意識の封印
森本 晃次
第1話 直子との再会
「世の中には、俺なんかの知らない世界が、まだまだたくさん存在するものだ」
桜田竜馬がそう感じるようになったのは、三十代も後半に差し掛かった三十六歳のころだった。
彼女がいた時期もあったが、長続きはしない。最高でも半年続けばいい方で、その半年と言っても、実際に彼女彼氏と言える時期は、一か月か二か月くらいだったのではないだろうか。
「熱しやすく冷めやすい」
そんな性格をしていたくせに、相手から離れて行かれる素振りを見つけると、急に不安になるのか、まるでストーカーのような雰囲気に変わってしまう。
「追いかけたって、どうなるものでもない。情けないと思わないのか」
と言われればそれまでなのだが、もちろん、そんなことは分かっている。
分かっていて、どうすることもできないのは、まだ自分が若いからなのか、それとも恋愛経験が乏しいからなのか、きっとそのどちらもであろう。
若いということにも幾分の解釈がある。世間の理屈たからくりがわかっていないという若さ。さらに、自分を抑えることができないという、抑制力よりも欲望の方が強いことが引き起こす感情を、若いということを理由に正当化させようとしている打算的な自分が理解できないことも若さと言えるのかも知れない。
竜馬が思春期を迎えたのは遅かった。中学二年生の頃まではまったく異性に興味もなく、肉体的にもまだ子供だった。声変わりを感じたのも中学三年生になってからで、背丈も背の順に整列すれば、前の方だったのを覚えている。
どうかすれば、女の子に自分よりも背の高い子がいたくらいで、背が低いことに関しては、結構コンプレックスを持っていたような気がする。
元々竜馬が女の子に脅威を持ったというのも、きっかけはおかしなものだった。
――こんなのは自分だけだろうから、恥ずかしくて誰にも言えないよ――
と思っていたが、案外皆似たようなものだったのかも知れない。
竜馬が気になったのは、好きな子ができたからではない。クラスメイトの男子が、女の子と一緒にいて楽しそうに見えるその顔が羨ましかったというのが、竜馬が感じた最初の異性への意識だったのだ。
相手の女の子の楽しそうな顔というのも、もちろん意識したであろうが、それよりも男子の普段では見たことのないような楽しそうな蚊を見ると、
――俺にもあんな顔ができるのだろうか?
という思いとともに、
――俺にも彼女ができればあんな顔になれるんだろうな――
という思いがあり、その思いが徐々に強くなっていき、それが確信に変わった時、
「俺は異性への興味に目覚めたんだ」
と自分に言い聞かせることができるようになっていた。
つまり、女性への興味というよりも、女性に興味を持つことで自分がどのように変わっていくのかということに興味があったのだ。
だが、女の子の笑顔を見ていると、自分も知らず知らずに笑顔になっていくのを感じた。どうしてそんな風に感じるのかということをずっと考えていたが、その思いは急に閃きとともに分かってしまったのだ、
――そうだ。制服が眩しいんだ――
セーラー服であっても、ブレザーであっても気になってしまう。
これは、中学に入学した頃からそうだったはずなのだが、それを認めたくない自分がいたのではないだろうか。彼氏と一緒に微笑んでいるその笑顔を見て、制服の眩しさを再認識したのであって、その時初めて感じたものではなかっただろう。
思春期に突入するのは中学三年生と確かに遅かったのだが、その片鱗は中学に入学した時からあった。そう思うと、
「思春期というのは、前兆があり、それが長い人もいれば短い人もいる。ほとんどの人はそれを意識していないが、意識することができるとすれば、きっと思春期が終わってからのことだろう」
と感じるようになった。
実際、竜馬がそれを感じたのは高校二年生になってからのことで、その頃から大学受験を意識するようになっていたので、すでに思春期を抜けていた竜馬は思春期に感じることのできなかったことはもうすでに意識しないようにできるほど、頭の中では冷めた状態になっていたのだ。
ただ、制服への思いはひそかに持っていた。悶々とした気持ちになった時、制服の女の子を見ては、ムラムラしていたが、ただそれだけだった。それは理性があったからというよりも、単純に勇気がなかっただけ、それを自ら認められるだけマシなのではないかと、竜馬は思っていた。
さすがに制服が好きだなとというと、まわりから白い目で見られるのは分かっていたので誰にも言っていないが、分かる人には分かっていたことだろう。誰もそのことに触れなかったが、それと同時に彼に近づいてくる人はいなくなった。それは男子も女子も一緒で、隠そうとすればするほど滲み出てくるものがあったのかも知れない。
「制服フェチとか、マジヤバいよね」
などと喫茶店で話をしている女子高生を見ると、いかにも自分のことを言われているようで、逃げ出したくなるが、情けないことにそこから立ち去る前に、足が動かなくなってしまった。
――まるで針の筵だ――
とも思ったが、それも自業自得なのではないかと思う自分もいて、そう感じる自分に対して、
――感じるだけならタダじゃないか――
と擁護する自分もいる。
どっちが本当の自分なのだろうか?
ただ一つ言えることは、
「こんな性格であれば、ずっと彼女なんかできっこない」
ということである。
何とか隠し通そうとしても、結局分かる人には分かるのだから、隠し通せるものでもない。だからと言って自分から公開するほどの勇気があるわけでもないし、公開するのであれば、カミングアウトをしても、まわりに不快な思いを与えないようにしなければいけない。果たしてそんなことが可能であろうか? その頃の竜馬は、
――自分にそんなことできるはずがない――
と思っていたのだ。
だが、この性格を持ったまま生きていかなくてはいけないのは分かり切ったことで、どうすれば一番いいのかを考えることが先決だった。
ヲタクという言葉も高校時代に知った。いろいろなフェチがいるということだが、フェチとヲタクは違うとは思うが、それは、
「ヲタクにフェチは大分、フェチだからと言って、ヲタクだというわけではない」
という思いに近い。
もし自分がフェチだと言われてもそれほど怒ることはないが、ヲタクだと言われると怒っていたかも知れない。
ただ、それは高校時代までで、大学に入るとヲタクも悪くないような気がしていた。
テレビドラマなどで、あまりにも過度な演出をしているから、イメージが悪くなると思うのであって、要するに、
「一般的な趣味趣向とは違ったものを好む人」
という認識であるが、それはあまりにも漠然としていて、マンガやアニメ、SFのような話を好む人をヲタクというのであれば、それは別に毛嫌いするものではない。それぞれにちゃんと文学として芸術として認識されているものであって、市民権も得ているという意識があるからであった。
大学生になると、いろいろな人がいる。ヲタクも結構いたが、話をしてみると、自分が嵌っていること以外でも結構知識を持っていたりする。そんな連中を、
「ヲタクだから」
という理由で遠ざけるのはフェアではないと思うようになった。
「自分は自分、人は人」
である。
ただ、ヲタクと呼ばれる人の中に、自嘲的な人がいるのも事実だ。
堂々としていればいいものを、
「ヲタクだと思われたくない」
という思いから、自分を見失っている人である。
そんな連中をヲタクとして一緒にしてしまうと、どうしても偏見の目で見られる原因になっているのではないかと思う。見ている方も見ている方だが、自嘲的な人がヲタクだという意識を持つこと自体、嫌な気がした。
フェチに関しては、
「変態じゃないか?」
と言われるかも知れない。
しかし、変態であっても堂々としていれば、それはあくまでも個性だとしてk名が得ればいいことではないかと思う。爪に凝る人がネイルという趣味をするのと同じで、身体の一部のどこを好きになったとしても、それは自由なはずだ。
「ネイルはいいが、パンストフェチなどは変態だ」
と言われるのは心外な気がする。
確かにSMなどの性的に特化したプレイには、パンストや網タイツなどの衣装が一般的だが、だからと言って、SMであっても、これは中世欧州であれば、
「貴族の嗜み」
と言われた時代もあるくらいで、これも立派な個性ではないだろうか。
すべての性的に特化したプレイを変態呼ばわりするのは、それこそ性的営みに対する冒とくであり、下手をすれば、子孫存続をも脅かす理論に発展しかねない。それを思うと、自分だけの道徳をひけらかす人たちが集まることの恐ろしさを痛感させられるような気がするのだ。
そうは言っても、それは気持ちとして思っているだけで、声に出して言うだけの勇気はない。そもそも何に対しての反論なのか、何かの定説があっての反論でなければ成立しない。
要するに、自分の理論を自分で正当化しているだけであった。
世の中には、多数派がすべての正義だと思っている人も大いに違いない。民主主義というのが多数決の賜物であることから、そういう意識になるのだろうが、逆に少数派が多数派よりも意見の濃い発想を持っていて、説得力がったとしても、
「多勢に無勢」
という言葉もあるが、勝つのは基本的に人数が多い方である。
つまり、勝つことがすべての正義であり、世の中というものが、
「勝負ありけりが前提」
であるということである。
勝つ人がいれば負ける人がいる。負けた人はどうなるというのだろう?
