窓の外の君

川平 直

第1話

 ボクは何のために生きているんだろうか?

 今も時々、そんなことを考える。


「ねぇ刹那せつな、今日はどんなことを教えてくれるの?」

 ボクがそう聞くと彼女は少し困ったような、呆れたような、そんな顔をした。

「教えるって行ってもな~。もうソラの方が賢いじゃない」

「そんなことないよ、まだまだボクは知らないことだらけだよ」

「ウソつき。そもそも調べようと思えば今のご時世ネットで幾らでも調べられるんだから、気になることがあるならそこで調べればいいじゃん」

「ボクは刹那から教えてほしいんだよ」

 ボクがそう言うと刹那はやれやれとため息を一つついた。

「まぁいいけど。だけど実際さ、教えてと言われても、もう何を教えればいいのか私分からないんだけど」

「大丈夫、ちょっと待ってて」

 そう言って夜の内にネットで調べておいた幾つかの画像を開く。

 それは世界各地の風景を写した物でそれを見た刹那は「また勝手に人のスマホでに画像を保存して」と怒っていたけど、ボクは気にせず画像の一つを指さした。

「これは、どういうところなの?」 

 それは鏡張りの大地が青い空を映し出しているような綺麗な風景の画像だ。

 それを見て刹那はとくに考えることもなくスラリと答えてくれた。

「これはウユニ塩湖って言うところで。辺り一面が塩で覆われてて、雨期の時期、雨で水がたまると鏡みたいになるの」

「塩と水の鏡かぁ~。それじゃあ、それじゃあ、ここは海みたいな香りがしたりするのかな?」

「それは私にも分からないよ、行ったことないし。そもそもソラ海の香りとか分かるの?」

「分かんない」

「だろうね」

「だから今度持ってきてよ」

「何を?」

「海の水」

「無茶言わないで」

 刹那はまるで苦い物を食べた時みたいな顔して、そう言った。

 え~と僕は不満を表してみたけど「無理な物は無理」と突っぱねられた。

「そもそも私が海になんて、いける分けないじゃん」

「引きこもり」

「好きで引きこもってるわけじゃないし。少しは気を使ってよね」

 そう言って刹那は着ている薄い緑色をした病人服を見せつけるように両手を広げた。

「そもそもソラにだけは引きこもりだなんて言われたくないし」

「見てみたかったのにな~海の水」

 ボクがこっそり作っているあれに、必用だったんだけど。

 まぁしょうがない、ボクも刹那も海に行くのが難しい事は事実だから今は諦めよう。

 だけどチャンスがあれば、いつか持ってきてもらおうと、心の中でこっそり画策する。

「じゃあ次はね~」

 その後もボクは用意した画像を使ってそこがどういう場所なのか沢山聞いて。刹那も沢山答えてくれた。

「やっぱり刹那は凄いね、色々なことを知ってる」

「別に、卓上旅行が趣味ってだけよ。こんな生活してると他にやることもないし……ねぇ今更なんだけどさ」

 刹那が突然改まったような表情をして、切り出した。

「ソラは何で私の所に来たの?」

「どうして?」

 ボクはなんで突然そんなことを聞くのか分からなくて首を捻った。

「あのメールにはソラに色々なことを教えてほしいって書いてあったけど、さっきも言ったとおり私はまともに学校にすら行ってないんだよ」

 そうして刹那は自身が来ている病人服の胸の辺りをギュッと掴んだ。

「そんな私よりもっと色々知ってて、もっとふさわしい人がいたと思うのに、何で私だったのかなって思って」

 そう言って刹那は軽く眼を伏せた。

 どうしてボクが刹那の所に来たのか。それは……。

「知らない」

 正直に答えたら刹那の肩が落ちた。

「あのねぇ。こっちはちょっと真面目に質問してるんだから、そんなあっさり応えないでくれる?」

「だって、知らないんだもの」

「それは、そうなんだろうけど……ああ、もう真面目に聞いた私がバカみたいじゃん」

 刹那は何だか嘆いているようだったけど、ボクにはその理由がよく分からなかった。

 刹那が質問をしてきたからボクは答えただけなのに、何がいけなかったんだろう。

「ねぇ、ボクは何かいけないことをしたの?」

 気になったので素直に質問してみた。

「そうね、あなたはもう少し空気を読むって事を覚えた方がいいね」

