第4話

「じゃあ何しようか、ソラ」

 ソラが私の携帯に現れてから二週間くらいが経った。

 あっと言う間に喋れるようになったり、何だかよく分からないビームが出たりで、ソラと一緒に過ごせば過ごすほど訳が分からなくなっていったけどそれだけに私はここ最近退屈を感じなかった。

「ボクはまた、何かを、食べてみたい、な」

「今はリンゴしかないんだけど」

「えー、他のを食べて、みたいな」

「わがまま言わない、無いものは無いの、リンゴがいやなら今は我慢しなさい」

「……じゃあ、リンゴでいい」

 まだ不満はあるようだったけど取りあえず納得したようなので私は携帯を専用のスタンドに立て掛けてから目の前にリンゴを置いた。

 すると例のクセッ毛から青白いビームが出てリンゴに命中。その後消滅した。何度見ても不思議だ。

 携帯の中を見ればソラがリンゴにかじりついている。不満を言っていた割に美味しそうに食べるその様子は見てるこっちも何だがおなかが空いてくる。

 どうにも初めてリンゴを食べたあの日から文字通り味を占めた様で、ことあるごとに食べ物を要求するようになった。

 最初はリンゴ一つで喜んでいたけど、最近はいい加減飽きてきたのか別の物をねだってくるように成りつつある。

 こっそり病院食を食べさせてみたこともあるけれどリンゴほど好みでじゃ無かったみたいで、あっと言う間に飽きてしまった。

 正直その気持ちは私も痛いほど分かる、病院食というのは何であんなにも味気なく感じてしまう物なんだろう?

 どうして病院食は美味しく感じないのか?についてはいつか考えるとして。今はソラのことだ。

 最近は会話もだいぶ流暢になってきてるし、表情なんか増えてきたような気がする。

 最初は何処かAIやロボットめいたところがあったけど、今ではふと現実の誰かとチャットでもしているようなそんな錯覚に陥ることすらある。

 その事を一言で表すとするなら文字通り、人間味が出てきたって事なんだと思う。

 ただ、最近はさっきみたいにわがままを言うことが増えてきているような気もする。

 今まではソラの望む物を可能な限り望むようにしてきたけど、もう少し厳しくした方がいいのかしら。なんてそんなことを考えて。

「……何だか、たまごっちか何かみたい」

「どうかしたの、刹那?」

「ううん、何でも無い! 気にしないで」

 某育成ゲームの事を頭から追い出して視線をソラに戻すとその後ろに表示されている時計が眼に入った。

 時刻はそろそろお昼過ぎになろうとしていた。

「ごめんソラ。いったん切るね」

「どうして?」

「……そろそろ、母さんがお見舞いに来るの」

 週に一度、お母さんは必ずお見舞いに来てくれる。

 別に無理して隠す必要は無いのかもしれないけれど。自分から話すのも聞かれるのも億劫で私はソラの事を誰にも話していない。

 話したところでまともに聞いてもらえないだろうし、何より私自身がソラのことをよく分かっていないから説明のしようが無い。

「刹那は、お母さんに会いたく、無いの?」

 突然そんなことを言われた。

「何? いきなり変なこと言って」

「今、刹那は悲しそうな顔してた」

 クッと胸が詰まる。

「昨日、ボク調べたんだ。刹那が時々する顔が、どういう、意味なのかなって。だからボク分かるんだ。今刹那は、悲しそうな顔、してた」

 悲しそうな顔って何? 調べたって何?

「刹那がしていたのは悲しそうな顔だった。悲しい、は情けなかったり辛い時、の感情だって書いて、あった。だから今刹那は、お母さんに会いたくないんじゃない?」

 ソラのその言葉は私を労るような物は無く、子供が勉強の成果を自慢するう様なそんな口調だった。

 何時もと変わらない無邪気で邪念の無いその言葉に私は苛立つ。

「なにさ。別に表情なんてその時の気分で変わったりぐらいするよ」

「でも刹那はさっき悲しそうな顔してたよ。前にも時々そんな顔してた。昨日、とか、動画を見せてくれたとき、とか」

 苛立つ私といつもと変わらないソラ。

 その対比が余計に私の神経を逆なでる。

「いい加減にして。そもそも調べたって何よ、どうせネットでしょう? その程度で分かったようなこと言わないでよ」

「でも」

 そのソラの一言で、

「今も、悲しそうな顔、してる」

 私の中で何かが崩れた。

「いい加減にしてって言ってるでしょッ!」

 気がついたら怒鳴ってた、喉が痛くなるくらい。

 怒鳴ったら涙が出た。なぜかは知らない。

「だってしょうが無いじゃん」

 零れる。

「いつもいつも、お母さんが来る度に胸が苦しくなるんだもん」

 ポロポロ、ポロポロ。

「お母さんが頑張って明るくしてるのも、頑張って暗い話題を出さないようにしてるのも、頑張ってずっと笑ってるのも全部分かるんだもん」

 それが全部優しさだって事は知ってる。

 何時からだっただろう?