そんな問題提起をするのもドラマであったりマンガであったり、アニメだったりする。ひょっとするとそれらの文化をヲタクと表現するのは、少数派を多勢にしないようにするという目的が裏に隠されているのでかも知れない。
「それこそこじつけで、少数派を正当化しているだけだ」
と言われるかも知れないが、それはそれでもいいと思った。
こうやって書いてくると、自然と竜馬が自分のヲタクだったり、フェチとしての変態だったりという自覚を持っているのではないかと思われるだろうが、その意識はあっても、それを自分で正当化できるまでの信憑性を感じることができるようになるまでにはかなりの時間が掛かった。
時代というのは流れるものである。いわゆるブームという意味であるが、一つのブームが起こると、それから数十年すればまた同じブームが起こったりするというのは、結構言われていることである。
店にしてもそうであり、サブカルチャーとして存在しているヲタクやフェチの巣窟ともいえるいわゆる「メイド喫茶」や「コスプレバー」などのようなサブカルチャーの店などは、
「五年から十年が周期だ」
と聞いたことがあった。
出現したのがここ二十年くらいで、その間に数回のブームがあったのだからそう言われるのだろう。それにしても短いものである。
当初の頃は、一部地域にしかなかったが、全国に波及し、それぞれ大都市の一部に、サブカルチャー文化が芽生えていったということであろう。
竜馬は当初のブームを知らない。
「メイド喫茶なんか、一部のヲタクや制服フェチが通うだけで、同類に見られたくない」
という思いが強かった。
そんな感情を一度は持ってしまったお店の常連になるというには、かなりのハードルが必要になる。そのハードルには何段もの段階があり、高さも様々だ。つまりは必然だけでは事は運ばず、偶然の賜物を手に入れなければ、達成できるものではないということを証明しているかのようである。
そういう意味では、年齢の積み重ねや時間の経過というものが不可欠であったとすれば、さらに時代の流れも竜馬にそれなりの影響を与えたに違いない。時間というものは誰にでも平等であるが、時として、時間というものを意識した人にはひいき的なのではないかとも思えた。
メイドカフェを中心としたサブカルチャーの店は、街の中でも一部の地域に多く存在する。他の地域と隔絶された場所という雰囲気なのだろう。
夜になると、近くではスナック、バーなどが開き始めるが、この界隈では、店に入ろうとする人は、まわりを気にするように入っていた。
竜馬が最初にそのお店に立ち寄ったのは、ただの偶然だった。元々メイド喫茶というものを話には聞いていたし、ドラマでも見たことがあったので、そのイメージがあったことで、
――こんな店には行きたくないな――
と思っていたはずなのに、この界隈に入ってくると、まるで魔法にかかったように、どこかのお店に入りたいという衝動に駆られていた。
一つは、歩いている街並みに怖さを感じた。人が歩いているわけではなく、その分、ビルの間の扉から、どんな人が出てくるか分からないという恐怖があった。
歩き続けるのが怖くなったが、少し歩いていると、怪しげな青年がまわりを気にしながら歩いている。見るからにヲタクと思えるようだったが、どうやら、店に入ろうとしているのだが、まわりの目を気にしているのだ。
――誰がいるわけでもないのに――
一人だけだったはずなのに、どうしてまわりが気になるのか不思議だった。
それがヲタクの特徴なのだと思うと、ヲタクに対して偏見を持つ気持ちも分かる気がした。なぜなら、ヲタクを見る偏見よりもヲタクが見られている偏見の方を強く感じていると思うと、ヲタクを悪くいうのも、ヲタク側からすれば、
――自業自得なのではないか――
と思うようになった。
その男は今から店に入ろうとしているのかと思ったが、実は出てきたところのようだった。オタオタしていたのは店に入るタイミングを計っているようではなく、出てきたところを見られたのではないかと思ったのだろう。その男は竜馬の存在を意識することなく、まわりに誰もいないと思ったのか、急に早歩きで大通りに消えて行った。
――何だったんだ?
ヲタクの行動など想像もつかなかったが、初めて見た不思議な行動に戸惑いながらも、どこか新鮮な気がした。
もしそれを見ていなければ、自分もこのままこの場所から立ち去っていたのだろうと思ったが、その様子を見たことで、メイドカフェに行ってみようなどと思ってしまったのだ。
よく見ていると、サブカルチャーの店はいくつもあるようで、表の看板やネオンを見ているだけでは、店のコンセプトがどういう店なのか分からないように感じた。しょうがないので、さっきの男が出てきたと思えるビルの近くまで行くと、そのビルにもメイドカフェがあるようだが、あまり綺麗ではない一階踊り場の奥にあるエレベータに乗り込み、その店がある三階のボタンを押した。
エレベーターは大人が四人乗ればいっぱいになってしまうほどの昔ながらのオンボロで、スピードも遅く、三階と言えどもなかなか到着しないことに苛立ちを覚えるほどだった。
三階に降り立つと、小さな扉が一つあるだけで、この階には他に何もないようだった。奥に扉があり、その上には「非常口」と書かれているので、扉を開けると、そこは非常階段であることは火を見るよりも明らかだった。
ということは、三階がそうなのだから、他の階も同じ構造になっているということである、一つの階に一つの事務所。それがこのビルの特徴であろう。
想像していたようなメイド喫茶の入り口とはまったく違って、表から見ただけでは、
――何の店なんだろう?
と思わせる。
中に入ると少しは違うのではないかと思い中に入ったが、そこはパッと見、普通の喫茶店と変わらなかった。
最初の想像では壁はピンク色に塗られていたり、萌え系のマンガなどが壁に書かれているようなイメージを持っていたが、まったくそんなことはなかった。入ってすぐにカウンターが見え、その奥に四つほどテーブル席がある。テーブル席の奥は窓になっていて、窓にはカーテンが掛けられていて、表からは見えないが、日差しだけは差し込んでいるようだった。
「おかえりなさいませ。ご主人様」
このセリフは、想像していた通りで、カウンターとの壁の間で死角になっていたので、見えなかったが、覗き込むように恐る恐る見てみると、そこにはメイド服の女の子が二人、こちらに向かって微笑みかけてくれていた。
思わずこちらも微笑み返す。違和感はなかった。初めて来たはずなのに、そんな感じがしなかったのは、自分の想像していた雰囲気とさほど変わっているわけではなかったからであろうか。違和感がなかったのは女の子の笑顔に対してであって、店に対しては臆してしまっている自分を感じていた。
とりあえずカウンターに腰かけた。
店には他に客はおらず、その方が本当はよかったのだが、どんな客がいるのか見てみたい気もした。
だが、自分が粘っていれば、そのうちに他の客も来るだろうと思う。せっかく来たのだから、女の子と話を始めたら、結構時間を忘れて話し込むのではないかと自分でも思っているのだ。
普段から女性と話すことのない竜馬だったが、雰囲気や立ち場が変われば話もできるだろうと思っている。特にこちらは客であり相手はスタッフなのだ。接客を対象にしているお店ということなので、話題がなくとも相手から話をしてくれると思っている。その分初めて一人で入ったとしても気は楽だと最初から思っていたのだ。
「僕、初めてなんですけど」
というと、女の子二人は顔を見合わせて、意味ありげに微笑んだ。
「そうなんですね。ここに来ようと思ったのは、どういうきっかけなんですか?」
と、一人の女の子が聞いてくれた。
「元々興味はあったんだけど、なかなか来る機会がなくて、今日は近くに来たので寄ってみようと思った次第ですね」
というと、
「ネットか何かでご覧になった?」
「ええ、最初はそうかな? でも、以前にドラマなんかでメイドカフェが出てくるのを見て、その時に気にはなっていましたね」
「それって、結構萌え萌え系ではなかったですか?」
と聞かれ、
「ええ、そうなんですよ。ああいうのがメイド喫茶なんだって思っていたので、このような落ち着いた店だったので、安心した感じですね」
「皆さん、最初はそう思われるようですね。実際に来られて、今お客さんが言われたように安心される方の方が多いようですよ」
「でも、最初から一人で来る人っていますか?」
「結構いるんじゃないかな?」
と言って、もう一人の女の子に話しかけた。
もう一人の女の子は頷いて、
「そうですね。一人で最初に来られた方って結構いらっしゃると思います。案外そういう人がその後常連さんになってくれる人が多いと思うんですよ」
「それはどうしてなのかな?」
「半分は照れ臭いなんじゃないですか? 最初に皆で来て、その後単独で来た時、もし前に一緒に来た人とここで鉢合わせなんかしたら、気まずいと思う人もいるんじゃないかって思うんですよ。最初に団体で来る人というのは、興味本位の強い、一種の経験で来てみようと思う人が多いでしょうから、一人の客となると、皆で来た時とは違った雰囲気ですからね。そういう意味では会いたくはない人と会ったと思うんでしょうね」
彼女の意見は結構冷静な分析に思えた。
そういう意味で衣装とのアンバランスはあったが、それが新鮮な気がしたのは、他に客が誰もいなかったからなのかも知れない。
二人の質問を聞いていると、
――これって、最初の客に聞くことになっているようなマニュアルでもあるんじゃないかな?
