じた。躁鬱症というのは、躁状態と鬱状態を一定の期間で繰り返すことで、その繰り返しがなければ、躁鬱症とは言わないのではないかと勝手に思っていた。(思い込みなのかどうかは分からないが)
躁鬱症と通称で呼ばれる症状は、双極性障害と言われているように、
「躁状態と鬱状態を繰り返す」
と言われている。
実際に中西が自分を躁鬱症せはないかと感じたのは、躁状態と鬱状態を定期的に繰り返すようになってからだ。最初は鬱状態がやってきた。その原因はまわりからの被害妄想だったのだが、教室が広く感じられたり、人の影が見えてこないという、一種の「幻覚」が見えたことからだった。
そのうちに感じたのは、昼間の億劫さだった。
それを顕著に感じたのは、信号機を見た時だったのだが、信号機の赤色と青色が何となく気になった。
これも最初は何に気になるのか分からなかったが、赤色や青色が鮮明に感じられなくなり、さらに青色が緑にしか見えなくなったことで、その理由を模索していると、その原因が埃にあることに気が付いた。いつもは日の光に意識がいかないのに、被害妄想になってから少しして、日の光を意識するようになったのを感じた。色が薄い黄色に見えたからだった。
それは、埃が舞っている時に感じる光の線であるが、調べてみると、
「チンダル現象」
というそうである。
そんなチンダル現象が気になるようになることが、信号機の青を緑と錯覚させるようになったのかも知れない。
だが、チンダル現象を気にするようになったというのも、その原因として鬱状態になり、まわりを自らが拒否するようになったことで、それまで感じることのなかった。いや、見えていたが意識しようとしなかったことを無意識な自分が気付いたということになるのだろう。
そういう意味では、鬱状態が決して悪いことのように思えない自分がいた。確かに被害妄想がひどくてまわり全員が敵のように見えていたのは辛いことではあったが、その間でも絶えず何かを考えていたのは。そんな状況から少しでもあがいて抜け出そうという思いがあったからであろう。そう思ったことが、チンダル現象を見せることに繋がり、信号機の錯覚から自分を顧みる時間ができたことで、
「鬱状態も悪くない」
と思わせたのに違いない。
チンダル現象は薄い黄色であったが、この黄色というのが中西の中で、
「トンネルの中で光っている黄色いライト」
を想像させた。
一定区間に点在している黄色いライト、それはトンネル内と外とでなるべく光の刺激の差をなくすことで錯覚を起こさないようにするための、一種の官庁緩和剤のようなものと言ってもいいのではないだろうか。
そういう意味で、トンネル内の「鬱」と、トンネルの外の「躁」がうまく連動させるには、黄色いライトが必要であると言えるのではないだろうか。
――そんな理屈、知るわけもないのに――
それはそうである。
調べたから分かったことで、中学生の少年に何の知識があるというのか、まったく知らないことを意識していたということで、これも一種の潜在意識ではないかと思った。しかも、本能に近い形の潜在意識である。
躁鬱症というものに対しても知識があるわけではないのだが、鬱状態から躁状態に至る時に感じるものがあった。それはまさにトンネルから脱出する時のあの感覚である。
表に出ると、急に色が戻ってくる。トンネル内にいれば、黄色いライトによって、どんな色でも、そのほとんどがグレーにしか見えてこない。なぜグレーなのかまでは分からないが、それも光の屈折が招くもの。つまりはチンダル現象のようなものだと考えてもいいのではないだろうか。
躁状態になった時の意識は、躁状態の時にはあるのだが、それが記憶として残ることはなかった。
――まるで夢だったようだ――
という意識すらない。
躁状態があったという事実だけは意識できるのだが、それがどのようなものだったのかということは記憶にすら残っていない。それも封印されているのではなく、ほぼ記憶から消えているという意識である。そう思うと、
「躁状態では、記憶喪失状態なのではないか?」
とも感じられた。
記憶喪失にもいくつか種類があり、ある一定の期間だけ記憶がないというものも少なくない。実際に記憶喪失と言われたことはないので、ハッキリと分からないが、ポッカリと空いた記憶の間は、
「なかったこと」
として記憶には残ってしまうようだ。
あったという意識はあるのに、記憶がなかったこととして返してくる答えには明らかな矛盾がある。
「ひょっとしてこの矛盾が躁鬱症を引き起こす理由なのでは?」
という突飛な発想まで出てくるほどに考えたことがあった。
だが、この発想も躁鬱症というものを考えるうえで、
「意識と記憶の相互関係」
というものを織り込むことで、飛躍的に発想が発展してくるということに気が付いた。
これが一種の「きっかけ」というものではないだろうか。
きっかけというのは、どこにでも転がっているようで、それをきっかけと感じなければ機能しない。それは路傍に落ちている石を、
「それは石なんだ」
と意識しない限り機能しないと言ってもいい。
それがどれほど難しいことなのか、きっかけという発想と合わせて考えることがなければ出てくる発想ではないからである。 逆にいうと、そのきっかけさえ掴んでしまうと、それまで理解できなかった不可解なことも、氷解していくようにすべてが明るみに出るような気がした。
だが、その明るみの中にも、決して明かしてはいけない、
「開かずの扉」
のようなものが存在しているのではないかと思うようになった。
今から思えば中学時代に躁鬱症になったことは、自分がまわりから置いて行かれたことが原因だと思っている。ただ、どうして置いて行かれることになったのかという根本的な理由が分からなかった。だが、大学生になってからきっかけが何だったのか分からないが、急に思うところがあり、中学生のあの頃の自分が、
「偽善者的なところがあった」
と思ったことだった。
中学時代のある時まで、偽善者ということを意識もしたことがなかったのに、ある時急に偽善者というのを意識するようになったことだった。
その時にはすでに躁鬱状態に入っていて。逆に躁鬱状態に入ったから、自分い偽善者的なところがあったのではないかと思った。それ以来、偽善者というのは見るのも聞くのも、意識することも嫌になっていた。毛嫌いしていたと言ってもいいだろう。
大学生になってから少しの間は自分に羞恥心というものが強くあるのだと思っていた。いくら先輩から誘われたとしても、風俗になど行くようなことはないと思っていた自分だったが、それは誘いに乗ってしあうと、自分の持っているプライドすべてを失うのではないかという思いがあったからだ。
確かにプライドのようなものは持っていた。そんなプライドが邪魔をしているという感覚も大学の中であった。だが、大学というところは自分が思っているよりも多種多様な人がいる。
中には、
「プライドなんか、鼻紙にもならない」
とうそぶくものもいた。
「いやいや、プライドがないといけないでしょう」
というと、
「そんなものに縛られていては、何もできないさ。何もできないということは逆にプライドというものが絵に描いた餅のようなものだという証拠になるんじゃないか?」
という。
それを聞いて、少し黙り込んでしまった中西だが、それはどう言い返していいのか、思い浮かばなかったからだ。
反対するには、相手の言い分よりも説得力のあることを言わなければいけない。同じであれば競り負けてしまうことは分かっていた。
中西が小説を書くようになったのは、その頃からではなかったか。それまでは多分に漏れず、なかなか継続させることができなかった。継続させることができないと完成させることができない。
「初心者にはまず完成させることを目指していただきたい」
と、小説入門を見れば、どこでも書いていることだった。
逆に言えば、完成させることが難しいのだ。完成させることができれば、後はそれほど難しくはない。継続の問題だからだ。
継続にもそれなりの困難がある。完成させることよりも難しいこともあるだろう。だが、完成させることができずに挫折し、諦めてしまう人がほとんどなので、継続の難しさを知る人などなかなかいないだろう。
「完成させることと、継続させること、何かに似ているような気がするな」
とその頃から考えるようになった。
その答えが分かったのは実に最近になってからだったが、どうして分からなかったかは自分でもハッキリとしない。
「完成させることと継続させること、それに似た感覚は、意識と記憶である」
記憶も意識して初めて成立するものである。継続も完成がなければできるものではないからだ。
この場合の継続は、執筆の継続ではなく、完成のあとの継続という意味であり、記憶と同じ理屈にはならない。