 その優しさを痛いと思うようなったのは。

 昔はお母さんがお見舞いに来てくれることが、ただ嬉しかったはずなのに。

「何で私なんかのためにって考えちゃうじゃん。本当は私なんていない方がいいって、思ってるんじゃ無いかって」

 自分の病気が治らない物だと言うことは物心ついたときから教えられてた。病気と言うより体質に近い物だって。

 生まれたときから私は病院のベットに縛り続けられる事が運命付けられていた。

 そんな治る見込みの無い娘のために毎週お見舞い来ることがどれだけ大変か、そう言う話しをしてくれたことはないけどきっとお金だってかかってるはずだ。

 病気のせいで外に出られず、ベットの上で寝てるだけの私。

 そんな私にそこまでして貰うほどの価値があるのかな?

 お母さんは義務感で私の面倒をみてくれているだけで本当は――

 そう思うと辛くなるし、悲しくなるし。

 何よりお母さんの優しさを信じて上げられない自分が嫌になる。

 もう来てくれない方が楽なのに、そう思うようになった。お母さんと話しをしなくなった。

 だけどもしお母さんが来てくれなくなってしまったらきっと私は傷つくと思う。

 そんな身勝手な私がまた嫌になる。

「ねぇ私は――」

 もう怒っているのか悲しいのか、よく分からない。

 だけど零れだした涙はもう止まらなかった。

「私は何のために生きてるの?」

 何でこんなこと喋っちゃってるんだろう。

 泣いている自分を情けないな~みっともないな~恥ずかしいな~なんて俯瞰している自分がいる。

 だけど崩れた物はすぐには立て直せそうに無くて、もうどうしようも無くて、それがなんだが悔しくてまた涙があふれてくる。


「よし、よし」


 不意にそんな声が聞こえた。

「よしよし、大丈夫だよ」

 見ればソラが内側から画面をなでていた。

「泣いている人は、こうして励ますといいって書いてあったんだ」

 そう言ってソラは画面をなで続けた、どうも頭をなでているつもりらしい。

 それは子供のあやし方でしょって思ったし、そもそもあなたのせいでしょうと思ったけど。

 何だかその様子が少しおかしくて。ぐちゃぐちゃだった心が少しだけ落ち着いた気がする。

 毒気を抜かれるって言うのは多分こういうことを言うんだと思う。

「……しょうが無いなぁ」

 私はスマホの画面におでこを当てた。

 よしよしとあやすソラの声が近くなり。私は画面越しに大人しくなでられる。

 なんだかちょっとだけ、おでこの辺りが暖かくなったようなそんな気がした。


「おはよう刹那、身体の調子はどう」

 お母さんが何時もの挨拶を口にして病室に入ってくる。何時ものようにお母さんは笑っていたけれど私の顔を見るなりその表情が一瞬で変わった。

「やだ、どうしたの! 目が真っ赤よ大丈夫?」

 血相を変えて悲鳴のような声を上げる。そのままナースコールのボタンを押そうとするものだから慌てて止めた。

「大丈夫、大丈夫だから。ちょっと目にゴミが入っちゃっただけ」

「本当に?」

「本当に」

 私がそう言うとお母さんは表情こそ不安そうなままだったけれど取りあえずは納得してくれたのか、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 取り乱した手前話し出しづらいのか、何時もと違ってお母さんはそれから中々口を開かなかった。

