第3話 魔術教室

 苅宿に連れられてやって来たのは文化系の部活が居を構える部室棟二階の最奥にある一室で、部屋の中には長机とそれを囲む椅子以外には掃除用具入れくらいしか備品らしいものは見当たらない。


「というわけで第一回、柚葉先生による魔術教室を始めます! はい、拍手!」


 部屋の中を沈黙が満たし、長机の前に立って教師の真似事をしていた苅宿の顔が不機嫌そうに歪む。


 いや、まあ、本当はご機嫌取りのために拍手くらいするべきなのだろうけど。

 何と言うか、やたらハイテンションで捲し立てる苅宿を見ているとそれだけで何もしていないのに疲れてくる。


 これはあれだ。

 道端でやたらハイテンションなパリピ集団を見てげんなりするときの感覚に似ている。


「は、く、しゅ!」


 重ねて拍手を要求してきた苅宿を見てこのままでは話が進まないと判断し仕方なく控え目な拍手を送ると、正面に座っている水無瀬も俺と似たり寄ったりの気のない拍手を始めた。


「どうにもやる気なさげなのが気になるけど、まあいいわ。それより、まずは自己紹介をしなきゃね。私は苅宿家の魔女、柚葉よ。苗字で呼ばれるのは好きじゃないから、気安く柚葉と呼びなさい」


 苅宿はそこで言葉を切ると、迷うことなく俺の方に視線を向けた。


「はい、次はあんた」

「え、いや、それだけ? 俺たちは苅宿――」

「柚葉! 苗字では呼ぶなって言ったでしょ」

「……柚葉について何も知らないし、もう少し詳しく教えて欲しいんだが」


 苅宿、もとい柚葉は俺の求めに対して首を横に振り面倒くさそうに口を開いた。


「教えたところで、魔女のまの字も知らない今のあんたたちじゃ半分も理解できないわよ。私について知りたいなら、まずは魔女の何たるかを学びなさい」


 まあ確かに、今の俺に魔女云々の話をされたところで理解できるとは思えないけれど。

 それはそれとして、柚葉の言動は傍若無人というか、良くも悪くも我が道を行くタイプなので付き合わされる方としては些か釈然としないものはある。


「ハア……じゃあ一応、俺もやっとくか。えーと、二年二組の童子紬どうじつむぎだ。他人に言うことを聞いてもらうお願いはずっと昔からできたけど、どういう理屈でやってるのかは自分でもよくわからん。もちろん、魔女だの魔術だのについてはちんぷんかんぷんだ」


 最低限のことを伝え終えた俺が水無瀬の方に視線を向けると、彼女は軽く息を吐き出してから仕方なさそうに口を開いた。


「童子君と同じく二年二組所属、水無瀬氷花よ。童子君の催眠術……柚葉さんの言葉を借りるなら精神感応魔術だったかしら? あれを知っていたから、魔女がいると言われてもあり得ないとまでは思わないけれど。正直、まだ半信半疑といったところね」


 俺と水無瀬の自己紹介を聞き終えた柚葉は満足そうに頷くと、芝居がかった所作で両手を大きく広げた。


「紬に氷花ね。歓迎するわ! これから先、仲良くやりましょう」


 どうにも振る舞いの一つ一つがわざとらしいというか、ありのままの本心というわけではなさそうな感じはするけれど。

 一応は友好的な態度を見せている柚葉を邪険にする理由もないので、とりあえず頷きを返しておく。


「さて、それじゃあまずは魔術が何なのかについてだけど、これについては簡単よ。魔力と呼ばれる精神エネルギーに特定の手順を踏むことで指向性を持たせ、自分の望んだ現象を発生させる。これこそが魔術であり、熟練すればさっきみたいな幻を見せるだけじゃなく、空を飛んだり火を出したりといろんなことができるようになるわ」


 柚葉の口にした理屈については何となく理解できるし、まあそう言うものと言われれば受け入れられるけれど。

 水無瀬は俺とは違う感想を持ったようで、柚葉の方を見て怪訝そうな顔をしている。


「待って。仮に柚葉さんの言う魔力が実在するとして、それがどうして物理的な現象に結び付くの? 魔力が精神的なエネルギーであるならば、幻覚のような人の認識に依拠する現象はともかく、現実に物を浮かせたりできるとは思えないのだけど」

「魔術において重要なのは人の意思よ。魔力を媒介に現実世界まで拡張された己の認識は神の定めた法則に干渉し、現実の方を自分の想像に沿う形へ変化させるの」


 柚葉はつらつらと魔術についてのうん蓄を垂れ、水無瀬の方も負けじと一般的な常識に沿った反論を続けているけれど。

 途中から追うのが面倒くさくなったので、てきとうに聞き流して自分の手のひらへと視線を移す。


 二人のやり取りを要約すれば、魔術というのは妄想を現実へと置き換える技術なのだろう。

 

