44 本音のお願い

〈日曜日午後三時 広島県北部某所〉


 深い山間やまあいの崩れ落ちそうな平屋に、くだんの人物はいた。

比婆ひば〕「あー、もう分かった上がらんでもええ」

 玄関先であいさつをしようとしたシャモを見るなり、比婆ひばさんと言う名の老婆はしっしとシャモを追い払う。


〔比婆〕「あんた大層ええご縁を結んでもろうたな。流れのままにゆだねんさい。一太郎二姫、共に白髪が抜けるまで夫婦円満一家平安一族繁栄。何も心配すな。ええから帰れ」


〔シ〕「えええええっ。俺何も知らないままに」

〔比婆〕「聞くまでもない。全ては白蛇姫しろへびひめ様の有難い沙汰さたよ。伏して受け取られませ。受け取る他ないぞえ」


 くわばらくわばらと早口で言いながらぴしゃりと戸を閉めて鍵を掛けた比婆ひばさんの姿からは、とても言葉通りの状況なのだとは思えない。


 

〔比婆〕「岐部漢太きべかんた君、すぐ大山おおやまに行きんさい。大山おおやまで嘘をついたじゃろう」

 釈然しゃくぜんとしない面持ちで車に戻るシャモに、窓を開けた比婆ひばさんが叫んだ。


〔サ〕「大山だいせんなら車で行けるで」

 伯耆富士ほうきふじとも呼ばれる霊峰・大山だいせんへのナビをサンフルーツ優勝がセットするも。


〔比婆〕「大山おおやまじゃ言うとるじゃろうが。富士のお山の息子のお山、大山詣おおやままいりの大山おおやまじゃ。格好をつけて神様の前で嘘をつくけえ、こがあな(こんな)事になる。今ならまだ間に合う。頭を丸めてお天道様てんどうさまと共に行け」

 シャモは何か思い当たる節があったようであわてて車に乗り込んだ。


〔比婆〕「これを腕に貼れ」

 比婆ひばさんは長方形のアルミ箔をバンっと音を立ててシャモの梵字シールの上に貼ると、くわばらくわばらと言いながら山道を急ぐ車を見送った。



※※※



〔サ〕「本当に家に連絡は取らんで良いんか」

〔シ〕「取ったら台無しだ」

 シャモは左腕に貼られたアルミ箔をちらりと見ながら、サンフルーツ優勝のスマホを操る。


〔シ〕「よっしゃ空き部屋ゲット。鶴巻中亭つるまきあたりてい二〇二号室。警察に何か聞かれても、大山おおやまの話は知らない事にして。とりあえず車を出して広島駅まで送ったって事で頼む。大山おおやまに行きさえすれば、あれを書けばきっと」


〔サ〕「そんなにヤバい女なんかね。何でまたそんな事に」

〔シ〕「こっちが聞きたいよ。俺、昔から超がつく憑依ひょうい体質でさ。相手の子は良い悪い以前に、一緒にいても一言も話をしてくれないし。家に連れていかれると記憶が飛ぶし」


〔サ〕「ヒバゴンがあんなに叫ぶのも珍しいけえのう。よほどな大物がついとったんかのう」

〔シ〕「白蛇の塚守りだって、事情通の爺さんは言ってたんだけど」

〔サ〕「何じゃそら。よう分らんが、とにかく無事での」


 サンフルーツ優勝に買ってもらったキャップに伊達眼鏡で変装をしたシャモは、新幹線の自由席で長身をかがめて気配を消した。



 コンビニでお泊りキットにバリカンを購入したシャモは、タクシーを捕まえる。

 いつもなら気軽に車を頼める二階ぞめき(高梨藤一郎吉成たかなしとういちろうよしなり)にも、今回ばかりは居場所を知らせたくは無かった。


 