と思った。
「ここって、普通の喫茶店とどう違うんですか?」
「サブカルチャーのお店はいろいろな種類があるんですが、システムもバラバラですね。メイド喫茶としては、基本的には時間制で、ワンオーダー性というのが普通です。ただ、その間にチャージ量が発生する店もあるので、それは店のシステムなので最初に確認しておいた方がいいかも知れませんよ」
「ここは?」
「うちは、最初の一時間でチャージ料が発生しますが、次からはワンオーダー制というだけでので、良心的なんじゃないかって思います」
そう言われて、店を改めて見渡した。
やはり落ち着いた雰囲気で最初に感じたイメージを損なうことはなかった。
「萌え萌え系ばかりを想像していたんですけどね」
というと、
「意外とそういうお店は少ないですよ。店によっては、前にステージがあったりして、時間でショーをするところもあったりして、店それぞれですね」
「いわゆるコンセプトの違いという感じですかね?」
「それもありますし、中にはチェーン店なんかもあり、全国展開している店もあるので、そういうところは結構萌え萌え系とは多いかも知れないですね」
「僕は萌え萌え系だけしか想像していなかったので、入ってみて、気に入るか気に入らないかをその時の雰囲気で感じようと思ったんです。だから気に入れば、萌え萌え系であったとしても、きっと何度かは行ったかも知れませんね」
「そうなんですね。あまり人見知りしないんですか?」
「そんなことはないですよ。結構人見知りするんですが、それだけに気に入った人がいれば、離したくないと思うんでしょうね。だからなるべく話をしようとすると思うんです。僕は話し始めると結構乗り乗りになる方なので、時間も感じることなく話をすると思うんですよ」
というと、女の子二人は会心の笑みを浮かべ、
「それはよかったです。ゆっくりたくさんお話しましょうね」
と言ってくれた。
その言葉が一番ほしい言葉だったということを、改めて感じたほどだった。
時間としては、午後三時くらいだったので、昼食には遅く、夕飯にはまだ早い時間だった。
そういう意味では何かを食べに来るには早すぎるだろうし、客が今誰もいないというのも分かる気はする。
メニューを見せてもらうと、結構値段は張るようだったが、写真も載っていて、いかにもおいしそうだった。
「おすすめは?」
と聞くと、
「唐揚げとか人気ですよ」
「じゃあ、唐揚げ定職で」
と言ってメニューを通すと、二人は少し自分の仕事に取り掛かったようだ。
「二人はここ長いの?」
と聞くと、
「私は半年くらいかな?」
と、言った女の子の胸の部分を見るとお手製の名札がついていて、名前は「りえ」と書かれていた。
「私は、一年半くらいかな?」
と言った女の子の名札には。「かおり」と書かれていた。
二人とも、雰囲気は名前を表しているようで、雰囲気からネーミングしたのではないかと思えた。
こういうお店で本名を使うことはないだろうと思っているので、そんな発想になったのだ。
りえちゃんというのは、髪の毛はストレートで、少しおでこを出した感じの雰囲気がよく似合い、いくつくらいなのか分からなかったが、
「きっと年齢よりも年上に見えるのではないか」
と思えるようないで立ちを感じた。
かおりちゃんというのは、雰囲気は大人しめの女の子であるが、りえちゃんのような落ち着きを感じさせるわけではなく、どちらかというと天真爛漫さを思わせた。しかし、その中でこの落ち着きは性格的な人見知りを感じさせ、男心を揺さぶるように思えた。
「守ってあげたい」
そんなイメージを感じさせる女の子である。
身長はりえちゃんの方が少し高く、スリムであった。りえちゃんと並んでいるから少しポッチャリに感じられるかおりちゃんだったが、実際にはポッチャリではないように思えた。
だが、かおりちゃんのような雰囲気はポッチャリでいてほしいという竜馬独自の思いがあるので、本人の前では決して言わないが、イメージはポッチャリだと思うようにしていた。
口数の多さはりえちゃんの方だった。話題を振るのも最初はりえちゃんで、後から相槌を打つ形でかおりちゃんが話をする。それがこの二人の暗黙の呼吸のように思えて、
――メイド喫茶、おそるべし――
と最初に感じさせられたものだった。
なかなか行くことのないスナックであるが、スナックの女の子も同じようにそれぞれの立場を分かっているのだろうと思う。お酒が入っているので、テンション高めなので、客もスタッフも少々のことは無礼講であろうが、メイド喫茶のようにアルコールが基本ではないところで、お互いの会話を成立させるというのは、結構難しいことではないかと思った。
相手が常連であればそれも無理からぬことであろうが、初めての客にはどう接していいのか難しい。やはり経験や持って生まれた性格がうまく融合して接客に生かせているのでろう。
メイド服は二人とも似合っていた。ただ初めて見た時、どっちの女の子が最初に気になるかと言われれば、
「かおりちゃん」
と竜馬は答えるだろう。
だが、話をしているうちに気が付けば自分の目線が寄っているのは、りえちゃんの方だった。
最初はりえちゃんを見ている自分に気付かなかった。かおりちゃんばかりを見ていると思っていたのだ。それなのに、りえちゃんに視線を送っていることに気付くと、最初からりえちゃんを気にしていた自分がいたことに気付かされる。
「どちらの女の子がタイプなのか?」
と聞かれたとすれば、この店に入ってくるまでの竜馬であれば、きっと、
「かおりちゃん」
と答えたであろう。
だが、りえちゃんを気にしている自分を感じると、それまでの自分が本当に自分なのかと思うほど、何かをリセットしたいような気分になっていたのだ。
リセットしたからと言って、りえちゃんを気にするようになった理由が分かるわけでもない。
竜馬が好きになる女の子のパターンは決まっていて、小学生の頃気になっていた女の子の面影を今でも追いかけているということを自覚していた。
あれは、小学三年生の頃だったであろうか。当然まだ女の子を意識する年齢でもない。女の子が気になったとしても、それは恋愛感情などというものではないことくらい、その頃の自分も分かっていただろう。
その女の子はいつも一人でいた。おかっぱの女の子で、女の子同士の遊びにも参加することはなく、いつも遊んでいる他の女の子を無表情で見送っていた。そういう意味では、まわりから無視されたり、嫌われているわけではないように思えるのだが、だからと言って、寂しくないとは思えなかった。
自分の気持ちを押し殺しているようにも見えない。そう思うと、何を考えているのか、普通に考えれば不気味に思うだろう。だから他の男の子も相手をすることはない。女の子からも相手にされない孤独をいつも背負っていた。
そんな彼女が笑ったところを見たことがなかった。それどころか、怒ったところも悲しんでいる姿も、感じたことはない。無表情で佇んでいる姿そのものに哀愁を感じていたのは竜馬だけだっただろうか。
名前を直子ちゃんと言ったっけ。
直子ちゃんは、ずっと誰も意識することもなく、一人でいたが、ある日を境に竜馬に視線を送っているのを感じた。竜馬が直子のことを気にし始めてだいぶ経ってからのことだったので、どうして急に思い出したかのように竜馬のことを気にするのか、竜馬には想像もつかなかった。
直子の方から話しかけてくることもない。もちろん、竜馬から話しかけることもない。他のクラスメイトの間にある感覚とはまったく違ったものが二人の間には存在し。ひょっとすると、二人がお互いを意識している間、他の人には二人の存在を意識させない何かが働いているのではないかと思ったほどだ。
――見えているのに意識しない――
まるで石ころのようではないか。
竜馬は最初から直子のことを意識していたから、直子の無表情で何を考えているのか分からない様子を意識していたが、ひょっとすると、直子のことをまったく意識していない他の人たちは、直子の存在自体を意識していない石ころ状態だったのかも知れない。
「透明人間がいて、洋服だけが動いているような錯覚」
そんな感覚を思い浮かべた。
アニメなのでそんなシチュエーションは多くあるが、それは普段は人に意識されている人が、あるアイテムを使うことで、自分の気配を消すことができるとすればどうなるかというシチュエーションなのだろう。
結局、アイテムを使ったとしても、その人の存在を消すことはできないので、最後にはアイテムごしに相手を見ることが可能になり、その存在を明らかにすることで終わる結末だったように思う。
しかし、それは最後まで気付かれなかったということは、そんな人間の存在を肯定することになり、子供相手に理屈を調節した話をしても分からないという思いに至るかも知れない。それは道徳上においても教育上においてもよろしくないということで、きっと映像化されることなどないに違いない。
もちろん、こんな高度な発想を小学生の竜馬ができるはずもないのだが、あの時からそんな考えだったと後から思っても感じられて、実に不思議に思うのだった。
直子は確かにクラスでは目立たない子だった。石ころのようにそばにいても誰からおm意識されない女の子であったが、ひとたび彼女に見つめられると、金縛りに遭ったかのような衝撃を受けるということを、その頃の竜馬は感じていた。
その頃、星に興味を持っていた竜馬は、図書館で神話の話を読んだりするちょっと変な男の子だった。
神話の話の中に出てきたメデューサの話が印象的だった。
メデューサというのは、髪の毛が無数のヘビになっている女性で、彼女の魔力は、
「彼女に見つめられると石になってしまう」
というものだった。
挿絵が乗っていたが、劇画的に書かれたその絵は、メデゥーサの目が恐ろしく、劇画なのに、自分が身動きができなくなってしまうような錯覚に陥るほどリアルなものだった。
――こんなにすごいなんて――
ビックリするとともに、実際にそんな力を持った目が、同じ人間にも存在するのではないかと咄嗟に感じた。
その思いがリアルな絵とともに頭の中に残っていて、石にされてしまうということを考えていた。
その時、石というものが、誰からも意識されないものの代名詞のように感じるということを意識していたのではないかと今は思っている。
だから、石にされてしまうと、絶対に戻ることができないと思うのだ。なぜなら戻してもらおうと思っても、誰も石になった自分に気付いてくれないのであれば、どうしようもない。
もし、その石が自分と同じ顔をしていたとしても、きっと誰も気づいてくれない。それだけメデューサの掛けた魔法は強いものなのだ。
そしてもう一つ、メデューサの魔法のすごいところは、
「この魔力は、首を切り落とされて死んでしまったとしても、その効力は残っている」
ということだった。
つまりは、死んでからもなお、この力を永遠に存続することができる。それは彼女にこの魔力を掛けた神の一種の呪いのようなものかも知れないと感じた。
ただ、こんな恐ろしい発想になるのは、図書館で神話の本を読んでいる間だけで、本を閉じてしまうと、そんな恐ろしいことを考えたということすら忘れてしまって、
「きっと本を読んでいて感じた忘れてしまったことを思い出すことなどないだろう」
と思うのだった。
もちろん、直子がいくら不気味だからと言って、メデゥーサと直接結びつく感覚になることなどなかった。
ただ、直子には不思議な目力のようなものがあり、見つめると、見つめられた相手が彼女を石だと思うという意識は、メデューサの発想から来たものだった。
もちろん、石というものが、誰からも意識されないという前提があったから感じることであって、そこからいくつかの論法を用いることで行き着いた発想だということに結び付かないことは、やはりまだ自分が子供だったからだと思う竜馬だった。
ただ、
「末は博士か大臣か」
などと言われ、神童と謳われた子供であったとしても、
「二十歳過ぎればただの人」
と言われることも多い。
小学生の頃の発想に舌を巻いていたとして、中学以降会うことのなかった人と二十歳過ぎて再会したとして、本当にあの時の少年だったと思えるかと言うと信じられない状況に陥るのではないだろうか。
結局人間は行きつくところの範囲は決まっていて、どんなに遠回りしても、成人してからの行動範囲は狭まってきくだろう。それが世間の環境と言われるもので、
「人って結局、限られた範囲でしか生きられない」
と誰もが無意識に感じる、
「暗黙の了解」
のようになっているのではないだろうか。
それを思うと直子という女の子があれからどうなっているか、想像するのも怖い。あくまでも自分の中だけで成長させていきたい女性であった。
直子という少女は、そのほとんどがポーカーフェイスだった。いつも似たような服装をしていたような気がするし、もし別の雰囲気の洋服を着たとしても、イメージは変わらなかっただろう。
それが竜馬を直子という女の子に夢中にさせた一つの理由かも知れない。夢中になったと言っても、心が騒ぐわけではなく、どちらかというと静かな気持ちだった。ただ穏やかだったというわけでもなく、なぜか忘れられない女の子だったのだ。
そんな直子に対し、ある日から急に冷めた気分になった。それはその日に直子が髪を切ってきたからだ。
おかっぱなイメージは変わらなかったが、前まで肩近くまであった後ろ髪をバッサリと切り、ショートカットにしてきたのだ。
それを見た時竜馬は、
「裏切られた」
という気持ちになった。
いちいち髪を切るのに竜馬の許可がいるわけでもあるまいし、勝手に髪を切ることくらい誰だって自由だ。それくらいのことは当然分かっているはずなのに、どうしてそんな気持ちになったのか、本当に不思議だった。
ショートカットが嫌いなわけではない。むしろショートカットの女の子は好きな方なのだと成長するにつれて感じるようになったくらいだ。それなのに、どうしてそんな風に感じたのか、それはきっと直子が自分の想像とイメージが重ならなくなったからなのかも知れない。
想像というよりも妄想に近いものだ。直子という女の子に対して自分が持っていたものは、あくまでもおしとやかで落ち着いた雰囲気、そして従順で、何も言わなくとも自分の言うことを聞いてくれる、そんな雰囲気を醸し出していることだったのだ。
それなのに、勝手に髪を切ってきたということ自体にまずは許せない気分になり、さらにおしとやかなイメージは、長い髪にこそ宿っているという勝手な思い込みを壊してくれたことに対しても裏切りを感じたのだ。
「可愛さ余って憎さ百倍」
という言葉があるが、まさにその通りなのかも知れない。
しかも、女の子の髪型には一種の勝手なイメージがあった。他の人にも似たような感情があるのだろうが、少なくともショートカットの女の子には、活発なイメージが付きまとう。それまでのおとなしそうな感じが一気に活発に変化する。この一気にというところが気に食わなかったのだ。
「人の気も知らないで」
と言いたかった。
しかし、そんな気を知る必要は彼女にあるはずもなく、そんな気を知る義理だってあるわけはない。それを思うと、どんなに自分勝手なのか分かるが、それまでの直子の態度がそこまでの気分にさせるほど従順だったともいえるだろう。
――そうならば、原因は直子にもある?
