5月16日(風) 開戦
壁を破り現れた
そんな化け物を前に短剣を構え、ふと隣を見ると、いつの間にやら縄を抜けた傭兵が剣を抜き戦う姿勢を見せていた。
「あら、逃げなくてよかったの?それとも正義の心にでも目覚めた?」
未だ静かな背中の少年を、雑に、だが確実に攻撃の届かない場所へを放り投げて、傭兵は軽口を返してきた。
「なんだい。もしかして嬢ちゃんが囮になってくれたのかい?」
「そんな訳ないでしょう?逃げ出したなら、捕まえて餌にしてやりましたわ」
「ははっ、くそったれめ。だがまあ、こっちも殺されたくはないからな。できる限りのことはやらせてもらうさ。俺はウィード。よろしくな」
こちらも名乗り返そうとすると、それより早く
私たちは左右に分かれながら転がり避けて、ウィードに向けて叫んだ。
「マーガレットですわ!また留置所で名乗ってくださいまし!」
「断る!」
だが例え信頼できなくとも、肉壁が増えるのは非常に助かる。私も短剣を構え、目の前の災害に対面した。
「傭兵、レディのエスコートくらいできますわね?」
「マジでくそったれめ!あの学園の生徒なんだったら、俺の手なんて借りなくていいんじゃないのか⁉」
ウィードは悪態をつき怯えながらも注意を引き受け前に進み出る。
もどきの興味が逸れているうちに、私は側面に回って攻略法を探す。
先ほども感じた通り、竜のような威容は備えているが、頭に蜘蛛の触角が生えていたり肌から綺麗な宝石が生えていたりと、傭兵が言っていた魔人の行っていた実験が少しばかり読み取れた。
そうやって改造されているからか、身体の至る所がつぎはぎで、縫い目が見える四肢では激しい動きはできないように思えた。
速度だけなら身体強化で十分勝てる。だがあの岩のような肌を貫くのは、私の魔術だと威力が足りない。その他私でも貫けそうな弱点を必死で探すが、私では一つも発見できなかった。
……とりあえず、一度殴ってみようじゃないか。もしかしたらあの岩の肌は、ただの飾りかもしれない。
奴が大きく足を踏み下ろした隙を狙い、わき腹に短剣を突きいれる。僅かな希望を元に突いた肌は、見た目通りの防御力を発揮し、刃に硬い感触が返ってくる。
何体もの魔物にとどめを刺してきたこの剣でも、その岩肌は傷一つ付いていない。
だがイラつかせる程度の効果はあったのか、もどきはウィードではなく私の方を狙い始めた。
ただ思った通り、何度足を振り下ろされようが、その硬い顎で噛みついてこようが、私を捕らえることはできない。
ついには重たい身体を持ち上げて、その質量をもって地面ごと砕こうとするが、すでに私はその場を離れていた。
ここまで戦って思ったのだが、このもどきは竜種が使えるはずの魔法を一切使ってこない。恐らくだが、これも紛い物である弊害なのだろう。
であれば、物理的な守りさえ突破できれば攻略完了。ではあるのだが、その真っ当な物理というのが私の苦手分野であった。
どうしたものかと悩んでいると、
「おい、なんかやるんだったら声ぇかけろ!合わせらんねぇだろ!」
「ごめんあそばせ。ではもう一度、奴の注意を逸らしなさい。魔術を試します」
「アァ、くそったれ。人使いの荒い嬢ちゃんだ!」
ウィードは岩陰から勢いよく飛び出し、もどきの横っ面へ剣を叩きつける。目玉でも狙ったのだろうが潰れた様子はない。というかよく見ると、目玉は白濁にまみれていて、元から見えているのかも怪しかった。
ではどうやって認識しているのかと考えると、恐らくは音。壁を破って現れた後に耳を立てていたのも、音を聞き分けていたのだろう。
彼も同じようなことを考えたのか、懐からなにかを取り出し、もどきの顔に向かって投げつける。耳の近くで破裂したそれは、キーンと甲高い音を上げ、奴も目を回していた。
ただそれによって、傭兵に対する疑問も深まった。もどきとはいえ竜に立ち向い、持ち物も贅沢に使っている。金が第一の傭兵にしては、採算が取れないこの戦闘を続行していることこそが、彼に対する疑問の第一であった。
ウィードの謎は後で警邏の元で聞かせてもらうとして、今は魔術に集中し、忠告と共に呪文を唱える。
「カウント三秒!呪いの言葉を薬室へ、
ウィードは慌てながら、三秒以内にもどきから離れ、それを追いかける奴の腹に練り上げた魔術を放つ。
この魔術は物理的な衝撃と毒のように魔力を侵食する呪いを相手に付与するもの。この化け物の魔術耐性を試すのならばぴったりだろう。
未だはっきりと原理の分かっていない、生物の心が元とされる「呪い」。それを弾くならば、侵食する隙間のない強力な魔力障壁か、強固な精神が必要となるが……。
魔術は奴の右肩辺りに命中し、肌を傷つけることは予想通りできなかったが、呪いの方も残念ながら宙に散っていく。
そう判断し、改めて吶喊しようと構えを取ると、ウィードの声が飛んでくる。
「あんま通じてねぇな!こりゃ一旦小僧に話を聞くべきか?」
傭兵の言葉にハッと気付かされた。頭がすっかり戦うことに染まっていたが、情報を集めるのも戦いの基本ではないか。
昨日父に言われた通りの事態となり、少し気恥しくなりながら、傭兵の元に近づき指示を出した。
「傭兵。魔人から弱点を聞き出すので、また時間稼ぎを頼みますね」
「わぁったよ、くそったれ!俺が死ぬ前に頼むぜ!」
未だ奴のことが信じ切れず、ウィードには囮を命じる。
彼は実際ここまで攻撃を受けた様子はなく、欠片も心配はしていないが、なるべく早く
辺りは
ただ奴は縛られたままなはずなので、遠くには行けない。そう思い周囲を探すと、岩陰の向こうに特徴的な牛の角が見えた。
そちらを覗くと、
「あら、こんなところに。少し質問させていただきますね」
そういいながら首を捕まえ、猿ぐつわを取る。
「……っはは!馬鹿が!言葉さえはなせれぶっ!」
呪文などを呟かれる前に殴ってその口を閉ざす。
「はい。無駄なことは口にしない!あの化け物の情報以外を話したら爪を剥ぎます」
「うぐ……。話すわけがなビィ!」「情報以外の言葉はいりま、せんっ!」
右の親指から順に、爪に短剣を入れ込んでいく。こういう拷問術だって、リコリスネーロの者ならば当たり前に身につけているのだ。
習いたての頃は相手が可哀そうで何もできなかったが、今となっては悪人に対してならば、何でもできるようになってしまった。
この
一枚剥ぐたび体を大きく跳ねさせ何かを叫ぶが、逃げられないように押さえ込み淡々と続ける。悪いが容赦している時間はない。
小指に手をかけた時、ついに罵り以外の言葉が叫ばれた。
「っご、ごべんなざい!ごめんなざい!
