第2話
退屈。
もう何度目になるか分からない事を思いながら私は窓の外を眺めていた。
ここは病室、いるのは私一人だけ。
調度品の多くは白色で統一されて、ベットのシーツは何度も洗濯されたせいか、潤いがなく肌ざわりがぱさぱさしている。
この場所は命が希薄だ。
病室という場所がそう思わせるのか、この部屋はひどく味気なくて、くすんでいる。
この場所だけ色が抜け落ちて、世界から隔離されてしまっているような。
そんな錯覚さえ覚えてしまう。
この病院は街から少し離れた小高い土地に建っていて、この病室はその五階にあるから街を見下ろす形で一望できる。
初めて見る人は「いい景色だね~」なんて言うのかもしれないけれど、毎日見ているとなんの感慨も浮かんでこない。
それでも窓の外にある景色は、ここよりもずっと色彩豊かで、命に溢れている。そんな気がした。
比喩ではなく文字通り、親の顔より見た景色を、ぼんやり眺めていると公園で遊ぶ子供が目に付いた。
季節は冬真っ盛りで、昨日は今年の最低気温を更新したとネットのニュースで言っていたけれど、子供達はそんなのお構いなしにキャッキャッ、キャッキャと遊んでいるし空も晴れ晴れとしている。嫌みなほどに。
「何がそんなに楽しいんだろう」
不意にそんな言葉が漏れた。人間長い間一人だと独り言が増える。
もっとも、私は外の寒さなんて分からないのだけど。
外を眺めるのも飽きて窓から視線を外したその時、静かだった病室に覗うような控えめなノックの音が二回響いた。
私は返事もせず無視を決め込んでいたけど、ノックの主は構わずスライド式の扉をソロソロと開けた。
「おはよう
時間はお昼を過ぎているのだけれど、入ってくるときの第一声は、決まっておはようだった。
病室に入ってきたその人は外の空と同じような晴れ晴れとした笑顔を浮かべている。
私はその笑顔から逃げるようにまた窓の外を眺め、極力そっちを見ないようにする。
「最近は寒くてやーねー。何でも昨日今年の最低気温更新したらしいわよ」
その人は笑みを浮かべたまま、なんてことのない世間話を始めた。
私はそれに答えることなく、窓の外を見続けた。
「お母さん最近、あかぎれがひどくって、水仕事するときに染みて、染みて。も~大変で。刹那もしっかり暖かくして無いと風邪引いちゃうから気おつけなさい。得にあなたは風邪引くと危ないんだから」
その人は一言も発しない私に対してめげずに喋り続けていたけど不意に思い出したのか、「そう、そう」と言いながら手に持っていた籠を掲げて私に見せてきた。
「これ、リンゴ。昨日田舎のお祖父ちゃんが送ってきてね、甘くて美味しいの。刹那と食べようと思って持ってきたのよ、今切るからちょっと待ってて」
「いらない」
私がそう言うと、その人は一瞬鼻白んだ気配がしたけれどすぐに気を取り直し和やかな笑顔を浮かべた。
「そう残念。じゃあこれは冷蔵庫にしまっておくから気が向いたら食べなさい」
そう言ってベットの横に備え付けられている冷蔵庫にリンゴをしまった。
扉を閉める音が少しさみしげに聞こえた気がした。
それから暫くの間、取り留めの無い世間話をした。もっとも私は一言も喋らなかったのだけれど。
そんなこんなで三十分が建った。見舞いの時間は一日三十分までと決められている。
「それじゃあ私は帰るわね。くどいようだけど本当に体調には気おつけなさいよ」
席を立ち外へと続く、扉へ手掛けたその時。
「また来るからね」
最後にそう言い残して病室を出て行った。
私は出ていく音を聞いた後、何ともなしその閉じられた扉を眺めた。
多分二~三分位の間そうしていたら、ふと無意識に自分の髪を摘まんで弄んでいたことに気付いた。
一つため息を着いた後、私は扉を見ることも髪をいじるのもやめて枕元のスマホに手を伸ばし画面を見るとメール通知が一件表示されていた。
nfkanafnain@knonnokjonnoknoin
件名[君は選ばれた]
明らかにまともなメールじゃない。
普通なら開かず削除する所だけど。
……まぁ開くだけなら問題ないか。
もてあました退屈と怖い物見たさが結託して私にそのメールを開かせていた。
突然で申し訳ないが君にこの子を託したい。
この子はまだ何も知らない。知識も常識も何もかも、名前だってない。
君には様々なことをこの子に教えて上げてほしい。
よろしく頼む。
「何これ。気持ち悪い」
思わずそんな言葉が漏れた。
開く前から胡散臭かったメールは開いたところでより胡散臭くなるだけだった。
何も知らないとか、教えて上げてほしいとかって何? そもそもあの子って誰よ。
メールを開いてしまったことを少し後悔して、変な請求とか来ないでしょうね? なんてことを今更思いながらメール画面を閉じると、妙なことが起きていた。
「ん?」
画面の中に誰かがいた。
携帯画面の中で、人っぽい何かが辺りを落ち着き無くキョロキョロと見回しているのだ。
あどけない顔つきで身体の線は細く、髪の毛が一本だけ頭の天辺からアンテナか触覚のようにピョコッと跳ねている。
ぱっと見、男の子ようだけど見ようによっては女の子にも見えるような容姿、その中でも真っ白な髪とパッチリと開いた空色の瞳は得に目を引いた。
そんなまるで漫画やアニメの登場人物のようなビジュアル反してそれは余りにもリアルで、まるで現実の人間をそのまま画面の中にはめ込んだような。
そう思えるほどにそれには存在感というか現実味があった。
それが不意に私の方を見る、すると突然こっちに向かってきた。
「え、何? なになになに!」
