10-2 あの食堂にあの男 『鱈もどき』にはご用心

 『鱈もどき』に魅せられた三元が食堂ののれんをくぐると、真っ先に目に入ったのは小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうのカレンダー。

 三元さんげんのテンションが明らかに上がった。


〔三〕「小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうだあっ。落語ファンのやってるお店かな」

〔女将〕「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ」

〔シ〕「もしかして落語ファンですか」

 小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうのカレンダーとたらもどきの写真を指さして、人見知りな三元さんげんの代わりにシャモが女将にたずねる。


〔女将〕「あらもしかしてお客さんは落語が好きなんですか。この子はうちのおいっ子なの」

〔三〕「僕は小柳屋御米師匠こやなぎやおこめししょうの大ファンなんです。先日もにぎわい座で御米師匠おこめししょう高座こうざ(舞台)を見て来た所です」


〔女将〕「あらーっ! お父さん、お客さんは昌也まさやちゃんの大ファンなんだって。若いのにねえ」

 奥から店主らしき男が顔を出した。


〔主人〕「らっしゃい。じゃ何かい。『たらもどき』を食いに来たのかい」

〔三〕「はい。表の張り紙に目が行きまして」

〔主人〕「そりゃ良いや。皆学生さんかい」

〔三〕「高校の落語研究会の集まりです。横浜から来ました」

〔女将〕「こないだにぎわい座で、昌也まさやちゃんの高座こうざ(舞台)を見たってよ」

 総白髪の女将はおいっ子のファンを前に大興奮である。


〔主人〕「お前ファンの前で『昌也まさやちゃん』は無いだろうよ。ちょうど良いや。落語研究会御一行様に『たらもどき』はサービスしてやるよ。その代わり、ちょいと感想を聞かせてくんな」

〔女将〕「先週皆と同い年ぐらいの男の子二人連れが来たんだけど、『鱈もどき』だけ残していってね。若い人には合わないのかねえ」


 張本人である仏像がこの場に居たら、間違いなく『あの店で鱈もどきは絶対頼むな』と忠告の一つもしただろうが、あいにく仏像は多良橋たらはしと車で仲良く缶詰中である。


〔三〕「お勧めは何ですか」

〔主人〕「めばちのカマ焼きでも一つ頼んで皆でつついたらどうだい。学生さんなら一人千円までって所かね。それならカマ焼きの他には漬け丼か引っ掻き丼、バクダン丼、金目やアジ定食もおすすめだよ」


〔三〕「ではカマ焼きを一つに俺は引っ掻き」

〔青〕「金目干物定食」

〔シ〕「漬け丼お願いします」

 あいよ、とご主人がメモを取ると同時に引き戸が開いた。


〔餌/飛〕「お待たせしました」

〔シ〕「何する」

〔餌/飛〕「バクダン丼」

〔シ〕「お前ら地味に仲良くなってんじゃん」

〔餌〕「同じ背格好同士としては相通じるものもありまして」

〔飛〕「エッチな話には同意しませんが」

 飛島は三元さんげんの隣に座ると、ごくりとお冷を飲んだ。


〔餌〕「チョコカスターいちご味は期間限定で、代わりにチョコカスターバナナ味があったのですが」

〔飛〕「最後の一個を取ろうとしたら、幼稚園児が」

〔シ〕「幼稚園児相手ならしゃーない。負けて勝つって奴だ」

〔三〕「無駄骨お疲れ」

〔飛〕「それが無駄骨でも無かったのです。ほら」

 飛島はページヤのレジ袋から何やら取り出した。


〔シ〕「もはや伝説の『ページヤ』のエコバッグ」

〔飛〕「あまりに不評で、今ある在庫が十円で投げ売りされていました。新型エコバッグは可もなく不可もない普通の品です」

〔三〕「だからって何でそんなに買い占めたのよ」

 レジ袋一杯に詰められた『ページヤ』のエコバッグに、三元さんげんは呆れ顔である。


〔飛〕「松田君が大スターになったあかつきには、この『ページヤ』のエコバッグにプレミアが付くってえささんが」

〔三〕「まず松田君は何の大スターになるんだよ。花粉眼鏡で顔を隠さないといられないレベルのシャイボーイが、どうやって人前に立つんだよ」


〔餌〕「脱いだらスゴイってやつですよ。花粉眼鏡取ったらスゴイ! みたいな」

〔シ〕「でも人前嫌いな子なら二年前の仏像コースになるじゃん。仏像なんてむしろ人前超オッケー俺カッコいいー! だった奴なのに」

〔飛〕「政木まさき先輩って中三の文化祭の『アレ』以外にも何かあったんですか」

〔三〕「知らない方が身のためよ。人間嫌にんげんぎらいになりたくないならな」

 三元の忠告に飛島以外の全員が強くうなずいていると、店の扉ががらりと開いた。





〔女将〕「熊谷さんいらっしゃい。早かったね」

〔熊〕「めばちカマ焼きとシラスおろし、生ビール。メジの漬け。後で金目煮つけ定食」

 一日中パチンコ屋に居座っていそうな熊谷なる中年男は、たばこの匂いが染みついたシャツをはためかせながらカウンターで貧乏ゆすりをしている。



〔女将〕「お待たせしましたー。金目干物定食だけ遅くなっちゃってごめんね。鱈もどきを食べながらもう少し待ってね」

〔青〕「大丈夫です。ありがとうございます。皆先に食べてて」

〔餌〕「遠慮なくいただきまーす。青柳部長は何で時間かかりそうなメニューにしたの」

〔青〕「何にも考えてなかった」

〔三〕「それ言ったらカマ焼きこそ時間掛かるじゃん」

〔餌〕「追加で白ご飯かおにぎりを頼みましょうよ」

 しゃべりながら鱈もどきに箸をつけたえさの動きが完全に止まった。

 鱈もどきのみを出された青柳あおやぎほおも小刻みに揺れている。


〔飛〕「江戸前の味覚て。冷蔵庫らなーかあ香辛料で持たえせるしあ(冷蔵庫が無いから香辛料で持たせるしか)」

 震える飛島の呂律ろれつが怪しくなっている。

〔三〕「四川しせん料理の発想か。どれ」

 餌が止める間もなくずいっと汁をすすった三元が思わずむせた。

〔シ〕「俺は遠慮しとく」

 四体の人柱ひとばしらを見たシャモは、汁椀しるわんを開ける事も無く遠ざけた。


〔飛〕「チャンネル登録者数が十万人を超えた人気配信者の『みのちゃんねる』さんですよね。実食すればネタになりますよ」

 飛島がお冷を飲み干して涙目になりながらシャモをぎろりと見た。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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