などと勝手な正当性を考えて、自分の心のジレンマと矛盾を自分に納得させようとするのは、仕方のないことだろう。
だが、それは自分だけの中でやっていればいいものを、彼女を巻き込もうとしてしまう自分に嫌気がさし、ここまで悩まなければいけない原因を彼女に求めてしまい、責任転嫁をしたくないという思いのジレンマからか、
――僕が彼女に近づかなければいいんだ――
と思うようになった。
近づくから腹も立つのだし、自分から離れれば、気にして見ることもないので、ジレンマが少しでも解消できると考えたのだ。
その思いは彼女を放置してしまうことになる。
直子は心の中で竜馬を慕っているのは分かっている。自分から近づいてくるのはそのためだ。
それを竜馬はいとおしいと思っているが、それも彼女に対して何ら疑問を抱いていない時のことだった。
髪の毛を切ってきたくらいで疑問も何もないものだが、竜馬にとっては、自分のイメージを壊されたことへの憤りがあった。そもそも、直子は竜馬に対して従順で、竜馬が何を言わなくとも竜馬の気持ちは分かっているはずだと思い込んでいたことが、間違いの元だったのだ。
「そんなのお前の勝手な思い込みで、もっと相手のことを考えろ」
と言われればそれまでだが、その時の竜馬は、その言葉をそのまま直子にぶつけたいくらいだった。
それが少年時代の竜馬の性癖だったと言ってもいいだろう。
直子に対して淡い恋心を持っていたこと、そして、それが初恋だったこと、それらは間違いないだろう。実際にいとおしいという気持ちは持っていたし、その思いが自分の中で次第に強くなっていくのも分かっていた。
それなのに、竜馬の中で直子に対して急に冷めた気持ちになってきたのはなぜだろう?
「裏切られた」
という気持ちにさえなった。
自分が好きな髪型を相手に望むのはいいが、それが叶わぬと言って、相手を嫌いになるのは、無理強いしているのと同じではないだろうか。
しかも、相手に自分が髪型を気にして自分から離れていったなどということが分かるはずもなく、きっと彼女の性格から行くと、
「何か分からないけど、自分が彼を遠ざけてしまったんだ」
と思うに違いない、
外見だけで見ればその通りなのだが、実際は大きく違う。勝手な思い込みが無理強いになっていて、その思いを相手が察してくれないことへのジレンマが、わがままに繋がったのだ。
竜馬は、そんな自分を悪いとも思っていない。直子も自分が悪いと自分を責めてはいるが、自分で納得できないことで自分を責めることは直子にとっても自分で容認できることではなかった。それがジレンマとなっていたが、そこからが竜馬とは違って、相手にその責任を転嫁するようなことはしなかった。
竜馬は、直子のことをまるで自分のおもちゃのように思っていたのかも知れない。
それは、自分の言うことには従順で、自分の想像通りの動きをしてくれる人、そういう意味ではおもちゃというよりも、ロボットのようなものだったのかも知れない。
しかし、竜馬にとってロボットという発想は許されない。あくまでも直子は自分の意志で竜馬の考えに沿う態度を取っているという大前提でなければいけないからだ。
そういう意味でロボットとは、
「人間のいうことに忠実」
という大前提がある。
しかし、竜馬は直子のことを決してロボットのようなものとは思わない。竜馬にとってのロボットというものに対しての意識の一番強いところは、
「血が通っていない」
ということであった。
血が通っていないから、脳の中に血液が流れていないから、ロボットは人間には決してなれない。そして人間の言うことは聞いても、人間の求める暖かさを与えることはできないものだという思いが強いのだ。
だから、相手に従順を求めながらも、それは決してロボットではない。あだおもちゃと言った方がしっくりくる。
変なこだわりを持っている竜馬だったが、自分が自分以外のまわりに感じている意識は、
――自分以外の人は、皆僕以上なんだ――
という考えである。
それが自分の中の考え方の根本である、
「人と同じでは嫌だ」
という思いに結び付いているのではないだろうか。
つまりは、自分は他の人に勝ることができないという劣等感が強いあまりに、
――どうせ勝ることができないのなら、せめて同じではないと思いたい――
という感情である。
これは直子から距離を持つようになった頃から感じるようになったことだった。
直子という女の子は、自分から離れて行く竜馬を追いかけるようなことはしなかった。寂しそうな顔をしているようだったが、直子は普段から寂しそうな顔をしている。むしろそんな表情の彼女だから自分が惹かれたと思っている。彼女の寂しそうな顔は今に始まったことではなかった。
かわいそうなその顔を見ながら、どこか後ろ髪を引かれていたが、それは彼女に対して悪いというよりも、後悔していないはずの自分が、どこか苦々しく思っているからであって、その思いが直子にまったく伝わっていないことが悔しかったのだ。
自分の感じていることが、直子に反映していないことが、竜馬にとってさらに直子に対して感じた苛立ちにも繋がっていった。
――本当は自分に対しての苛立ちのくせに――
そんなことは分かっていた。
自分に対して苛立ちがあるからこそ、直子を遠ざけたのだし、そして、他人と同じでは嫌だというような考えに至ったのだろう。
直子という女の子を失うことが自分にとってどんな影響をもたらすか、その時に分かるはずもなかった。
直子のことはそれからずっと思い出すことはなかった。
四年生になってからクラスが変わって、同じクラスになることは一度もなく、彼女の方は中学から私学の学校に変わったことで、竜馬とのつながりも消えていた。
直子は竜馬と離れてから、また一人になったが、人になってから、勉強に嵌ったそうだ。
人から、
「勉強しなさい」
と言われたわけではなく、自分から勉強を好んでやったという。
それだけ彼女は運がよかったのかも知れない。勉強を始めたことで、どうしていいか分からなかった自分の進むべき道が見えたのだとすれば、運がよかったという言葉がピッタリだと竜馬は思った。
竜馬の方は、好きになることが見つからず、ほとんど何も考えることなく、小学校を卒業し、皆と一緒に公立中学に進んだ。
二年生になっても、なかなか思春期というものを迎えない竜馬は、焦つころはしなかったが、
――僕に思春期って訪れるのだろうか?