かといって、継続というものにいくつも意味があるわけではなく、執筆の継続と、完成させたものの後に来る継続は本当は同じものではないかと思う。
「では、継続にも記憶と同じように封印のようなものがあるのだろうか?」
と考えてみたが、同じようなものはないが似たようなものを感じることができた。それが、
「惰性」
であった。
惰性というと、あまりいいイメージがない。継続を保つことで起こる焦りのようなものが影響しているのかも知れないとも感じるし、惰性によってせっかくの継続が危うくなってしまうのではないかとも感じられた。
そんなことを考えていると、
「ひょっとして、中学生の頃に感じた偽善というのは、この惰性に似た感覚ではなかったのだろうか?」
という思いだった、
急に偽善という感覚が出てきたわけではない。少なくとも友達がいて、友達を作るという目的は達成していた。しかし、その中で友達との仲を継続させることに対して、どこかで間違いがあったのだろう。それが惰性のようなものだったのかは分からないが、継続に対して黄色信号を示したことが原因だったと思えたのだ。
その偽善は、今自分の中で完全に、
「悪」
として指揮している。
完全な悪として考えるのは危険なのかも知れないが、これのおかげで中学時代に躁鬱症に陥ったのは間違いのないことだった。
今でこそ躁鬱症は慢性化したとはいえ、それほど頻繁ではなくなった。繰り返すと言ってもそんなに何度も繰り返すわけでもない。何よりもパターンが分かってきたというのは自分にとって有利なことだと思うようになった。
信号機で思い出したが、信号は青から黄色、赤に変わるが、赤からはすぐに青二なる。
しかし、躁鬱症の場合は逆で、鬱状態から躁状態になるまでにトンネルのイメージという予兆めいたものを感じるが、躁状態から鬱状態には黄色信号はない。
「ハッキリした感覚がないというだけのことで、鬱状態に陥る時は分かる気がする」
と思った時期もあったが。それは躁鬱症を最初に感じた時の一度か二度だけのことだった。
それからというもの、躁鬱状態が再発するようになってからは、一度も躁状態から鬱状態に落ち込む時に感じる感覚はなかった。
それがいいことなのか悪いことなのか、ハッキリとは分からない。ただ、トンネルのような感覚がないのは確かだ。
――ひょっとするとチンダル現象のようなものは感じているのかも知れない――
と感じ、意識してみたことはあったが、そもそも感じるとしても、それが鬱状態への入り口であると分かっていなければ意識できないものである。
分からない以上は、果てしなく感じていなければいけないことであり、度台そんなことは無理なこどなのだ。
躁鬱症という病気の名前がハッキリしている以上、躁鬱症に罹るのは自分だけではないということは百も承知のはずだが、
「ここまで理屈を分かっている一般人は自分くらいのものであろう」
という自負もあった。
だから、見ていて明らかに躁鬱症だと思っている人を見かけると、話しかけてみたくなる衝動に駆られる。しかし、それをしてしまうことは自分がもっとも嫌悪している偽善的な行為になってしまいそうで、声を掛けることはできなかった。これも一種のジレンマであり。衝動と嫌悪しているものの板挟みは思ったよりも自分の考えを惑わすものとなっていることを、まだ分かっていなかったような気がする。
人に話しかけるということは勇気のいることだが、話をしてみて共感を得ることはもっと楽しいことだということを分かっている。
今までに自分から人に話しかけたことはなかった。大学に入って、とにかく友達を作ろうとして話しかけたことはあったが。話しかける理由と、どうしてもその人でないといけないという必然性がないので、自分から話しかけたと考える自分の理屈ではないような気がしていたのだ。
かといって、自分も人から話しかけられる方ではなく、
「自分から話しかけようとも思わないやつが、他人から話しかけられるわけもない」
と思っていたことで、それはそれで仕方のないことだと思うのだった。
大学ではたくさん知り合いはできたが、それは友達と言えないだろう。すれ違いざまに挨拶をするだけで、それ以上の話をしない人が結構いる。まわりに対して、
「あいつは友達多いんだ」
と感じさせることが自己満足だったとすれば。何と小さな自己満足であろう。
逆に自己満足を悪く言う人には、これくらいの自己満足であれば容認できるものなのかも知れない。自己満足を嫌う連中でこそ、容認できる自己満足という保健のようなものを持っていると思っているからだった。
ただ、この程度の自己満足でよかったのだから、大学入学の頃というのは、相当浮かれていたのかも知れない。それまでの必死だった受験勉強から解放され、自由になったという意識は果てしないものであり、少々の行き過ぎは目を瞑ってもいいと思っている。
そういう意味で、確信犯だったのかも知れない。同じ確信犯でも許されるものもあるとすれば、この程度のことではないだろうか。
罪悪感をあまり感じなくなったのもその頃で、罪悪感は偽善へのパスポートのようなものだと思っていた。罪悪感を高校生の頃までは悪いことだとは思っていなかったが、大学生になってから考えがオープンになってくると、偽善というものをさらに意識するようになり、その偽善がどこから来るのかを考えた時に、罪悪感という意識が募ってきた。
偽善を嫌うということは、罪悪感も否定するということであり、罪悪感がなくなったことで、いくら先輩からの誘いとはいえ、風俗に対して偏見を持たずに行くことができたのだと思っている。
もっとも、偏見と感じた時点で偏見が残っていた証拠なのだろうが、その時はそんな意識はなかった。
中西は、躁鬱症を感じるようになってから、自分が何かショックなことが起こった時、身体に変化がもたらせることを悟った気がした。身体に変化というよりも、感じることで反応すると言った方がいいだろう。
風俗に行ったきっかけは確かに先輩に連れて行かれたというのが本音であるが、その後で通い詰めるようになったのは、自分の責任でしかない。
最初の時に感じていた店を出た後の憔悴感は、次第になくなっていた。快感というのは放出されるまでの高ぶりと、放出してしまってからの憔悴感の大きさには個人差があるであろうか、個人差という一言で言い表せられるだけのものではなく、それが罪悪感となり、予期せぬ鬱状態への入り口を作り出してしまうのではないかと思えた。
それが自分にとってショックなことだろうと思った。そんなショックや鬱状態を感じるようなら、最初からいかなければいいと思っていたのだが、二度目以降はそれとは少し違った発想が生まれてきた。
二度目からも確かに憔悴感は残ったが、最初とは何かが違う。その原因がどこから来るのかを考えたが、結論は一つしかなかった。
――自己嫌悪に陥らないからだ――
と思うことだった。
最初は憔悴感が自己嫌悪を起こし、そのまま罪悪感に結び付いていた。その時は途中にある自己嫌悪を感じることがなかったので、いきなり憔悴感から罪悪感に結び付いたのだ。だから、二度目から何かが違うと思いながらも、憔悴感と罪悪感はあったので、入り口と出口がハッキリと分かっていることで、最初と何が違っているのか分からなかったのだ。
きっとそれ以降の同じように自己嫌悪を感じることはないだろう。そう思うと、鬱状態には入らないような気がした。
つまり、鬱状態に入る一番の原因は、自己嫌悪が起きることでの罪悪感から鬱状態を自ら生み出してしまうという考え方である。
最初に店に来た時は、何が何か分からず、ただちひろにまかせっきりになっていた。それが自分の意識をマヒさせて、自分の中で必死に言い訳を考えていたのだろう。
言い訳はもちろん自己嫌悪に陥らないようにするためのもので、基本的に悪いことをしているという意識があるのは間違いないことだろう。
自己嫌悪も罪悪感も自分の中だけで抱くものだが、自己嫌悪に陥るのが先で、罪悪感は後のはずである。なぜなら自己嫌悪に陥ったとしても、陥る原因が必ずしも自分が思っている悪いことだという意識があるわけではない。世間一般には悪いと思われていることかも知れないが、自分でそれを認めることができないから、自分で自分を嫌いになろうとするのだ。
だから、自己嫌悪は自分で思っているほど、本当に自分のことが嫌いなのではないかも知れない。それが罪悪感に陥ってしまうと、世間一般でも悪いと思われていることであり、自分でも悪いことだと認識していることになる。こうなってしまうと、完全に言い訳ではすまないことになるだろう。
だが、不思議なことに中西の中では、罪悪感の方が自己嫌悪よりも早く抜けられそうな気がする。自己嫌悪に陥っているという意識を感じることがないのも、そんな抜けられない状態に陥っているということを認めたくないからだと思うのは、おかしなことであろうか。
