助っ人参上

11-1 松尾の秘密

〈一年七組 朝礼前〉


 GW明けの学校は応急の補修工事が終わり、火事や暴動の生々しいきずあとは一見分からない。

〔下〕「まっつんおはよ」

 松尾の前の席に座る下野広小路しもつけひろこうじも、渦中のサッカー部員とは思えぬ明るさで松尾に声を掛けてきた。


〔下〕「俺おととい『ページヤ』に行ってきたんよ。エビあげる」

 下野はページヤのレジ袋をサブバッグから引っ張り出すと、エビせんべいを松尾の机に置いた。


〔松〕「常滑とこなめ名物エビせんべい。愛知にも『ページヤ』があるんだね」

〔下〕「うん。いとこのお姉ちゃんの結婚式に行った帰りに見つけたんよ。『チョコカスター』と『牛三種メガ盛り弁当』も美味しかったんよ」

 僕も大好きと松尾が笑うと、下野はリスのような目を大きく輝かせた。


〔下〕「まじでーっ。でもまっつんの持っとるエコバッグはもう売らんのだと」

 使いやすいのにとしょんぼりしながら、松尾はエビせんべいをページヤのエコバッグにしまう。




〔下〕「ねえねえ、落語研究会は今度からビーチサッカーやる事にしたん。メッチャ興味あるわ」

〔松〕「僕は合宿に参加できなかったけど、相当ハードだったみたい」

〔下〕「らしいねー。山下さんから聞いたんよ。まっつんは政木まさき先輩とめっちゃ仲良いんだって。良いなー、俺イケメンになりたいんよ。あーっ。まっつん何か変わったと思ったら眼鏡が変わっとる」

 下野広小路しもつけひろこうじは相変わらず話題が飛びまくる。


〔松〕「花粉も落ち着いたし、暑くなってきたし」

〔下〕「まっつん超カッコいいもん。バンバン顔見せた方が得なんよ」

〔松〕「それはちょっとまだ怖い」

 仏像からもらったセルフレームの眼鏡を直しながら、松尾はうつむいた。


〔下〕「怖い? そう言えば山下さんが、まっつんも政木まさき先輩みたいな目にあったかもしれんって言っとったわ。ごめんな」

 ぽんぽん話が飛んだ挙句あげくにあっけらかんと謝られて、松尾は面食らいながら相づちを打つ。


〔松〕「第一、僕はそもそも仏像さんに何があったのかを良く知らないんだよ」

〔下〕「そうなんだ。えっとな、中三の文化祭の話は知っとるよな。有名だもんな。あれあれ、政木まさき先輩の追っかけが将棋倒しょうぎだおしになったやつ。それとな、マダムがおってな。クラウドファンディングで――」

 松尾の耳から下野しもつけの声が、急に遠のく。



〔坂〕「おはよう」

 担任の坂崎の声で、下野しもつけは教卓を向いた。

〔坂〕「どうした、松田君。顔色が悪いぞ」

〔松〕「大丈夫で」

 す、と言いかけた松尾の声は、声にならない。

〔坂〕「おい松田君っ、しっかりしろ!」

 坂崎の呼びかけも、松尾の耳に届くことは無かった。



※※※




〔下〕「政木まさき先輩っ、松田君が倒れて保健室におるんですけど」

〔仏〕「大丈夫なのあいつ」

 一限後、保健室に飛び込んだ後二年四組に息せき切って駆け付けた下野しもつけからの急報に、仏像は思わず大声を出した。


〔下〕「体調には問題ないから落ち着けば授業に戻るって保健の先生に言われて。俺と話した後に倒れたから、絶対俺のせいっす。政木まさき先輩、松田君のNGワードを教えてください」