という一抹の不安はあった。
それでいて、誰もが訪れている思春期を同じ時期に迎えていないことで、
「他の人と同じでは嫌だ」
という思いを実行できているようで、嫌な気はしなかった。
中学時代は気が付けばあっという間に過ぎていた。何も変哲のない毎日が二年生まで続いたが、三年生になって急に思春期を迎えた。
身長は伸びていき、身体の変調も何となく分かってきた。気持ちも少しずつ変わっていたが、その理由が分からない、
二年生の頃まではあれだけ思春期を気にしながら、実際に思春期に突入すると、その突入したという意識が肝心の自分にはなかったのだ。気が付けば思春期の中にいて、どうして思春期の突入に気付かなかったのかということに疑問を感じながら、三年生の間は、毎日がなかなか過ぎてくれなかった。
そんな三年生であったが、終わってみれば、一年、二年の頃と同じで、あっという間に過ぎて行ったという意識しかなかったのだ。
そんな中学時代だったが、三年生の頃に感じた思春期により、異性への興味も増えて行った。
「彼女がほしい」
という意識は、前述のように、クラスメイトが女の子と楽しそうにしているのを見て羨ましく感じたことが始まりだったが、これは竜馬の性格からすれば、矛盾している。
他の人と同じでは嫌だと思っているくせに、人を羨むという感覚は、ちょっと考えれば矛盾していた。その矛盾に思春期であっても、竜馬は気付かぬわけはなかった。
好きになった人がいるわけではないのに、ただ羨ましいと思うのはおかしなことだ。まずは好きになれる女性を探すことが先決なのだが、それも何かが違う気がした。
竜馬は、自分が好きになったから好かれたいというよりも、好かれたから好かれたいと思うようになるタイプの男の子だった。だから、自分が好きになれる相手を探すのではなく、自分を好きになってくれる人を探すという感覚だった。それは自分が好きな女性を探すよりも難しいことである。何しろまずは相手が自分を好きになることが前提だからだ。
つまりは自分の努力というよりも他力本願で、その思いが小学生時代に気になっていた直子に通じるものだということを、まだ中学時代には分からなかった。自分の性格は何となく分かっていたが、そこに相手が絡むと急に分からなくなるのだった。
竜馬は高校二年生の頃、アルバイトをした。それまでアルバイトをしたことがなかったのは、学校からアルバイトは基本禁止という話だったのだが、特例で年末年始の年賀状配達だけは、なぜか許された。学校から何人か割り当てがあるようで、学校側から人員を募っているくらいだったからだ。
「学校がアルバイトを基本禁止にしているのは、コンビニのレジだったり、飲食店などの接客業を考えているからであって、郵便配達などは、別に禁止をしているわけではない。だから『基本』という言葉が前提にあるんだよ」
と先生は言っていたが、どこまでが本当でどこまでが言い訳なのか分からなかった。
高校二年生というと、まもなく受験を控えているということで、高校時代の最初で最後のアルバイトになることだろう。期間は冬休みが始まってから、正月期間くらいまでとなっていたので、二週間くらいであろうか。
結構早めにアルバイトに入ったので、まだそれほどアルバイトの人間はおらず、年末独特の忙しさもなかった。配達も家を覚えるために数日要したが、思ったよりも苦労せずに家も覚えることができて、郵便物もそんなに多くないことから、配達自体は午前中で終わりだった。
午後からは、すでに投函されている元旦配達予定の年賀状の振り分けを行っていた。年賀状と言っても、この市内から全国へ配達される年賀状もあれば、中には地方の郵便局から送り込まれたこの市内での配達分もある。まずは大きく分けて、少しずつ細かくしていく。つまりは死を限定し、町名を限定していくなどと言った作業だ。
まずは先輩配達員が手本を見せてくれたが、その手際の良さに、
「ほぉ」
とアルバイト皆舌を巻いたように感心していたが、配達員は平然として、
「君たちも慣れればすぐにできるさ」
と言ってくれた。
横の方では、すでにアルバイトに来ていた女の子たちが仕分け作業をテキパキとやっていた。彼女たちは配達員ではなく、あくまでも仕分け中心の仕事だったのだ。
男の子の間では昼休みなどで話しかけたりして、それぞれ友達を作っていた。女の子も同じなのだろう。作業をしながら話をしている人もいた。だが、さすが女の子、男子のように話しながら手を休めたりすることはなかった。そこはさすがだと竜馬は思った。
――おばさんになれば、ルーズになるんだけどな――
と、おばさんのルーズな態度に気を病むことの多かった竜馬は、そんなことを感じていた。
女の子、二、三人が集団を作っている。数組あるだろうか。その中で後ろ姿がどこかで見たことがあるような気がする女の子がいた。横顔をなるべくさりげなくではあるが覗き込んでみると、思わずのけぞってしまう自分がいるのに竜馬は気付いた。
――直子――
思わず、声に出てしまいそうになるのを必死で堪えた。
明らかにそこにいるのは直子だった。しかも、小学生の頃と何ら変わったところのないあどけなさで、髪型も自分が好きだった時と同じ髪型だった。
彼女にも思春期はあったはずなので、当然大人になっているはずだった。それなのにそれを感じさせないのは、自分も同じように大人になったからなのか、それとも、小学生の頃から子供を超越していたのかのどちらかだったように思えてならない。
一瞬、
――もったいないことをした――
と思うしかなかったが、後の祭りである。
ただ、女の子たちは、皆制服を着ていた。学校から、
「アルバイトに行く時は、制服着用」
とでも言われているのだろうか。
男子の場合はそんなお達しはなかったのだが。
直子は友達との会話にちゃんと参加していた。自分から話もするし、相手の話もちゃんと相手を見ながら聞いている。しかし、その表情には喜怒哀楽がなかった。ポーカーフェイスというか、要するに、
「何を考えているのか分からない」
ということであった。
そんな直子を見ながら、竜馬は戸惑っていた。その戸惑いの一番の理由は、
――彼女に僕だということを気付かれたくない――
という思いだった。
いまさら出会ってどうするというのだ。話しかけたとして、話は聞いてくれるかも知れないが、さっき見た彼女の喜怒哀楽のなさは、竜馬に恐怖すら与えた。
――直子が喜怒哀楽を示さないようになったのは、僕が原因ではないだろうか――
という思いだった。
元々喜怒哀楽は表に出ない方だったが。成長するにしたがって身についてくるものではないか、そう思うと、自分が直子から離れてしまったあの時から、直子の成長を止めてしまったとも言えなくはない。
つまり、表情も雰囲気も昔のままの直子を見て。直感として、
「僕が彼女の成長を止めてしまったんだ」
という思いが頭の中に根強く植わっているからではないかと感じるのだ。
友達との会話を直子はあんなに楽しそうにしているのに、無表情だというアンバランスさにまわりの誰も気づいていないというのは明らかにおかしい。ひょっとして直子には何らかの力が備わっていて、まわりに対して自分の都合よく操る不思議な力が宿っているのではないか。しかも、それを直子本人には自覚がない。いや、いや自覚がないと思いたい自分がいることに気付いていた。
だが、一緒にいる間には決してそのことを感じることはない。もし小学生時代の自分がそうだったのだとすれば、何ら自分に後ろめたさを感じる必要などないのである。
「直子ちゃん、久しぶりだね」
この一言が言えれば、竜馬は本当の大人になれたと言えるのではないだろうか。
話しかけたいという思いはやまやまだったが、元々小学生の頃自分のから離れてしまったという思いがあることから、話しかけられるわけもなかった。
しかも、
――一体、いまさら何を話せばいいのか――
という思いがあり、最初の言葉が見つからない。
――ひょっとすれば、最初の言葉さえ出てくれば、いくらでも話が続くかも知れない――
と思ったが、考えてみれば、女の子に今まで自分から声など掛けたことのない自分に、最初の言葉が思い浮かぶはずもない。
直子の制服はブレザーで、蝶ネクタイが可愛らしかった。初めて会ったわけでもなく、昔のイメージをそのまま残しているのに、初対面のような新鮮さがあったのは、鼻しかけることのできない自分の自信なさが影響しているのではないだろうか。
近くの高校の制服は、ブレザーとセーラー服が半々くらいだった。共学の高校が三つほどあり、女子高も二つほどある。文化祭などになると、女子高から遊びにくる子もいるので、その時は新鮮に思っていた、
直子に声を掛ける機会はアルバイトの間、何度かあったはずだ。特に直子が一人でいることが多かったので、一人でいる直子であれば、小学校の頃のことも水に流してくれるかも知れないと思うのは虫が良すぎるだろうか。
何よりも、直子が竜馬の存在に気付いているかということが気になっていたが、様子を見る限り、どうも気付いていないっぽい。休憩時間中などは、いつも誰かと一緒にいるにも関わらず、絶えず室内を見渡し、気にしている竜馬に対し、いつも一人でいる直子は、まわりのことはお構いなしという雰囲気に感じたからだ。直子の存在は、自分から気配を消していて、普通なら自分から無理に気配を消そうとするならば、余計に目立ってしまうのではないかと思う、それを思えば直子の存在は、目立たないことに特化して、目立っていると言ってもいいのではないだろうか。
アルバイトをし始めて直子を発見してから、竜馬は直子が、
「小学生の頃からまったく変わっていないんだ」
と感じていた。
だが、直子が気になってずっと見つめているようになると、大人っぽくも感じられるようになっていた。
そもそも小学生時代から、どこか大人っぽさが感じられた。あの頃は大人っぽさというよりも、垢抜けしているように感じたのではなかったか。しかし、大人のオンナから見れば、どこかイモっぽく見えて、田舎少女の雰囲気すらあった。
田舎少女の雰囲気をそのまま大人になったような直子を見て、最初は、
「彼女は昔のままだ」
と思ったのかも知れない。
だが、よくよく見ていると、何が違うのか分からないが、どこかに違いを感じた。それを、
「変わったのは、僕の方かも知れない」
と思ったことが原因ではないだろうか。
竜馬は、その時の制服に自分の意志が惑わされてしまったことに気付かなかったのだ。
思春期を通り抜けてから感じたのは、
「制服が眩しく見える」
という思いであった。
大人の人が、
「女子高生の制服を舐めるように見ている」
というのを、変態のように言っているのを聞いて、最初は、
――どうしてそんなに制服が眩しいと思うんだ?