 真夜中の大山のふもとは、まるでここが首都圏だと言う事を忘れるほど暗い。

 スマホもない中、シャモは頼りなさげな電灯と月の光を頼りに、民家と間違えるような鶴巻中亭つるまきあたりていの玄関を開けた。


 二〇二号室と書かれたパネルを押すと、今どき見かけない長い棒の付いたキーが転がり落ちてくる。

〔シ〕「何か、デジャヴ」

 シャモは一言つぶやくと、ぎしぎしときしむ暗い廊下を歩いて二〇二号室の鍵を開けた。



※※※



 七月初旬の月曜日。大山の朝。

 昨夜の不気味さが嘘のように、鶴巻中亭つるまきあたりてい二〇二号室は朝日でおおわれている。


〔シ〕「よし、行くか」

 頭をバリカンで丸めたシャモは、荷物を背負って鶴巻中亭つるまきあたりていを後にした。

 時刻は午前六時を回った所。

 平日にもかかわらず、大山おおやまの山頂を目指す登山客たちがつえを片手に山道を行く。




〔シ〕「春合宿で来た時はロープウェーだったんだよな」

 ロープウェーの始発しはつを待たずに、徒歩で山の中腹にたたずむ下社を女坂おんなざか経由で目指すシャモ。

 まだ高校三年生の彼をあざ笑うように、明らかに年配の女性登山客たちが次々と追い越していく。


〔シ〕「これでも結構運動している方なのに、情けねえなあ」

 シャモは急峻きゅうしゅんがけに背の高い石が不規則に積まれた登山路に何度もつまづきそうになったあげく、猫の額ほどのスペースを見つけてうずくまった。



 ちょっと足を踏み外すと谷底に一直線の登山道を、みつると同い年ぐらいの女性たちが鈴を鳴らしながらひょいひょいと登る。

 反対側に目を向けると、少しでもバランスを崩すとケーブルカーの線路上に転落するほど切り立ったがけ


〔シ〕「女坂おんなざかは楽勝って書いた奴出てこいや。マジダマされたああああ」

 高所恐怖症の気があるシャモはそこから一歩も動けなくなってしまった。

 ちなみに男坂の下りは、崖を転がり落ちる勢いで降りていくひたすら石階段の男気コースである。



〔男〕「お兄さん、大丈夫ナリか」

 登山客に道を譲るていで座り込むシャモの上から、素っ頓狂なしゃべり口の男の声。

 見上げると口調に全くそぐわない、大人の色気あふれる四十がらみの優男やさおとこがシャモにペットボトルを差し出していた。


〔男〕「あれ、前もお兄さんとこんな会話をしたような」

 見たことも無い男に、シャモは首を横に振る。


〔男〕「運命かなって、ちょっとときめいちゃった♡」

〔シ〕「そう言うセリフは若い女の子にどうぞ。俺、ソッチじゃないんで」

 ここで見知らぬ男に『食われる』か、がけの恐怖に打ち勝つか。

 シャモに与えられた選択肢は二つ。



〔男〕「あ、ごめんね。そう言うつもりじゃないよ。息子と来るつもりだったんだけど、勝手に行ってくれって断られちゃって。お手製のフレンチトーストも『ぷいっ』てするし。反抗期なんだよねえ」


 男のペースに巻き込まれるように再び登山を始めたシャモは、いつしか崖下がけしたの風景ではなく男の背中を追っていた。




〔男〕「うおおおおおおっ。気持ちいいなあア。下社でこれなんだから山頂に行ったらどうなっちゃうんだろ。五郎君にもこの景色を見せてあげたかったなあ」

 標高ひょうこうが上がるにつれハイテンションに磨きがかかった男は、スマホで写真を撮りまくっている。


〔シ〕「僕はここで。お気をつけていってらっしゃい」

〔男〕「若者よ、五郎君の代わりに一緒に山登りをしてくれて感謝なのだお! ありがとだお!」

 山頂に上るのだと言う男を登山口で見送ると、シャモは絵馬をいそいそと購入した。



【『普通の』彼女と『普通』のお友達から『普通』の恋人になりたい。できれば高三の夏までに彼女が欲しい。水着デートもしたいです  横浜市 岐部漢太きべかんた


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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