罪悪感と自己嫌悪はどこがどのように違うのか? 中西は考えてみた。
罪悪感というのは、世間でも自分でも同じように認める悪いことだという思いがあるので、言い訳もできず、神妙な気持ちにもなれる。懺悔するにもその理由を素直に求めることができるからだ。
しかし、自己嫌悪というのは、自分でも自覚できないほど、あやふやなものだという士気もあって、捉えどころがないという思いにも至る。ただ自分だけが悪いと思っているわkで、世間ではそう思われていないということから、甘えのようなものが出るのではないか、それが自分の中で曖昧から逃れられないものになると思っていた。
だが、よく考えてみるとこれも少し違う。
自己嫌悪に陥った時の方が、罪悪感を感じた時の方が、
「鬱状態に入りやすい」
ということを感じるようになった。
鬱状態というのは、躁状態と対になっていると思っていることであったが、自己嫌悪から入る鬱状態は、躁状態を伴うもので、必ず抜けることができると思っていたからである。
しかし、自己嫌悪から入ってしまうと、未知の世界の鬱状態に陥ってしまうのであって、それが底なし沼のようで、何よりも恐ろしいと思わせる。
自己嫌悪は自分に意識させない場合もあるが、考えてみれば、そっちの方が恐ろしいのかも知れない。
今までにも何度も自己嫌悪に陥ったことはあったような気がする。その時にも鬱状態に陥っていただろう。それなのに、その時のことを思い出せないというのは、ひょっとすると、
「鬱状態に陥らせた自己嫌悪を思い出さないように、自己防衛意識のようなものが働いているから、思い出させないようにしているのではないか」
と考えていた。
都合よく考えすぎなのかも知れないが、自己嫌悪に対しての考え方がネガティブすぎるという意味で、ちょうどいい中和剤なのかも知れない。
さらに自己嫌悪を感じることで陥る鬱状態も、本当は必ず抜ける日が来るのであるが、その抜け方が普段の躁鬱状態を繰り返している時に感じる、
「トンネルの中のような感覚」
ではないからではないか。
そう思うと、躁鬱症を繰り返している時に感じる鬱状態の中での、塵や埃が光って見えるというチンダル現象の中での気だるさも感じていないのではないかという思いもしてくるのだった。
だから、鬱状態に陥ると言っても、躁鬱状態を繰り返している時に感じる鬱状態とでは似ている状態であっても、明らかに違っていると思える。それこそ、
「まるで他人事だ」
というイメージで捉えることで、意識はしても、記憶として残っていないと言えるのではないだろうか。
それでもどんな鬱状態なのか、勝手に想像することはできる。
普段の鬱状態では、
「何をやってもうまくいかない」
あるいは、
「普段なら楽しいと思うことであっても、すべてに億劫さを感じ、嫌いになってしまう」
そして、そんなすべてを嫌いになる自分を、さらに第三者の目で見て、嫌悪するのだった。
――これこそ、自己嫌悪ではないか?
と思う。
つまりは、躁鬱状態を繰り返している時の鬱状態では、
「鬱状態になることで自己嫌悪を感じる」
というものであるが、憔悴感と罪悪感の間に存在しているであろう自己嫌悪は、
「自己嫌悪によって鬱状態がもたらされる」
という意味で、順番が逆なのである。
だから、普段よく分かっている鬱状態とは違う、
「未知の世界」
としての鬱状態は恐ろしくて仕方のない感覚になる。
その思いが、中西を、
「これ以上、恐ろしい感情はない」
と思わせ、感覚をマヒさせるようなイメージで、記憶が残らないように意識が操作しているのかも知れない。
それこそ、夢の世界のような感覚だと言ってもいいかも知れない。
夢も目が覚めるにしたがって忘れていくものであるが、夢の場合は楽しかった夢を忘れてしまうというのだから、少し違うのかも知れないが、あくまでも夢というのは自分の中で違う次元の感覚である。そういう意味では自己嫌悪というのとは違っている。あくまでも自己嫌悪は現実の感覚であり、次元が違っているわけではない。
もっとも、次元が違っていると思うのであれば、最初から自己嫌悪は罪悪感の一環として考えてもいいのではないだろうか。罪悪感は自己嫌悪の派生型のようだが、実際にはまったく違うものに思える。だから、憔悴感からいきなり罪悪感に陥ったとしても、意識して再度考え直してしまわなければ、自己嫌悪がなかったことを不思議に思わないのだから無理もないことであろうか。
自己嫌悪から陥った鬱状態、その時にチンダル現象は感じないような気がした。お店から出てきてから、最初の憔悴感、そして次に襲ってくると思われていた罪悪感の間に、それほど時間が掛かっていないからだ。途中に自己嫌悪があって、そこから鬱状態に陥るとしても、鬱状態が自己嫌悪の間だけあるものだとすれば、本当に短いものでなければならないだろう。
だが、本当にそんなに鬱状態というのは短いものなのだろうか?
そう思うと、
「罪悪感を感じ始めてから、完全に鬱状態が抜けてしまっていると考えるのは無謀なのかも知れない」
と思うようにもなった。
罪悪感を持っている間というのは、考えてみれば、鬱状態との共通点も多いかお知れない。
例えば、チンダル現象であるが、塵や埃が光っているというところまでは感じること曖昧な気がするが、気だるさはあるような気がする。最初はそれを、
「憔悴感が続いているからではないか」
と思っていたが、どうも少し違うようだった。
お店を出てからの憔悴感というのは、まだ快感の余韻のようなものが残っていて、その思いが身体を敏感にしていて、ムズムズとしたむず痒さが印象的である。それは、チンダル現象とともに起きる鬱状態での気だるさとは明らかに違っていた。
ただ、罪悪感というのも、快感が身体の中に残っているから感じてしまうものではないかとも思えた。
これは自己嫌悪と比較すると感じることであるが、罪悪感というのは、何か必ず自分に罪を感じるものがあってしかるべきである。それが、
「快感を味わったこと」
だとすれば、それは世間的に悪いことではないはずなのに、どうして罪悪感にまで発展するのか、そこにはお金の概念があるからなのかも知れない。
相手が彼女であったり、ナンパなどをして合意の上での性行為による快感であれば、罪悪感を持つであろうか?
もちろん、自分に彼女がいて、それで浮気をしたのであれば罪悪感を持って当たり前だと思うが、お互いにフリーであれば、それは別に罪悪感に至るものではない。かといって、風俗というのも市民権を得た立派な商売だという状況でのことなので、誰に何かを言われるいわれも、罪悪感を抱くことなど何もない。それでも罪悪感を抱くのは倫理的な意識というよりも、金銭が関わったことへの自分なりのこだわりがあるからなのかも知れない。
ただこれは相手に対して実に失礼な感覚である。少なくともちひろは自分を純粋に楽しませてくれようとしてくれているし、その気持ちが分かるから、こうやって何度も通っているのだ。
通っていることに対して罪悪感はない。罪悪感を抱いている時でも、通うことから来る罪悪感ではないと思っている。
では、この罪悪感がどこから来るのか、やはり金銭が絡んでいるからだと思うとすれば、そこに自分なりのこだわりを感じるということで、他人には関係のない自分だけへの悪の意識、つまり自己嫌悪が発生していると思えば、こちらからの観点からも、自己嫌悪の存在を証明することもできる。
そう思うと、自己嫌悪は明らかに発想としては間違っていないだろう。
となると、鬱状態というのも、罪悪感から証明できる何かがあるということであろうか?
鬱状態に陥った時、すべてのことがネガティブになり、普段であればありがたいと思うこともすべてが嫌味であるかのように、イライラしてくることがある。
大げさではあるが、まるで麻薬中毒で起こる禁断症状のようなものではないか。
まわり全体がすべて自分の敵に見えてくるというような妄想であったり、ないはずの穴や谷底が見えてくるというような幻覚を感じたりと、鬱状態というのは、ひどい時であればそこまで行くという話を聞いたことがある。
実際に中西がそこまでひどい妄想、幻覚を感じたことはなかったが、それはきっと躁状態との間で鬱状態が繰り返されていたからではないかと思う。
その間に何度か怖い夢を見たこともあるだろう。ひょっとすると、悪夢と呼ばれるようなものを見ていて、鬱状態の時であれば、覚えているということが皆無であるという理屈であれば納得ができる気がする。
――ということは、怖い夢を見て覚えている時というのは、ちょうど躁状態の時か、平常心の時に感じることなのかも知れない――
と思った。
だが、逆に鬱状態の時というのは、
――精神的に感覚がマヒしているのではないか?