〔仏〕「何を松尾に言ったの」

〔下〕「スノボ時代の政木まさき先輩の話っす。文化祭とマダムの」

〔仏〕「分かった。気にするな。いつもの下野しもつけ君のままでいてやれ」

 下野しもつけはバツが悪そうにうつむくと、軽く頭を下げて教室へと戻った。


※※※


〔生A〕「下野しもつけ珍しい。どうしたの」

〔下〕「飛島君に会いに来た」 

〔生A〕「飛島君、サッカー部の下野しもつけが呼んでる」

 二限後に一年三組に顔を出した下野しもつけの声に、世界史の教科書を読んでいた飛島が顔を上げた。


〔下〕「まっつん、ええと松田君が倒れたんよ。俺が変な事を言ったからなんよ。それで政木まさき先輩に話を聞きに行ったら気にするなって言われて。でも誰かが地雷じらいを踏んだらまた倒れるんよ。飛島君はどうやってまっつんと接しとる」

 下野しもつけが小声でたずねた内容で、飛島は松尾が横浜に来た本当の理由を察した。


〔飛〕「仏像さんの『あの』話をしたの」 

 下野しもつけは叱られた犬のようにうなずいた。


〔下〕「飛島君は松田君の事を群馬時代から知っとるんよな。何で知っとるん、何であの子は横浜に来たん」

〔飛〕「確かに僕は松田君の事を中学時代から知っていた。だけどどうして横浜に来たかは知らないし知る気も無いよ」

 両者無言でうつむいているうちに、三限を告げる予鈴よれいが鳴った。



〈昼休み 地歴教員準備室ちれききょういんじゅんびしつ



〔多〕「詳しい話は坂崎先生から聞いた。大変だったな」

〔松〕「まさか下野しもつけ君の話一つで倒れてしまうなんて。マイアミの話も黙っていて済みません」

 松尾が倒れたと坂崎から聞かされて保健室に顔を出した多良橋たらはしの元に、松尾は昼休みに足を運んだ。 


〔多〕「休み中だし、坂崎先生に話が通ってるなら良いって。それで、部活の件だがね。坂崎先生と学年主任とで話し合った結果、特例として部活免除でも良いと」

 多良橋たらはしは缶コーヒーを松尾にすすめる。


〔松〕「いえ、むしろ僕はむしろくたくたに疲れ切って、泥のように眠りたいです。早く帰った所で下宿だから気を使うし」

〔多〕「叔母おばさんと同居だっけ」

 その言葉に松尾は無言でうなずいた。


〔多〕「君は七組(海外進学コース)だし、同居はハウスシェアや寮生活の予行演習だと思うしかないね。事によれば通信科に転科して海外に行く予定なんだって」

〔松〕「その線も考えてはいます。なので」

 多良橋たらはしの問いに、松尾はすっくと顔を上げた。


〔松〕「たとえ一年間だけでも、普通の高校生活を送りたい自分もいるんです。だから部活は続けさせて欲しいです」


〔多〕「そうか。なら遠慮はしない。戦術分析官せんじゅつぶんせきかんとして、ビーチサッカーのルールとお手本になる試合を頭に叩き込んでくれ。それから、最低一人は松田君の交代要員をスカウトする事」

〔松〕「飛島君」

〔多〕「飛島君以外で」

 厳しいなとつぶやきつつ松尾はうなずいた。


〔多〕「坂崎先生にも学年主任にも部活は続行すると伝えておく。スクールカウンセラーと面談するか。坂崎先生からその辺りの話はあったの」

〔松〕「母が自宅でクリニックを開業していますので、必要ならばそちら経由でとお伝えしました」

〔多〕「そうだった。それで叔母さんを頼って単身横浜に来るしかなかったんだよな。済まん」

〔松〕「いえいえ。先生に話さなかった僕が悪いです」


〔多〕「悪くないよ。いいか、松田君は何一つ悪くない。海外で生きるなら、やりすぎぐらいの俺様思考でちょうど良い。じゃ、放課後部活でな」

 多良橋たらはしは松尾にひらひらと手を振ると、缶コーヒーを飲み干した。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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