10‐3 棒鱈じゃん

〔女将〕「いらっしゃい。何名様」

〔監督〕「四名じゃん」

 『鱈もどき』に悶絶する高校生グループと獣臭ただよう中年男性。

 男だらけの狭い店内にむせかえるような香水と体臭の入り混じった香りが広がった。



〔女A〕「良い感じの店じゃん。監督もたまには当たり引くじゃん」

〔三〕「あいつらに出くわすとは」

 三元さんげんが思わずうげえっ、と小さく声を上げる。


〔シ〕「三元さんげんあの客知ってるの」

〔三〕「城ヶ島でじゃんじゃんじゃんじゃんうっせー奴らがいただろ」

 語尾に不自然なほど「じゃん」を付けて大声で話す四名様のテーブルからは、香害レベルのどぎつい香りがただよう。



〔監督〕「とりあえず生中四つじゃん。後はなめろうが二つとモズク酢が四つじゃん。後は」

〔女A〕「とりあえずはそれで良いんじゃん」

〔女B〕「鱈もどきって棒鱈ぼうだらじゃん。久々に食べてみたいじゃん」

 止めとけと言いたいのをこらえながら、青柳あおやぎは隣のテーブルを見る。


〔監督〕「じゃそれ四つもらうじゃん」

〔餌〕「鱈もどき四つは止めとけって」

 鱈もどきとの格闘かくとうを諦めた餌は汁椀しるわんにふたをすると、残りのバクダン丼をつつき始めた。


〔女将〕「金目お待たせしましたー。ごめんね遅くなって」

 助かったと言わんばかりに青柳が定食の汁椀しるわんを開けると、やはり鱈もどき。

 がっくりとうなだれて三浦大根葉の浅漬けに逃げた青柳あおやぎを横目に、餌はシャモの目の前に食べかけの汁椀を差し出した。



〔餌〕「【みのちゃんねる】の本気が見たいです。チャンネル登録者数十万人越えの根性を見たいです」

〔シ〕「だーかーら、撮影してない時は絶対嫌だって。そう言う事は【みのちゃんねる】のメンバー登録してから言ってください月額六百円」

〔餌〕「この守銭奴しゅせんどがっ」

〔シ〕「お前だけには言われたくないね」

 二人が食べかけの鱈もどきをめぐる不毛ふもうなやり取りをしていると、シャモの背後からすっとんきょうな声が響いた。




〔女C〕「えーっ!みのちゃんじゃん! まじウチみのちゃんの大ファン今日城ヶ島じょうがしま来て大正解じゃん!」

 ビールを飲み干した女が、黒地にパールをあしらったネイルの指先をシャモの腕に絡めた。


〔女B〕「すごいじゃん! あさぎちゃん【みのちゃんねる】大好きじゃん!」

〔シ〕「えっ、あ、どもみのです。今日はプライベートの友達と来てるんで」

〔女B〕「友達? え、超可愛いじゃん! まじ可愛いパンダのリュック超似合うじゃん!」

〔餌〕「あ、ありがとうございます? んん。もしかして貴女様あなたさまは」

 餌は奥の席で二杯目のビールを飲み干したジュリアナスタイルの女に目を向けた。


〔餌〕「も、もしかして森崎いちご様ではありませんか。何と言う事でしょう! まさか森崎いちご様にお目通りが叶うとは」

〔三〕「あの女、デカい子供が三人はいる。この腹のぜい肉を賭けてもいい」

 小声でぼやく三元さんげんに突っ込む者はいない。なぜなら――。




〔青〕「森崎いちごが監督と呼ぶ男はただ一人。もしかして貴方こそ、我が心の師匠! ローアングルあおり撮りの匠、エゾウコギなめ茸監督たけかんとく。一度お会いしたかった。ああ合宿に来て本当に良かった」

