89 一並高校落語研究会復活

 二学期を目前に控えた某日ぼうじつ

野木坂のぎざか動物園下 割烹かっぽう・仕出し 味の芝浜しばはま】はまたしても臨時休業となった。


〔餌〕「はいはいそれではああっ。一並ひとなみ高校落語研究会復活とシャモさんの野望挫折ざせつと松田松尾大先生の『生き地獄』一位生還せいかんを祝してえええっ。カンパーイ」

 すっかりビワの葉茶に慣れ切った常連組がジョッキになみなみと入ったビワの葉茶にのどを鳴らす一方で、下野しもつけと服部はビワの葉茶をちびちび飲んでいる。


〔三〕「ほら早速松田君のサインを飾ったぞ。松田君、みなとみらいと関内かんない近辺での仕事の際は、味の芝浜うちに仕出しを頼むようにお願いするんだぞ」

〔松〕「オーケストラとの仕事だと二百人前ぐらいの注文になりかねませんが。三十分以内には配達してもらえますよね」

 そもそもそんな事を頼める身分では無いと苦笑しつつ、松尾は軽口を飛ばす。


〔飛〕「松田君の写真入りサインはプレミアがすごい事になりますよ」

 サイン色紙に書かれた解読不能なサインを見ながら飛島が目を細めた。




〔シ〕「おいそれより野望挫折やぼうざせつってどういう事だよ。地球温暖化で十月までは夏のうちなんだよおお」

 普通の彼女とラブラブで水着デートもしたいと大山阿夫利神社おおやまあふりじんじゃの絵馬に書き込んだシャモの叫びが空しく響く。


〔シ〕「松田松尾大先生、そちらの『藤崎しほりさん』とは本当に本当に何にも無い訳。いきなり記憶が飛んだり、気が付いたら婿むこにされそうになったり」


〔松〕「藤崎さんは僕より十歳近く上の人ですよ。それに仕事関係の方ですから、万が一にも変な噂が立つとやりにくいんです。頼みますよ」

 シャモがSNSブロックされた『藤巻しほり』と入れ替わりに松尾の元に現れた『藤崎しほり』に、一同は興味津々きょうみしんしんである。


〔下〕「写真を見ても目に邪気が無いっす。やっぱり別人。この前まっつんと一緒に来た時だって変な感じはせんかったし」

 スマホで藤崎しほりと検索けんさくした下野しもつけが、しげしげと藤崎しほりの写真を見る。


〔仏〕「そもそも苗字みょうじも年齢も違うだろ。他人の空似そらにだっての」

〔飛〕「『しこしこさん』だったらこのシチュエーションをどう料理するのでしょうか」

 手当たり次第にリアル知人に☆を要求したおかげで、仏像の父である政木十五まさきじゅうごは、自宅警備員兼ライトノベル作家(自称)『しこしこさん』ですっかり通じている。


〔仏〕「大山阿夫利神社おおやまあふりじんじゃに行くために鶴巻中亭つるまきあたりていに泊まると別の世界に移動する。移動先の藤巻しほり=藤崎しほり」


〔シ〕「だとしたら何で松田君に」

〔下〕「マーリンズのお百度参り事件のターゲットはまっつん系だったし」

 元々のタイプはそっちかとシャモが納得しかかっていると、仏像が話を続ける。


〔仏〕「松尾の前に『藤崎しほり』が現れた理由は『お百度参り』のおせち三段重を食べたのが松尾と三元さんげんで、『お百度参り=藤巻しほり』をいとわなかったのが松尾だったから」

 たぶんそんな流れで話を作るんじゃねえかなと仏像は推測した。


〔下〕「すごいっすね政木まさき先輩。もしかして『無職輪廻むしょくりんね―外資系スーパーエリートリーマン(以下略)』のイラスト担当の『みそうどんぐちゅぐちゅ』さんって政木まさき先輩っすか」

〔仏〕「そんな訳ねえだろ」

 仏像は全力でみそうどんぐちゅぐちゅ疑惑を否定する。


〔シ〕「いやまじでそれだわ! やっぱり藤崎しほりさんは藤巻しほりちゃんなんだよ。だって松田君は『お百度参り』時代から一貫してしほりちゃんに好意的だったじゃん」

〔松〕「好意的かどうかはさておき、あそこまでヤバい人扱いする理由が分からなかっただけで」

 本当に僕たちはただの仕事仲間ですからねと、松尾は再度念を押す。


〔三〕「でも仮にそれが正しいとしたら、シャモは『普通の彼女と普通にラブラブ』的な事を絵馬に書いた。藤崎しほりさんは世界的バレエダンサーだろ。普通の女じゃない。結ばれる訳が無いじゃねえか」


〔松〕「大山おおやま鶴巻中亭つるまきあたりていのセットは、単純に世界の分岐ぶんきトリガーなだけでは。絵馬の内容はあまり関係ないのではないでしょうか」

 三元と松尾の発言に、シャモの表情は大忙しだ


〔餌〕「シャモさん。何度でも鶴巻中亭つるまきあたりてい二〇二号室に泊まって大山阿夫利神社おおやまあふりじんじゃに行けば、好きなだけ高三の春からやり直せるのでは。高三の夏休みに一緒に海水浴に行ってくれる普通の彼女を引き当てるまでやってみましょうよ」


〔仏〕「だからこの話は『しこしこさん』だったらどんなストーリーにするかってただの思考実験だろ。藤崎しほりと藤巻しほりが同じ『お百度参り』なんてあって良い訳が無い。そも世界線の分岐ぶんきなんて今時はやらねえんだよ」


〔餌〕「ゴーちゃん、焼きもちを焼かなくても大丈夫ですよお。お宅の旦那様は嫁一筋だから、ぐふふふ」

〔仏〕「何バカなこと言ってんだ。そう言うアレじゃなくてだな、その」

 もしも複数の世界が同時に存在するなら、松尾の実家で兄弟同然に育った世界があるのだろうと思う仏像である。


〔松〕「そう言えば仏像さん、その後れんさんとは何か進展が」

〔仏〕「ある訳ねえだろ。今日は一並ひとなみ高校落語研究会の代替わり式だろ。俺の事はどうでも良いんだよ。ほら、顔役総務の三元時次さんげんときじ君、あいさつだあいさつ」

 井原いのはられんにうどん粉病Tシャツを血まみれにされた仏像は、松尾のからかいに頬を赤く染めた。




〔三〕「えーそれでは本日は誠にお日柄もよく」

 三元さんげんがビワの葉茶が注がれたジョッキを高々と持ち上げる。

〔三〕「ここに岐部漢太きべかんた君と藤巻しほりさんの華燭かしょくてんが」

〔餌〕「SNSブロックで終わった話を蒸し返しますか」


〔シ〕「ちがうんだって。俺は広島に行ってヒバゴンに会って新幹線で戻って鶴巻中亭つるまきあたりていに泊まって坊主にして大山おおやまに。だから本当は日付が一日進んでるの」

〔仏〕「黙れややこしい」

 仏像がシャモを羽交はがい絞めにしていると、がらりと味の芝浜しばはまの入り口が開いた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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