42 白蛇の塚守り

〔三〕「葛蝉丸かずらせみまる師匠ししょうだっ。うわっ、どうしよどうしよ」

 松脂庵まつやにあんうち身師匠の後ろでステッキを手にした上品な老齢ろうれいの男性は、あわてる三元さんげんを見てにやりと笑う。


〔み〕「こちらは郷土史家きょうどしかの滝沢さん。修験道しゅげんどうにも詳しい御仁ごじんだよ。こちとら伊達に年食っちゃいねえんだ。皆で話を聞きゃ妙案みょうあんも出るだろう」


〔葛〕「面白そうな創作落語のネタがあるんだって」

〔滝〕「白蛇しろへびは神の使いとは言いますが。さて、話を聞かせて頂きましょうか」

 拒否権は無いと言わんばかりに、老人達はずかずかと座敷ざしきに上がり込んだ。



※※※



〔み〕「良いかい。恩返しに来てもらったと思ってご縁を大切に、末永く仲睦なかむつまじく。さっさと祝言しゅうげんをあげて一太郎二姫いちたろうにひめに囲まれて暮らすこった」


〔う〕「とは言え逢引あいびきの内容を一切覚えてないんじゃ、味気が無いのも確かよな」


〔葛〕「どうにも尻の座りが悪いってんなら、厄払やくばらいに行ってみちゃどうだい。牡丹灯籠ぼたんどうろうみたいな話になるのもちょいと嫌だものねえ」

 元恋人である骸骨と愛し合った末に取り殺される男の落語を持ち出して、葛蝉丸かずらせみまる師匠は白目をむいて骨ばった手をだらりとぶら下げた。


〔滝〕「藤巻ふじまきさんが代々お住いのエリアは地盤がゆるく、神隠し伝説が何件もある地域なのです。『白蛇の塚守り』伝説は、神隠しの起こった沼地に白蛇が居ついた事から起こった伝承でんしょうでしょうな」


 シャモが涙ながらに今までのいきさつを話すと、四人の老人はそれぞれ首をひねってバラバラな感想を述べた。


〔み〕「あんたは前世で沼に溺れそうになった子供を助けたんじゃないのかい。それが恩返しに来たと考えれば、お嬢様を受け入れやすいだろ」


〔シ〕「で、俺はどうすれば」

 めいめいに好き勝手を言う四人の老人に挟まれて、シャモは途方に暮れた。


〔餌〕「最後はシャモさんがどうしたいか、ですよ」

〔シ〕「俺が知りたい」

 シャモは力なくつぶやいた。



※※※



〔シ〕「ただいま」

 結局何も得ることなく味の芝浜しばはまを後にしたシャモ。

 しおれたチューリップのように玄関を開けると、横浜マーリンズのユニフォームに身を包んだ父親がスニーカーを履いている所だった。


〔シ〕「どこ行くの」

〔父〕「横浜マーリンズの試合を見に行くに決まってるだろ」

 失業したはずのシャモ父は藤巻ふじまき家の金で気が大きくなったのか、美濃屋みのやが開いているうちからスタジアムにいそいそと向かう様子だ。


〔父〕「お前も来るかと言いたいところだが、婿むこ殿修行で忙しいか。今度の土曜日もホームでサンフルーツ広島戦だが」

〔シ〕「多分行けないと思うわ。じゃ、気をつけて」

 父親は横浜マーリンズの応援歌を口ずさみながら、玄関のドアを後ろ手で締めた。




〔母〕「全くあのマーリンズ狂はいつになったら目が覚めるのかね。あんたはあんたでそんなにため息ばかりついて。本当に往生際おうじょうぎわの悪い男だね。それにしてもこんなドラ息子の何が良いってんだか全く」

 シャモ母は日高昆布ひだかこんぶ片手にあきれ顔である。


〔シ〕「俺は『お友達から始めましょう』って念を押したんだぞ。それを金に目がくらんで俺を売ったのは誰だよ。あいつらそもそも本当に藤巻ふじまき一家か。いっそ【みのちゃんねる】のドッキリ企画って言われた方が納得がいくよ」


〔シャモ母〕「そいつはこっちのセリフだよ。藤巻家ふじまきけは戦前にゃ御目通りも叶わぬ名家だよ。その上奥様は上海租界そかい客家はっかの流れらしいじゃないか」

 この母にしてこの息子。

 シャモが立て板に水のごとくまくしたてるそばから、ポンポンと言葉が返ってくる。


〔シ〕「知り合いのじいさん達は白蛇の塚守つかまもりの力だって言うし。俺はリムジンに乗ってからの記憶がいつも飛ぶの! おかしいだろこんなの」


〔シャモ母〕「ああおかしいさ。あんな名家が排ガスまみれの下町の、ハッピや浴衣に芸人さんの男物を扱ってるような店のバカ息子を婿むこにくれだなんて。こんなとんちきな話があるか」

 シャモは首がもげるほどにうなずいた。


〔シ〕「だからな、この二の腕の梵字ぼんじシールはシールなんかじゃなくて。川崎大師かわさきだいしにでも行って厄払やくばらいしてもらうしかねえって」


〔シャモ母〕「バカお言いでないよ。しほりお嬢様にお手付きしたのはお前だろ。腹くくれっての」


〔シ〕「だーかーら、お手付きした記憶もない! 本当に何一つ覚えちゃいねえんだ」

〔シャモ母〕「ここまでバカ息子だったとは思わなんだ。婿としてこのままじゃとても出荷できやしない。あんなに上品で大金持ちで名家の美人お嬢様に何の不満があるって言うんだい」


 シャモの訴えをシャモ母はまるで取り合わず、半ば侮蔑ぶべつの表情すら浮かべてシャモを見る。


〔シャモ母〕「あんたがもう少しまともなおつむで互いに後五歳ぐらい上なら、こんな願ったり叶ったりの話はないよ。そりゃストロー役ご苦労ってなもんで牡蛎かきでも山芋でも、スイカでもすっぽんでも嫌って程食わせてやるさ」

〔シ〕「藤巻家の財産に突っ立てたストローが俺って事かよ」

 シャモは、げっそりとしながら自室に向かった。



〈日曜日早朝 三元さんげん宅〉



〔三〕「時次ときじ、シャモ君のお母さんから電話」

 シューマイを『あーん』されながら食べさせられる夢を見つつ至福しふくの表情を浮かべていた三元さんげんは、母親の声で眠りから覚めた。


〔三〕「あと五分」

 シャモ君のお母さんから! と言いながら母親がゆさゆさと体をゆさぶるも、三元は赤子のようにすやーっと寝息を立てている。


〔み〕「さっさと起きろ! 美濃屋みのやの若旦那が失踪しっそうしたんだよ!」

 見かねたみつるがフライパンを叩いて鋭い声を出した。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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