 エゾウコギなめ茸監督は、上機嫌でサインをせがむ青柳あおやぎに応じた。


〔女B〕「ねえ一八いっぱちが飛んだ代わりにこの子を起用したら良いじゃん」

〔女C改めあさぎ〕「一八いっぱちがいないならこの子でいいじゃん」

〔女A改めいちご〕「一八いっぱちは海の『もずく』になったじゃん」

 森崎いちご嬢はモズク酢を高々と掲げた。


〔なめ茸組一同〕「野田一八のだいっぱち! 野田一八のだいっぱち! ウミウの代わりにユーキャンフライ!」




〔熊〕「飯にするわ金目よろしく」

〔女将〕「はいはい」

 香水臭い上に騒がしい店に長居は無用と決めたのか、常連の男は金目煮つけ定食を催促さいそくすると大きな音を立ててお手洗いに入った。



※※※



〔監〕「高校二年生じゃ起用できないじゃん。俺も捕まりたくないじゃん。撮影班ねえ。未成年は現場に置けないじゃん」

 憧れのエゾウコギなめ茸監督たけかんとくに出会えた青柳あおやぎは、撮影班に加わりたいと直訴じきそした。

〔青〕「撮影現場の見学も無理ですか」

〔監〕「まあ、成人して高校を卒業したら来てもいいんじゃん」

 そう言うと、監督はショッキングピンクの名刺を青柳に手渡した。


〔三〕「エゾウコギなめ茸ってどんなセンス」

〔飛〕「部長のツボが分からないです」

 困惑する飛島と、期待した鱈もどきが大外れな上にジャンジャン語御一行様に店がジャックされご立腹の三元さんげんは、カマ焼きを食べたらすぐに店を出ようと決意したのだが――。




〔女B〕「パンダ君むぎゅーっ、ハグっ」

〔あさぎ〕「みのちゃんツーショ撮ろーっ」

〔シ〕「ちょっと今日はプライベートなんで。俺まだ高校生だし。ついでにあの童顔パンダはまだ十六歳なんで、あれはちょっと刺激が強いんじゃないかと」


〔餌〕「温かい、柔らかい、温かい、柔らかい」

 エンドルフィンが脳内に大量分泌されたらしいえさは顔を柔らかな曲線の狭間にうずめながら、花占いのごとく二つの単語を交互に繰り返していた。




 一方の青柳あおやぎはマシンガンのごとくエゾウコギなめ茸をほめたたえている。

〔青〕「監督の最新作『男女池背脂地獄変なんにょいけせあぶらじごくへん』の、チャーシューが吊るされるシーンのですね、タコ糸の結び目にズームインしてからのローアングルからのあおりり撮りの、あの紅麴べにこうじのテカリがサッシ戸に反射して」