「あら、根性のない。謝罪の言葉よりも、聞きたいものがあるのです、がっ」
拷問で大事なことは、強い痛みを伴いながらも相手を絶対に殺さないこと。父からの教えに注意しながら、
早く喋ってもらわないと、
「あ゛あ゛あ゛!っ奴は俺の改造能力で作った魔物で、
「早く」
左の親指を短剣でつついて続きを促す。斬られるとでも思ったのか、彼は先ほどよりも早く口を動かした。
「奴は!ほかの奴らの魔法も使ったせいで、魔法に、アレルギーを起こすようになってしまった!そのせいであの竜はブレスも出せないし、耐久力もあるけど、魔法を受けすぎたら意識を失っちゃう……」
やはり魔法は使えなかったか。確かに有用ではあるが、今役に立つものではなかった。なにせ彼が言う魔法はすべてが
「そうですか……。うーん、もっと直接的な、コアのようなところはないのですか?」
「い、いや。あいつも生物ではあるから、頭か心臓を潰せば止まるけど……。まあ、あの虫型は頭を潰しても一定時間は動くよう、神経まで虫の者に入れ替えたから、死んだ後も動き続けるけどね!」
「面倒ですね……。本当にそれ以外弱点はないので?」
親指を少しだけ切り裂く。すると少年はすっかり怯えてしまって、喋り続ける機械のようになってしまった。
「あっ!あの鉱石はドワーフに掘らせたやつで素体との相性がとてもいいんだ!そうだ!腹の縫い目は他の魔物の
止まらなくなった言葉の節々に気になる点がいくつもあるが、今は邪魔にしかならない情報である。
「もういいので、あとの話は警邏の方にお願いしますね」
「えっ」
少年が何かを言う前に、もう一度頭を地面に叩きつけ意識を刈り取る。
しかし、有効打になるような情報はなかった。偽竜という呼び名と心臓の位置は分かったが、四足の獣の腹を狙うなど難易度が高い。しかも死んだ後も動き続けるなんて。
ただまあ、難しかろうとやるしかない。そう覚悟を決め、化け物の方へ目を向けると、ウィードが振り下ろされる四肢を必死に転がり避けているところだった。
まだ余裕はありそうだし、少し考える時間を貰おう。
私の魔術は先の
そのため、魔術の威力のみであの岩肌を突破するしかないが、そんな威力の魔術も習得していない。
となれば、強化魔術と火属性薬の重ね掛けで正面突破を目指すしかない。そう結論付けて、慎重に魔力を練っていく。
今の短剣では負荷に耐え切れず壊れてしまうかもしれないが、背に腹は代えられない。
魔術同士が反発しないように、また、奴に通じるであろうものを選ぶと、使える魔術はそう多くない。必死に頭を回しながら、選別した呪文を唱えていく
「
魔術を重ね掛けした影響か、短剣が黒く染まる。その輝きは、私が模倣した伝記の槍によく似ていた。
これだけやれば奴の肌も貫けそうな気がした。もしダメなら縫い目を試して、それでもダメなら、この化け物が世に解き放たれる。そう考えると、失敗などできるはずもなかった。
全ての準備が完了した時、
「傭兵、感謝します。こいつは必ず地獄に送りますからね!」
姿の見えないウィードに祈りを捧げ、姿勢を崩すためにも、試験的に右前足、脛の縫い目を狙って短剣を振りぬく。
縫い目は不思議な感触を返しながらも確かに切断され、傷跡からは青い血が流れていた。ただ、短剣の方も一度使っただけで軋むような音を返していて、後何回斬れるのか不安が残った。
頭の中でどう斬っていくかを組み立てていると、
「生きてるよ、くそったれ!絶対嬢ちゃんには減刑の証言をしてもらうからな!」
ウィードの要求は誰から見ても当然のことであろう。本来彼は私に付き合う必要はなく、その身一つで逃げることもできた。
にもかかわらず
「あの
その叫び声を信じてよいと思うくらいには、奴は奴の仕事を成したのだ。
ならば私もそれに答えねばなるまい。
武器が通じることは確かめた。後は恐れず戦うのみ。
「化け物よ、この国で暮らす民のため。その命、もらい受けます!」
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