と思うことがあった。
何をやってもうまく行く気がせず、すべてがネガティブに考えられてしまうくせに、別の意識として、
――これ以上悪くなることはない――
という意識もあった。
それは自己防衛本能から感じることなのであろうが、実際に鬱状態ではそれ以上悪くなることはない。
つまりは、
「鬱状態という時ほど、本質をついているという時はない」
と言えるのではないだろうか。
躁鬱症というのは、鬱状態と躁状態が繰り返して訪れる場合と、単独で訪れる場合があるらしいが、中西の場合は単独だったということはない。
最初に躁鬱を感じた時、最初は鬱状態だったのだが、他の人がどちらが最初なのか人に聞いたことがないだけによく分からない。
躁鬱症になってから、最初は誰にも言っていなかったが、急に話しかけてきた人がいた。
あれは、高校の時だったようだった気がするが、まったく知らない人から急に声を掛けられたのだ。
「お兄さんは、躁鬱で悩んでいたりするの?」
話しかけてきたのは一人の女性だった。
年齢的には三十歳くらいだろうか。年上の女性の年齢ほど分からないものはないと思っていたが、やはり想像できるののではないと改めて感じた。
「私はカウンセラーなんだけど」
話しかけてきたのは、けがをして通院している病院でのことだった。だから、相手が医者か看護師であるかも知れないとは分かっていた気がする。
「カウンセラーってお医者さんなんですか?」
「精神的な医者と言ってもいいかも知れないわね」
「どうして僕が躁鬱だって分かったんですか?」
「ずっと下を向いて何かを考えているような気がしたんだけど、その考えがどこか上の空な気がしていたんですよ」
「躁鬱の人ってそうなんですか?」
「人それぞれなんでしょうけど、私にはそう見えた時、その人が躁鬱じゃないかって思うんです。きっと他の人との違いは、他の人は、まわりの人に躁鬱の人なんかいないという意識が強いと思うんですよね。だからいたとしても気付かなくても当然だって思うんでしょうけど、私の場合はまわりの人が皆躁鬱症だっていう意識を頭から持っているんです。だから、消去法のように感じてしまうんでしょうね」
「じゃあ、消去法で行って、僕は消去できなかったということなんでしょうか?」
「ええ、そういうことになるわね。でも、様子を診ているだけで私の思っている躁鬱症に合致していると言ってもいいんです。それがさっき言った私の言葉に繋がってくるんですよ」
その人はカウンセラーだと言いながら、何かをアドバイスをしてくれるわけではなかった。ただ、
「躁鬱状態は癖になるというべきか、それぞれを交互に繰り返すから、ある意味慣れてくるのかも知れないけど、でも、躁鬱症は自分の中にある内に秘めた考え方から生まれることが往々にしてあるから、そのことはしっかりと覚えておくといいわ」
と言っていた。
その話を最近まで忘れていた。しかし、今回、憔悴感から自己嫌悪に陥り、その後最終的に罪悪感を抱くようになる間に躁鬱状態への扉が開かれるなどという感覚を思い出したことで、その時の話を思い出していた。
――でもあの時、もう一つ何か言っていたような気がするんだけどな――
と感じた。
それが何であったのか、さっき思い出した時、一緒に思い出したはずだったのに、我に返って再度思い出そうとすると、また忘れてしまった。
――思い出したという感覚が間違いで、本当は意識していなかったんじゃないだろうか――
と錯覚とも思える感覚が頭をよぎった。
だが、あの時にカウンセラーの女の人が話していたことは、今から思えばまんざらでもない。まんざらでもないという思いがあったからこそ、忘れていたと思っていた記憶を呼び起こすことができたのだろう。
――この記憶って、封印していたものだったのだろうか?
と考えさせられた。
人間の頭脳には限界があり、意識することと、苦億することの両方を使うだけで、脳のすべてを凌駕してしまうのではないだろうか。だから、記憶に関しては封印という形かあるいは、思い出す必要のないことは忘れてしまうような構造になっているのだろう。
だが、
「脳というのは、全体の十パーセントくらいしか使っていない」
と言われているが、それは作用に使う部分のことなのか、それとも格納する部分を含めて十パーセントだというのだろうか。意識は作用に当たるものだとして、格納するのは記憶の部分ということであろう。意識をつかさどる作用の部分は、ギリギリの百パーセントを最初から維持しておかなければいけないと思うようになっていた。
だが、記憶をつかさどる格納部分は、百パーセントの器はあったとしても、格納された大きさによって、大きさが変わるのではないかと思った。作用の部分は、まわりが固く、実際に使われている部分は表から見えるわけではなく、大きさは変わらない。その分格納部分は伸縮自在で、記憶という格納量によって、大きさを変化させることで、身体とのバランスを保っているのかも知れない。
かといって、身体の大きいからと言って、たくさんの記憶を格納できるというわけではない。いくら限りがあるとはいえ、少々の記憶を格納するくらい、小さな身体でも十分のことである。そのことで不公平がないということは、想像がつくのだった。
その時の先生の顔がなぜか思い出せない。覚えようという気がなかったのも事実だし、あおの時は、
「もう二度と会うことはないだろう」
という確信めいたものがあったからだ。
一度会った人に対して、
「二度と会うことはない」
と感じるというのは、今までにないことだった。
――もし、今何かにビックリするとすれば、あの時の先生に遭った時かも知れない――
と感じた。
顔は確かに覚えていないのだが、ひょっとすると顔を見ると、思い出せるのではないだろうか。
ちひろと会うのもこれが何度目であろうか、さすがに一か月に一度くらいの割合で行くようになったが、それが多いペースなのかどうなのか分からない。
「いやいや、一月に一度というのは、行き過ぎじゃないか?」
と先輩から言われたが、中西にとっては他にお金をあまり使うことはないので、貯めておいてその時に使うという意識で、生活に困ることもなかった。
だが、さすがに毎月行くようになると、飽きが来たというわけではないが、少しずつ自分が店に行くことを遠ざけるようになった気がした。
その思いというのが、
「急に罪悪感が強くなってきたからだ」
と思うようになっていた。
この罪悪感は、まわりが見ても感じる罪悪感ではあったが、今の中西が感じている罪悪感は、他の人に関わるものではないような気がして。それよりも自分の中だけで感じている罪悪感が強くなってきているのを感じた。
そのせいで、罪悪感の前の自己嫌悪が大きくなってきていて、憔悴感がより一層大きなものとなるのだった。
憔悴感の大きさが、足を遠ざけている一番の理由だった。
――快感の反動をもろに受ける感じがした――
と言ってもいいだろう。
そのせいもあり、一度一か月に一度のペースを開けていたことがあった。最初に行ってから五回目くらいのことだっただろうか。いつもであれば行きたくて仕方が亡くなる感覚を一度抑えてしまうと、行かなくてもいい感覚になった。
その頃には、最初彼女と会うのが身体目的ではないという自覚があったにも関わらず、途中から、
「やっぱり身体目的だったんだ」
という思いが自慰的な目的であったことに気付くと、一人でもできるのではないかと思うことで、急にお金がもったいなくなってしまった時が一瞬だったがあった。
誰にでも、ある感覚であるが、誰にでもあると思ったことで、感覚が冷めてきたのかも知れない。
「僕は人と同じでは嫌だ」
という感覚をずっと前から持っていたので、誰にでもある感覚という意識を持ったことが身体を拒否するに値する考えになったのかも知れない。
このような感覚を複雑に感じてくると、何から最初に思い立ったのかということが分からなくなり、頭の中が整理できなくなってしまう。
「整理整頓はできない」
と思っていた。
それは、
「モノを捨てられない」
という性格にあるからだった。
急にどうしてそんな罪悪感に似たものを感じたのか、それは捨てられないものを自分の中に抱えていたからなのかも知れない。
大学でシナリオを書いている時は、思ったよりもスムーズに書けたような気がする。小説などは本でしか読んだことがなかったので、初めてシナリオというものを見た時、
――何だ、これは?
と正直感じた。
あまりにもアッサリとしていて、そこに温かみが感じられなかった。淡々と描写を繰り返しているだけで、その中に頂上人物のセリフが書かれているだけである。
――こんなもので、どうやって何を表現しようというのか?
