59-2 逢引

〔米〕「あれ、松田さん」

〔松〕「ああ、どうも先日は」

 大人たちの来襲らいしゅうに置物のように気配を消していた松尾は、ぎこちなく頭を下げた。


〔う〕「お知り合いなのかね」

〔米〕「私がみなとみらいの中ホールで高座こうざを開いていた時にちょうど松田さんが大ホールでオーケストラとピアノ協奏曲のリハーサル中。指揮者しきしゃさんが僕の将棋しょうぎ仲間でね。そこで紹介されました」

〔三〕「すげえ。住んでる世界が違う」

 三元さんげんは松尾をじろじろと見た。


〔米〕「みんなは松田さんと坊ちゃんのお友達なのね」

〔う〕「そこの色男はスノボのワールドチャンピオンだよ。あと全米チャンピオンだっけか」

〔仏〕「ジュニア部門ですが」

 仏像は小さく頭を下げた。


〔米〕「へえ。僕はてんで運動オンチだからな。スノボってのはあのスケートボードみたいな」

 御米師匠おこめししょうはうんうんとうなずきつつ、多良橋たらはしに名刺を差し出した。



〔米〕「兄弟弟子の伝手つてをたどれば、指導員の件は何とか出来るかもしれません。もちろん小柳屋一門こやなぎやいちもんでなくとも、学校の方針に合う方が上手く見つかればこちらに遠慮なく」


〔う〕「演芸えんげい間口まぐちを広げるのであれば、噺家はなしかにこだわる必要はないやね」

 うち身師匠の指摘に、御米師匠おこめししょうは苦笑いを浮かべた。


〔米〕「まあそうかもしれません。ただ、今どきの噺家はなしかは大学の落研出身者が多いですから、大学事情にも明るいですよ。それに手前味噌てまえみそではありますが、落語は芸能の『基本のキ』ですからね」


〔多〕「色々とご教授くださいましてありがとうございます」

 多良橋たらはしは深々と頭を下げた。


〔米〕「ではまた。松田さん、色川いろかわ先生にもよろしく」

 頭を下げる松尾に、御米師匠おこめししょうはにこにこと手を振った。



※※※



〔多〕「これは僕あてに頂いた名刺だから、いくら大ファンでもやれないぞ」

 三元さんげんは、ぼうっとしたまま多良橋たらはしの手元に置いてある名刺を見た。


〔三〕「松田君、名刺もらってない」

〔松〕「まさか。立ち話程度でしたし、もし頂いていたとしても勝手に他の人に上げるなんて絶対にしません」

 俺もさん付けで呼ばれてみたい人生だったとぶつぶつ言いながら、三元さんげんは日替わり定食に箸をつけた。



〔多〕「せっかくだから、にぎわい座に行くとするか。外部の方に指導をお願いする時に、最低限の知識が無いと失礼に当たるだろ」


〔三〕「後三時間以上も開演まで間がありますよ。これだけの暑さだから御米師匠おこめししょう高座こうざ(舞台)以外は余裕で入れると思いますが」

 三元さんげんは手元のスマホで今日の演目を早速調べた。


〔三〕「今日は二つ目さんの後に漫才と上方落語、仲入り後にうち身師匠のウクレレ漫談で主任(トリ)が御米師匠おこめししょうえさも見に行くだろ」

 三元に声を掛けられたえさは首を横に振った。


〔三〕「何でだよ。この間も御米師匠おこめししょう高座こうざに誘ったのに来なかったよな。絶対見れる時に見た方が良い人なんだって」

〔餌〕「今日はこの後野暮用やぼようがあるんです」

〔三〕「デートか、逢引あいびきか」

 多良橋たらはしが逢引ってお前いくつよと失笑した。


〔餌〕「何とでも言ってください。とにかく今日はこの後ずっと先約ありです」

 そう言うと、餌はちらりと手元の腕時計を見た。

 

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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