〔監督〕「君分かってるじゃん。そこまで分かってるなら全年齢向け撮影だけは見に来ても良いんじゃん」


〔青〕「ありがとうございますっ」

〔監督〕「なめ茸組に正式加入したら『ありがとじゃん!』なんじゃん」

〔飛〕「あれはえせ横浜弁じゃなくて、なめ茸組の符丁ふちょうだったんですね。深い」

〔三〕「深くねえよ」

 魔空間に適応しかかった飛島を、三元さんげん現世うつしよに引き戻す。


〔三〕「ん? 電話?」

 魔空間を打ち破る一条いちじょうの光は仏像から差して来た。



〈男二人のキャンピングカー〉



〔仏〕「三元さんげん今どこ。誰からも帰宅連絡がないって矮星わいせいが心配してるんだけど。聞こえねえっ。ちょっと待てそのコールは」


『やばい超受けるじゃん! 青柳君なめ茸組に青田買いで良いじゃん!』

『パンダ君超いい匂いするじゃん!』

『みのちゃんのサイン欲しいじゃん』



〔多〕「多良橋たらはしだ。今どこにいる。誰といる。すぐ答えろ」

 スピーカー越しに聞こえてくるどんちゃん騒ぎに、真面目な高校教師の顔になった多良橋たらはしは地を這うようなデスボイスで三元さんげんに問いかけた。


〔三〕『三崎口みさきぐち駅近くの食堂でまぐろ丼を――。『三崎のまぐろ』ののぼりが立って鱈もどきの張り紙がしてあるうわーっ』

 三元さんげんが叫び声を上げると同時に、スピーカー越しに女の悲鳴がとどろいた。



『ぎゃーっ。おっさん危ないじゃん!』

『じゃんじゃんじゃんじゃんうるせえっ! 便所の芳香剤ほうこうざい頭からぶちまけてんじゃねえっ! こっちゃスロットで一日八万やられてむしゃくしゃしてんだ』


『熊谷さん金目の煮つけだよ! 冷めないうちに食いな』

『こんな所で飯なんて食えるかよ! ええい、クソガキどもも一緒にこうしてやるっ』

 


〔多〕「すぐ行く! 店の電話番号教えろ書いてあるだろ」

〔三〕『ええとっ、ちょっと待って』

〔仏〕「三元さんげんっ、その店のたらもどき、辛くて食えたもんじゃなかっただろ。ご主人と総白髪のおばあさんの食堂で、小柳屋御米こやなぎやおこめのカレンダーが貼ってある店だよな」

〔三〕『うん、それそれ。赤いのぼりで通り沿い』

〔仏〕「分かったすぐ行く」


〔仏〕「多良橋たらはし先生。その店なら分かります。今の道の空き方ならすぐに着くと思います」

 仏像は電話を切ると、真顔で多良橋たらはしを見た。



〈食堂にて〉



〔飛/三〕「先生、店の中が大変な事に」

 五人分の荷物を抱えて店の外で震える飛島と三元さんげんを仏像に任せ、多良橋たらはしは勢いよく店の引き戸を開いた。


〔女将〕「いらっしゃい。今日はちょっと臨時閉店になっちゃ、へーっくション!ったの、クション!よ」

 床に白身魚のような物が点々とぶちまけられる中、十人分のくしゃみの音と粘膜ねんまくを刺す刺激臭が多良橋たらはしを襲う。




〔多〕「お前らすぐ店を出くっしょん! 支払いは俺がするしょん!」

〔主人〕「金は要らねっくしゅん、えや。お客さん方の服を台無しに、ぐっしょん、しちまって俺がクリーニング代っしょん!」


〔多〕「とりあえず一万円置いていきっしょん。お前らすぐ帰るって言うから信頼して降ろしょん、やったのに一体何をしてるっくしょん!」


〔青〕「なめ茸監督っくしょん! ありがとっくっしょん」

〔あさぎ〕「みのちゃんっくしゅん。サインありがとっしょん!」

〔餌〕「森崎いちご様にお会いっしょん、出来て奇跡っしょん!」

〔女将〕「ありがとうっしょん。またおこしくださいっしょん!」

〔熊〕「ぐべーっしょーんんっ!」



〈帰り道〉



〔仏〕「俺と松尾が食った時も不味くて辛くて食えたもんじゃなかったが、あんなに刺激臭はしなかったぞ。わずか一週間で更に劇物げきぶつに進化させた訳。何があったんだよ」

 鱈もどきの匂いを全身からまき散らして歩く三人と距離を取りながら、仏像は三元さんげんにたずねる。


〔三〕「余りのうるささと料理の遅さに、熊谷くまがやさんって常連のおじさんが激怒しながらトイレのドアを開けたんだ。そうしたら勢いが付き過ぎてトイレのドアが吹っ飛んで。それで熊谷さんが暴れ始めて、四人分の土鍋ごとオヤジさんをぶっ倒して」


〔飛〕「特製薬味の大びんのふたが開いちゃって」

〔シ〕「コショウならぬ謎の薬味が入って喧嘩けんかも収まって一安心って――」

〔餌〕「お後がよろしいようでっしょん」

 そんな騒ぎは落語の中だけにしてくれよと、仏像はため息をついた。



※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


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