 常識的に考えれば、人間が宙に足を踏み出したところで浮けはしない。

 しかし、魔女の考え方に沿えば自分は空を飛ぶのだと本気で思い込んだ人間は魔力という不思議エネルギーによって本当に宙へ浮かび上がる。


 もちろん、思ったことが何でも現実になるのなら今ごろ柚葉は世界征服でもしているだろうし、実際にはいろいろと制約や限界が存在するのだろうけど。


 そういう独自の世界観に生きる存在なのだと思えば、魔女という人種についてもある程度理解できる。


 そして、もし柚葉が言っていた通り俺に魔女としての才能があるのなら、手のひらから水が出ると思い込めば俺はいつでもどこでも蛇口いらずで水を出せるというわけだ。

 彼女の言っていることを一から十まで信用しようとは思わないけれど、物は試しというし少しくらい実験してみるとしよう。


「……んー、流石に無理か?」


 水よ出ろと願いながら手のひらを見つめてみるけれど、待てど暮らせど水滴の一粒も湧いてこない。


 そもそも、今までだってどんなに喉が渇いていても無から水が湧いてくることなんてなかったわけだし、当然と言えば当然の結果だけれど。


 魔術とやらが俺のお願いと本質的に同じものだとするなら、台詞終わりの拍手のように何か成功率を上げる手段があるのかもしれない。

 魔術と聞いて連想するものだと、必要なのは呪文とか魔法陣辺りか?


 試しにノートの余白へ円の中に入った五芒星を描き、その上にかざした手を上向きにして開いてみる。

 

「水と言えば……青、湿気、低温、不定形、ウンディーネ、ガブリエル、海……それから、あー、何も思いつかないし、いい加減に水出ろ!」

 

 水に関連して思い浮かぶ単語を漫画やラノベ仕込みのにわか知識まで総動員して口にしてから、最後に勢いよく声を張り上げる。

 すると、魔法陣の上で広げた手のひらに一粒の水滴が現れ、次第に大きくなりだしたそれは粒から水溜まりへと変わり、慌ててノートから距離を取ったときには手のひらから零れ落ち始めた。


「マジか。本当に出たんだけど」


 自分でやっておいてこんな感想を抱くのも何だが、目の前の光景が信じられず零れ落ちた水が床を濡らす様に見入ってしまう。


「へー、それ思いつきでやったの? 考えなしに未知の魔術を使う浅慮は反省すべきだけど、やっぱりセンスあるわね」


 いきなり声をかけてきた柚葉に反応して俺が肩を跳ねさせると、意識が逸れた影響なのか手のひらから湧き出していた水がぴたりと止まった。


「あ、濡らした床は後で拭いときなさいよ」

「それはまあ、そうするけど……見てたのか?」

「途中からね。というか、あんなにはっきりと声を出してたら誰だって気づくわよ。ほら」


 柚葉に目線で示された方へ顔を向けると、そこには俺と濡れた床を見比べながら苦虫を噛み潰したような顔をしている水無瀬の姿があって、彼女は目が合ったのに気づくと躊躇いがちに口を開いた。


「本当に、何もない場所から水が出ていたわね。童子君、一体何をしたの?」

「何と言われても、水と関係ありそうな単語呟きながら魔法陣の上に手をかざしたら出たとしか」

「随分とアバウトね。この際、質量保存の法則が、なんて言うつもりはないけれど。先程の話が事実なら、魔術にも一定の手順や法則があるはずでしょう。そんな、あやふやなやり方で成功するものなの?」

「まあ、するんだろ。実際、やってみたらできたし」


 水無瀬はなおも納得いかなそうにしているけれど。

 魔法陣や呪文を魔術に集中するための一種の自己暗示だと考えれば、個人的にはさほど違和感はない。


「氷花は頭が固いわね。できると思えばできるし、できないと思えばできない、魔術ってそういうものよ。馬鹿みたいだし嫌なのはわかるけど、少しくらいは紬みたいに頭を緩く……じゃなくて、柔軟にした方が魔術は上手くいくの」

「待て。お前今、水無瀬へのアドバイスにかこつけて俺のこと頭の緩い馬鹿扱いしなかったか?」

「ま、その辺の感覚は追々掴んでもらうとして、今は基礎知識の学習を進めましょうか」

「おい、無視すんな」


 不当な暴言に抗議する俺の声には耳を貸さず、柚葉はそのまま魔術に関する講義を続けていく。


 全くもって度し難い自分勝手なやつだが、それほど嫌な気分じゃないのは魔術や魔女という非日常に触れて精神が昂ぶり判断力が鈍っているせいなのか。

 はたまた、とてもじゃないが友達なんてできそうにない彼女の人柄に一方的な親近感を抱いているせいなのか。

 自分でも答えは判然としないけれど。


 後者だったら我ながらちょっとキモイな、などと益体もないことを考えつつ、俺は濡れた床を拭くために掃除用具入れから雑巾を取り出した。

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