と考えたが、シナリオが小説と違うのは、一つの話を表現するのに、シナリオがすべてではなく、監督、演者、構成など、他に様々な人が関わっているということであった。
考えてみれば当たり前のことなのだが、小説しか読んだことのなかった中西にはよく分からなかった。
もっとも、小説を書こうとしてもなかなかうまく表現できない中西にとってシナリオというのは、ちょうどよかったのかも知れない。
「僕が思うに、シナリオというのは加算法で、小説の方は減算法なんじゃないかって思うんだ」
編集者に入社して何年かして後輩に小説とシナリオの違いについて聞かれたことがあったが、その時中西はほとんど宇余計なことを考えることもなく、そう答えた。
「どういうことなんですか?」
「一つの物語を表現しようとすると、シナリオの場合は脚本だけではなく、それを演じる縁者、そしてコンダクターというべき監督がそれぞれ自分の役割を持ってやっているだろう? だから脚本があまり詳しすぎるのはいけないんだ。なぜなら縁者や監督の個性を殺してしまう可能性があるからね。だけど、企画、構成が出来上がれば、まず着手するのはシナリオになるんだよ。シナリオができていないと縁者も監督も何もできないからね。それに比べて小説というのは、演者や監督はいない。作家がそのすべてを自分の言葉で表現することになるんだよ」
という中西に対して、
「それがどうして、シナリオが加算法で、小説が減算法だって思われることに繋がってくるんですか?」
と聞いてきた。
「シナリオはさっきも言った方に、一から作るものなんだけど、出しゃばってはいけない。でも小説はすべてのことを自分でしなければいけないので、まず小説の発想を抱けば、それを自分で想像するだろう? 想像したことを百としたならば、そこからどんどん添削していって、余分なものを削っていくことになる。そういう意味での減産なんだ。シナリオは逆に百から減らしていけば、そこまで減らせばいいか難しい、つまり一から作り上げる方が手っ取り早いという考えになるかな?」
「なるほど、そういうことですね。じゃあ、中石さんはどっちが好みなんですか?」
「僕の場合は、本当は小説を書いてみたいと思っているんだ、シナリオは学生時代に書いたことがあって、でも、その時は何か不完全燃焼が残ってしまって、ストレスがたまった気がしたよ。それはすべてを自分でできないという思いがあったからなのかも知れないけど、もしその時、加算法を意識していれば、もう少し違ったかも知れない」
「どういうことですか?」
「僕は何もないところから一から何かを作ることがやりたいんだ。シナリオもそうだし、小説もそうなんだ。さっき小説が減算法だって言ったけど、それは一から作るという発想とは少し違うと今は思っているんだ。しかも僕の場合は、減算法よりも断然加算法の方を意識している。だから本当は小説を書けるようになりたいと思っているくせに、減算法を意識してしまったから、今もって書けないんじゃないかって思っているんだよ」
「それは、自分の中に矛盾を抱えているということでしょうか?」
「そうですね。一言でいえばそういうことになるかも知れませんね。でも、そんな単純なことでもないような気がするんですよ」
「というと?」
「僕は、実をいうと整理整頓がうまくできない性格だと思っているので、そのあたりが影響しているのではないかと思うんだ」
中西は整理整頓が下手だということは、編集部内では周知のことだった。
皆感じてはいるが、さすがに本人に指摘する人はいない。上司の一人は、
「彼は自分で意識もしていてなかなかうまく行かないようなので、そんな相手に助言をいくらしても同じだよ。相手から相談されれば話は別だけどね」
と言っていた。
「整理整頓をできないということは、モノを捨てられないということになる。逆にモノが捨てられないから整理整頓もできないんだけどね」
と、中西のことをそう話していたのを、その後輩は聞いていた。
「モノを捨てられないということなんですね?」
彼は上司から聞いた話を思い出しながら、そう中西に言った。
「そうだね。モノが捨てられないということは、減算法には向かないということになる。何を捨てていいのか分からないからね」
後輩も中西の言葉に共感できるところがあった。
彼も中西ほどではないが、自分もモノをなかなか捨てられない性格だと思っていたからだ。
モノを捨てられないということは、
「まだ使えるものがあったとして、今後自分がそれを使うかどうか分からないので、捨ててしまって後で後悔するのがいやだということになる」
と思っていた。
モノを捨てられないということは、
「後で後悔したくない」
ということに繋がるというのは、中西も感じていた。
一番強く感じていることだと言ってもいい。
これを単純に、
「決断力がない」
という言葉で片づけられるものであろうか?
中西は小学生の頃、親から受けた躾の中で、
「モノを大切にする」
ということを徹底的に叩き込まれた。
どうやら、親も自分の親から同じように躾けられ、親も中西と同じように反発したようだったが、今では整理整頓もできるようになり、モノを捨てることも人並みにできるようになった。
「きっかけがあるんだよ」
厳しく躾けられ、反発していた中西に、一度母親がそう言って諭したことがあったようだ。
中西は結局そのきっかけを見つけることができず、結果としてモノを捨てることができないまま大人になってしまったが、反発していたわりに、その言葉だけはしっかりと覚えている。
親の説教じみたことで反発したことはほとんど忘れてしまったのにである。
中西は性格的に一度反発を覚えると、なかなか相手を信用できない性格のようで、そういう意味で、親に対しては反発するという意識が粘着しているようだった。
だが、そんな中西だったが、この時の、
「きっかけ」
という言葉が気になっていた。
大学生の頃には、きっかけという言葉だけが頭の中にあって、どんな時にその言葉を聞いたのかという肝心な記憶は抜け落ちていた。ただ、「きっかけ」という言葉だけが独り歩きしているようだったが、考えてみれば、人生この「きっかけ」という言葉は、すべての面において通用する言葉でもあるのだ。
だが、大学に入り、シナリオを書くようになって、この時の母親のセリフが、
「整理整頓できずに、モノを捨てることのできない自分に対しての言葉だったのだ」
ということに改めて気付かされたのだった。
――ひょっとすると、このことを思い出したことがこの言葉の神髄である「きっかけ」に繋がっていくのかも知れない――
と思った。
それがシナリオを書くということだったのは、自分で目からうろこが落ちた気がした。
ただ、シナリオを無意識にであるが加算法だと思っていた中西には、それがきっかけになっているとは思えなかった。
――何かが足りない――
と思ったが、それが何か分からなかった。
絶えず小説との比較を意識していたくせに、減算法だという感覚もあったはずなのに、その発想にまで至らなかったのは。きっと自分の中でニアミスを犯しているという意識を持っていたからなのかも知れない。
ただそのニアミスがどこから来るおのなのか分からなかっただけで、分かっていれば、果たしてきっかけになったのかどうか分からないが、中西にとってこのニアミスが、
「交わることのない平行線」
であるということを意識していたのだろうか。
中西には、ちょうどこの頃から
「交わることのない平行線」
という意識は頭の中にあった。
ただ、漠然とであるが。この平行線というのは、矛盾を孕んでいるということを感じていたようだ。その矛盾がどこから来るものなのか、それが分かっていれば、もう少しでニアミスであることが分かったかも知れない。しかし、この平行線を意識しながら交わることのないということを、
「何かの結界がある」
ということを感じたからではないかと思うようになっていた。
この結界というのは、そばにあっても気づかないものだった。それはある天文学者が創造したと言われる、
「光を持たず、光を反射させることもなく、まわりに同化する星が存在している」
という発想を思わせた。
どんなに近づいてきても、その存在に気付かない。下手をすると、衝突して自分がこの世から消え去ってもまだ、その存在に気付かないかも知れない。まるで、
「いつまで私は生きられますか?:
という質問に対し、
「死ぬまで生きることができます」
と答えるようなものだ。
まるで禅問答のようで滑稽だが、これは聞く方も聞く方だという発想も成り立つのではないだろうか。
中西は、
「小説は減算法、シナリオは加算法だ」
とまるで対照的なことを言っているが、それ以外のことで比較すれば、そのどちらも、遠くから見れば実に近い存在である。近くであれば、お互いを意識することのない平行線であり、結界があることで向こうが見えないような状態なのかも知れないが、それは中西の意識の中で、
「それぞれ、自分の頭の中で共存できるものなのであろうか?」
という思いがあることを感じていた。
シナリオは大学時代に何とか書くことができた。サークル活動とはいえ、それなりに責任感を持ってやっていたし、それなりにうまくできた自負もあった。まわりの評価もそれなりで、
――酷評ばかりでなければいい――
という程度に思っていたので、その割には結構褒めてくれる人もいて、自分でそれなりの自信を持つことができた。
だが、ここで自信過剰になってはいけないという思いから、褒めてくれた内容をあまり鵜呑みにしないようにしようと思った。それは、自分の進路を出版社に決めたことで、
「いずれ小説を書いてみたい」
という目標は持っていたが、シナリオに関しては、今後書くことはないと感じたので、自分の中で封印しようと考えたのだ。
シナリオを封印するというのは、元々小説を書くためのワンステップに過ぎないという発想があったことから、さほど辛いことではなかった。