最新の3Dモデルなんて目じゃないくらいのなめらかな動きで、歩いてくるそれにびびりまくる私。
すわ、貞子か何かのように、画面からずるりと出てくるんじゃないか。
とかなんとか思ってる内に、それはどんどん大きく、いやどんどんこっちに近付いてきている。
恐怖で軽くパニックになり、どうしていいか分からなくて、スマホを投げ捨てることも出来ず、ただただ画面を見づけていることしか出来なかった。
その後もそれは一歩二歩と、こっちに歩み寄りそして。
ごんっ。
と、突然見えない何かにでもぶっつかったみたいにのけぞったかと思うと、鼻面を押さえて画面の中をのたうち回りだした。
私はやっぱり何が起きたのか分からず呆然とその様子を眺めていたけれど、目に涙まで浮かべて痛がっていたものだから。
「……大丈夫?」
気がつけば思わずそう声を掛けていた。
それはいっぱいの涙を溜めた眼でチラッとこっちを見てから立ち上がった。少しだけ鼻が赤くなっているのがどうにも間抜けだ。
それがこっちに向かってゆっくりと手を伸ばす。私はまた少し腰が引けたけれど手が画面から出てくることはなく、まるで窓の内側から触れているような状態になった。
どうも、携帯の中から出てくることは出来ないらしい。
それは不思議そうに画面の内側を触ったり叩いてみたりしていて、その様子はまるで初めて見た物に触れる子供みたいだった。
「ねぇ、君は何なの?」
思い切って聞いてみる。
だけれどそれは、一度私の方を見て首を捻ると、すぐにまた辺りをキョロキョロし出した。
こっちの声は聞こえているみたいだけど、意味までは分かっていないような、そんな感じだった。
「本当になんなのよ、これ」
その言葉は半分嘆きだ。
こんなアプリやゲームをダウンロードした覚えはないし、妙なプログラムやウイルスをもらってくるような、いかがわしいサイトにだってアクセスはしていな、
「あっ!」
とそこまで考えたところで、メール画面を開いた。
いかがわしいサイトにはアクセスしてないが、いかがわしいメールならさっき開いてしまっていたことを思い出したのだ。
さっき見ていた謎のメールを改めて開く。 ここに書かれているこの子というのは、今私のスマホの中に現れたこれの事なんじゃないのか?
いやきっとそうに違いない、他に心当たりもないし。
なんてことを思っていると、件のその子がメールの裏から回り込むようにして出てきたかと思うと、そのままメールをぼんやりと眺め始めた。
読めるのかと思ったけど、すぐにまた首を捻りだしたからやっぱり読めてはいないらしい。
この子はまだ何も知らない。知識も常識も何もかも、名前だってない。
君には様々なことを、この子に教えて上げてほしい。
メールにはそう書かれている。
正直そんなこと言われてもどうしたらいいのか分からない、そもそも私に何を教えろというのか。
もう一度スマホ見る。
例のその子は今も飽きずにメールをぼけーと眺めている。
仮にメールに書かれていることが本当だとしたら、今、目の前にいるこの子は赤ん坊と変わらない様な存在ということになる。
正直この子がどういう存在なのか私には皆目見当がつかない。
ゲームやアプリのキャラと言うにはその子は余りにもリアルだったけど、だからといって電子生命体だとか、素直に思えるほど私はピュアな人間でもない。
それでももし、もし本この子に意思や自己があったとして、ここで私が見捨ててしまったらこの子はどうなってしまうのだろう。
何も分からないまま一人で私のスマホの中に居続けるのだろうか。
何となく私は回りを見回した。
白色に統一された調度品にパサパサのシーツ、私しかいない静かな病室。
……まぁちょうど一人で退屈してた所だし。
「ねぇ」
私がもう一度声を掛けるとその事に気がついてスマホの中のその子がこっちを見る。
「読めないのかもしれないけど、そのメールにはねあなたに色々なこと教えて上げてって書いてあるの。私があなたにね。だから……」
そこで一回なんて言った物かと考える、だけど結局平凡な言葉しか出てこなかった。
「……これからよろしく」
その言葉の意味をその子が理解していたかは分からない、ただその時その子が嬉しそうに笑った……様な気がした。
「それじゃあ、そういうことになった以上名前を考えないとね」
メールにはまだ名前も無いと書かれていた、付き合うと決めて以上名前を考えて上げるのも義務という物だろう。
「……シロとか」
言ってからイヤイヤと首を振って自分でその案を却下した、さすがに安易が過ぎる。
どうしようかとヒントを求めて視線を彷徨わせていると窓の景色が目についた。
そこにはいい加減見飽きている町並みと、嫌みなほどに晴れ渡った青い空がある。
今、私のスマホの中にいるこの子の瞳の色と同じ色の空が。
「空……うん、決めた! 名前はソラにしよう!」
相変わらず安易な気がしないでもなかったけれど、何だか凄くしっくりきた気がしたから。
「あなたの名前はソラにしたから、次からは君のことソラって呼ぶからね」
そう言うとソラは相変わらずよく分かっていないのか首を捻っていたけれど、不意にその口が動いて。
「ソ……ラ…」
そう確かに口にした。
その言葉に意味は無いのかもしれない、赤ん坊が言葉を真似するように、ただ私が言った言葉を復唱しただけなのかもしれない。
それでもその事が何だか嬉しくて。
「そう、ソラ。君の名前」
私はもう一度そう言った。
それが私とスマホの中の不思議な存在、ソラとの出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます