26‐3 湘南の激闘 終幕

 天河てんがと熊五郎。

 二頭の『獣』が不動でにらみ合う中、先にわずかに『動かされた』のは――。


〔青〕「ゴール! 『奥座敷おくざしきオールドベアーズ』ピヴォ(FW)樫村熊五郎かしむらくまごろうのPKが見事に決まったあっ。ゴレイロの天河てんががわずかに動いた隙を見逃さなかった!」


〔青〕「『落研ファイブっ』対『奥座敷オールドベアーズ』の試合は三対四で『奥座敷オールドベアーズ』の勝利となりましたっ」

 がっくりとへたり込む十代。

 走り寄って喜びを爆発させる七十代。


 幾星霜いくせいそうの時を経て、高校ビーチサッカー界の強豪に成りあがる私立一並ひとなみ高校ビーチサッカー部――通称『落研ファイブっ』――。

 親子ほどに年の離れた後輩たちに『湘南しょうなんの激闘』と語り継がれる事になる伝説の初練習試合は、ここに幕を下ろしたのである。



※※※




〔多〕「お疲れ皆Bravoだ。良くやった」

〔仏〕「あと一ピリオドあるんだよなホントは」

 仏像が心底悔しそうにピッチを見つめる。

〔天〕「コースは読めたんだがな。あの圧にやられたわ」

 がっくりと肩を落とす天河てんがを山下が抱きとめた。



〔熊〕「一時は冷や冷やしたよ。良い試合が出来て何よりだ」

 アメコミ笑いを披露しながら、熊五郎はふるさと瀬谷ハーフマラソンと大書されたタオルで汗をぬぐった。

〔青〕「熊五郎さんはマラソンにも参加されるのですか。瀬谷せのたにハーフマラソン」

 熊五郎フェチの青柳あおやぎは、目ざとくタオルに目をつける。

〔熊〕「いやいや部長さんよ、こいつは瀬谷せやって読むんだ」

 ペリーゆかりの横須賀よこすか久里浜くりはまで生まれ育った青柳あおやぎに、熊五郎は噛んで含めるように瀬谷語りを始める。


〔熊〕「人呼んで横浜の西蔵ちべっと。その二つ名の通り横浜の西方浄土さいほうじょうど、それが瀬谷だ」


 四季を彩る草花、せせらぎを渡る風、たわわに実る果物の数々、朝露あさつゆを含んだ甘いとうもろこしに白雪の如きキメの細かなうど――。


 木彫りの熊の如きいかつい眉根をゆるめて、熊五郎は節をつけるように瀬谷名物を数え上げた。


〔熊〕「瀬谷区民の朝は早い。起きしなに朝日に照らされた富士山を拝み、寝ばなには夕日を富士山に見送る」

〔仏〕「いやそれ熊五郎さんが個人的に朝型ってだけ」


〔熊〕「子らは虫取り網を片手に駆けまわり、ほたるを見て育つ。農家の庭先に干されるタヌキの毛皮に渋柿、大根。ウドにいも、きゅうりにナスも最高だ」

〔三〕「そこ本当に横浜を名乗って良いの」

 仏像と三元の突っ込みむなしく、熊五郎さんの瀬谷語りは続く。


〔熊〕「西方浄土さいほうじょうどにおわす阿弥陀如来あみだにょらい寿ことほがれた横浜最後の楽園、それが瀬谷せやだ」

〔喜〕「要約すると、横浜最西端の田舎」

 瀬谷区某所の消防団員である火消しの喜六きろくが、熊五郎さんの熱烈瀬谷PRを一行でまとめた。



〔仏〕「そこやっぱり横浜じゃないと思うんだけど」

〔熊〕「むむ。昔は確かに鎌倉郡瀬谷村だった。だがそんな事はどうでも良い。俺を七十七年間育んでくれた命の土地よ」

 熊五郎はふんと胸を張って、頭から水をかぶった。



〔権〕「ういーっ、マズいもう一杯っ」

〔八〕「あいよっ。ゴンちゃんもようやく昼間っから酒が飲めるようになったね。長年のお勤めご苦労さんだよ」

 松尾がこよなく愛するスーパー『ページヤ』の物流センターと市場を往復する日常にピリオドを打ったばかりの権助ごんすけは、満面の笑みで蜂の子入りの液体をあおる。


〔桂〕「あれだけ激しい運動をした後にアルコールですか」

〔八〕「本当は飲むかいって言いたいところだが、ハンドル握ってる奴にはやれねえな」

〔清〕「この一杯のために生きてる」

 清八がぴっかぴかの頭をタオルで拭いつつ、茶色い液体を水で割った。




※※※



 仁王におう阿形あぎょう)ポーズで仏像ににじりよった加奈から逃げた仏像が山下をお供に公衆トイレに入ろうとすると、鍵の掛かった個室からしくしくとすすり泣きをする声が聞こえてきた。