 チラチラとこっちを見てるところを見るにタイミングを見計らってるのかもしれない。

 だから今日は私から声を掛けることにした。

「……ねぇ」

 そう言うとお母さんは目を丸くした。まさか私から声を掛けてくるとは思っていなかったそんな顔だ。

 それはそうだろう。最後に私から声かけたのが何時だったか私すら覚えていないんだから、とにかくうんと前だと言うことだけは確かだ。

「おなか空いた。リンゴ剥いてよ」

 お母さんの目がさらにまるくなる。それだけ私の発言が以外だったんだと思う。

 だけどお母さんはすぐに笑ってくれた。

「ええ。ええ。いいですとも」

 声が明らかに弾んでた。その様子に少しだけ胸がキュッとなる。

 お母さんは勇んで冷蔵庫を開けると「あら?」と不思議そうな声を上げた。

「随分と食べてしまったのね。あと一つしか残ってないわ」

 言われてソラに殆ど上げてしまっていたことを思い出したけど、お母さんは「よっぽど美味しかったのね、お祖父ちゃんも喜ぶわ」と笑って流してくれた。

 手際よく切られたリンゴはウサギの形をしていた。

「なんでうさぎ?」

「お母さん嬉しくってつい張り切っちゃったの、だってあなたとこうしてお話しするの久しぶりだったから」

 嬉しそうにそう言うお母さんの顔を見て胸の中がチクリと痛む。

 囓ったリンゴのウサギは甘くて、少し酸っぱい。

「……ねぇお母さん」

「なぁに」

「私がいると大変じゃない?」

 手の平にブワッと汗が滲む、さりげなく聞いたつもりだったけど、まともにお母さんの顔を見ることが出来ない。

 ずっと聞きたいと思っていたことだったけれど、ずっと聞くのが怖いことだった。

 今お母さんはどんな顔をしているだろう? そうは思うけど、私はいつの間にか俯いてしまっていた顔を中々上げることが出来ないでいた。

「ねぇ、刹那。こっちを見て」

 つむじの辺りに声が届き、私は怖々顔を上げた。

 そこにお母さんの顔があった。

 何時ものような笑顔じゃなくて。かといって驚いてるわけでも怒っているわけでもなくて。ただ真っ直ぐに私のことを見てる。

「正直に言えばね、今まで一度も大変だと思ったこと無いって言ってしまうと、嘘になると思う」

 おなかの辺りがズンっと重くなってまた顔が俯きそうになる。だけどそれより早く「でもね」とお母さんが続けた。

「刹那がいない方がいいなんて、そんなこと一度だって思ったことは無いわ」

 俯き欠けていた顔をお母さんの肩が支えてくれた。お母さんの両手が私の背中に回される。

「だって私の可愛い娘なんですもの」

 優しい母の声が私の耳朶に触れる。

「お父さんだってお仕事が忙しくてお見舞いに来れないけど、私がお見舞いに来る度に刹那はどうだったって聞いてくるんだから」

「ホントに?」

「ほんとうよぉ。この前なんて自分のこと嫌いになってるんじゃ無いかとか、顔忘れちゃってるんじゃとかって心配してたんだから」

 ちょっとおどけたようにそう言って、お母さんの肩がおかしそうに揺れて、私も一緒に揺れる。

 そうすると目尻から何かが零れた。

「また眼にゴミが入ったの?」

「うん……でも、もう大丈夫」

 もう大丈夫。お母さんのことを信じられないイヤな私はもういないから。

 それからリンゴのウサギを食べながらお母さんとたわいの無い話をした。久しぶりで少しぎこちなかったけれど、それでも楽しかったと思う。

 そうしてお見舞い時間が終わってお母さんは帰っていった。

 その日、私が扉を眺める事はなかった。


「ねぇ刹那、今日はどんなことを教えてくれるの?」

 ソラが私のスマホの中に現れてから一ヶ月が経った。

 もう言葉に関してはたどたどしさも消えて普通に会話できるレベルにまでなった。

 だけれど無邪気に無神経な所は相変わらずで、入院中の私に海の水を持ってきて欲しいって言われたときはどうしようかと思った。

 ここ最近は食べ物以外の物を要求することが増えてきたような気がする。石だとか草だとか土だとか。

 ちょっとした物であればお母さんに頼むだとかして用意して貰うことが出来るけど、衛生上の問題でそもそも病室に持ち込めない物も多い。

 そんな物、何のために必要なのかと聞いたこともあったが適当にはぐらかされた。

 どうにも何かこそこそやっている気配があるけど、取りあえず今は様子を見ることにしてる。ソラが何を企んでいるのか私も少し興味があったから。

 その内看護師さんが検温に来る時間になったから、いったんこの辺でやめようかと言うとソラがゴネ出したのでそれをなだめてから、実は前々から考えていて、ふと思い出したことをソラに提案した。

「そうだ、ねぇソラ。さっきはああ言ったけど。海の水、どうせなら実物を見に行ってみない?」

「行くって、海に?」

「そう。また随分と先になっちゃいそうだけど、今度外出許可が出たらお母さん達に頼んで海に連れてって貰おうと思ってさ」

「本当に? やったね!」

 ソラはバンザイをして喜んでくれた。

 やっぱりちょっと甘やかしすぎかな? なんて思ったけど、喜んでくれたことは素直に嬉しい。

 その後スマホをスリープにする。

 外出が許されたらどこに行こう? 海は約束したから見に行くとして他はどうしようか?

 後でソラにも聞いてみよう。そう考えているとまた咳が出て咄嗟に右腕をあてがう。

 早くこれも治さないとな~なんて思いながら何気なくあてがった右腕を見る。


 赤いシミが二つ、病院服の袖に滲んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る