かといって小説をすぐに書き始めることができたのかというと、そうでもなかった。さすがに小説とシナリオというのがまったく性質の違うものだということを分かってい派いたので、着手するまでが難しかった。
絵を描き続けるという経験はないのだが、小学生や中学生の頃の美術の時間で、絵を描かなければいけなかった時、まず最初に考えたのは、
「筆をどこに堕としたらいいか?」
ということであった。
絵を描くというのは、プロではない自分であってもその難しさや、どうして描けないのかということについて考えたことがあったが、どうして描けないかということは、基本的に、
「何をどう描いていいのか分からない」
という漠然としたところから入った。
要するに、
「何が問題なのか分からないところが問題だ」
という、まるで禅問答のような発想であった。
何をどう描いていいのか分からなかったが、絵というものの本質については考えたことがあり、自分なりに答えを見つけてもいた。
「絵をいうのは、バランスと遠近感が根幹にある」
と考えた。
だから、絵筆を最初にどこに置いたらいいのかが分からないのだ。
この発想は、将棋や囲碁を打つ人から聞いた考えに似ていた。これは、テレビ番組での将棋のプロの人と、テレビ局のアナウンサーとの会話からのものであるが、
「将棋で、、一番隙のない布陣というのは、どんな布陣なのか分かりますか?」
と、将棋のプロがおもむろにアナウンサーに聞いた時、さすがにアナウンサーもハッキリと分からず、少しだけ考えていたが、
「いいえ、見当もつきません」
というと、将棋のプロの人がしたり顔になり、
「それはですね。最初に並べた布陣なんですよ。つまりは一手差すごとにそこに隙が生まれる」
「なるほど、そういうことなんですね」
中西はこの話を聞いた時、自分が小説に対して感じた思いを偶然その時にも感じていた。
つまりは減算法ということである。
絵画において、バランスと遠近感が大切であるということを感じたのは、ひょっとするとこの話を聞いた時だったのかも知れないが、自分の中でこの時系列はハッキリとしなかった。
バランスというのは、例えば海岸の絵などに感じることであるが、下の方には海岸という陸があり、さらに中心部には陸との境目から水平線までの海が広がっている。さらにその上には空があるのは当たり前のことだ。そこに沈む夕日であったり、昇る朝日などがあれば、絵が映えるのは必然と言えるだろう。
またバランスによって、生まれる相乗効果として、
「絵のどの部分に最初に目が行くか?」
ということも重要である。
バランス感覚がどこに目を向けるかを決定づけていると言ってもいいかも知れない。そういう意味での、
「最初にどの部分に筆を落とすか」
という発想が重要になってくるのであろう。
また遠近感というのも、実はバランスと微妙なところで重要に結びついてくるような気がしている。
海岸を模写した絵であったとしても、そこにはバランスと遠近感が重要である。下から上に向かって、近くから遠くになっているというのが、絵を見ただけで分かってくる。それは誰もが普段見る感覚が養われているからであって、無意識であっても、感じることである。
では、もし逆さまにして絵を見た場合はどうであろうか?
天橋立でもないのだから、股の間から見るように逆さになって見ていたら、どこに遠近感を持って行っていいか困ってしまう。普段から無意識のうちに、
「下から上にだんだん遠くなっていく」
という感覚が身についているとすれば、バランス感覚はまったく崩壊しているに違いない。
まったくの逆さまから見ると、空がやたらに広く感じられ、陸や海はちょっとしかないように思うことだろう。上下逆さまに見て、まったく違った錯覚を感じるという「サッチャー錯視」という言葉があるが、まさにそのことなのかも知れない。
それは、自分の目線の中心をどこに置いていいか分からないということであり、中心を見つけることは、バランス感覚にしても遠近感にしても、絵を見るうえで重要なものを見失ってしまい、そこに残るのは錯視しかないということになるであろう。
――まさか、そこまで考えてしまっていることで、自分には絵など描けないという発想に至ってしまった理由ではないだろうか?
と考えるのは、考えすぎかも知れないと思った。
小説を書くというのも、絵画を描くという感覚に似ているのかも知れない。
絵のようにハッキリとしたビジュアルを、一枚のキャンバスで表現するものではないが、バランスや遠近感というものを、言葉で表現しなければならない。
バランスや遠近感に変わるものとして、相手に抱かせる想像力であったりするのだろう。その中で時系列や登場人物の性格などをいかに読者に分からせるか。それは抽象的な言葉になればなるほど、想像力を掻き立てることができる。逆に言えば、リアルな表現とのバランスが、絵におけるバランスと違って描かれなければいけないものとして意識する必要があるであろう。
読者は、作者の目論んだ世界に入り込み、そこで無意識に感じることで、想像力を掻き立てられる。
それは無意識でなければならず。本当は意識しているものなのだろうが、作者によって導かれるマインドコントロールと言ってもいいかも知れない。作者の目論見と読者の想像が一致しなければ、読んでいても楽しくはないだろう。逆に一致してしまうと、読者は小説世界の中に引き込まれ、感覚がマヒしてしまったかのように、時間を感じることもなく、ただ前に向かって進むだけであった。
そういう意味でも小説の中の時系列は必要になってくる。
小説の中には、時系列を無視したような作品もある。回想シーンなどをふんだんに用いた作品もあるが、それも時系列を無視した作品というわけではなく、
「時系列をハッキリさせるために、わざと回想シーンを入れる」
という、一種の小説における作法のようなものではないだろうか。
遠近感というのは、この時系列は影響している。
「下から上に向かって、どんどん遠くなってきている」
という発想は、まさに時系列と示しているのではないだろうか。
ただ絵画と違うのは、時系列さえ間違っていなければ、
「逆さまでも錯覚をすることはない」
ということである。
その解釈として一つ言えることは、
「小説には、絵画のような根幹としてのバランスというのはない」
ということである。
小説においても、それぞれの節を持っていて、バランスは重要なものである。例えば小説を書く上でプロット作成の際には不可欠である、
「起承転結」
という発想もまさにそこから来ているのではないだろうか。
小説を絵画、広い意味ではどちらも芸術の端くれである。そう思うと、この二つは一種の、
「交わることのない平行線」
という発想に似ているような気がする。
しかも、それぞれにニアミスであるということが分かっていて、決して相手のことが見えていないわけではない。
「光を発しない天体」
という発想にはなりえないということである。
もう一つ気になったのは、絵画に対して感じた、
「減算法」
である。
これは、偶然ではあったが、今まで必要以上なことを考えたことのない絵画に対して、小説に感じたことと同じ発想をしてしまったということを、本当に偶然として片づけていいものなのかどうかということである。
それぞれを、
「交わることのない平行線」
と感じているのに、共通点には事欠かない状態。
それを思うと、絵画も小説も自分の中で共通な感覚で見ていいものなのかも知れないと感じた。
他の人は意外と同じような感覚で見ているのかも知れない。だた、そのどちらにも興味が薄い人が感じていることだろう。
その対象である二つに対して少々距離があるほど、その対象が近くに見えるものである。これは錯覚でも何でもなく、本能も感じていることだ。
「錯覚であっても、本能が感じていることであれば、それは錯覚として捉えられているものではないのではないか?」
この考えは、冷静に考えれば当たり喘のことだ。
錯覚というのは、錯覚だと思うから初めて錯覚になるのであって、錯覚ではないと思っていれば、それはスルーされる感覚であってしかるべきである。
これにも個人差があるから難しいのだが、人によって違う感覚であれば、それをどこまで錯覚として認識すればいいのか難しい。
錯覚でない部分は、いくら交わることのない平行線だと思っていても、そこには結界のようなものは存在しない。ただ、向こうが見えているが、想像以上に遠いところにあるというのが本質なのかも知れない。
絵画にしても、小説にしても、シナリオにしても、芸術には自分が想像もしていなかったところに共通点があり、無意識ではありながら、その存在を尊重しようとするものがあるのかも知れない。それを本能というのではないだろうか。
小説を書くようになってから、いろいろな新人賞に応募したが、ことごとく一次審査すら通らない。気持ちの上では、
「まだまだこれからだ」
という思いはあるが、年齢を重ねていくと、リアルに考える気持ちが放射状に広がっていく。
最後の望みだけは残すくらいのつもりで、なくなっていく欲望は諦めつつも、意欲だけは失わないようにしようと思っていた。意欲がなくなると他のことにも影響してきて、生活のリズムが崩壊してしまうような気がしたからだ。
生活のリズムを形成するのは、自分の中にある意欲ではないかと中西は思っていた。他の人とは考え方としては違うかも知れないが、最終的にポジティブな発想であるというところは共通していると思うので、同じなのだろう。
意欲がなくなってくると、生活のバランスが崩れてくる。毎日規則正しい生活をしている人にはもちろんのこと。不規則な生活であっても、慣れてくると、その人なりの規則に基づいて生活しているに違いない。バランづさえ整っていれば、他人から見て不規則に見えることでも実際には規則正しかったりするのではないかと中西は思っている。
意欲さえ失わなければ、趣味としてであっても、小説を書き続けることができる。むしろ趣味だと思うことの方が気楽にできるというもので、気楽な方が筆が進むことだってあるようだ。
出版社に入社して、三か月研修期間があり、そしてその後に担当の作家に着くことになったのだが、いきなりついた相手が隆正だったのだが、彼は編集者泣かせとも言われるほど偏屈な性格だった。
わがままなところがあり、そのくせ、まわりの人が自分よりも優れていると思い込んでいる。謙虚というわけではないのだろうが、そのせいで、小説を書けるようになり、先生と呼ばれるようになったことに天狗になっているふしがある。そのことは編集者共通の意見であり、中西もその話を聞いていなかったとしても、すぐに気が付いただろうと思うほど分かりやすい性格であった。
だが、分かりやすい性格だということほど単純なこともない。嫌われるようなことさえしなければいいだけで、ある意味おだてておけば勝手に木に登ってくれるような人だったのだ。
編集者というのは、作家と二人三脚だと思っていたが、人によっては縁の下の力持ちに甘んじなければいけない相手もいる。不公平な気もするが、それは編集者に限ったことではなく、営業職の誰でもが感じていることである。
営業の相手にはいろいろな人がいて、わがままが過ぎる人もいる。何をさせられるか分からないと日々ビクビクしながら、懐に辞表を忍ばせながら仕事をしている人もいるだろう。
「上司の机の上に、ドンと辞表を叩きつけて、啖呵と切って辞めることができれば、どれほど爽快なことだろうか」
誰もが思っていることかも知れない。
中西もその一人であった。
さすがに懐に辞表を忍ばせてもいないし、啖呵を切るだけの勇気があるわけでもないが、
「いつまで我慢できるだろうか」
と思いながら仕事をしている日々が続いた。
しかし、世の中にはそんな状況を乗り越えて頑張っている人はごまんといる。いくつか原因はあるだろうが、要するに慣れてきたのだ。
要するに、
「画面の限界に達するのが早いか、それとも慣れてくるのが早いか」
というだけのことである。
慣れというのは、別に惰性でも構わないと思っている。惰性であっても我慢を凌駕できるのであれば、それに越したことはない。なぜなら慣れてきたことで、少しは気持ちに余裕が持てるからだ。
我慢しなければいけない状態であると、どんどん自分に余裕をなくしてしまっている。余裕がなくなると、最終的には我慢できなくなり、次のステップに進まないとどうしようもなくなる。
辞めるかどうかの選択はそこから生まれるのだ。
辞めようと思った時、ほとんどの人は、
「自分が悪いんじゃない」
と思うことだろう。
辞めるという決断をした時、その正当性を求めるからだ。
辞めるという行為は、自分に余裕がなくなって、精神的に我慢できなくなったからに相違ない。つまりは、それだけの理由では自分への正当性は考えられない。
辞める原因が営業先の相手や上司であれば、相手を悪いということにしてしまえば、そこに正当性は生れる。
「相手が悪いんだから、自分が悪いわけはない」
という思いがさらに拍車をかける。
普段であれば、
「相手が悪いからと言って、自分が悪くないとは限らない」
と気付くのだろうが、辞めようと決断している場合は、そんな理屈は通用しない。
何しろ辞めることに対しての行為よりも強い正当性を求めなければいけないからだ。
なぜなら辞めた後のことを考える必要があるからだ。
辞めた後、新しく仕事を探さなければならない。辞めてすぐくらいは、ゆっくりしていたいと思ったり、せいせいする気分から気が抜けてしまっているだろうが、ふと我に返ると、そこに残っているものは何もないのだ。
まったく何もないところから新たに職を探す。これには想像以上にエネルギーを使うに違いない。
新卒での就職活動は、まわりが皆就活ムードの中で行われたので、いろいろ相談できたり、情報交換などができたのだが、たった一人放り出された状況になったそこから新たに職を探すのは、きっと至難の業だろう。
特に一人となることは想像以上に孤独を味わうことになると思ったからで、錯覚に違いないと普段では感じることも、錯覚だとは思えないような精神状態に追い込まれると思っていた。
これは、躁鬱状態を繰り返している時の鬱状態とは少し違う。躁鬱状態で陥る鬱状態というのは、あくまでも虚空の鬱状態であり、具体的に自分をどのような苦痛が押し寄せてくるのか、想像することもできないような状態で、それは妄想という意味でもっと苦しいものなのかも知れない。
妄想の中において、鬱状態に入り込んでしまうと、それまで何も感じなかったことすべてを不安に感じる。この不安が妄想であり、鬱状態独特のものとなる。
普段の不安な精神状態というのは、
「何に不安なのか分からない」
とは思っても具体的ではないので、次第に忘れていくものである。
錯覚と感じるかも知れない。
だが、鬱状態に感じる不安というのは、確かに具体的に何が不安なのか分からないのだが、不安な時間を長く過ごしていれば、それまでなかったものが形作られてくる気がする。
どんな形になっているのかは、その時々で違っているのではないかと思ったが、繰り返す躁鬱状態の中では、いつも同じなのではないかと思うようになった。だから、
「躁鬱状態というのは繰り返すのではないか」
と思っている。
中西の躁鬱状態のピークは中学時代であった。そう、ちょうど思春期の時期と重なっていたと言ってもいい。だから中西の中で、
「自分の思春期は、言葉で言い表すことができない」
と思っていた。
何をどう表現すればいいのか分からないと思っているのは、記憶が曖昧だというのもあるが、記憶を曖昧にした理由について心当たりがあるからなのかも知れない。心当たりがあるからと言って、これを口にするのはタブーだと思っていて、口にしてしまうと、せっかく記憶の中に封印している思いを自らで打ち消してしまうように思うからだ。
「せっかく記憶を意識することができるのに、口に出すことができないなんて」
と、完全に日の目を見ることのない状況を、自分のことでありながら、どこか気の毒に思うのは、どこか矛盾しているような気がしているが、そもそも日の目を見ないこと自体が矛盾になるので、それも無理のないことのように思えた。
中西はそのまま気難しい隆正の相手をするようになったのは、辞職することで再就職への恐怖を感じたからではなかった。確かに気難しい人を相手にするのは苦痛だったのだが、次第に、
「この人から何かを学べそうな気がする」
という思いがあったからだ。
いくらプロの作家を諦め、趣味で行こうと思ったとはいえ、学べるところが多いというのはありがたいことだった。
しかも、中西という人間は、実は営業には向いていなかった。
なぜなら、
「自分が縁の下の力持ちでは我慢できない性格だ」
ということを分かっているような気がした。
「自分は他人と同じでは嫌だ」
というのは、自分が人より劣っていると思いたくないからで、これは、
「まわりが自分よりも優れている」
という土台があるからこそ、そう感じるものだった。
この考えは、隆正の裏の性格と同じではないか。表ではわがままなくせに、実際にはまわりが皆自分よりも優れていると思う感覚。中西がまわりから聞いていなくてもすぐに分かっただろうと思った理由は、ここにあった。
中西はまわりが自分よりも優れているという考えを持っていることに気付いたのは、もっと小さかった頃からだった。自分について考えるようになった最初の頃から感じていたのではないかと思う。
その意識をずっと持ってはいたが、そのほとんどは無意識だっただろう。
「何かあった時、その感覚が顔を出すんだ」
ということに気が付いたのは、隆正を知ってからだったと思う。
最初こそこの性格は自分だけではなく、他の人も普通に持っているものだと思っていた。しかし、まわりを見る限りそんな素振りを示す人はどこにもいない。ただ口では、
「自分よりまわりの人は皆優れているからな」
という人がいるが、そんな人ほど、
――心にもないことを――
と感じさせることはなかった。
それだけ虚偽に満ちた態度であり、余計に自分の気持ちを隠したいという意識の表れではないかと思うようになっていた。
隆正を見ていて、大きな共通点を発見はしたが、それ以外のところで共鳴できるところは見当たらない。それでも彼に対して興味が次第に深くなっていくのを感じたのは、ひょっとすると、共通点が少ないことが影響しているのかも知れない。
山下隆正という作家は、普段はまったくの無口である。今までに何か会話をしたという記憶のある人はほとんどいないと聞いている。今までの担当者にも言えることで、
「どんな声をしていたのか、それどころか顔すら忘れてしまっているよ」
と笑いながら話している人もいる。
顔を忘れたと言っていながら、そこに悪びれた様子がないのは、顔を忘れたことが悪いことではなく、忘れさせるような原因は相手にあると感じているからなのかも知れない。
「だけど、先生から離れてせいせいしているというわけでもないんだよ」
という人もいた。
「どういうことですか?」
「先生から学ぶこともあったと思うし、先生と一緒にいたから、他の先生とも相手ができる気がするんだ。確かに山下先生がひどかったので、他の先生にも耐えられるという気持ちもあるんだけど、どうもそれだけではないと思うんだ」
と言っている。
「それはどんなところですか?」
「具体的には何もないんだけど、何というか、一足す一が二にも三にもなるというか、あの人には答えがないように思うんだ」
「答えがない?」
「ああ、答えがないということは、答えを求めてはいけないということになる。求めなければ見えてくるものもあるというもので、それが先生が与えてくれているものなのかどうかは分からないんだけど、何となく先生に共感できるところも生まれてくる気がするんだ」
と言っていた。
「共感ですか?」
「きっとお前にも分かる日が来ると思うけどね」
という話を聞いて隆正にもう少しついてみようと思ったのも事実だった。
――自分にとって理解できない部分が多いのは、相手を理解しようとしないからだ――
とよく言われるが、果たしてそうだろうか?