 空気【くうき】

 地球の表面を覆う大気圏の下層部を構成する無色透明の混合気体。

 あるかないか意識しないものの例え。

 その場の雰囲気。

 ネットにはそう書かれていた。

 どれも読むことは出来ない物だ、だって文字がないんだから。

 そう伝えると刹那は眉間の辺りを指で揉み出した。頭が痛いの? って聞くと「ホント空気読めないのね」って言われた。

 やっぱり意味はよく分からなかった。

「さっきソラの方が賢いって言ったけど、撤回する。物知ってるだけでバカなんだもん」

 その一言にボクは少しだけムッとした。

「よく分からないけどバカって言葉が悪口だって事はボクだって知ってるぞ」

「怒ってるの? だったらゴメン。だけど事実なんだもん」

 謝っているようでバカって念を押されて、ボクはますます面白くない。

「ちょっと前までまともに喋ることも出来なかったんだからしょうが無いんだろうけど、ソラはそろそろ心の機微っていう物を考えた方がいいんじゃない?」

「じゃあボクにそのやり方を教えてよ」

「それは無理。こればっかりは教えられることじゃないもん。多分数学の数式とか国語の文法が分かる人でも教えられないと思う」

「そうなの?」

「そうな――」

 そのとき刹那が咳をした。

 ゴホゴホと何度も繰り返す。

 五分くらいそうしていただろうか、咳が治まり息が整ったのを見計らってから、ボクは声を掛けた。

「大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。なんだソラも多少は気を使るじゃん」

 ゆっくりと深呼吸をして、息を整えながら刹那は言った。

「なんか風邪を引いちゃったみたいでさ。やだな~注意してたのに、これじゃまた家に帰る許可降りるの先になっちゃう」

 そう言って、刹那は自分の髪を一房掴んで弄んだ。

「じゃそろそろ看護婦さんが検温に来る頃だからいったん切るね」

「え~もう終わり?」

「しょうが無いでしょ。スマホに向かって一人で話しかけてるところなんて見られたら、頭おかしくなった思われちゃうもの」

「一人じゃなくて二人だよ。それに普通に電話してるって思われるだけなんじゃないの」

「そうね、あるいはスマホゲームのキャラに入れ込んだ痛い人とかね。どのみち検温中はまともに会話できないんだから、少しくらいまっててよ」

 ボクは渋々はーいと返事をした。

「よしよしいい子。そうだ、ねぇソラ。さっきはああ言ったけど。海の水、どうせなら実物を見に行ってみない??」

「行くって、海に?」

 ボクが期待に満ちた眼で刹那を見ると彼女は満足そうな顔をした。

「そう。また随分と先になっちゃいそうだけど、今度外出許可が出たらお母さん達に頼んで海に連れてって貰おうと思ってさ」

「本当に? やったね!」

 ボクは諸手を挙げて喜んだ。その提案はボクにとってとっても魅力的な提案だったから。

 実物を見れるというのはやっぱりネットではえられない物がある。

 そして何より、リアルな情報が多い方がボクがこっそり作っているあれもより完成度の高い物にすることが出来る。

「じゃあ、そういうことだから。また後でね」

 その後すぐにボクと刹那を繋ぐ窓が暗くなった。刹那が携帯をスリープモードにしたんだと思う。

「しょうが無いか。じゃこれからどうしようかな」

 ボクはそう独り言を言った後、暗くなった窓から視線を外して何かないかと回りを見回した。

 ここは青い壁に覆われた、小さな部屋のような場所だった。

 辺りを見渡しても、めぼしい物は見当たらなかったので、ボクはさっき刹那が言っていた空気を読むということがどういうことなのか、調べてみることにした。

 ボクがこの場所に住み着いてからもう一ヶ月くらいになる。

 最初の頃は右も左も分からないような状態だったけど、今は刹那と会話も出来るし沢山のことも知っている。

 ボクってやっぱり凄いんじゃないかな?

 なんて少しだけ得意になりながら。

 そういえばボクに名前をくれたあの時、刹那は何を思ってたんだろう。

 そんなことを不意に思った。

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