と感じたが、それは逆に制服を眩しく見える人がいるという話を聞いて、それを自分に置き換えたことで感じたのかも知れない。
そう思うと、竜馬は、自分がそんな変態と思える大人と同じなのではないかと思い、その羞恥な感覚が、制服を眩しくさせたのではないかと思えたのだった。
その思いを感じたのはかなり後になってからのことだが、その時、直子が途中で雰囲気が変わったような気がしたという理屈を説明づけてくれた気がした。
それまでは、やはり直子は小学生の頃に知っていた直子と同じだという思いに間違いないだと思っていたのだった。
制服の魔力とでもいうべきであろうか。中学時代の悪友のところに遊びに行った時のことだった。
普段なら遊びに行くようなことはなかったが、あればなぜだったのか、何かなし崩し的にその友達のところに行ったのだ。
彼はいろいろ怪しいものを持っていた。
――中学生のくせにこんなものまで持っているのか――
というものもあった。
確か、タバコもあったのではないだろうか。
ちょうど家には誰もおらず、彼の部屋に引き込もる形で、最初はゲームなどをしていた。
「お前、童貞だろう?」
といきなり言われて、
「ああ、そうだよ」
と、毅然として答えた。
いきなり聞かれてどう答えていいのか迷ったが。、
――迷った時は開き直るしかない――
と思っているので、何かをかましているような相手に対しては、毅然とした態度しかないと思うのだった。
それしか手段はないくせに、毅然とした態度を取れば、他にも態度の取りようがあるように思えるのではないだろうか。それが話術というものなのかも知れないが、その頃の竜馬にはそんなことは考えにも及ばなかった。
その悪友は、こちらの気持ちを知ってか知らずかニンマリとすると、
「こんなの見たことないだろうな」
と言って、机の奥にあった成人向け雑誌を見せてくれた。
表紙には女子高生が制服を着て微笑んでいる。表紙だけの女の子を見れば、別に嫌らしい雰囲気はしない。それだけにその本がどういうものなのかということが分かっただけに、表紙のイメージに対し、
「これ以上嫌らしい感覚はない」
と思い込んでしまったのだ。
竜馬が恐る恐る表紙を開いて中を見ようとすると、悪友はビデオを操作していた。テレビをつけて、ビデオをセットし、流してくれる。
彼の家にはまだギリギリビデオがあり、かなり古いジャケットの、マイナーなメーカを思わせるジャケットから取り出したのだ。
もちろん、新しいDVDのレコーダーはあるのだが、敢えて昔のビデオにしたのは、きっと入門編としてはこれがいいのかと思った竜馬だった。
本を開けて中身を見ると、いかにも生々しかった。それと同時にテレビ画面からはリアルな映像と、オンナの人の喘ぎ声が聞こえてきた。
最初はテレビ画面に夢中になっていたが、次第に本の方が気になるようになってきた。
竜馬が本の方にばかり気にするので、
「どうだい? 本の方が気になるだろう? 映像は確かにリアルなんだけど、本の場合は半分は芸術作品だと俺は思っているんだ。その絵の表情は流れる時間の中で、ピンポイントな表情なんだ。だから俺は映像もいいんだけど、本の方がもっとそそる気がするんだ」
と悪友にそう言われてあらためて本を見ると、確かに女の子の表情は生々しく、却ってリアルな感じがするくらいだった。
中にはモノクロの写真もあり、その部分が想像させられるものがあり、余計にリアルな感じがする。
身体が反応してしまったが、それが女の子の表情によるものなのか、それとも制服という修飾によるものなのか、自分でもハッキリとは分からなかった。
その時、ビデオを見ながら、それまで感じたことのなかった感情を抱いたことで、ある種の大人になったような気がした。
女性構成の制服を見て、ムラムラするようになったのは、その時が最初だと思っていたが、果たしてそうだったのか。何しろ思春期の頃に感じたことや出来事というのは、自分で感じているよりも時系列的に曖昧な気がするのだった。
中学時代の思い出というと、思春期に入ったというのが、一番大きかった。それ以外には何もなかったような気がする。
高校生になって、一年生の間は、中学の延長のように思えた。心機一転、高校に入学すれば、それまでの自分のイメージを変えようといろいろ考えていたはずなのに、高校生になると、それをまったく考えていなかったかのように、すべてを忘れてしまっていた。
だが、中学卒業時と高校二年生になる間くらいでは、制服少女に対してのイメージは次第に変わっていった。中学卒業頃くらいまでは、大人のお姉さんのイメージがあったが、高校二年生になれ、相手が三年生だとしても、幼く見えてしまうのは、自分が成長したと思い込んでいたことと、制服の少女を、
「永遠の少女」
というイメージで考えていたからだろう。
今から思い出してみると、
――そういえば、郵便局で直子を発見した時、最初はそれがすぐに誰だか分からなかったような気がするな――
という思いがした。
――どこかで見たことがあったような――
という思いはあったんpだが、それが誰だったのか、すぐにはハッキリとしなかったのだ。
それを思うと、後からではあるが、直子が変わっていないと思ったことが最初から違っていたのか、それが疑問である。
いや、確かに直子だという意識を持っていたはずなのに、どうしてすぐに気付かなかったのか、同じ顔だと思っていたはずなのにである。
――きっと制服姿に惑わされたのかも知れないな――
と感じたが、その思いはほとんど正解で、一部違っていたのだろう。
違っている部分があっても、態勢に大きく変化を与えない程度で、ほぼ正解だと言ってもいいかも知れないが、それを無視することのできない性格であるのが、竜馬という人間だった。
竜馬は小学生の頃から、猜疑心の強いところがあった。元々内向的な性格だったので、暗い雰囲気が表に出てしまったことで、猜疑心の強さはさほど目立たなかった。小学生時代はそれでも問題にはならなかったが、中学に入ると、思春期に陥ることで、まわりが次第に自分のまわりに目ざとくなってくる。そんな中で竜馬の性格を、
「猜疑心が強い人」
ということが分かってきた人もいたのではないだろうか。
考えてみれば、小学生の頃、自分から直子との距離を持つようになったのも、この猜疑心の表れかも知れない。好きになった相手が自分の意識していないところで、雰囲気を変える。それは彼女が自分をまったく意識していないことの証明であるという意識を持っていたからなのかも知れない。
大人が感じる猜疑心とは別格のものかも知れないが、小学生であれば、それくらいのことでも猜疑心と呼んでもいいのではないだろうか。人を疑うことを嫌うあまり、自分も疑うことができず、最後には自分を納得させることができない状況に陥ることが、一種の猜疑心の表れだというのは危険な発想ではないような気がする。
小学生の頃、中途半端に思えた直子への思いは、中学に入り、思春期を迎えたことで、すぐに自分が異性に興味を持つということを無意識に拒否していたのではないかと思うと、竜馬は直子への思いがすでに切れていると思っていた。
異性を意識すると、大人の女性をオンナとして意識しそうであるが、竜馬にはそれはなかった。さらに金髪の女性や外国人に対しても嫌悪が強く、黒髪の日本人しか意識することができなかった。
異性に興味を抱いたと言っても、それは結構限定的な雰囲気に凝縮されているようで、竜馬の好きなタイプは自ずと限定されているようだった。
かといって、確定した好みではなかった。
「お前はふぉんなタイプの女性が好きなんだ?」
と言われても、限定的にどんなタイプということはできなかった。
「じゃあ、芸能人で言えば?」
と聞かれても、ハッキリと答えられない。
特に芸能人などには確かに自分の好きなタイプの女性はいなかった。消去法で考えれば、芸能人タイプは最初に排除されるのだが、だからと言って、好きなタイプを言及できるほどの相手がどこかにいるわけではなかった。
ただ、好きなタイプと言われて思い起こすのは、小学生時代の直子だったのかというと、そんなことはない。自分の中で勝手に直子を成長させ、今の自分と同じ年齢になった直子を想像したものだ。
しかし、それでも顔に関してはあどけなさがそのまま残った直子を想像しようと思うと、小学生の頃とまったく同じ顔の女の子を想像するしかできなかったのだ。
ただ、直子の制服姿は想像できなかった。
――制服が似合う女の子であるのは間違いないはずなのに――
というイメージを持っているのに、どうして想像できないのか、自分でもよく分かっていなかったのだ。
友達の家で見せてもらったビデオや成人雑誌に出てきた制服の女の子は、制服を着ているだけというだけで、自分の好みとは少々違っていた。確かにアイドル顔負けの可愛い女の子であったことは否定できない。
アダルト業界も、アイドルに負けない女優を抱えているということは聞いたことがあった。
「やっぱり、可愛い女の子でないと、アダルト業界も生き残ってこれなかっただろうからな」
と悪友は言っていたが、まさにその通りだと思う。
アダルト女優というのは、可愛いだけではなく、よく見ると顔のパーツは整った顔立ちをしていて、表情だけで相手を魅了する力があるようだった・しかし相手に自分の気持ちを見透かされないようにしようという意識も見え隠れしていて、そんな様子が印象的だった。
中には印象に残っている女の子もいた。
制服が実によく似合っていて、クラスに一人くらいはいるだろうという普通の女の子なのだが、竜馬には彼女の笑顔が忘れられなかった。
その子は、直子とは似ても似つかないタイプで、見るからに正反対という雰囲気だった。存在自体が身体よりも大きなオーラを発しているようで、まるで後光が刺しているかのような雰囲気に、完全に魅了されたのだ。直子のように、存在を自ら打ち消し、気配を消そうとして石ころのようになっていた直子とは大違いである。
方や平面の二次元なのに、存在感はオーラを保っていて、普通の人間が、自らの存在を打ち消しているような雰囲気に、大きな矛盾とジレンマをその時の竜馬は感じていたのかも知れない。
直子という女の子は、制服によって芽生えを変えるようなことはなく、だから制服を想像することができなかった。しかしアダルトな女の子は、私服になると、
「きっと、すれ違っても、その子だと分からないのではないか」
と思うに違いない。
それだけ、制服によって輝いている女の子で、それは彼女自身が制服姿に劣っているわけではなく、制服を着ることで、さらに輝きを増すという、まるで限界に挑んでいるようなそんな雰囲気だったのだ。
直子が言当てであれば、どんな服を着ていてもすれ違った時に分からないということはないだろう。だが、衣装をコロコロと変えた時の直子を想像できないのは、きっと彼女の存在自体が、制服などの装飾を凌駕しているからなのかも知れない。
竜馬は直子のことを今でお好きだと思っているが、小学生の頃に感じた思いが、思春期の前後でどのように変わったのか、よく分からなかった。
――変わっているなどと思いたくない――
それが本音ではないだろうか。
郵便局でアルバイトをしている時、最初に見かけた直子は、制服を着ていた。制服を着た直子を想像したことがなかったということが、直子を見てすぐに、気付かなかった理由なのかも知れない。直子のことに気付かなかったなどというと、自分らしくもないと思えたが、制服を着ていることで分からなかったということを理解すると、それはそれで、自分らしいと言えるのではないだろうか。
郵便局でのアルバイト中、直子に話しかけるチャンスは何度もあった。なぜなら直子はいつも一人でいたからである。自分が話しかけようと思えばいつでも話しかけられる位置にいたのは間違いのないことで、いくら友人から、
「何だ、お前の彼女か?」
と言われたとしても、
「いやいや違う」
とハッキリ言えるだろう。
竜馬は自分のことを正直者だと思っている。それはいい意味でも悪い意味でもだが、直子に関しては、実際に彼女として自分のそばにいたことはない。だから普通に否定することができるのだが、もしそれが的を得ていたりすると、否定に躍起になるに違いない。
――ありもしないことを信じ込ませるわけにはいかない――
という思いがあり、それはすべて自分の罪になってしまうと思うからだ。
直子とは郵便局のアルバイトの期間中に、結局会話をすることはなかった。直子の方で竜馬の存在に気付いていたのかどうかも怪しいものだ。
――知らなかったのなら、その方がいい――
と感じたのは、もし、直子が知っていて、竜馬が話しかけてくれなかったことに対して、
「やっぱり、あの人はその程度の人なんだ」
と、意気地のないことを嘲笑されているという想像はしたくなかったからだ。
直子が他人を嘲笑しているところなど想像もできない。もし、そんな想像を自分が思い描くことができるとすれば、自分を軽蔑するレベルであった。
直子という女の子が竜馬にとってどんな存在なのか、竜馬は分かっていない。きっと自分の中での存在の大きさを考えてしまうからだろう。
――彼女の存在は、自分の中で何パーセントくらいに当たるんだろうか?