〔仏〕「ぎゃーっ。お化け―っ」

〔山〕「落ち着けっ」

 仏像は山下を盾にしてそろりそろりと個室に近づいた。


〔服〕「どなたかおられるのですか」

〔仏〕「何だよ服部君かよ」

 聞き覚えのある声に、仏像は安堵あんどの声を上げた。


〔服〕「政木まさき君!? 助かった」

〔仏〕「どうした、まさか紙が無かったのか」

〔服〕「うん。誰か来るのを待ってたんだけど、全然人の気配が無くって」

〔仏〕「とりあえずペーパー持ってくるわ。あれ。無い」



〔山〕「『紙切れの場合は管理事務所まで――』」

〔服〕「もう無理だ。俺今度からあだ名がウコンだ」

 山下が読み上げる張り紙の無常さに、服部は声を上げて泣いた。


〔仏〕「落ちつけって俺ら高二じゃん。そんな小二みたいないじめしねえよ。もうちょっと待ってろ」

 仏像は山下を服部の話し相手に残して、管理事務所へと駆けこんだ。




※※※



〔加〕「ゴー様おかえりなさーい。これから皆でお昼食べに行こうって話になったんだけど来ますよね。ひー君も来るよね」

 仏像が服部を連れて会場に戻ると、飛島一家に他三チームの姿が消えていた。

 桂と多良橋の影に隠れてぶるぶると震える下野を回収すると、仏像は下野と一緒に山下を盾にする。


〔仏〕「俺ら行けないから」

 申し訳程度の女子地引網じびきあみスマイルを繰り出すと、エロカナ軍団は奇声を上げながら仏像に駆け寄った。


〔多〕「Sitおすわり! ゴー君はお触り厳禁!」

 盛りの付いた女子高生を制する多良橋の一言に、プロレス同好会が仏像の周りを三角形に囲む。

〔天〕「人は城」

〔長〕「人は石垣」

〔服〕「人は堀」

 まるでどこぞの武将ゲームの一コマのように、プロレス同好会の三人は人垣と化した。



〔仏〕「危ない所だった。礼を言う。それはそうとシャモは」

〔多〕「二人きりにしてやろうかだってさ」

 何やら無声音で口と手を高速で動かす藤巻しほりの隣で、シャモはすっかり精気を抜かれている。


〔下〕「あのかにばさみみたいな手は何すか。絶対なんか操ってるっす」

〔餌〕「さっき僕のカンチョーポーズの事を密教って言ってたじゃん。あんな感じの召喚儀式しょうかんぎしき的な何か」

 仏像はじっとしほりを見る。


〔餌〕「シャモさんの様子が明らかにおかしいよ。仏像ならお百度参りの術を破れるんじゃないの。だって仏像フェチだし、その髪だって仏像ヘアにしたくて伸ばしてるんじゃん」

〔仏〕「羅髪らはつな。ちょ、待てよ。俺はただの仏像フィギュアオタ。俺に何をさせようと」

 仏像を盾にして、餌はしほりとシャモへ近づこうとする。



〔桂〕「良いですか二人とも。節度を持って、清いお付き合いに留めなさい」

 仏像と餌が小声で言い争いをしているうちに、桂は教師らしくシャモに釘をさす。


〔餌〕「でもシャモさんは四月生まれ。もう成人だし」

〔仏〕「生霊いきりょうが未成年なんじゃ。ちょっ、待てよ。押すな、俺はただの仏像フィギュアオタなの。修験者しゅげんしゃじゃねえ。術を破るとか出来るわけねえだろ」

〔餌〕「こうするの。『悪霊退散、悪霊退散、秘孔突き、えいっ』 第七頸椎だいななけいついを押すんだよ。Understand?」

〔仏〕「No!」

 仏像と餌が不毛な小競り合いをしている中、しほりに尺骨しゃっこつを押さえられたシャモは焦点の合わない目をして立ち去った。



※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

※JFAのビーチサッカー競技規則2021/2022を参考にいたしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る