88 理不尽の理

〔荒〕「下野しもつけ君はプロサッカー選手になるんだろう。ならば、サッカー日本代表の下野広小路しもつけひろこうじはどうしたいのかな」

 元サッカー日本代表にして海外のビッグクラブで活躍した荒屋敷あらやしきは、体同様に丸い声で下野しもつけにたずねた。


〔下〕「全部の試合に出たいっす。大きなものから小さなものまで、全部の試合でゴールをしたいっす。全部の試合で勝ちたいっす」


〔荒〕「その気持ちは大切だよ。だが、君はこの後二十年以上第一線で活躍する超人気サッカー選手にして日本代表の下野広小路しもつけひろこうじだ」

 荒屋敷あらやしき下野しもつけに、おたふくのような目を向ける。


〔荒〕「長いキャリアの中では敗北どころか、時には試合を捨てざるを得ない事もある。それどころか、ある日突然サッカーを奪われる事すらある」


〔荒〕「ここ一年、サッカー選手としての君にとって理不尽りふじんな出来事がいくつも起こったね。その理不尽を理に変えるすべを、本当の君は分かっているはずだ」

 下野しもつけはリスのような黒目勝ちの目を真っ赤にはらす。


〔荒〕「感情の奴隷になるのではなく、感情を否定するのでもない。感情の奥にある本当の君を見つめてごらん」

 荒屋敷あらやしきはそれきり黙って、泣きじゃくる下野しもつけを見守った。


 


〔服〕「それで、『落研ファイブっ』最初期メンバーの意見は」

 服部が第二試合の決勝点を挙げたえさにたずねた。


〔餌〕「他チームが全部棄権きけんして僕らに優勝が転がり込んだら、創作落語のネタとしてはオイシイ。棄権きけんするならさっさと棄権きけんしてみんなで水族館に行くのも楽しそう。MSKブラザーズとは七月に試合をしたからもういいや」

 それまで無言で成り行きを見ていた餌があっけらかんと笑うと、全員がつられて笑う。


〔三〕「落語をこんなバカな理由で奪われたのはやっぱり気に食わない。それでもビーチサッカーを習いに三崎口みさきぐちに行ったから、小柳屋御米こやなぎやおこめ師匠との縁が出来たわけだ。落研があのまま続いていたなら、下野しもつけ君とも服部君達プロレス同好会との接点も無かったし」

 続いて意見を求められた三元は、しばらく考え込んで重い口を開いた。


〔三〕「そう考えれば、これはこれでアリだったのかなとも思う。だから『落研ファイブっ』がこの大会を棄権きけんするかしないかは、ビーチサッカーを頑張った奴らが決めるべきだと思う」

 下野しもつけの隣でしゃがむ松尾が、小さくうなずいた。




〔多〕「服部君、どうする」

 多良橋たらはしは後に一並ひとなみ高校ビーチサッカー部の初代キャプテンになる服部に、改めて問い直した。


〔服〕「来年は平和十三ピンフジュウソウ学園並みの部員数になるまで新入部員勧誘を頑張って、夏場は屋内おくない施設で開催される試合にエントリーしましょう。熱中症リスク回避かいひと怪我人続出で棄権きけんだなんて。これじゃ実力でぼこぼこに負けた方がまだスッキリしますよ」

 棄権きけんを決めた服部の発言に、一同が深くうなずいた。




〔多〕「皆本当にありがとう。そもそも落研を草サッカー同好会にしたのはこの多良橋達也たらはしたつやだ。顧問の権限で皆にビーチサッカーをやらせたのも自分だ。わがままに付き合ってくれて本当にありがとう。保護者に関係者の皆様も、ご理解とご協力を頂きまして誠にありがとうございます。本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げる多良橋たらはしの声が、小刻みに震えていた。



※※※



〔シ〕「しほりちゃん?!」

 今度こそ駐車場に向かって松尾と藤崎しほりが歩いていると、トイレからようやく出てきたシャモがひっくり返ったような声を上げた。


〔シ〕「えっ、何で、何でしほりちゃんが松田君と。どういう事。松田君と付き合ってるの」

 厄介な事になったと松尾が頭を抱えていると、シャモがしほりに近づいた。


〔シ〕「しほりちゃん。家令かれいさんは元気」

 松田さんこの方は、としほりが眉をひそめて小声でたずねる。


〔松〕「シャモさん、こちらの方は『藤崎』しほりさん。世界的なバレエダンサーです。シャモさんの元彼女の『藤巻』しほりさんとは別人です。しっかりして」

〔シ〕「す、すみません。余りに元カノそっくりだったのでつい取り乱して」

 シャモはへこへこと謝りつつも首を傾げる。


〔松〕「いつまでトイレにこもってたんですか。もうミーティングも終わって棄権を決めて、回復食を食べて帰宅するところですよ」

〔シ〕「えっ棄権すんの?! 何で」

 詳しくはテントの中の皆さんにとだけ言い残すと、松尾は藤崎しほりの白いスポーツカーに乗って会場を去った。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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