などと考えてしまうと、難しく感じてしまう。
何と言っても、自分の百パーセントに当たるすべてのキャパがどれくらいなのか、自分で理解できていないというのがその理由なのだが、その考えは竜馬に限ったことではなく、どの人にでも言えることではないだろうか。
全体が分かっていないのだから、部分的なものが全体のどれくらいだなどとどうやって測定できるというものなのか、自分の全体のキャパを分かっていないということと、それが分からないと、部分的なものを図り知ることもできないという二つのことを、どちらも喪失してしまっていると、分かるかも知れないと思えることも、五里霧中に入ってしまうことだろう。
ただ、そのことは思春期の間に一度は考えることのようだ。ただ、考えたとしても、結論が出るものであるはずもなく、そう思うと、考えるのをやめてしまい、考えていたという事実さえも自分の意識から抹消してしまおうとする意識が、無意識な形で実現されてしまうのではないだろうか。
結局竜馬は、高校を卒業するまで直子に会うことはなかった。大学は何とか地元の私立大学に入学できたが、その頃に考えていたのは、
「自分を変えたい」
という漠然とした意識で、実際にどこをどのように変えようというのか、構成ができていたわけではなかった。
漠然と考えているだけで、結論が出るものでもなく、そのおかげで、焦ることもなく、漠然と考えることができたというのは、ある意味よかったのかも知れない。
ただ、実際に自分の何かを変えないといけないという思いはずっと持っていて、最初にそのきっかけを与えてくれたのは、ひょっとすると、郵便局で直子と出会った時だったのではないかと思う竜馬だった。
大学に入ると友達も結構できた。ただ、長続きする友達ではないということは自分でも分かっていたし、きっと友達の方でも分かっていたことだろう。
「大学でできた友達というのは、結構一生付き合っていける相手だったりするんだよ」
と、高校の時に、担任の先生が言っていたが。
――一生付き合っていけるって、どんな関係なんだ?
と、自分の中で想像を絶するように思えたのは、決して大げさなことではなかったような気がする。
「大学に行くと分かるよ」
と言っていたが、何が分かるというのか、竜馬には疑問でしかなかった。
大学時代というと、
「皆、自分よりも優れている」
という思いが、今までよりも一番強かった時代だ。
就職した時も似たように感じたが、大学時代に受けた衝撃ほどではなかった。一度大学入学の時に感じていたからであろうか。
その思いの反動からの、
「他の人と同じでは嫌だ」
という思いも結構強く、この感覚は、
「比例するものなのだ」
ということを、改めて痛感させられた気がした。
大学入学当初は、友達ばかり作りまくった。高校の頃の先生の話が頭にあったからかも知れない。
――これだけたくさん友達を作れば、その中で一人くらいは、一生友達でいられる相手に巡り合っているかも知れない――
と思ったからだ
だが、相手も同じことを考えていたとすればどうだろう?
友達というのは、彼女であっても同じなのだろうが、自分だけの発信ではいけない。相手も同じ人間なのだが、人それぞれ考え方が違っているのは分かり切っていることだ。それは自分が直子に再度話しかけることができなかったことで、直子の存在に臆していたのではないかと思ったからであろう。
それを思うと、果たして相手が自分をどのように思ってくれるかが大きく影響してくるに違いない。
竜馬が考えていることは、結構相手に分かるようだ。
「お前は分かりやすいからな」
と、高校時代によく言われた。
それを言っていたやつを自分では友達だと思っていたが、卒業時、
「お前とはこれきりだな」
と、なぜか絶縁宣言された。
竜馬も別に彼にこだわる必要などなかったので、
「そっか、じゃあ、元気でな」
と言って、円満(?)に別れたのだった。
それがよかったのかどうなのか分からないが、竜馬は大学に入る際の、断捨離のようなものと考えていたのだった。
実は竜馬は、あまり自分から何かを捨てる方ではない。むしろ、モノを捨てるということには躊躇する方だった。
「後になって捨ててしまったことを後悔したくない」
という思いが強く、要するに整理整頓というものとは無縁な考えを持っていたと言えるだろう。
これは、子供の頃からのことで、生まれつきの性格だと思っていた。
子供の頃によく怒られら。
まずは、物忘れの激しいことと、整理整頓おできないことだった。
物忘れの激しいことは、学校から帰ってきて、よく親から筆箱の中のペンシルなどを確認されたことがあったが、一本でもなかったら、学校まで鳥に生かされたほどだった。どんなに惨めな思いで、泣きながら学校まで戻ったことか、その時の心境は、今思い出してもわなわなと震えが来るほどだった。
忘れ物をしているという意識がない。そもそもモノを大切にするという意識が欠如しているのだろう。親はそれを分かっていて、欠如していることを息子がわざと忘れているのではないかと思っているのかも知れない。いわゆる確信犯だと思っているのだとすると、それは母親が一番毛嫌いしていることだろう。なぜそれが分かるのかというと、竜馬自身が確信犯を一番嫌いで、その思いがお互いに伝わっていることから、親は余計に確信犯だと睨んだのかも知れない。
しかし、竜馬は神に誓って、決してそんな自分が嫌がることをするはずがない。確信犯など竜馬に限ってありえないと、どうして親は思ってくれないのかと感じたものだ。
学校に取りに行かされるのも、学校までの道が嫌なわけではない。確信犯でもないのに、確信犯として忘れ物を取りに生かされることに苛立っているのだ。だから余計に惨めで、逆らうことのできない自分が情けないと思っていた。
忘れ物を取りに行って帰ってきてからの母親は、何も口をきいてくれない。取りに行くのが当たり前だとでも思っているのか、その当たり前のことをしたのであれば、別に何も言うことはないと思っているのではないだろうか。
さらに忘れ物というと、モノだけに限らず、出来事や依頼されていることにも及んでいる。特に小滑降の四年生くらいの頃は、なぜか宿題が出ていることを忘れてやっていかなかったりした。
「どうしてやってこないんだ?」
と先生に言われても、その理由をハッキリと口にすることができない。
「宿題が出ていること自体忘れていたんですよ」
と言ったとしても、言い訳にならない言い訳をしているようにしか思われないだろう。そう思うと言い訳などできるものではなかった。
前の日に宿題が出されたということをいつまで覚えているのだろう? 学校を出る時くらいまでは覚えているような気はしていたが、そうなろと家に帰ってしまった後のどこで忘れてしまうのか、場所が変われば忘れてしまうということなのか、自分でもその頃は分からなかった。
だが、シチュエーションが変わってしまうと、忘れてしまうという印象を大学時代に感じた。その感覚は自分だけではなく、他の人にも同じことが言えるということを知った時、目からウロコが落ちた気がした。
大学時代には、ほぼもの忘れをしなくなっていた。人から言われたことを簡単に忘れることもなかったし、約束をたがえることもなかった。小学生のことに宿題をどうして忘れていたのかというのは、今でも疑問なのだが、宿題が嫌だったわけではないからである。嫌だと思うことを忘れたいという意識は誰にでもあり、忘れる原因の一つとなることは想像がつくが、忘れてしまうのとでは曽越違うような気がした、
小学生の頃は宿題だけではなく、人との約束もたがえてしまうことが少なからずあった。今から思えば、親から受けた、
「忘れ物を学校まで取りに行かされる」
という屈辱的な行為が逆に作用して、自分で拒否反応を起こしているのかも知れない。
屈辱的なことは、自分のうっかりから始まっているので、悪いのは間違いなく自分だ。しかし、それを理由に子供に屈辱的な思いをさせることで、戒めになると思っている親の考えの間違いを分かっていて、せめてもの抵抗意識から、余計に物忘れが激しくなったのかも知れない。
宿題をしていかないということをどうして選んだのか、それは自分でも分からなかったが、少なくとも親に対しての反抗心が招いたことであることに違いはないような気がする。
宿題をしていかないと、いきなり親が困るということにはならないだろう。しかし、回りまわって親にその責任が行くということを無意識に分かっていたということなのだろうか。自分の中ではその間に何ら気結び付くものはなく、
「覚えていなければいけないこと」
という意味での優先順位で、宿題をしないことが選ばれたのかも知れない。
しかし、実際本当に覚えていないということを誰かに対する嫌がらせのように感じるまでは、
――どうして覚えられないのだろう?
