81 案外何も考えていない男

 松尾が試合出場のために会場に向かっていると知らされた仏像は、飛島にメッセージを送らせるも返信が無い。

〔仏〕「松尾。お前何考えてんだ」

 ごうを煮やした仏像が三回電話を掛けたところで、意外な声が聞こえてきた。


〔千〕『えっ、政木まさき君。だって飛島君って表示が』

 電話に出たのは千景ちかげである。

〔仏〕「えっ。千景ちかげ先生。どうして」

〔千〕『松尾ちゃんが失踪しっそうしたの。荷物も何もかも置きっぱなしで財布もスマホもそのまま。誰も何も聞いてなくて、大騒ぎになってるの』

 仏像は何やってんだああと頭を抱えた。


〔仏〕「『演奏が終わったら試合に出るから勝ってくれ』と飛島君に連絡があったので、ここを目指しているのは間違いないと思います」

〔千〕『まさかそこに行こうとしてるとは。定期も財布もカバンの中だし、どうするつもりかしら。このままじゃ電車に乗れないだろうから、一旦こっちに戻って来るとは思うけれど……』

 通話が切れると、仏像は飛島にスマホを返した。


※※※


〔松〕「遅くなりましたあああああ!」

 雨に濡れたアスファルトが乾きはじめた頃、息せき切って飛び込んで来た松尾は公衆の面前でタキシードを脱ぎだした。

〔仏〕「おい松尾、そもそもどうやってここに来た」

〔多〕「松田君、まさか君は本気で試合に出場しようと思ってここに来たの」

〔松〕「はい。最初からそのつもりでした。交代要員は薄いし、僕はせっかくトップバッターを引き当てたし」

〔飛〕「はい松田君。これ見て。松田君にも念のために送っておいたのだけれど、見ていなかったんだね」

 うどん粉病Tシャツ一枚になった松尾に、飛島が大会委員会から渡された【当日の注意事項】を見せた。


〔松〕「【ベンチ入り出来るメンバーは当日の受付時に申告した者に限る】。え、まさか」

〔多〕「スケジュール的に出られるわけがないから、松田君の名前は書いてない」

 多良橋の非情な宣告に、松尾はタキシードのズボンを砂まみれにしながらその場にくずおれた。


〔松〕「ひどい。試合に間に合わせるためにめちゃくちゃ急いで弾いてきたのに。二十七分ジャストだよ。自己新記録更新だったのに」

〔飛〕「コンクールの本番でプロコの三番(※)を二十七分ジャスト?! どれだけ『巻き』で弾いてきたの」

〔餌〕「管楽器かんがっきを殺す気か。このド変態!」

 今度はピアノ弾きと元クラリネット奏者である飛島と餌が怒る番である。


〔松〕「だってせっかくトップバッターを引き当てたんだし。三崎口みさきぐち行き快特かいとくに間に合わせようと思ったら、二十七分ぴったりで弾き切って駅まで全力で走って」


〔飛〕「そんな事口が裂けても関係者に言っちゃダメっ。例のホールが改修かいしゅうに入って、今年に限って会場が変わっただけでも奇跡だって言うのに」

〔仏〕「しかも雷警報で試合が一時中止状態だしな。『持ってる』男にもほどがあるだろ」

〔松〕「えええっ。だったらまだ第二試合も終わっていないのですか。第三試合には出ないとと思って来たのに」

〔下〕「『持ってる男』のまっつんが『第三試合』を決め打ちで来たって事は、『落研ファイブっ』が勝利確定って事っす」

〔シ〕「そうだそうだ。えいえいおーって。あ、タイム。ちょ、大きい方」

 仏像父とピーマン研究会の真似をして拳を振り上げたシャモは、急にしゃがみこんだかと思うと内股うちまたでその場を立ち去った。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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