この言葉はどこか杓子定規の教科書に載っている言葉のような気がして、それをそのまま鵜呑みにすることができないのは、やはり
「自分は他の人と同じでは嫌だ」
というところから来ているのかも知れない。
他の人と同じという言葉の意味は、性格という意味なのか、考え方という意味なのか、どっちなのだろう
考え方というのは、いくらでも変えることができるだろうが、性格というのは、そう簡単に変えることはできないだろう。
「性格というものには、持って生まれたものと、育ってきた環境に育まれたものもある」
と言われている。
持って生まれたものは、変えることはできないと思うが、育ってきた環境に育まれたものは、変えることはできるのではないか。
「育ってきた環境による性格は、その人の気持ち一つで変えることができるのではないか?」
と言われているのを聞いたことがあったが、中西には、そんなに簡単なものには思えなかった。
人によって自分の性格を変えることができると思っていると思うが、もし変えることができたとすれば、元々持っていて隠れていた性格が表に出ただけなのかも知れない。
「ジキル博士とハイド氏」
という小説があったが、これは二重人格を書いた小説で、二重人格というのを、まったく対照的で両極端な性格を模写した話であった。
躁鬱症と、この二重人格とでは性質が違っている。躁鬱症は一人の人間が一つの意識の中で行うことであり、「ジキルとハイド」のような二重人格は、一人の人間の中に二つの意識が存在しているということを意味しているのではないだろうか。躁鬱症の場合は躁状態の時、鬱状態の自分を意識することができるし、鬱状態の時、躁状態の自分を意識することができる。
何を考えていたのかまではハッキリと分からないかも知れないが、意識としてはできるのに反し、「ジキルとハイド」的な二重人格では、ジキル博士が表に出ていると、ハイド氏は完全に隠れてしまっていて、ハイド氏が表に出ている時はジキル博士は表に出てくることはない。
つまり、眠ってしまっている状態なのか、ハイド氏が人からジキル博士の話を聞いてもまったく他人事であるし、逆も同じことだった。まったく意識の中にそれぞれがいることはない。
これはまるでどんでん返しに似ている。歌舞伎などの舞台で、反転するとまったく違う舞台装置が表に出てくる仕掛けである。
中西は自分の性格を二重人格だと思っているが、それは「ジキルとハイド」的な性格ではないと思っている。そもそも二重人格という自覚があるということは、一人の性格を持っている時、もう一人の性格を意識できているということなので、それだけでも「ジキルとハイド」的な二重人格とは違うのだ。
では、果たして二重人格という表現はどちらにふさわしいのだろうか?
一般的に二重人格というのは自覚できるものだと思っていたので、「ジキルとハイド」的な性格は二重人格とは違うと言えるのではないだろうか。広い意味での二重人格であるが、狭い意味にしてしまうと、二重人格とは呼ばないような気がしていた。
しかし、実際に調べてみると、二重人格と呼ばれるのは精神的な病気で、
「心に強いストレスを受けた時、自分の心を守るための防衛機制として、自分の中に自分ではないもう一人の人格を作ってしまうこと」
それを二重人格と呼ぶのだという、正式には、
「解離性同一性障害」
というのだそうで、そして重要なことは、
「もう一人の自分が出ている時には意識はなく、まったく別の人格として振る舞う」
ということであり、「ジキルとハイド」的な二重人格を、本当の二重人格ということのようだ。
要するに二重人格への入り口は、
「自己防衛」
ということになる。
ジキルとハイドの話も、確か薬を飲むことでもう一人の自分を作り出すことに成功したということだったような気がするが、それも自己防衛のなせる業だったのかも知れない。
中西は、その二重人格につぃて調べた時、
――だったら、僕の性格は二重人格と言えるものではないんだろうな――
と感じた。
しかし、もう一つ気になることがあった。それは、
「自分が意識していないだけで、自分の知らないもう一人の自分を、まわりは知っているのかも知れない」
という意識であった。
自分にもジキルとハイドのような一面があって、自分だけが知らないもう一人の自分の存在をまわりの人皆が知っているという恐ろしい発想であった。この発想を確認するすべを中西は知らない。まわりの人に聞く勇気もないからだ。
もし、聞いたとして何と聞けばいいんだ?
自分が二重人格だったとしても、その性格が分かるわけではないので、自分が感じている性格をまわりの人皆が理解してくれていれば、自分ではない性格がどんなものなのかを分かり、その部分が、
「もう一人の自分」
であるということを指摘してくれるであろうが、中西のことをそこまで完璧に分かっている人などいるはずもない。
そんな中西だったが、
「ひょっとして、この人だったら、自分のことを分かってくれるかも知れない」
と思う人がいた。
それはちひろだった。
彼女とはお店の中でしか会ったことがなく、関係は、
「客と嬢」
というだけのもので、情を挟んではいけない相手だった。
そのことは分かっていたはずなのに、彼女に見つめられると、急に何でも話してしまいそうになる衝動に駆られたのを思い出していた。
そして、その思いに気が付いて、ハッとなった中西は、お店では聞いてはいけない女の子のプライベイトなことが気になって仕方がなくなっていた。
――もし、他の女の子だったら、こんな気分になることなどないんだけどな――
と感じていた。
中西はちひろに対して、
「今まで見知った女性とはどこか違う」
と思うようになっていた。
だが、それは完全な贔屓目であり、彼女を特別な人間だと思うことで、自分が風俗に通っているという思いを少しでも和らげようという自己防衛に対しての姑息な手段でしかないだろう。
だが、ちひろの方はどうだろう? 中西のことを、
「どこにでもいる、普通のお客様」
というだけで見ているのだろうか?
これも誰にも聞くことができず、悶々とした気分になっていた。そんな自分を客観的に見るもう一人の自分がいて、
「何て情けないんだ」
と蔑んでいるのが分かった。
だが、中西はもう一人の自分の存在を意識することはできるが、もう一人の自分になりきることはできない。このもう一人の自分を、二重人格のもう一人だと言えるだろうか。もう一人の自分は、意識することができないはずだからである。
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