と真剣に思ったものだ。
その証拠がいつ忘れてしまっているかということを考えた時、自分でその意識がないことだった。実際に宿題が出たということをメモに書いておいたこともあったが、肝心のそのメモを見なければ、いくら書いても一緒だった。メモを見るというくせをつけない限り、自分がどこで忘れてしまうのかすら分からず、宿題をやっていかないという一つの問題を解決することはできない。
つまりは段階があるということだ。
いつ忘れてしまうのかということ、忘れる場所によって、いかに忘れないようにすればいいかを考える。メモを取っておけばいいと考えたりもしたが、メモを見ないのであれば、同じこと。だったら、メモを見るくせをつける必要はある、などなど。
一つの問題を解決しようと思うと、いくつもの段階を解決させる必要がある。それを人は無意識のうちにこなせているのだろう。
「大人になるというのは、そういうことなんだろうか?」
と思うようになった。
竜馬は直子と再会して直子のことを思い出した。
ということは、それまで忘れていたということになる。その忘却というのは、小学生の頃に宿題を忘れていたという忘却とはまったく質の違うもののように思えた。
直子は竜馬と会っても、何ら反応を示さなかった。そこにも竜馬はいろいろ考えさせられるところがあった。
――僕のことを本当に覚えていないのだろうか?
直子に比べれば、竜馬はあの頃に比べて明らかに変わっている。
少なくとも眼鏡を書けるようになって、
「お前、イメージが変わったな」
と言われたくらいであり、相当の間会っていなかった相手であれば、余計に分からないのも当然というものだ。
しかも途中で思春期が入っているので、子供が大人に変わる瞬間をリアルで見ていなかったので、変化も大きく感じることだろう。
竜馬の方でも直子に対して制服を着ているからなのかも知れないが、変わっていないと思いながらも最初すぐには分からなかったくらいである。それを思うと竜馬は直子にとって、
「一度は離れてしまった相手」
という意識が過大に残っていることで、余計な思いが募っているのだろう。
直子に対して忘れていたことを次第に思い出してくると、実際に思い出している内容はどんどん膨らんできて、時系列を整理して、次第に記憶が繋がっていくのを感じた。
――そうか、覚えられないのは、時系列で記憶が繋がっていないからではないだろうか――
と感じるようになった。 宿題をしなければいけないということも、時系列もさることながら、宿題が出た過程において、覚えておかなければならないことを整理できていないから、忘れるのではないだろうか。
そう思うと、自分のもう一つの悪い癖である、
「整理整頓ができない」
ということが、
「物忘れが激しい」
ということに対して密接に関わっているということを感じさせる。
整理整頓ができないのは、物忘れの激しさほど深刻ではないが、自分でも分かっているだけに、解決法が思い浮かばない。
極端に言えば、
――悪いことではない――
という思いがあるくらいなので、余計に難しく考えてしまう。
この二つが微妙に絡んでいるからと言って、悪い癖を一緒にして考えることはできないような気がする。それぞれに角度を変えてみることで、いろいろな発想にもなるのだろうが、結局は頭の中で整理することが必要なのかも知れないと思うのだった。
もう一つ、竜馬が気にするようになったのは、
「人の顔を覚えられない」
ということだった。
高校生になる頃までは、そこまで気にしていなかったのだが、どうやら気にするようになったのは、郵便局で直子の姿を見てからだったのではないだろうか。
確かに中学時代までも人の顔を覚えられない自分を感じてはいたような気がしたが、そのせいで何か不便なことがあったという意識はない。かといって郵便局のアルバイトが終わってから人の顔を覚えられないと再認識してからも、何か不便を感じたというわけでもなかった。
――では、どうして急に人の顔を覚えられないということが余計な意識として頭の中に残るようになったのだろうか?
そのことを考えていたが、やはり時期的に直子の存在が意識を深めたのではないかとしか思えなかった。
直子の顔を覚えていなかったわけではない。まったく同じ雰囲気だったことを自覚していたという思いと感じたことも一つの原因に繋がっているように思う。
まず最初に感じたのは、
「直子に自分が結局話しかけがることできなかったということ」
であった。
直子に話しかけることができなかったのは、自分に勇気がなかったというだけのはずなのに、あれだけ雰囲気が変わっていないと思っている相手に話しかけて、もし相手から、
「あなた、誰なの?」
と言われてしまうのが怖かったのだ。
何か気持ち悪いものでも見るような顔をされると、それはそれで嫌だったが、それよりもまったくの無表情で、あのあどけない表情の中にキョトンとしたイメージを持って、アッサリと、
「あなた、誰なの?」
などと言われると、自分の中に計り知れないショックが芽生えてくるのを感じたからだった。
確かに直子は誰と話をする時も無表情だった。決して相手を不快な思いにさせるような表情をすることはなかったのだが、それがどこか人間らしさを感じさせないようで、竜馬にとって不満だったところだ。
――ひょっとすると、直子のそんな部分に気が付いたことで、僕は小学生のあの時、直子から離れてしまったのではないか?
と感じるようになった。
直子への思いはあくまでも自分中心の考えであった。直子が何を考えているのかよく分からなかったことが、却って直子が何を考えていようが、最後は自分の考えを押し付けることでうまく行くような考えがあったのが、あの時の二人の関係だったのではないかと今は思っている、
これは結構ディープな考えで、小学生の頃には思いもつかないことだった。
――いや、本当にそうだろうか?
今思い出してみると、自分がどこか確信犯的なところがあったのではないかと思えてきた。
直子の顔はいつも無表情だったので、何を考えているのか分からないのだが、竜馬はその時自分で分かっているかのように思っていた。それはきっと、自分勝手に、自分が直子に感じてほしいという感情を押し付けるかのような態度を取ったことで、直子に対して高圧的な態度を取ることで、直子は逆らえなくなったのではないだろうか。
いや、ひょっとすると、直子自身で高圧的な態度を取られることで、自分の行動を導いてくれるという相手に対して頼ってしまう感覚が依存症として生まれついて持っているものだったのかも知れない。
そう思うと、彼女の無表情なところも、自分から何かを発信するわけではなく、すべて相手に依存するためには、自分を決して表に出してはいけないということを理解した上での行動だったのだとすれば、竜馬は自分勝手だと思っていたが、実は直子の術中に嵌ってしまい、自分は彼女の掌の上で踊らされていただけだったのではないだろうか。
そう思うと、直子のあの無表情さが怖くなってきた。
そのうちに、
「思い出したくない」
という思いを板いていた。
それからだっただろうか、急に直子の顔を思い出すことができなくなっていた。
それは、郵便局のアルバイトが終わってから、直子と会わなくなってそれほど時間が経っていなかったような気がする。まだその年の冬の間くらいのことであって、その頃から自分が人の顔を覚えることのできない性格だったのだという思いに捉われるようになった。
ただ、自分が人の顔を覚えられなくなった理由が直子だという思いを抱いてから、別の意味で直子が影響し知多のではないかと思うようにもなっていた。
それは、直子の制服姿を見てからのことだったのだはないだろうか。
――直子は昔と変わっていない――
と感じたのは、間違っていない。
竜馬は、今までクラスメイトの女子を見ていて、制服姿と私服の時で、
――誰であっても、同じに見えることはない――
と思っていた。
制服に身を包んだ女の子は、皆おしとやかで、いい意味で個性がないくらいに感じていた。下手をすると、制服を着ている女の子は皆同じ顔に見えるくらいだったのだが、私服になると、とたんにイメージが違ってくる。
私服というのは、性格がハッキリと出るものだ。活発な女の子、大人しい女の子、自分が前に出たがる女の子、その他大勢の時に、端っこにいるような女の子、それぞれ私服を見ていれば分かってくるような気がしていた。
直子の場合は制服だったのが、私服だった小学生の頃の顔を覚えていたこと自体、自分でも不思議なくらいだったのに、制服姿を見ても、まったく変わっていないと思ったのは、自分の中の矛盾を感じていたはずだった。
いくら大人しい子であっても、制服姿と私服姿とでは少なからず違っているように思っていたのだが、直子を見た時、何年も経っているのに、その表情に変わりがないと思ったことを何も違和感なく信じたのは、今から思えばどこか自分の感覚がおかしかったからなのかも知れない。
どんな時であっても表情の変わらない相手を見ると、気にしていなかったとしても、その表情は瞼の裏に沁みついてしまうというのが普通ではないだろうか。しかし、竜馬にそれはなかった。直子を見ている時は、
「いつもと同じ顔だ」
と思うのだが、見ていない時は、瞼の裏に表情が残っているわけではなく、何か漠然としたイメージ、それも暗黒のイメージが残ってしまって、もし顔を思い出そうとすれば思い出すことができず、まるでのっぺらぼうのように感じていたに違いない。
これが、その後も頭の中に残っていて。人の顔を覚えることができなくなった原因なのではないかとも思える。
ひょっとすると、他にもたくさん人の顔を覚えることができなくなった理由は存在しているのかも知れない。いくつもの思いが連鎖して覚えられないことの原因になったと思えるからだ。
だとすると、そのほとんどは直子に絡むことではないかと思う。そう思う自分が怖く感じ、直人という女性の存在に、そして、制服というものの魔力に、自分の性格を形成されているのではないかと思うと、怖くなったとしても、それは無理もないことのように思おのだった。
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