59-1 真打登場

〔う〕「ちょいと邪魔するよ。おや今日はずいぶん大所帯おおじょたいだね。先生もお見えかい」

 みつるの後ろから座敷ざしきに顔を出した松脂庵まつやにあんうち身師匠が三元さんげん多良橋たらはしを見比べた。


 その後ろから三元さんげんが敬愛してやまない小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうが顔を出す。


〔三〕「本物の御米師匠おこめししょうだあ」

 当代きっての人気真打しんうちの登場に、三元さんげんはぼうっとしながら御米師匠おこめししょうを見つめた。




〔う〕「落語の先生が欲しいんだって」

〔三〕「まさかそれで御米師匠おこめししょうを」

〔う〕「馬鹿言っちゃいけねえよ若様。当代きっての売れっ子落語家が部活の先生になんて、どれだけ銭を積んでもなってくれるもんか」

 小柳屋御米こやなぎやおこめ師匠はうち身師匠の後ろでハハハと笑った。



〔米〕「この間は伯父おじが迷惑をかけたようで済みません。してこちらが引率いんそつの先生で」

 小柳屋御米こやなぎやおこめ師匠からいきなり水を向けられた多良橋たらはしは、三元さんげんに目をやった。


〔三〕「三崎口みさきぐちの食堂の、あのたらもどきの」

〔多〕「ああ、あそこの」

 多良橋たらはし小刻こきざみにうなずく。


〔米〕「伯父夫婦から先日話を聞きましてね。うち身師匠と桜木町さくらぎちょうの喫茶店で話をしているうちに、こちらの店の坊ちゃんの事だと気が付きまして。それで伯父に成り代わってびをしに」

 言うなり、御米師匠おこめししょうはのし袋を多良橋たらはし三元さんげんに押し付けた。


〔米〕「『鱈もどき』を私も食べに行ったのですが、あれはあんまりだ。病院に連れて行きましたら、味覚障害みかくしょうがいが起きていましてね」


〔多〕「ご病気だったとは。もう良くなられたので」

〔米〕「様子見ですね。食堂は昔から作っているメニューだけで、伯母が何とかやってはいるのですが」

〔多〕「それは大変でした。そのような事情があるのでしたら、なおさらこちらを受け取る訳には」

  大人らしい小競り合いで、のし袋が右往左往うおうさおうする。


〔米〕「いえいえ、伯父夫婦が皆さんの事をひどく気に病んでいまして。どうぞ伯父の気持ちだと思って」

 ついにのし袋を受け取った多良橋たらはしは、ダメもとで御米師匠おこめししょう一並高校ひとなみこうこう落語研究会の事情を説明した。


※※※


〔米〕「うちの弟子筋にも何人か指導員がおりまして。先生の異動や退職などで、同じようにお困りの学校は多いのです」


〔多〕「私共はあくまで楽しく落語や演芸に向き合うスタンスなので、大会に出る気はないのです。そのようなケースでも受けてはいただけるのでしょうか」


〔米〕「その辺りは噺家はなしか個人によって変わってきますね。ただ、一度この人にお願いすると決めたらコロコロ変えない方がよろしい。狭い世界の上に、師匠替ししょうがえや一門替いちもんがえをご法度はっとと心得る人間も多いから、引き受け手が無くなりますよ」

 御米師匠は、柔和な笑みを一瞬消す。

〔多〕「なるほど。ありがとうございます。よく考えてみましょう」

 多良橋たらはし三元さんげんに目配せをした。


〔う〕「ふむ、落語はしきたりが厳しいからねえ。それはそうと、そこの新入り君はまだにぎわい座に来ちゃいないじゃねえか。若様にしちゃ珍しい」

〔三〕「こいつは色々と訳アリなんだよ」

 三元さんげんがちらりと松尾を見ると、御米師匠おこめししょうがおやと首を傾げた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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