26-4 伝説の始まり

 天河てんがと熊五郎。

 二頭の『獣』が不動でにらみ合う中、先にわずかに『動かされた』のは――。


『『奥座敷おくざしきオールドベアーズ』ピヴォ(FW)樫村熊五郎かしむらくまごろうのPKが見事に決まったあっ。ゴレイロの天河てんががわずかに動いた隙を見逃さなかった!』

 がっくりとへたり込む十代。

 喜びを爆発させる七十代。

 そして試合終了を告げる長い笛が終わっても、青柳の実況は終わらない。

 

『『落研ファイブっ』対『奥座敷オールドベアーズ』の試合は三対四で『奥座敷オールドベアーズ』の勝利となりました。いやー、最後は壮絶な打ち合いでしたね、本郷さん、大神さん――』


 この苦い敗北の後、幾星霜いくせいそうの時を経て高校ビーチサッカー界の強豪に成りあがる私立一並ひとなみ高校ビーチサッカー部――通称『落研ファイブっ』――。

 親子ほどに年の離れた後輩たちに『湘南しょうなんの激闘』と語り継がれる事になる伝説の初練習試合は、ここに幕を下ろしたのであった。


「あと一ピリオドあるんだよなホントは」

 仏像が心底悔しそうにピッチを見つめる。

「コースは読めたのに。あの圧にやられた」

 がっくりと肩を落とす天河てんが長門ながとが抱き留める。


 試合終了のあいさつを交わすと、熊五郎は『ふるさと瀬谷ハーフマラソン』と大書されたタオルで汗をぬぐった。

「熊五郎さんはマラソンにも参加されるのですか。瀬谷せのたにハーフマラソン」

 熊五郎フェチの青柳あおやぎは、目ざとくタオルに目をつける。

「いやいや部長さんよ、こいつは瀬谷せやって読むんだ」

 ペリーゆかりの横須賀よこすか久里浜くりはまで生まれ育った青柳あおやぎに、熊五郎は噛んで含めるようにまたしても自身をはぐくんだ故郷を熱く語り始めた。

 四季を彩る草花、せせらぎを渡る風、たわわに実る果物の数々、朝露あさつゆを含んだ甘いとうもろこしに白雪の如きキメの細かなうど――。

 木彫りの熊の如きいかつい眉根をゆるめて、熊五郎は節をつけるように瀬谷名物を数え上げる。


「瀬谷区民の朝は早い。起きしなに朝日に照らされた富士山を拝み、寝ばなには夕日を富士山に見送る」

「だからそれは熊五郎さんの個人的な生活リズム」

「子らは虫取り網を片手に駆けまわり、ほたるを見て育つ。農家の庭先に干されるタヌキの毛皮に渋柿、大根。ウドにいも、きゅうりにナスも最高だ」

「そこ横浜? 本当に?」

 仏像の突っ込みむなしく、熊五郎さんの瀬谷語りは続く。


西方浄土さいほうじょうどにおわす阿弥陀如来あみだにょらい寿ことほがれた横浜最後の楽園、それが瀬谷せや。またの名を横浜の西蔵チベットだ」

「要約すると、横浜最西端の田舎。俺らの親が若い頃には鎌倉郡瀬谷村だった」

 瀬谷区某所の消防団員である火消しの喜六きろくが、熊五郎さんの熱烈瀬谷PRを一行でまとめた。


※※※


「ゴー様ゴールおめでとうございますっ(≧▽≦)」

「ありがとう」

 サワガニのような歩き方で仏像ににじり寄った江戸加奈を交わすと、仏像は山下を盾にしてエロカナ軍団から逃げ去る。

 二人が向かったのは公園の男子トイレだ。

 人感センサーが作動する中、奥の個室からしくしくとすすり泣く声が聞こえてきた。

「お、お、お化け?!」

「落ち着け。しがみつくな」

 まるで雷の夜の松尾のように山下にしがみ付いた仏像。山下は背中に仏像の重みを感じながら、そろりと個室に近づいた。


「どなたかおられるのですか。あの、その、お手数ですがトイレットペーパーを……」

「何だよ服部君かよ。まさか紙が無かったのか」

 聞き覚えのある声に、仏像は安堵あんどの声を上げた。

「うん。誰か来るのを待ってたんだけど、全然人の気配が無くって」

「とりあえずペーパー持ってくるわ。あれ」

 どの個室にも紙がない。

 きょろきょろと洗面台や掃除用具入れを見るもない。


【紙切れの場合は管理事務所までお申し付けください。トイレットペーパーの持ち帰りは厳にお断りいたします。管理事務所】


 山下が読み上げる張り紙の無常さに、服部は声を上げて泣いた。

「もう無理だ。俺今度からあだ名がウコンだ」

「落ちつけ服部君。そんな小二みたいないじめを誰がするか。もうちょっと待ってろ」

 仏像は山下を服部の話し相手に残して、管理事務所へと駆けこんだ。


 服部を連れて会場に戻ると、飛島一家に他三チームの姿が消えていた。

「ゴー様おかえりなさーい。これから皆でお昼食べに行こうって話になったんだけど来ますよね。ひー君(下野)も来るよね」

「俺ら行けないから」

 桂と多良橋の影に隠れてぶるぶると震える下野を回収すると、仏像は下野と一緒に山下を盾にする。

 申し訳程度の女子地引網じびきあみスマイルを繰り出すと、エロカナ軍団は奇声を上げながら仏像に駆け寄った。


Sitおすわり! ゴー君はお触り厳禁!」

 盛りの付いた女子高生を制する多良橋の一言に、天河・長門・服部が仏像の周りを三角形に囲む。

「人は城」

「人は石垣」

「人は堀」

 さながらどこぞの武将ゲームの一コマだ。


「危ない所だった。矮星わいせい、礼を言う。それはそうとシャモは」

「あっちでまだまだフリーズ中。初めてのデートにガッチガチ」

 何やら無声音で口と手を高速で動かす藤巻しほりの隣で、シャモはすっかり精気を抜かれている。

「あれはデートに緊張してガッチガチとか言うレベルじゃねえな」

「あのかにばさみみたいな手は何すか。絶対なんか操ってるっす」

「「目が合ったら呪われそう」」

 仏像と下野が、シャモと一緒に座る前は微動だにしなかったしほりの高速ムーブから目を逸らす。


「そう言えば仏像、僕のカンチョーポーズの事を密教って言ってたでしょ。あんな感じの儀式? 仏像なら『お百度参り』の術を破れるんじゃないの。だって仏像フェチだし、その髪だって仏像ヘアにしたくて伸ばしてるんでしょ」

羅髪らはつな。ちょ、待てよ。俺はただの仏像フィギュアオタ。俺に何をさせようと」

 仏像を盾にして、餌はしほりとシャモへ近づこうとする。


「良いですか二人とも。節度を持って、清いお付き合いに留めなさい」

 サッカー部顧問の桂がシャモに釘をさしているのが、二人の元まで聞こえて来た。


「桂先生はそう言うけれど、シャモさんは四月生まれ。もう成人だよ」

「『お百度参り』が未成年なんじゃ。おい餌、押すな。俺は修験者しゅげんしゃじゃねえ。術を破るとか出来るわけねえだろ」

「ねえ仏像。こうするの。『悪霊退散、悪霊退散、秘孔突き、えいっ』 第七頸椎だいななけいついを押すんだよ。Understand?」

「No!」

 仏像と餌が不毛な小競り合いをしている中、しほりに尺骨しゃっこつを押さえられたシャモは焦点の合わない目をして立ち去った。

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

※2025/5/2「湘南の激闘 終幕」より改題・分割

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